忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

福島から避難の子ども、入園断られる 山梨の保育園>2012.3.6

2012年03月06日 | 過去記事

http://www.asahi.com/national/update/0302/TKY201203020761.html
<福島から避難の子ども、入園断られる 山梨の保育園>

<東京電力福島第一原発の影響で昨年、福島県から山梨県内に避難してきた子どもの保育園入園が「原発に対する不安が他の保護者から出た場合、対応できない」という理由で断られていたケースがあったと、甲府地方法務局が2日発表した。
 法務局によると、自宅近くの公園で子どもを遊ばせようとした際、近くの住民から避難者であることを理由に「遊ばせるのを自粛してほしい」と言われたこともあったという。
 法務局は風評による偏見・差別をしないよう、ポスターを掲示し、自治体広報紙に広告を掲載するなどの救済措置をとった>



アイラ島にある「ブルイックラディ」といえば、ウィスキー好きには有名な蒸留所となる。歴史もまあまあ、だ。気難しい職人による、すべて手作り。いまでもコンピューターはおろか、自動工程の作業が一切ない。スコットランドの西側、端っこにある島だが、機会があれば一度は行ってみたいところでもある。というか、いつか行く。

2006年、この蒸留所が面白いシングルモルトを発売した。「イエローサブマリン」だ。拘りのボトリングに黄色いラベルが貼り付けられ、そこに潜水艦のイラストが描かれた。理由はその前年、蒸留所から遠くない沖合で地元のロブスター漁師が小型潜水艦をみつけたからだ。これが結構なニュースとなり、静かな島だったアイラ島は大騒ぎになる。

潜水艦は英国国防省が所有しているとわかる。地元には見物客が溢れ、マスコミも取り上げた。潜水艦はロブスターの代わりに水揚げされ、地元の漁師らによりポートエレン港に展示された。そこで多くの人が記念撮影とかした。ブルイックラディはこれを好機として、潜水艦の絵を描いた酒を開発して売った。たくさん売れたかどうかは知らない。飲んだこともないが、話としては不思議なことではない。

しかし、それにしても小型過ぎる。これはどういう潜水艦なのか、と思う人もいた。英国海軍はすぐに引き取りに来た。真相はそれから、その後にわかる。

引き上げられた潜水艦は「無人潜水型機雷処分装置」だった。敵の機雷を発見すると、その近くにコレが潜航して遠隔操作でドカンと処分する。フランス製だった。そして、この「イエローサブマリン」には「爆破処分用の機雷」が搭載されたままだった、とわかる。

もし、コレがたった1発、陸上で爆発すれば半径数十メートルが吹っ飛ぶ。残りの機雷が連鎖爆発すればどうなるかわからない。島がなくなるかもしれない。つまり、アイラ島の人々や観光客は「いつ爆発してもおかしくない」潜水型兵器と一緒に並んで写真を撮っていた。ブルイックラディ蒸留所は呑気にそれを商品化して売っていた。「知らぬが仏」だ。

もちろん、コレが笑い話ですむのは「爆発しなかったから」である。機雷が搭載されたまま、と知っておれば、島には避難勧告が出されていた。漁師も引き上げたりできなかった。落書きしたり、写真を撮ったりするのも命懸けとなる。シングルモルトも出来ない。

人は往々にして危険なモノを見逃す場合がある。また、逆に「よくわからないもの」でも「危ないらしいよ」という風評だけで遠ざける愚かさもある。震災で積み上がったままの瓦礫の受け入れ先が決まらぬのもソレになる。あれほど「絆」だの「助け合い」だのと言いながら、それでもオラが町にはお断りだ、という人が後を絶たない。

“Not In My BackYard”の頭文字をとって「NIMBY(ニンビー)」という。「うちの裏庭には来ないでほしい」という意味だ。ゴミ処理場も焼却場も、墓場も火葬場も人間社会には必要とされるが、これらはどこか遠くにあってほしい。我が家のベランダから見えないところにあってほしい、という身勝手なことを言う連中のことだ。

これがついには「福島県の人間は来ないでくれ。福島県の子供は遊ばさないでくれ」までに堕した。これはもう風評というより馬鹿なだけだ。もしくは左巻きのくるくるパーだ。「はだしのゲン」レベルだ。「ピカの毒じゃ!」と言っている馬鹿と変わりない。

「危険があるかどうか」など一考もしない。自分の身に置き換えて想像を巡らせることも出来ない。それが公的な言動かどうかを問う姿勢もない。人というのは知らなければ「爆発して死ぬ可能性がある」潜水型兵器と記念撮影ができる。翻って「まったく危険のない子供」に近くに来るな、という非道もできる、という現実も知らない。



