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小学生の列に車突っ込む 小1女児が死亡 大阪・中央区(朝日新聞) >2012.5.14

2012年05月14日 | 過去記事

    



小学生の列に車突っ込む 小1女児が死亡 大阪・中央区(朝日新聞) - goo ニュース

<14日午後3時5分ごろ、大阪市中央区玉造2丁目の丁字路交差点で、近くに住む市立玉造小1年の有井千織(ちおり)さん(6)が乗用車にはねられ、約2時間後に搬送先の病院で死亡が確認された。ほかの児童3人と放課後、学童保育所へ向かう途中で、女性指導員が付き添っていた。ほかの児童と指導員にけがはなかった。

 大阪府警は、車を運転していた不動産会社役員の佐藤幸一容疑者(65)=大阪市東成区東中本2丁目=を自動車運転過失傷害容疑で現行犯逮捕し、同致死容疑に切り替えて調べる。「右折する際、安全をよく確かめなかった」と容疑を認めているという。

 東署によると、現場は片側1車線の市道(幅約10メートル)と別の市道(同約8メートル)が交わり、信号機や横断歩道はない。佐藤容疑者は右折して幅約8メートルの市道に入ろうとした際、千織さんをはねたとみられる>






夜勤明けの朝礼。またまた施設長の眠い訓示の中「施設近辺、とくに町内では(交通事故に)注意しましょう」があった。今度は「理事長からの言葉」とのことで、なるほど、この天下り老人はいまでも思考ストップ、縦割り行政の中でしか生きられないのだとわかる。

京都府はいま「交通事故非常事態宣言」ということで、天下りでも何でも使って「注意しましょう」とやる。テレビでも小さな事故から報道する。いま、交通事故が旬なわけだ。

原因はいろいろある。飲酒運転から無免許運転、寝てましたとかくしゃみをしたとかで子供が轢き殺されている。「てんかん」もあったが、テレビに出てくる専門家やコメンテーターは「安全な道路を」とやる。罰則を強化、は言い難いのか、ともかく、悲惨な交通事故を減らしましょう、無くしましょうとはやるが、どこのだれも「自動車を止めよう」とは言い出さない。甲子園に駐車場はない、とオマリーでも言っていた。少々、日本には車の数が多すぎるのではないだろうか、という識者はテレビに出て来ない。

論調はこうだ。「自動車は危険」ではあるが「安全に使うことも可能なはず」となる。自家用車という利便性、商業用車という必要性、緊急車両もそうだし、休日に高速道路をぶっ飛ばしてドライブすれば経済効果もある、ということで「自動車廃止」とか「ストップ自家用車」とは誰も言わない。最近、あまり聞かなくなった「地球温暖化」もそうだ。日本のような自動車社会が環境に与える影響というのは少なくないが、これも電気自動車とかエコカーなどでお茶を濁してお仕舞いだったりする。本気で「CO2削減」を言うなら、石油燃料を燃やして走り回る自動車が問題にならぬ理屈はない。

実はみんな知っている。この世の中「ノーリスク」というものはないと気付いている。自動車はとても便利だが、運転を誤ると小学生児童の列に突っ込んで、大勢が怪我をしたり何人も死ぬ可能性があると知る。頭がおかしくなったアレが暴走することもあるし、病気や老化で運転能力が落ち、甚大な被害を出す事故につながるとも知っている。それでも必要だから黙っている。それから「廃止以外の方向で」頭を使う。道路を整備したり、免許の取得を一考したり、違反者の刑罰を強化したりする。これはとくにおかしくない。

しかし、これが原発なら「止めよ」という声は出てきてもいい。「自動車廃止デモ」はやらないけど、これが「原発反対デモ」ならテレビは飛んできてやる。「原発ゼロ」も隠れて言わなくていい。そして、それを誰も馬鹿だとは言わない。

「原発は被害が大き過ぎる」というなら、年間の交通事故者数を調べてみればいい。これまでどれほど死んで、これからもどれほど死ぬのか、も考慮すべきだ。それに交通事故は癌にはならないが、轢かれて飛ばされれば即死する。「直ちに影響がある」わけだ。損害賠償を求めるのも国家や大企業相手ではない。相手が無保険、無免許という場合もある。「子供に影響が」というなら年齢層を調べればいい。好奇心の塊、無警戒の天使、周囲の安全確認を怠る可能性の高い子供の事故率はどのくらいか。それにこの場合は年寄りも死ぬ。健康な若者でも死ぬ。

「あそこの原発で事故があれば我が町にも影響がある」というのは、私の通う施設の長や理事長が言う「町内で交通事故は勘弁」と同じだ。「汚染された瓦礫の受け入れ反対」と同じ、つまり「NIMBY(ニンビー・Not In My BackYard・うちの裏庭には来ないでほしい)」なのだ。遠くに行ってくれと、遠くでやってくれという無責任だ。もちろん、ここで理事長が「だから私はシーマを捨てました」というなら説得力もある。「タクシーは使わず、みてください、この自転車、かっこいいでしょう」なら話も聞こう。しかし、今日も明日も自動車に乗る、運転もする。なんだったら飲酒運転もするのである。これで「施設周辺では運転に注意してください」だから笑われる。馬鹿にされるのである。

自動車事故が相次ぐ。これには「安全運転しましょう」とか「安全確保のために何ができるか?」とやる。原子力発電も同じではないのか。電気が足らない、計画停電してまで止めろ止めろはおかしい。液晶テレビの使用電力はエアコンの1.7倍となる220ワット。その前にテレビを消すべきだ、ともやらない。それに自動車と同じく「電気が足らない」というのは不便とか、困るで済まない。日本経済にとっては相当な打撃となる。倒産する企業も出る。失業者も増える。原発事故で死ななくとも、経済的に困窮すれば自殺者も出る。つまり、命が失われる。「甚大な被害が出る」というなら同じようなモノだ。

都合が悪いモノは看過する。イデオロギー的に都合のよろしいモノは扇動する。我々はそれらを峻別してリスクを背負わねばならない。その上での「リスク軽減」におけるマネジメントを考えねばならない。政治家もこういうことを「票取り」に利用してはお里が知れる。ちゃんとした有権者知っているし、それを覚えてもいる。もう、そろそろ浮かれるのも終わりだ。今年の夏、関西地区で停電になろうが、それを受けて原発再開となろうが、大阪から出た「浪速の剛腕」はボロが出る。TBSのチンケな左巻きの記者をやっつけて浮かれている場合ではない。




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