忘憂之物

母の日、ゆっくり休んで…「家事は重労働」(読売新聞) >2012.5.13


    



母の日、ゆっくり休んで…「家事は重労働」(読売新聞) - goo ニュース

<主婦が日常生活で体を動かす活動量は、事務職の会社員に比べて2割以上も多いことが、国立健康・栄養研究所と桜美林大学の調査で分かった。

 日本体力医学会の学会誌に発表する。掃除や洗濯などで、こまめに体を動かしているためとみられ、育児をしている主婦はさらに活動量が増える。きょう13日は「母の日」。データからも「家事は重労働」が裏付けられた格好だ。

 同研究所の田中茂穂室長らは、上下左右などの細かな動きから、活動強度や活動量を評価する活動量計をメーカーと共同開発。専業主婦20人(平均年齢37歳)、事務職の男女31人(同42歳)に1週間装着してもらい、平均的な活動量を測定した。

 1日の平均歩数は、主婦が8424歩、事務職が8288歩でほぼ同じだったが、座って安静にしている時の活動強度を1とした場合、その3倍以上の強度の活動をしている時間が、歩行時を除くと主婦は59・5分。事務職の21・9分の3倍近かった。

 また、安静時の2~3倍の活動をしている時間も、歩行時を除き主婦は243・4分で事務職より99・5分多かった。

 イスに座った作業や会議の活動強度は安静時の1・1~1・8倍なのに対して、掃除機かけは3倍、皿洗い1・8倍、洗濯物干しは2・3倍。主婦は比較的強度の高い活動を長い時間行うため、体を動かす1日の活動量は基礎代謝の0・7日分に相当し、事務職の0・57日分より23%多かった>





高校に通い始めて少し経ったある日の放課後、担任教師から「体育館に集合」という指示がある。16歳だった私はその日もアルバイトがあったから、どうにかすっぽかして帰ろうと(逃げようと)企てていたのだが、所詮は悪餓鬼の浅知恵、インドで修業をしたことがある、というレインボーマンみたいな担任教師はお見通しだった。

体育館に行くと、全員が正座させられていた。生活指導兼学年主任という体育会系の「怖い先生」が腕組みしながら「菓子類の持ち込みは禁止だろうが」とやっていた。どこかのスケ番が授業中の教室か、もしくは体育館の裏あたりでポテチでも喰っていたわけだ。それで「連帯責任」よろしく、良い機会だから、お前らの根性叩き直してやる、となった。

当時は「少子化」など聞かれなかったから、私の通っていた公立高校は10クラス以上あった。ちなみに私は「10組」だった。選りすぐりの阿呆を放り込むクラスだったようで、2年生になる頃にはクラスの過半以上が来なくなり、結局、消滅していたらしい。また、教師が持っていたクラス名簿、私の名前とあと何人かの名前には赤線が引いてあった。「要注意」ということか。酷い差別もあったモノだ。

体育館の入り口まで行ったところで、その生活指導教師の怒声が耳に入った。なるほど、そういうことかと得心した私は、ふざけるな、知ったことかと激怒した。私にはバイトがある。スーパーの魚屋だ。こんなところで正座していればバイト代も入らないし、なにより同じ年の女子アルバイト「ひろみちゃん」に会えない。私はあの笑顔に癒されないと酒も美味くない。私は「帰る」という強烈な意思表示を担任のレインボーマンに示した。

当然ながら、レインボーマンは怒気も隠さず強引に引き止める。私は怒るでもなく笑うでもなく、ただ淡々と「付き合ってられん。もう辞めるからほっとけ」と言い放ち、そのままアルバイト先へと向かった。レインボーマンはそれ以上、私を引き止めなかった。

それから少し経ったある日、音楽室でドラムセットを見つけた私は高校生らしく、機嫌良く叩きまくって遊んでいた。その熱いリズムは音楽教師が登場しても収まらなかった。まさに燃え尽きるほどにヒート、震えるぞハート、という状態だったかどうかはともかく、無論、女性教師はブチ切れて「授業妨害するなら帰れ」と言ってきたから、あ、そうですか、ということで帰った。途中、生活指導の体育会系と階段ですれ違ったが、一切、声もかけて来なかった。私の高校生活はコレで終わった。

高校に行かなくなってから、しばらくすると、何故だかアルバイトも辞めた。髪の毛はパンチパーマからまた、上田馬之助になっていた。悪友らと夜通し遊び、明け方に帰宅して馬鹿みたいに寝る、という生活を繰り返した。50歳になるかならないかの母親は小遣いをくれないが、周辺に暮らしていた叔母はたくさんくれた。夜中、窓をたたくと、そっと1万円札が出てくる「魔法の窓」もあった。私はそれで酒を買ったり、タバコを買ったりした。その日もそうだった。どこぞの道端でツレと飲んでいた。

しこたま酔って家に帰ると、玄関(と言っても貧乏長屋の入り口だが)のカギが閉まっている。もちろん、私はカギなど持っていない。だから躊躇いなく玄関に正拳突きを入れて壊して入る。狭い長屋の間取りだ。真夜中、玄関がブチ壊される衝撃音に妹は飛び起きていた。それは今でも叱られるのだった。