最近、まだまだ「インフルエンザ」が流行っている。4月下旬までは要注意となる。流行っているのは、少し前なら「A型」とかやっていた。いまは「B型」とのことだ。これはむかし「香港A型」だったし「ソ連B型」と呼んでいた。「日本脳炎」はそのままだが、コレはいつの間にか言わなくなった。テレビがやらなくなった。どこに配慮したのか、不思議なモノだ。

もうすぐ黄砂も飛びまくる。テレビは「タクラマカン砂漠」「ゴビ砂漠」「黄土高原」から飛んでくる、とやる。タクラマカン砂漠は支那西部、ゴビ砂漠は支那北部、黄土高原は支那中央部、つまり、ぜんぶ支那から飛んでくる。韓国なども被害は深刻だが、迷惑を被るアジア諸国は「黄砂問題」とは「国際問題」であり「社会問題」とされる。韓国では公然と「黄砂テロ」と呼ぶメディアもある。しかし、日本だけが「環境問題」のカテゴリーとして扱う。また、この「黄砂の季節」は「花粉症の季節」と同じになる。テレビでは「花粉症対策」とかでマスクや目薬を紹介したりする。実はコレ、怪しいんじゃないか、と私は以前から思っている。

「スギ花粉」が原因とされるアレルギー症状は「国民病」とされる。推定で2500万人が困っているとされるが、さて、我々が子供の頃、学校でメディアで「花粉症」というのはあったのか。ちなみに日本で初めて「花粉症」とされたのが1961年、荒木英斉という人が見つけた「ブタクサ」による花粉症だった。これは進駐軍が持ち込んだ。だって、スギやヒノキは太古の昔から日本にある。戦後、山が焼けて人工スギを植えたから「スギ花粉」が大量発生した、もタイミングがよろし過ぎる。日本の気象庁が「黄砂の観測」を始めるのが1967年だ。「黄砂なんか昔からあるじゃないか」という声に対しては、それは「白亜紀からあった」と答えておく。江戸時代の「霾(つちふる)」は「春の季語」だ。ただ、調べれば分かるが、これがまあ、2000年くらいから異常に増えている。ダストストームが汚染物質を巻き上げるようになる。すると、日本では急に、且つ、同時に「花粉症」も言われ始める。タイミングはどんぴしゃ。季節もぴったり。奇妙な偶然もあるモノだ。

また、支那はよく爆発事故を起こすが、2005年だったかにもあった。支那東北部にある化学工場が爆発した事故だ。流れ出した汚染物質はアムール川に流入したから、黒竜江省長はロシアに謝罪した。支那人が謝るなんて珍しいと思っていたら、そのロシアの学者は「アムール川の河口はリマンだ。リマン海流は日本海じゃないか」と警告した。つまり、日本海にもオホーツク海にも流れるぞと。日本は「そうなの?」と驚いたが、このロシアには直ちに謝罪した黒竜江省長のコメントにはもっと驚いた。「汚染情報を隠したのは日本に対する“善意のウソ”じゃないか」とやった。本当のことを言うと怖いでしょと。

そういえば、そんな支那は1964年から1996年までに東トリキスタン、ロプノルにおいて46回の核実験をやった。合計すると20メガトン、広島型原爆1250発分だった。このとき大阪、新潟、福井、神奈川、福島、茨城、愛知などの放射線医学研究所では強放射能粒子が発見されている。東京の放射線量は「放射能はNO!」とかやってるいまの10倍以上が観測される。36年間でシルクロードだぁ~と喜んだ日本人観光客は27万人が被曝したんじゃないか、と産経新聞は書いている。「中国の核実験」を上梓した札幌医科大学教授、放射線防護学の専門、高田純教授は「ソ連がいかに国民の生命や健康に配慮しない酷い国かと思っていたが、中国に比べればなんと紳士的なのかと思った」と言った。いくら露助でも129万人を被曝させ、19万人を一瞬で殺し、最終的には75万人を殺した核実験をひた隠すようなことはしないと。

この山梨県の親らは注意することだ。黄色い毒砂は本州中部まで十分届く。どうせコレには文句はないんだろう。大江健三郎はフランスが核実験したら批判したが、支那には何も言わなかったのと同じだ。日本の反核団体がアメリカにしか言わないのも同じ。そういえばNHKの特集「シルクロード」は1980年からだった。「シルクロードブーム」の火付け役だ。日本人はNHKを観て、憧れの楼蘭や敦煌に出掛けて行った。そこはそのまま支那の核実験場となる。放射線を計測していれば面白かった。いや、それでも「福島県の子供が遊ぶ」よりは危険だったと気付くだろうか。



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