見出し画像

忘憂之物

鳩山氏、南京の姿「ネットで5億人の方が見た」




鳩山氏、南京の姿「ネットで5億人の方が見た」

<鳩山由紀夫元首相は22日、北海道苫小牧市で苫小牧後援会の納会(閉会式)を開いた。

 鳩山元首相は「中国に行ってきた。南京市の記念館で手を合わせている姿を見ていただき、日本の元総理がこんなこと思っているんだとわかってもらった。ネットで5億人の方が見たようだ」と話した。また、「バッジを付けた政治活動は終止符を打ったが、今後も友愛精神に基づいて動いていきたい」とも語った。

 鳩山元首相は衆院選前の昨年11月に引退を表明。室蘭市の事務所は「友愛東アジア平和研究所(仮称)」として残されるが、北海道9区の他の個人事務所は今月中に閉鎖する予定で、幸夫人がハトをデザインしたJR苫小牧駅北口近くの事務所は売却が検討されている>







文革のとき、支那ではスーツを着ていたら紅衛兵が飛んできた。「西洋かぶれ」と罵られ、死ぬまで殴打されたりした。3代遡って商人がいたら「資本家」と看做されて、やっぱりリンチされたりした。「紅五類(労働者・中農以下の農民・兵士・革命幹部・革命烈士)」は「黒五類(旧地主・旧富豪・反動分子・悪質分子・右派分子)」に何をしても良い、という阿呆みたいな政治闘争だった。この騒ぎで大阪府の人口の2倍少しほど、控えめに見ても2000万人以上が死んだ。その前の大躍進と合わせると7000万人以上、という数字もある。

あまりのバカバカしさに日本国内の左翼も付いて行けないのが出た。これはさすがに正当化し難い。日本の左巻きの多くは共産主義に失望。御蔭で学生運動が衰退して、左翼思想から離れて行く人も増えた。支那人がたくさん死んで、多くの日本人がマトモに目覚める。いいことだった。

そんな支那で毛沢東が死ぬと、その後始末は「四人組」が犯人にされて終わり。「主席を騙した四人組を殺せ」と責任転換したが、やっぱり後ろめたかったのか、死刑の判決を減刑して江青と王洪文は無期懲役、張春橋と姚文元はそれぞれ18年と20年の懲役に処された。そもそも毛沢東は富農の出身。文革なら弾圧される側の「黒五類」に属するのも後ろ暗かった。

そんな毛沢東だったが、昨年夏の「反日デモ」では肖像画が揚げられた。共産主義に市場をそのまま放り込んだ失敗国家。高級外車の駐車場で子供が餓死するような結果、想像を絶する格差に嫌気がさしたのだろう、とテレビコメンテーターは言っていた。

半分は当たっている。毛沢東は「良いこともやった」。ひとつは支那人をたくさん殺し、また、殺し合わせて数を減らしたこと。もうひとつが「外に出さなかったこと」だ。

それに支那の強大化に成功した。あっさり言うと「核武装」を実現させた。そのための「大躍進」だった。共産党はなにがなんでも核兵器を持つ。アメリカに届くミサイルも開発する。だから人民、お前らは勝手に生きよ、党を頼るな、というのが大躍進の中身だった。「ひとつの皿に入ったスープを皆で啜り、ズボンを履かなくとも核兵器を持つ」の言葉通り、餓死する人民を歯牙にもかけず、毛沢東は支那共産党の軍備増強に心血を注いだ。

毛沢東をもう少し褒めると、この独裁者は西洋の諺「二兎を追うモノは~」をよく知っていた。だから経済的発展と軍事力強化は両立しない、として人民の生活を切り捨てた。国際社会や敗戦国の日本までが経済大国になり、GDPがどうした、とやっているとき、毛沢東は気にもしなかった。人民が貧しい?それがどした?共産主義だろが、と強気だった。

その優先順位は迷うはずもなかった。その少し前、毛沢東は外敵である「日本帝国軍」と内敵であった「国民党軍」の両方を相手にはしなかった。「二兎を追うモノは~」だ。だから西安事件を起こし、地主階級は取り込んで日本に対峙させた。要するに強かなのである。

