忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

介護の女神と自分カメラ

2012年03月07日 | 過去記事


和歌山県にある特別養護老人ホーム「南風園」で「虐待」の様子が隠し撮りされてニュースになっている。思い起こせば昨年1月、私も現在の施設で働きだした頃、先ずはその「職員の言動」に驚かされたわけだ。「阿呆」「呆け」は日常、中には「死ね」もあった、と昨年3月に提出した「業務改善案」に書いてある。

私は性分がちょっとアレだから「隠し撮り」ではなく、ちゃんと名前を書いた「状況報告書」を作成してから「改善案」をつくり、直属する上司に問題提起し、最高責任者を含む施設上長らと話をした。施設長や事務長が「知らなかった」と呆気にとられているから、私は「知らない、というコメントに呆れました」と言ったら全員が下を向いた。結果、施設側は「虐待、もしくは虐待と思しき言動がある」と認め、直ちに改善すると約束、施設内には専門の部署もつくられた。施設側は翌月から全職員の個別面談を開始。人事異動、解雇も含める「対応」を行った。「アホ・ボケ・シネ」を口にする職員はクビか異動になって辞めた。私はそれら施設の実行動をして「誠意がある」と評価もしていた。

私が施設側と話を始めたとき、改善要求が通らない場合、あるいは臭いモノにフタで先送りにした場合、私は施設を去ることも告げている。だから「密告者」は誰なのか、それも隠さないで結構だと言った。また「その場合」とは暗に「然るべきところに然るべき報告をする」ということも伝えていた。ある意味では「脅し」であるが、そうでなければ問題が見過ごされるという懸念が、やはり、私にはあった。所詮はそういうものだと。

見せなかったし、ネットに公開もしなかったが、実は携帯で写真も撮ってあった。「徘徊行動」が強く、夜間などは職員が大変だということで、車椅子に紐で縛りつけられているお婆さんだった。私も以前の仕事柄、少々古いが超小型のカメラやICレコーダーを所有しているから「その気」になれば動画も含めてどうにでもなった。しかし、やらなかった。

ニュースの映像を見ると、この隠しカメラを取り付けたのは「職員」の可能性が高い。取り付けた場所、箇所を勘案すると入所者本人はもちろん、家族にはやれないと思われる。映像を見ると、その職員らは「くるくるぱー」などの「暴言」を入所者に吐いている。エラそうに命令口調でやっている。脱衣場にて「無理矢理に服を脱がせるなど」もあった。もちろん、私も現場を知っているから「風呂に入る」という理由だけで、さっと服を脱ぐ入所者ばかりでもないとも知る。中には大声を張り上げ、我々に対して暴言を吐き、油断すれば怪我をさせられるほど暴れに暴れる入所者もいる。そういう入所者に対し「入浴を拒否」と報告すれば、なにも無理矢理に入浴させる義務もない。

排泄介助やオムツの交換もそう。あくまでも「御本人の意向」として「尊重」すれば、その入所者は何ヶ月も何年も、不衛生な状態のままいることも可能である。

過日、職場の女性職員が眉間の部分から出血していた。暴れる入所者にやられた、と言えばそれだけのことだが、実際に接触すれば、この入所者が意図的に、あるいは、こちらを油断させて行うことも既知であった。やられた女性職員はベテラン、現在も介護学校で講師を務める人だ。つまり、それでもやられる。この人は夜中、巡回の際、この入所者がベッド上で半裸になり、いわゆる「弄便行為(汚物を触りまくる)」があったから、汗まみれになって体を拭き、汚れた衣類を着替えさせ、ベッドメイクをしているとき、ふと顔を上げると、横から鋭い「引っ掻き」がきた。「目の高さだった(本人)」とのことだ。

