忘憂之物

2010.10.3

アジャ、ブッチャーに流血負け/WAVE

<アジャ・コング(40=OZアカデミー)がアブドーラ・ザ・ブッチャー(69=カナダ)との夢の対決に敗れた。アジャはNOSAWA論外(33=東京愚連隊)、ブッチャーはGAMI(41)と組んで対戦。アジャはブッチャーの入場を襲い、一斗缶をたたきつけたが、場外で額をフォークで突き刺された。4人が流血する大乱戦となり、最後はおびただしい量の血で顔面を真っ赤に染めたアジャが、ブッチャーの地獄突き、毒針エルボーで沈んだ。「最近、なかなかこんな大流血ないよね? でも、負けて複雑だけど、地獄突きと毒針エルボーを受けるなんて一生に一度だけだからファン的にはOK」とアジャはニヤリ。憧れの選手との対戦実現を喜んだ>

あまり人のことを羨ましいと思わぬ私だが、これは正直、とても羨ましい。それにしても69歳である。葉巻が好きで、あの巨漢。成人病もなんのその、親日家のブッチャーは「日本人はアメリカ風になりすぎて古い日本の良さを忘れている」とインタビューで、大好きな日本を危惧している。今の民主党をみると、凶器でズタズタにしてからトラースキックでぶっ飛ばし、地獄突きで喉笛を切り裂いてから、ゆったりしたフォームで毒針殺法をかましたくなるだろう。長生きしてほしい。







立ち小便しようとして高架橋から転落死、イタリア

<イタリアで3日未明、車の運転中に用を足したくなり、路上駐車して立ち小便をしようとした男性が、暗かったためにそこが高架橋だったことに気付かず、9メートル下に転落して死亡した>

イタリアらしい愉快な話だ。次はイタリア抜きでやろう、というジョークもわかる。






生まれ変わるなら「大和魂を持った日本人に」 朝青龍が引退相撲

<断髪式ではモンゴルのバトボルド首相ら約380人がはさみを入れた。大銀杏を落とした後、「複雑な思いでいっぱい」と11年間の土俵人生を振り返った朝青龍関。生まれ変わったとしたら「大和魂を持った日本人として横綱になりたいと思う」と話した>



また難しいことを言う。近頃の日本人は「横綱」はゼロだし、大和魂も怪しいもんだ。リップサービスはもういいから、愛する祖国から支那共産党を追い出しなさい。北朝鮮でハラミ焼いて食べてる場合じゃない。







高橋さん釈放へ柔軟対応も=中国代表、大畠経産相に示唆

<大畠章宏経済産業相は3日、岐阜市でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)中小企業相会合の席上、中国で拘束されている準大手ゼネコン「フジタ」社員の高橋定さんを早期に釈放するよう中国政府代表に要請し、中国側が柔軟な対応を示唆したことを明らかにした。APEC会合閉幕後、記者団の質問に答えた>


アメリカは「サダム」を逮捕して処刑したが、支那共産党も「定(さだむ)」の扱いは気をつけたほうがいい。中身が「北朝鮮と同じ」だと世界に宣伝するのは勝手にすればよろしいが、日本のマスコミは報道せずとも、新華社通信の報道で「2300人ほどのデモ行進」はみただろう。みたか?あの整列、あの整然としたデモ行進。日本人の怖いところはアレだ。

練習もせず、普段はそこらの一般市民が、集まって行動するのに「停止線」でピタリと止まっている。次の号令で粛々と進んでくる。すぐに軍事行動が出来ると思しき、集団での規律行動がDNAに染みついているのである。支那人は「ひとりでは虎だが、三人集まれば豚になる」と言われたりするが、日本には「三本の矢」とか「三人集えば文殊の知恵」など「集まれば強くなる」という言葉がある。目的意識やその共有感覚、あるいは協調性の強さを言う。良くも悪くも群集心理のモデルみたいな国民性だ。揃うと強い。








日中は「良き隣人」=前原外相

<前原誠司外相は3日、民主党の枝野幸男幹事長代理が講演で中国を「あしき隣人」と呼んだことに関し、「日中間はこれから良き隣人として戦略的互恵関係をしっかり結んで、共存共栄の道をしっかり探っていくべきだと思う」と述べた。都内で記者団に語った。
 菅直人首相のアジア欧州会議(ASEM)首脳会議出席については、「日本の立場をしっかりと国際社会に伝えてもらえると確信している」と期待を示した>

コレ、岡田幹事長も「中国は重要な国だ」みたいなことを言っていた。ンで、また民主党は「媚中」だとして叩かれるわけだが、言うまでもなく自民党も酷いもんだった。ジミンモーではなく、もはやニホンガーである。

2007年に温家宝が来日したときもうんざりした。マスコミは「氷を溶かす旅」だとして盛り上げようと必死だった。国会で演説したことも記憶に新しい。山崎拓などは「(温家宝の)名前の通り暖かい演説だった」と手放しで評価した。実に不気味な政治家である。

日本の国会議員で「支那大好き!」を隠さぬ者は少なくないが、その割に支那語を理解する者はいないようで、温家宝が「村山談話を実際の行動で示すことを期待する」と言ったら、日本の国会は割れんばかりの拍手喝采に包まれた。温家宝も焦ったことだろう(笑)。

ま、ともかく、良きにしろ悪しきにしろ「良い垣根は善隣をつくる」という言葉がある。民主党はこの垣根をなくして友愛したいというから困る。ならば、自分らだけで「垣根を越えて」あっちに行けばいいのだが、なぜだか、それはしない。








インド、伝統の犠牲「名誉殺人」 家族が阻む異なる身分の恋愛

<インド北部ではカーストが異なる、あるいは同じ村出身の男女の交際や結婚を認めない伝統が強く残り、このしきたりに背く若い恋人たちが、両親や兄弟に殺害される事件が後を絶たない。家族が伝統を守るためのものとして、「名誉殺人」と呼ばれるこうした殺人は、保守的な大人の世代と、自由恋愛など現代的な価値観をもつ子供の世代とのあつれきによって招かれ、急速な発展を遂げるインドの苦悩となっている。(インド北部ハリヤナ州 田北真樹子)>



「差別と日本人」などという本を野中広務と辛椒玉の共著で20万部以上売ったらしいが、そういう「差別の専門家」の先生に是非、感想を聞いてみたいのである。辛椒玉はこの本の中で(買ってるしw)、差別とは「暗黙の快楽なのだ」と定義付けされている。しかし、このインドの件をして、この記者は「インドの苦悩」だと書いている。差別というモノは、日本人からすれば「暗黙の快楽」であるが、他国の人々からすれば「苦悩」なのだろうか。

これは「良いか悪いか」ではなく、そういう文化なのだと受容すべき事柄である。ここに自由と民主主義を武力で圧し付けるとアメリカになるし、問答無用で禁止して死刑連発すれば支那となる。他国としては受け入れて認める他ない。但し、自分の子がインド人と結婚して殺されるとなれば話は別である。あくまでも「国として」は認めざるを得ない、ということだ。インドには「我が子を殺してでも護らねばならぬ伝統がある」というだけであり、それは良いか悪いかで判断できないし、してはならない。

しかし、それでも支那の「一人っ子政策」や「他民族に対する強制堕胎」や「他民族に対する不妊手術の強要」などは「人間として」あるいは「人類として」唾棄すべき罪悪であることも忘れてはならない。コレは万国共通、ナチスドイツのホロコースト、アメリカの原子爆弾投下、及び、無差別都市空爆に並ぶ「悪いこと」である。
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