忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

愚痴愚痴愚痴ぐっちー!!

2012年03月18日 | 過去記事

日勤だった。8時半ごろに施設に行くと、ちょうど朝食の最中となる。私が手荷物を置き、パソコンを覗きこんでいると、ひとりの女性職員がすぐにきた。入所者の爺さんが「調子悪そう」だと言う。観に行くと喘鳴(呼吸音がぜぇぜぇする)が酷い。聴診器がなくとも両肺における雑音が著明であることはわかった。肺炎だ。

食事を中止させてベッドに寝かせる。呼吸の際、顔を上下に動かしている。苦しいか?と問うと目で訴えてきた。いわゆる下顎呼吸、あるいは努力様呼吸の状態だが、まあ、辛そうな状態のことだ。じいちゃん、心配するな、大丈夫、と言葉をかけて肩枕で気道を確保、看護師に連絡すると「もう着く」とのことだった。

走り込んできた看護師に血圧やらのバイタルも伝える。よろしくない。すぐに主任看護師に連絡、そのまま救急搬送となった。ならば、こちらも用意することがある。おそらく入院になるから着替えやらも用意しておかねばならない。付き添いで職員が抜けなければならない。私が抜けるわけにはいかないから、その他、誰か慣れた者に頼まねばならない。その日は過半が新人だった。すべての段取りが変わる。職員が走る。

そのとき、フロアには別の入所者の家族が面会でいた。寝たきりの女性の入所者で、その人は娘さんだった。看護師と話している私に声をかけてくる。腕組みしたまま、ちょっと、あなた、というような感じか。

はい?と応えると、ちょいちょいと手招きされた。もっとこっちへ来い、ということだ。看護師も察してファイルに目を落とした。私は小走りで近づいた。はい?どうされました?

「目ヤニがついてるんだけど・・・」

見れば確かについていた。朝の洗顔をした職員のミスだろう。私は申し訳ございません、とすぐに対応した。それだけのことだった。

しばらくすると内線があった。事務長からだ。私が電話を代わると「目ヤニの件」だった。事務所で文句を言われた、ということだった。クソ忙しかったので、私は「はい、了解しました。気をつけます」と言って切った。朝の職員が「すいません・・・」とくる。私は「次から気をつければいいんですよ。そもそも母親の目ヤニくらい、気付いたなら他人を呼ぶ前に拭いてあげればいいだけです。せめて、文句はそれからです」と言っておいた。

この仕事を始めてから1年と少し。酷い家族がいると痛烈に感じるときがある。ひとつは「どーでもいいです」という家族だ。意味は言葉の通りだ。そのまま「どーでもいい」わけだ。建前の言葉に変えると「お任せします」となる。もちろん、面会には来ない。どころか死んでも来ない。これはもう「施設に捨てるか山に捨てるか」の差異しかない。

もうひとつのパターンは「お客様体質」が酷い家族だ。先ほどの「目ヤニ」もそうだ。「公共の福祉を利用している」という感覚がない。全額実費、有料の高級老人ホームと勘違いしている感が否めない。だからサービス内容だけではなく、設備にまで文句を言う。相談員なども「そこまで言うなら有料に行かれたらどうか?」と喉まで出てくる、と嘆く。どこまでも自分中心だ。先ほどの「目ヤニ」も一部始終、同じ入所者の爺さんがメシも喰えず、ベッドに寝かされて看護師が走るところにいた。つまり、知っているわけだ。それでも職員を捕まえて「目ヤニを拭け」とやる。他の入所者が死のうが知ったことかと。

私は「亡国の兆し」だと思う。ローマの「パンとサーカス」ではないが、その国の国民が自立性を失ったとき、必ず、その国は滅びる。ローマでも「穀物は無税」とやった。リーダー達は人気取りに走り、国家の赤字を増やすことを躊躇わなかった。国民は平等や利便性を求める。減税を求めながら福祉の充実を要求する。迎合した政治家は甘言を吐いて保身に腐心する。いま、政治家が「拉致被害者を奪還する」と言えない根拠だ。それでは当選しないし、拉致されていないその他の国民にリスクを負え、とは言えないからだ。

人間は誰でも年をとる。病気や怪我もする。寝て起きれば目ヤニもつく。これをすべて「助けましょう」とするのが福祉の考えだ。社会には弱者がいる。豊かな先進国ならこれはなんとかせねばならない。弱者などいてはならない。すべて救済されていて然るべき、それができていないのは政治が悪い、国が悪いからだ―――の行きつく先は増税、重税、財政破綻、自立心の崩壊、助け合いの概念の破壊、健全足る労働意欲の摩耗と知れていた。

弱者の中には「ずるい弱者」もいて、最近では自民党の片山さつき氏が生活保護を取り上げ、外国人の保護率は日本人の2~3倍、その3分の2が朝鮮人だと国会でやった。他にも収入があるのに隠して保護費を受け取る連中も後を絶たない。私がいる施設にもいる。公然と「偽装離婚」している婆さんは、施設を無料で旅館代わりに使い、生活保護費を持ってタクシーで遊びに行く。3食昼寝付き、トイレも風呂も介護員がお世話してくれる。上げ前据え膳よろしく、介護職員を「召使い」のように扱う。すべて公金が使われている。

