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忘憂之物

朝日新聞阪神支局襲撃事件から26年 遺影に花、黙祷



朝日新聞阪神支局襲撃事件から26年 遺影に花、黙祷

<兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局で散弾銃を持った男が記者2人を殺傷した事件から、3日で26年になった。支局1階に設けられた拝礼所に市民ら約400人が足を運び、犠牲となった小尻知博記者(当時29)の遺影に花を手向け、手を合わせた。事件が起きた午後8時15分には、朝日新聞関係者ら約100人が支局内で黙祷(もくとう)をした。

 3階の襲撃事件資料室では、言論や表現の自由をめぐる様々な出来事を紹介する「『みる・きく・はなす』はいま」展が開かれた。支局を初めて訪れた西宮市の中学教員松下千里さん(33)は「教育現場でも多種多様な考えを持った教員や生徒がいて、それを一つの方向に無理やりまとめ上げると息苦しくなる。資料室を見て、違う考えを認め合う社会がいかに大切かを再認識した」と話した。

 東京の大学院で社会学を学ぶフランス人留学生のセザール・カステルビさん(27)も初めて訪問。「今でも言論の自由が認められていない国もある。一見認められていても、本当の意味で自由にものが言えているか、きちんと見極める必要がある」と語った。

 広島県呉市川尻町の小尻記者の実家では法要が営まれた。母のみよ子さん(82)や妻の裕子さん(53)、8月に小尻記者が亡くなった年齢と同じ29歳になる一人娘の美樹さん(28)らが参列した。父の信克さんは一昨年7月に83歳で亡くなっている。

 実家近くにある小尻記者の墓には横井正彦・朝日新聞大阪本社代表(57)らが訪れ、花を供えた>









<私は犯罪被害者より加害者のほうが辛いと思う。被害者の苦痛なんて交通事故のように一瞬だ>(『死刑廃止・日本の証言』 菊田幸一著より)



あの忌まわしい言論弾圧、報道の自由に対する暴力行為、その象徴ともいえる朝日新聞社阪神支局襲撃事件、いわゆる「赤報隊事件」から26年も経った。

この26年間、巷ではたくさんの殺人事件、あるいは外国におけるテロなどでも多くの日本人が亡くなったが、自由で正しい報道に携わる記者、あっさり言ってしまえば「朝日新聞社の記者」の命は「地球30個分」に値することから、ひとやまナンボのボンクラが何人死のうが、たったひとりの朝日新聞記者が殺害された事件は26年間、毎年毎年、この5月3日には必ず思い出さねばならないのである。

また、日本国民なら常識かと思うが、この5月3日というのは平日ではない。いわば「特別な日」である。理由はもちろん、この日は某学会の第三代会長に某大作氏が就任した日であるからだ。また、その御利益のひとつが「憲法記念日」になる。悪魔の如き軍国主義に染まった大日本帝国に、GHQから授かった平和憲法が施行された日でもある。

また、そもそも「5月3日」というか、それはポーランドの「5月3日憲法」のことだ。1791年というから少々古いが、この「5月3日憲法」とはヨーロッパで初めて施行、成文化された国民憲法である。ちゃんと「三権分立」とか「法の支配」も書いてある。「国王」に立法権はなく、行政は議会の代表者である「首相」が取り仕切る「評議会」で行う。戦争は行政の一環だから、国軍の最高司令官も「首相」になる。たしかにどこかの国と似ている。つまり、日本は進みに進んだヨーロッパから、遅れに遅れた1947年、ようやく「5月3日」の価値に気付いた、ということだった。先進的な朝日新聞がこの日、憲法憲法と紙面を埋める理由はそこにある。さすがは超がつく先進的新聞だ。たまに先進的が過ぎて見えない。

