忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

KADOKAWAトランスジェンダー書籍刊行中止に著者「活動家主導のキャンペーンに屈した」

2023年12月06日 | 随感随筆



先日、久しぶりに歯医者に行ったら歯周病だった。奥歯に少し違和感があり、軽い痛みもあってメシが喰い難い状態だったが、なんと「抜きますか?」と問われて驚いた。結果、箇所も悪くないし抜いたほうが楽、と言うので抜歯したが、その抜いた歯をみて、今度は看護師さんが驚いていた。医者も感心していたので不思議に思い、ふがふが言いながら問うてみると「歯が大きいですね」。

まさかの奥歯が巨大歯。いわゆる大臼歯で上の左の8のとこだ。いちばん奥の歯だ。これの日本人平均は11ミリくらいだったと思うが、それより大きいのは目視で分かった。看護師さんに「ゴリラくらいですか?」と問うと、真面目な顔でオランウータンとチンパンジーの間くらいですかね、ボノボよりは大きいですね、みたいな返答だった。さすが歯の専門家だと感心した。

ゴリラには歯が立たんまでも、まさか、この年になって大型類人猿4種に食い込むとはなかなかだが、もっと安心したのは虫歯が1本もないことだ。全部が「ノーマル(良くも悪くもない普通の歯)」とのことだ。どおりで子供の頃からなんでもむしゃむしゃ喰えると思っていたのだ。そして今の年になっても我妻とは違い「甘いものが嫌い」であることも幸いしている。子供の頃からお菓子嫌い、ジュース嫌い、ケーキやチョコなど見たくもない、果物も喰わんし、メシのおかずも甘い味付けは喰わん、という徹底ぶりだ。

小学2年のとき、盆踊りかなにか、子供会みたいな集まりで、どこぞのオバハンが「おしるこ」をくれて、子供心に喰わないのもアレかな、と気を使って喰ったら吐いたことがある。受け付けないのである。美味しくないし、無理したら体調が悪くなる、と幼少の頃から学んでいたのである。だから給食は好きだった。

子供が喜ぶもの全般、つまり「食後のデザート的なモノ」が嫌いだから、これはこっそりと女子に渡すと喜ばれる。代わりに女子が嫌いなモノ、多くて喰えないモノ、なんとなく残したモノはすべて受け入れる。まさに人間ポリバケツ状態だ。残飯を捨てる手間も場所もいらない。だって私がすべからく喰う。西川先生にバレなければ、クラス内の給食に関する調和は私がいれば問題なかった。家が貧乏で体が頑丈な大食漢の需要がある時代だった。

しかしながら、私のオカンの時代、いや、もう少し前の世代では喰うモノについて「好きも嫌いもない時代」というのがあった。その世代の親たちは子供らに「好き嫌い言うな」と叱った。学校の教師も「残さずに食べなさい」を言ってもいい時代だった。私の世代はまだギリギリ「お米の有難さ」を説かれキレイに喰わないとしばかれた。また親や教師から「食べたくても食べられない子もいる」と言われて育った世代だ。

いまは恵まれた時代ということで、フードロスが社会問題ということだ。恵まれているということは「選んで喰える」ということでもあるから、好んで野菜しか喰わないという人もいる。有名なところでは吉本新喜劇の小藪とか、祖父からの教えで牛豚鶏は喰わないという。

マクドナルドではなに喰うの?無人島で死にかけても肉食べへんの?と言われて「喰うやん!フィレオフィッシュあるやん!死ぬくらいやったら喰うやん!」とネタにもなっているが、そんな小藪も誘われたら焼き肉屋に行く。そこでは野菜や海鮮などを喰うらしいが、要するに「勝手にしている」わけだ。

あの懐かしい「シーシェパード」には叱られるかもしれないが、つまり、だれにも迷惑をかけないし、だれにも文句も言わない。焼肉屋の前で抗議活動もしない。実に普通だ。

しかし、いまから忙しくなるケンタッキーの前で鶏のコスプレで食鳥処理工場の写真などを持って抗議活動はしない。小学校の通学路にて屠殺された豚のプラカードも掲げて騒がない。肉が好きなだけの他人様に「理性がないのか」とか常識のないことも言わない。自分は喰わないし、他人は喰ってもいいし、お互い、好きなようにしましょう、ということだ。実に普通である。