無論、その「敵意」は認知症からなる被害妄想ではあるも、職員らに暴行する際の手際の良さと言ったらない。基本、指で目を狙う。小指だけを掴んで折ろうとする。顔や体が近づくオムツ交換の際などがいちばん危ない。手加減なしの「引っ掻き攻撃」がくる。喰らえば笑えない痛みがある。傷も残る。顔や首、腕などから出血し、ひりひりと痛む。職員らが常駐する看護師に手当てしてもらうのは珍しくない。私も何度かお世話になった。

噛みつかれて出血する。相手は本気だ。手加減など一切ない。「咬む理由」が見当たらない人もいる。それでも車椅子から移乗させるときは接触する。「ボディメカニクス」では、体を密着させよ、と書いてある。そのほうが腰を痛めずに済みます、とのことだが、その通りにすれば首筋を咬まれる。だから職員は体を離して行う。腰も膝も負担が増す。ちなみに、その入所者は男性だ。体重もあるしチカラも強い。女性職員は移乗の際、なんなく抱きつかれて引き寄せられてやられる。やられたところは笑えないほど出血し、ぷっくりと浮かぶ歯型は紫色になって、そのあともっと腫れて長く痛む。

また、その入所者は「C型肝炎」だったりする。「C型は性行為では感染し難いし母子感染も少ない。だから咬まれたくらいでは感染しない」という説明だけで安心できる人はいるだろうか。いずれにせよ「感染リスク」は0%ではない。施設や上司に「咬まれたんですけど」と言っても「次から気を付けてください」と言われてお仕舞いだ。それで辞める人もいるのだ。

だから、その男性を移乗させるときは、可能な限り、私がやる。私なら咬まれない。いや、正確に言うと咬めない。私の肩や首筋の皮膚は固いし、ちょっと力を入れると、もう、年寄りは文字通り「歯が立たない」からだ。また、その男性は私には好意的でもある。だから、よほど機嫌が悪いとき以外はやられない。他にも「暴れる入所者」がいるが、私がいれば、それは私が率先して行くことになっている。私は基本的にノーダメージ、私を殴っても仕方ないし、引っ掻きは避けられるし、噛みつきも無意味だからだ。御蔭で女性職員からは重宝されるが、それはまあ、お互いの安全のためだ。

しかし、だ。いま、私の前腕を見ると、少なからず「爪の痕」がある。移乗のときだけではなく、更衣介助や排泄介助のときにもやられるからだ。とくに入浴介助の際、相手は裸であるから、どうしても安全のために体を密着させる必要がある。やられ放題だ(笑)。殴ってくる、などは冗談の範疇、女性職員らは髪の毛を引っ張られ、顔や目に飛んでくる「引っ掻き攻撃」を避け、あるいは喰らいながら、全力で抗う入所者に対し黙々と介助を行う。それでも「なにすんじゃ!このジジイ!!」はよろしくないから、私は施設側に「暴言がある」と問題提起した。改善すべき、とした。御蔭で、いま、和歌山の老人ホームのような言動はなくなった。少なくとも(私が)見聞きする機会は激減した。

代わりに職員の「やめて~」とか「イタタタ」は激増した。互いに「大丈夫?」と言い合う職場風土となった。看護師が消毒薬やら絆創膏をもって走って来てくれるようになった。つまり「だれかたすけてぇ~(笑」が言い易い雰囲気になった。先ほどの「眉間から出血」の女性職員は、思わず「このクソババ・・」と言ってしまったことを詫びていた。「自分が嫌になった」と正直に吐露し、少し落ち込んでいた。私は「クソババは良いんです。アリババとかネコババみたいなもんです。それと自分の母親に言える範囲はセーフです。阿呆とか死ねは言えないでしょう」とフォローしたが、その「クソババ」のセリフは、本人に言ったわけではなく、実は帰宅してからのことだと知って大笑いした。あんたは介護の女神かと。告白の必要がないじゃないかと。