すなわち、このような目出度き日なのに、地球規模の友好平和が紙面化されたような素晴らしい朝日新聞社の記者、29歳の若者が卑劣な暴漢に射殺された。しかも、押し入った時間は午後8時15分。なんと「8:15」なのである。これで8月15日を思い出さないバンチョッパリはいない。呪われた数字である。哀号、若者はその輝ける真っ赤な将来を無慈悲に奪われたのだった。この無残な死を我々は忘れてはならない。

また、そのとき一緒にいたのは42歳と25歳の記者だった。42歳の記者は右手の薬指と小指を失った。「被害が右手」ということからも暴漢は右翼関係者だとわかる。また、なぜだか25歳の記者には発砲しなかった。我々が愛する朝日新聞は奥ゆかしいから書かないが、代わりに不詳私が書くと、それはたぶん、撃たなかったのではなく「撃てなかった」。

私の思う理由は簡単。「弾切れ」だ。使われた銃は散弾銃。ショットガンというアレだが、この事件では「散弾の広がり方」から銃身を切った散弾銃、いわゆる「ショートバレル・ショットガン」とか「ソードオフ・ショットガン」と呼ばれるモノだとわかっている。

コレの短所は射程距離が出ないこと、それから持続的な射撃ができないことだ。短いからポンプアクション銃みたいに弾倉がない。つまり、最大でも「2連発」になる。関西支局が襲われる前の1月24日、朝日新聞東京本社の二階窓ガラスに撃ち込まれたのも散弾だった。これも発砲は2回。9月24日の朝日新聞名古屋社員寮もそう。無人だった食堂に1発、隣のマンションの外壁に1発。「赤報隊」と名乗る犯人から「赤い朝日に何度も広告をだして 金をわたした」と叱られたリクルートの元会長の自宅には1発。

朝日に広告を出していたのはリクルートだけではないし、そもそも「リクルート事件」は朝日新聞のスクープだったから、元会長は怖いだけではなく困ったことだろう。それに「1発だけなら誤射かもしれない」。向かって撃ったとは限らない。ま、この元会長は信心が足らなかったのかもしれないが、朝日新聞静岡支局は爆破未遂、友達の愛知の韓国人会館は放火だった。ともかく、この事件に関連して言うなら、散弾銃を使用した事件で「2発以上」の発砲はない。

阪神支局を襲った暴漢は最初の一人を撃ったあと、悠々と朝日新聞社内を歩き、編集室の奥まで入り込んでもうひとりを撃っている。急いで現場から逃走しようという意志は感じられない。実に冷静沈着、落ち着いて行動しているとわかるが、それなのに目撃者でもある25歳男性は無傷だった。25歳男性は信心が足りていたのかもしれないが、これはちょっと不思議だ。

また、その「短い散弾銃」であるが、その長所は至近距離の殺傷力がアップする。それからインドアで戦いやすい。アメリカ映画でマフィアのアジトに突入する際、最初にドアをブチ破る隊員(ブリーチャー)が持つのがそれだ。ドアを破壊して通路を確保し、そのうしろからアサルトライフルの隊員が突入する、お馴染みのシーンになる。また、犯罪者が使用する場合は「隠しやすい」という利点もある。コートの中に、とか。

いずれにせよ、死刑囚の実父の成年後見人を務めた際、預かり金をずさんに管理して懲戒処分を受けた菊田幸一氏による冒頭の「名言」どおり、まったく辛いのは<加害者>だ。おそらく時効成立までは気を揉んだに違いない。被害者の小尻記者はまだ<交通事故のように一瞬>だったかもしれないが「それなりの事情」もあっただろう加害者は長らく苦しんだに違いない。いつ国家権力が自分を拉致、監禁しに来るかわからない。もしかするとその結果、死刑という「国家権力による殺人の被害者」になるかもしれない。

そのあたり、さすがは慈悲深い朝日新聞だ。ちゃんと「極刑を恐れし汝の名は――昭和の生贄にされた死刑囚たち」などの著書を出してくれた。書いたのは朝日新聞企画室の原裕司氏だ。しかしながら、この著書にあるフレーズが「失語症躁鬱ニート民」の溜まり場であるネットで歪曲されていた。ネットにあるのはこうだ。