今日6日、農林水産省での有識者会議で食糧不足に対応する報告書をまとめたとのことだが、これが具体的な内容で「1人当たり、1日1900キロカロリーの摂取が確保できないような極めて深刻な段階になると、農家に対して、サツマイモやコメなどを念頭にカロリーを重視した品目への生産転換を要請し、それでも確保できない場合は、生産転換に関する計画を作成するよう指示することが妥当」とある。更に「計画作成の段階にて違反した場合は罰則が妥当」とまで踏み込んでいる。つまり、単価の高いお洒落な野菜ではなく、国がサツマイモつくれと言ったらつくれ、逆らったら罰則だ、と言っている。

もちろん、平時から有事のことを考えておくことが肝要であるから、これですぐに台湾有事が近いのか、ではなく、要すれば「こういうこと」だとわかる。文句言えるうちがナントカ、自分や子供が飢えているならオーガニックもヘチマもなく肉も魚もイモもない。

つまり、選んで喰える場所から選んで喰える立場でモノを言っている。だからおかしいことをする。環境保護活動家も同じ。石油製品の服を着てジェット燃料の飛行機に乗り文句を言う。先ずは自分が大型類人猿の暮らしをせねば人様に物申すなどおこがましい、と思うのが普通だ。だから、これもやはり、おかしいことをする。迷惑をかける。

トランスナントカもそう。要すれば「勝手にしてくれたらいい」と言っている。日本にはゲイを逮捕して死刑にしていた歴史もない。テレビをつければ毎日、おねえキャラが出て人気を博している。都内のタワーマンションでリビングが30畳とか、成功しているタレントも少なくない。テレビでもネットでも女装したおっさんや、おっさんが好きなおっさんを見ない日はないほどだ。それらはすべからく、今も昔も「どうぞ御勝手に」ということである。

だれもなにも文句も言わないのに、あちこちで差別するな、認めろと騒ぐのがいる。意味不明だが、一応、なにを言うのか聞いてみると「お父さんとかお母さんをやめろ」とか言う。男でも母親になれる、とか真顔でやる。それもそれで勝手にすればいいのだが、母乳とか言うな、人乳か胸乳と言うべきと怒っている。いや、これも勝手に自分だけがそう言っているなら結構だ。「我が家では母乳という言葉は使いません」ならどうぞ、ご勝手に、という他ない。しかし、それを社会に認めろと言ってくる。お前の家でもそうしろと迫ってくる。

自分が男か女か、それは身体的、客観的な特徴ではなく「自認」だと言う。いや、それは困るとなれば、差別するのか、と凄む。阿呆なメガネはそれで理解増進法案とか強行採決する。稲田は「大丈夫です。逮捕すればいいでしょ」と言うが、悪意ある変質者が「自分は女だから」と女風呂に入ってきて、娘や妻が怖い思いをするのではないか、と案じている。そしてそれは事実、すぐに発生したが稲田も新藤も何も言わない。いよいよ社会が壊れ始めるから、普通に堂々と生きている性同一障害の人らが迷惑する。

多くの保護者は、男の子同士のセックスはこうやればいいよ、と子供に教えるのは止めてくれと言っている。小学生の男の子に、男の子の友達との口内性行を勧めないでくれ、と懇願しているのである。そして今回、KADOKAWAが最悪の形で活動家に屈した。悪しき前例になるし、連中からすれば祝杯をあげるほどの成功体験になる。

そして社会はもっと分断される。もう、どうぞ御勝手に、と放置できないことになる。嫌悪感を隠さず、差別丸出しの排斥も起こる。連中はこちらの我慢の限界を待っている。衝突を待っている。世が混乱するのを待ち望んでいる。言葉の通じない粗野粗暴な集団と訓練を受けた敵性国家の工作員はもう、警察官や自衛隊員よりも多数になって久しい。いま、うずうずして待っている。





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