毛沢東は核ミサイルが現実化すると、ソ連にも「中国には6億人いる。3億人死んでも半分残る。すぐに6億人に戻る」と言ってのけた。フルシチョフ首相は「野獣だ」と非難したが、その後の支那も同じく、台湾有事に際して「アメリカが台湾海峡で武力干渉を行うならば、アメリカは台北よりもロサンゼルスの核攻撃を心配した方がいい」と支那共産党人民解放軍、副総参謀長が外国メディアに言い放った。その少し前には同じく人民解放軍の朱成虎少将が「西安から東の都市が壊滅しても惜しまない。その代わり、アメリカも数百の都市が犠牲になる覚悟をしなければならない」と脅している。

これがハッタリではないことは、だれよりアメリカが知っている。アメリカはハッタリだと知っていれば空爆する。また、言うまでもなく、日本はもっと愚かだった。1979年には大平首相が支那に行ってODAを約束する。小平は「4倍増計画」を言った。核も持ったし、あとは金儲けだということだが、この時点での支那の国民一人当たりの総生産は250ドル。これはバングラディシュやエチオピアのレベルだ。国民が飢えて死ぬレベル、北朝鮮と同じく、軍事しかない失敗国家だった。日本は当時、国民一人当たりの総生産は1万ドル。支那が4倍になっても、まだ、10倍あった。

だから日本は金持ち喧嘩せず、じゃぶじゃぶと技術も金も惜しみなく出した。支那のインフラは日本がやった。支那共産党が一心に軍備増強、海軍増強、核兵器所持を進める手伝いをし、その後始末も引き受けていた。代わりに大平首相が持ち帰ったのは「ランラン」と「カンカン」だった。日本人は歓喜したが、いま、その核ミサイルを向けられている。

毛沢東はずっと「敵を極小化して、味方を極大化する」を言っている。統一戦線の「利用矛盾、爭取多數、反對少數、各個撃破」もそうだ。意味は「矛盾を利用し、多数を味方にし、反対者を少数にして孤立させ、各個撃破する」になる。なるほど。日本はコレをずっと仕掛けられていたとわかる。

鳩山由紀夫が苫小牧後援会の納会で挨拶した<中国に行ってきた。南京市の記念館で手を合わせている姿を見ていただき、日本の元総理がこんなこと思っているんだとわかってもらった。ネットで5億人の方が見たようだ>がどれほど底抜けの阿呆なのか、どれほどの国賊的言動なのか、どれほどの犯罪的能天気なのか、もはや説明はいらない。

このカスはまだ<バッジを付けた政治活動は終止符を打ったが、今後も友愛精神に基づいて動いていきたい>とのたまう。

こいつは間違いなく「戦後日本人の恥の巨塊」だ。ある意味、貴重な標本ですらある。戦後の日本人は多かれ少なかれ、こんな友愛馬鹿みたいな戯言でやってきた。少なくとも教育の場で、政治の場で、マスコミの場でコレを許してきた。看過してきた。座視してきた。

いま、この憲政史上に残る前代未聞のお粗末な元総理こそ、戦後日本人の決して「忘れてはならぬ恥」なのである。その顕在化した姿なのである。この友愛馬鹿をして、いま、我々が「ヘンだ」とか「馬鹿じゃないか」と思える事実こそ、支那共産党が最も恐れていたことなのである。

敢えて言う。この現実を喜ぼう。この友愛馬鹿を唾棄し嫌悪する「日本人のこころ」を大切にしよう。



コメント一覧

久代千代太郎
>おやじ47さま

ですねぇ。支那共産党が媚中派の政治家や著名人に「仕掛けてくる」のは明白、それを知ってか知らずか、大歓待されて喜ぶ。そして国を売る。愚かな連中ですな。
オヤジ47
まさしく
あのルーピーは、遺憾なく己の「無能」っぷりを政界引退後も発揮してくれますねぇ。
(いや、無能なんてレベルではなく、害毒そのものですが)
日本人が唾棄すべき「偽善」とか「恥」が、あの一人物に凝縮されていると思います。
戦後教育、自虐史観の悪しき成果みたいな。
どこぞの新聞が、ことある事に「軍靴の音が~」的な社説を出したがりますが、そいつらに聞きたい。
「その軍靴は、どこの国のなんですか?」と。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「過去記事」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事