<冷たい言い方のようだが、殺されてしまった被害者の人権など、とっくに消えてしまっている>


私は怒りのあまり、手元にあった産経新聞と京都新聞をスクラッチして整理したほどだ。こんな酷いことを朝日新聞社の人間が書けるはずもない。北朝鮮は地上の楽園、ポルポトはアジア的な優しさ、チベット侵略は格差是正と言うほど、慈愛に満ちた朝日新聞の企画室にいる原裕司氏が、こんな無神経な文言を並べるはずもないのである。調べてみると正解はこうだった。


<冷たい言い方になるが、名誉とかプライバシーなどを除けば、死んでしまった被害者に人権という意味はなくなる>


「死んだ被害者に人権はない」という意味は同じかもしれないが、だが、ちょっとマッテほしい。そんな瑣末なことはともかく、よく文章を読むとデマのほうは<冷たい言い方のようだが>なのに対し、本物は<冷たい言い方になるが>と断定している。要するに「いまから冷たい言い方をするぞ」という宣言なのだ。堂々たるものだ。堂々と「死んだら人権ない」を言っているのである。つまり、阪神支局襲撃にて死んだ小尻記者に人権はない。

その証拠に朝日新聞は様々な「死刑反対論者」に紙面を提供し、大したことのない学者や政治家に「エライせんせいになったような感じ」を与え続けてきた。福島瑞穂大先生は当然としても、その少し前になるが、社民党にいた大島令子氏も<死刑廃止しなければ人権後進国>というコラムを寄せている。この人は第一次小泉内閣で法相を務めた森山真弓氏をして<就任6カ月で死刑執行命令書に判を押したのである>と糾弾されている。さらには実際に絞首刑に処された遺体の棺を開け写真まで撮った。そして言うのだ。


<棺(ひつぎ)を開け、遺体の頸部(けいぶ)にかけられた白い布をめくると、紅紫(あかむらさき)の太い縄のあとがくっきりと残っていた。まさに絞首刑である>


「絞首刑にした」と言うのに、遺族の前でわざわざ棺を開け、首の縄の痕を写真に撮り、それから<まさに絞首刑である>と書くのである。これほど几帳面な性格でないと死刑反対はやれない。ちゃんと自分の目で確かめる、は大人として大事なことである。私も仕入れを教えてもらった際、東部市場の「にっしゃん」が言っていた。ちゃんとじぶんでみぃや、である。にっしゃんはアル中である。


もちろん、福島瑞穂大先生の先輩はそれだけではない。その写真をなんと国会に持って行く。衆議院法務委員会でその写真を森山法相(当時)にみせて答弁をさせるという悪趣味、いや、なんというかアレなこともする。これが税金でメシを喰うプロの仕事である。

法相の答弁は「法務大臣の責任上そのような決定をしなければならなかったことは、大変重い意味があるという思いを深くした」という、まあ、普通のことを言った。普通じゃないのは大島令子氏である。この答弁を受けて氏は尚、火病鋭く、こう追及する。


<法相が言う「法律に従って責任を果たす」こと自体が、「生命権」を冒涜(ぼうとく)する行為であると訴えたいのである>


さすがはソウルの高麗大學校を出ただけのことはある。ちなみにこの「ある意味ハイレベル」な学校を出た他の日本人に鈴木敬夫氏がいる。鈴木氏は日本の植民地による朝鮮民族支配について研究、その論文をハングルで書き、同大学において「外国人で初めて」法学博士となった素晴らしいアレだ。現在は朝鮮高校無償化にも熱心な教授のいる「札幌学院大学」の名誉教授だ。著書も多い。「朝鮮植民地統治法の研究- 治安法下の皇民化教育」とか「東アジアの死刑廃止論考」など、朝日新聞読者からすれば垂涎モノだ。