また、どんな介助のときでも(こちらが)危険だと判断される入所者には「2人介助」が基本となった。ひとりは入所者を抑えるのだ。ごめんね、ちょっと我慢してね、と。しかし、これを「暴力行為、身体拘束じゃないのか?」と言われたら困る他ない。勘弁してください、御理解下さいとなる。我々も人間、血が出るほど咬まれるのはちょっと、だ。

ま、いろいろあったが、およそ1年で相当変わったと自負する。しかし、結果論かもしれないが、これは「隠しカメラ」では何も解決しないと思う。家族が仕掛けたのなら、その施設の入所者は「いやだ」という意志表示、あるいは「激しく拒絶」すれば入浴はさせない。ならば清拭で体を拭いて・・・なども不可能。暴れたら放置される。「本人の思うようにさせてあげてください」も結構、それなら食事もままならない。本人の思うように、というなら電球を喰おうが、石鹸をかじろうが、洗剤をごきゅごきゅ飲もうが本人の自由、我々はただ、そこにいれば良いし、邪魔臭ければ見ぬふりでどこかに行けばいい。

職員や施設が「隠しカメラ」を仕掛けていても同じ。職場風土は腐敗を極める。疑心暗鬼の毎日となるから、そんな職場に人は残らない。仲間意識などあろうはずもないから、協力して仕事をする、などあり得ない。効率は下がりに下がり、危険度は増すばかりとなる。

どんな仕事でもそうだが、そこには「監視カメラ」はなくとも、自分の価値観に基づく「自我」というモノがある。自分は自分で監視できる。自分カメラだ。それはお天道様でもいいし、私や「虹の蛙さん」のように家族、嫁や子供がみている、でもいい。

仕事をしていると「自分と向き合うシーン」が必ず出てくる。熟練すれば手抜きも可能、自分ではなく、他の誰かに任せる、押し付けることも可能。大切なのはそれをするかどうか、あるいは、それをどう受け止めているかだ。「見ている人は見ている」かもしれないが、それよりも「自分は自分を見ている」を意識したい。さきほどの「介護の女神」などは典型だ。

夜勤のとき、他の職員は誰もいない、ということで入所者を乱雑に扱う。それは監視カメラやICレコーダーはなくとも、自分カメラにはしっかりと録画されている。自分は気付かなくとも、ちゃんと自分は自分を観ている。そして毎日、自動的に自己評価をする。なんとまあ、自分とはくだらぬイキモノかと。取るに足らぬことで怒り、小さなことでストレスを満載にし、弱き者に強く接し、小心だから乱暴に振舞い、不機嫌に支配され、さあ、いったい、自分の愛すべき人はこれを観てどう感じるだろう、どう思うだろうと不安に苛まされ、その整合性をとるために更に下劣な人格を受け入れ、より一層、自分を矮小化して時を無駄に過ごす。「自分などはその程度」と見切り、自分を蔑み、自分を不用に守る。くだらぬ人生だ。

給与に反映されなくても、他人からの評価を得られなくとも、今日も明日も愛すべき人に胸を張れる。可愛らしい子らが迷うときには道を示し、贅沢ではなくとも美味い飯を食い、冷たい水が飲め、ぐっすりと眠ることができる人生とはどれほどの奇跡なのか。





「介護の女神」が講師を務める介護学校の教え子が職場にいる。日誌や報告書の誤字脱字があると叱られている。


「あんたは小学校からやり直さなアカン。阿呆の申し子や」




公然と叱られた教え子は凹む。この女神―――相手が年寄りでなければ容赦ない。み、味方にしておこう・・・・。


2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2012-03-08 18:00:47
私も本日のブログを見る前に「業務改善提案書」
提出しました。

私の場合の「自分カメラ」は尊敬する上司だった
人を思い浮かべ、恥じないよう勤める事です。


そしてまた今日も励まされました。
返信する
Unknown (久代千代太郎)
2012-03-14 12:46:39
>Unknownさん

今日も、ぼちぼちいきましょうw
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。