私はそのまま機嫌良く、がーがー寝た。その最近、毎日がこうだった。何も考えていなかったし、また、考えることも出来なかった。馬鹿の見本だった。

何時かわからないが、私はうっすらと目が覚めた。私が寝ている横には仏壇があった。その前に母親が座っていた。祖父「太郎」のことを「おとうちゃん」と呼びながら泣いて詫びていた。それから寝ている私に向き直り、また、ごめんごめんと泣いていた。あんたがそうなのは自分が悪い、この子がこうなのは母親の自分の育て方が悪かったのだと泣いた。

右手をみると包帯が巻かれていた。怪我をしたのだろう。やったのはオカンか妹かは知らない。でかい穴のあいた玄関には段ボールが貼られていた。貧乏長屋にふさわしい「絵」だった。悪友のだれかは「豚小屋ww」と笑った。私もそう思った。

次の日、バイトを探しに行った。小さな「お好み焼屋」に募集チラシをみつけた。スナフキンに酷似するオーナー店長は「明日から来るか?」と言ってくれた。今から思えば、面接での「真面目にやるか」→「はい」はおかしいのだとわかる。懐の大きなスナフキンだった。結局、居心地もよく、そこで2年ほど世話になることになった。バイトのメンバーは順次、悪友に入れ換わっていった。忙しい店だった。今でも繁盛している、と聞く。

私はそのバイト先近くの花屋でカーネーションを買った。おそらく、生まれて初めて、だ。



今日、我が家のテーブルにはふたつ、カーネーションの籠がある。ひとつは倅が買ってきた。倅はいま、上海へ行く「留学費用」を貯めようと必死だ。昼飯はバイト先の「廃棄処分弁当」を喰っている。それまではバイト代を使うのが嬉しい年頃、生意気にも外食なんぞをしていた。それがこの最近、大学に行く際も、私が飲んで放ったペットボトルにお茶を入れて持って行く。これは母親、我が妻の真似だ。

我が妻は昔から「全部飲めない。もったいない」として、空いたペットボトルにコーヒー牛乳などを入れて仕事に行く。「紅茶華伝」のペットボトルにコーヒー牛乳を入れていた。しかもキャップが「ポカリスエット」だったから笑った。いい加減に過ぎるが、妻が偉いのはそれらの「貧乏行為」が、私の収入によらない、というところだ。以前、私は年収1千万円を超えていたが、そのときから妻は不細工なペットボトルを持っていた。私が止めなさい、というと「ちゃんと洗ったで?」とトンチンカンな口答えもしていた。

倅はいま、私の最近のお気に入り「キリン・Mets」の空きペットボトルに「お茶」を入れている。というか、その「キリン・Mets」も倅が買ってきてくれたものだ。「最近、お父さんはコレが好き」ということで、バイト帰りなどに買ってくるようになった。私がそれを「メッ茶」と名付けると喜んでいたが、そんな倅はいま、己に「小遣いは1日300円」という、グリコのような条件を付けている。上海への留学費用の半分は貸してくれ、ということだが、それでもなにかと金は必要だから、せめて留学のその日まで倹約生活をしようと決めたのだろう。健気なモノだ。

それより、今年二十歳になる倅が「父親が飲んで捨てたペットボトル」にお茶を入れて、普通の顔して大学やバイトに通っている姿を見ると、親馬鹿ながらも「日本はまだ大丈夫か」と安堵してしまう。朝日新聞などは悪口を言うが、なんのまだまだ、日本の若者もやるじゃないか、と嬉しくなる。

そんな倅が「300円以上する」と思しきカーネーションの束をテーブルに置いていた。我が妻は、だから1日300円だというのに、これにアイスやチョコ、ダイエット用品まで注文していた。鬼である。倅は植民地のように言いなりだった。

この日は娘も里帰り、花屋に勤めるトカゲ旦那の便宜もあり、そらまた大きなカーネーションの束を持ってきた。二人に増えた孫も一緒に来て、それはそれは賑やかな母の日だったらしいが、夜勤明けでそのまま、犬を病院に連れて行った(フィラリアの予防ね)私は泥のように寝ていたのだった。

もちろん、我ら夫婦にも母親がいるから、今年もちゃんと「カーネーション+なにか」を贈っておいた。寝ている私に向かって泣いていたオカンも「来年はアレ頼むわ」などと強欲になってきた。有り難いことだ。

私は男だから書くが、母親は本当に大変だ。父親は大したことない。基本、男は戦争でもなければ使い道がない。せめて金を稼いでくるくらいのものだが、それも年収ベースで言うと「400万円以上」なければ母親、妻には頭は上がらんはずだ。コレは私の持論だ。「ラウンジで飲む」のは600万、外で「女遊び」は800万と決まっている。だから私はいま、自ら進んで家事手伝いをする。妻の我儘放題は昔からだが、メシを作るのも難しいし、掃除や洗濯も大変なのだ。上手くできると嬉しいのである。ま、安モンの男にはやれん。

また、記事にあるような<活動強度や活動量を評価する活動量計>などを使わんでも、昔からちゃんとした男、父ちゃんや爺ちゃんはわかっていた。我々は毎朝、当たり前のように洗濯された服を着るし、当たり前のように用意された食事を喰うわけだが、これも母親がいるからこそ、女性が動いてくれているからこそ、だ。そして、こういう当たり前に感謝できる男は道を誤らない。誤らないから最短距離で突き進むこともできる。
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