ところで「法律に従って責任を果たす」ことが「生命権(?)」の冒涜なら、なんら落ち度のない犯罪被害者の生命を奪った加害者はいったい、なにをどうして冒涜したことになるのか・・・い、いや、してないのか。そうか。菊田センセイの言葉を思い出そう。<私は犯罪被害者より加害者のほうが辛いと思う。被害者の苦痛なんて交通事故のように一瞬だ>だ。加害者のほうが辛いんだった。そうだった。

しかしながら、だ。少々、気になることがある。朝日新聞の記事によれば<支局1階に設けられた拝礼所に市民ら約400人が足を運び>とか書いてある。これは大丈夫なのだろうか。極右の安倍政権でも春の例大祭、靖国参拝の国会議員参拝者は168人だった。400人ならその倍以上になる。心ならずもショットガンを胸に抱き、朝日新聞阪神支局に「進出」して30万人の記者を大虐殺した犯人がそれを知れば、加害者としての心情が傷つくかもしれない。それは加害者としての人権が侵害されることになりはしないか。

<8月に小尻記者が亡くなった年齢と同じ29歳になる一人娘の美樹さん>とやらも心配だ。勤め先はテレビ朝日とのことだが、これは世襲との批判は免れまい。また、29歳で女性、と聞いて思い出されるのは先日、教職員でありながらも「本人の意志」により、大阪のホテヘルで働いていた女性も29歳だった。クレジットカードの使い過ぎ、という広義の強制連行を思わせる動機から名誉と尊厳を傷つけられていた。また、2006年の「改正風適法」などからして国家が関与した疑いもある。

各都道府県の公安委員会は営業の届け出などを厳格化し、出店禁止のエリアなどを勝手に決め、店舗型のヘルスだけではなく、ホテルヘルスまで深夜24時までの営業を定めたりした。これは明確な「国家関与」であり、これによりマトモな経営者だけではなく、暴力団関係者も数多の苦痛を経験することになった。安倍政権は暴力団関係者、ならびに風俗嬢の方々など、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からお詫びと反省の気持ちを申し上げるべきではないか。

それに女性教諭の収入だが、これがまた、およそ3ヶ月で160万円という薄給だった。月額に換算すると50万強しかない。教師の給料と合わせても70万円と少しか、これでよく生活保護を受けずにやれたものだと感心するが、例えばメキシコの大手通信社「テレフォノス・デ・メヒコ」のCEO、カルロス・スリムの資産は日本円で6兆7千900億円だ。これほどの地球規模の格差問題を放置しておいてよいはずもない。安倍政権はアベノミクスなど眠たいことをせず、早急に日本人の平均給与を3兆円にまで引き上げる努力をすべきだ。そうしないとこの29歳女性教諭のような「歴史的被害者」は後を絶たない。





―――いまはまだ、地球温暖化の所為で肌寒いが、もうすぐ暑くなればまた、アツい選挙の季節になる。

そのとき、いつも福島瑞穂大先生は街頭で叫ぶ。


「自民はダメ、民主は不安、だから社民」



自分が党首を務める政党をして消去法。日本人はいつか謙虚さを忘れたと思い出させる。福島瑞穂大先生は死刑制度について言う。


「国は殺人を禁止しているから死刑制度は矛盾する。だから死刑は廃止すべきである」




どこを探してもスキがない矛盾を堂々と述べる。日本人はいつか大胆さを失ったと思い出させる。元弁護士の福島瑞穂先生にとって「統治権力」と「一般国民」の区別はない。刑法第199条の殺人罪は統治権力には無効とか、統治権力における規範は憲法だろが、とか、そんな細かいことは気にしない。日本人はいつか、とても細かくなったのだろう。

そんな福島瑞穂大先生には、これからも朝日新聞と共に「加害者の人権」のために励んでほしい。今日も日本のどこかで「苦しんでいる加害者」はいるニだから。






ん?
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