共産党も社民党も保育所を言う。公立で低価格で利用できる保育所だ。「待機児童」がこんなにいます!と選挙のたびにやる。主婦が子供を預ければ働きに出ねばならない。ヒマだからだ。連中の狙いはそこだ。自分らが逆立ちしても真似出来ない「専業主婦」が嫌いなだけなのだが、これも「女性の社会進出」とかにすれば聞こえが良い。

昨年末、私はこの仕事で始めて正月を迎えたわけだが、私は「正月はヒマ」だと思っていたから驚いた。というのも正月くらい、いつも施設に預けている父母祖父母を自宅に迎え、一緒に正月を過ごすだろうと思い込んでいた。事実は逆だった。ベッドが全部埋まった。

「正月から呆けた親の面倒なんて見てられない」が実際だった。「旅行した」という家族もいた。だから施設では餅つきやら書き初めやらを用意した。「おせち」も食べた。

「待機児童」もいれば「待機高齢者」もいる。共に「手のかかる」相手ではある。しかし、そこには意味があった。「家に年寄りがいる」ことや「家に幼児がいる」ことには意味があった。御近所の皆様も個人情報など鼻で笑う「親しみ」があった。あそこは子供が小さいから、呆けたお婆さんがいるから、と知っているから「大変ですね」と助けることもできた。「共働きじゃないと生活できない」として、幼子を保育所に放り込みパートに出る。愚痴は決まって「給料から保育所代を引くと残らない」だ。では、なぜに「働きに出る」のかと言えば「刺激がなくなる」とか「老けこむ」などの「はぁ?」という理由となる。

我が妻は未だに働きに出ることを「ごめんね」と言う。私の休日に「家におれない」ときには「ごめんね」と言う。遊びに行くときと反応は同じ。私は「共働きでなければやれない」なんて絶対に言わせない。私の給料が10万円でも100万円でも同じだ。少ないなら堂々と貧乏すればいい。何も恥かしいことはない。子供を放り込んで背伸びした生活する方が恥ずかしい、と昔の日本人なら知っていた。つまり、基本は「お父さんの給料の範囲」が生活の範囲となる。これはべつに古くない。あくまでも「基本的」な生活姿勢のことを言っている。

年寄りも同じ。親が生きていれば年をとる。不自由になる。問題が発生する。家族の協力が不可欠となる。これは「ありがたい」と感謝こそすれ、施設に放り込んで解決、という種類の問題ではない。これからの介護福祉は「在宅」がメインとなるはず(ま、だから私も福祉住環境コーディネーターを狙うんだけどね)だが、この理由は「施設が足らない」からだ。もうすぐ「大人用オムツ」の生産量が「赤ちゃん用」を越えるというニュースもあった。つまり、不可抗力なのだが、私個人としては大歓迎、なにやら「大きな力」が作用して引き戻そうとしているとしか思えない。「在宅介護」は結構なことだ。苦労せよ。

職場で若いお母さんが嘆いていた。息子が小学生、それも高学年になると相手もしてくれないと。一緒にお風呂、どころか買い物にも付いてこない。なにやら淋しいモノだと。

「一緒にいられる時間」は有限だ。いまでも親にくっついて歩く我が倅は例外かもしれんが、これもいずれはそうなる。そうならなければ困る(笑)。親もそう。祖父母もそう。「一緒に過ごせる時間」は限られている。そして、それは「失えば」わかるが貴重な時間だ。

「親の世話をする親」の姿を子供は見る。自分の面倒を見てくれた親のことを、自分が親になれば思い出す。この連鎖が「家」のことだった。そして同じような境遇の「家」が隣にもある。だからわかりあえる。お互いにいつかは来た道、これから行く道、これらの連携がコミュニティだった。その塊が国だった。

先日、妻が施設の高齢者のための「誕生日プレゼント」を買ってきてくれた。担当だった私が頼んだ。ひとり300円だった。全員が同じモノ、だ。妻なりに選んだ「可愛いモノ」だったが、それでもやはり味気ない。80歳になるお爺ちゃんに「誕生日、なにか喰いたいモノはあるか?」と問うと「寿司」と答えた。家族は回転寿司くらい連れて行けばどうか。昼間が無理なら夜でもいい。ちょっと連れだして寿司を喰わせるくらい、どうだと言うのか。次の日でもいい。前日でもいいではないか。どうせ施設は「誕生月」としてひとまとめでやる。味気ないモノだ。

その80歳のお爺さんの娘が来た。半年ぶりだが、帰り際、これも事務所でクレームだ。

「靴下が脱げていた」

誕生日を忘れていて、それはないだろう。内線を受けて観に行くと、まだ脱げていた。しゃがんで履かせるくらいできるだろう。もうすぐ、あんたも還暦なんだから。


3 コメント

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Unknown (親爺)
2012-03-19 20:15:03
  千代さん

お久し振り。
日々 愉しみに拜見してゐます。

今日の一文は特に心に沁みました

>「一緒にいられる時間」は有限だ。

>親もそう。祖父母もそう。「一緒に過ごせる時間」は限られている。
>そして、それは「失えば」わかるが貴重な時間だ。

何かを得ると云ふことは、他の何かを喪ふこと。掛け替への無い貴重な時間を、僅かばかりお金と引き換へにして仕舞ふことの哀しさに、大抵の人が氣付かない....
いや(自分を含めた)誰もがいつかは老い、そして必ず死ぬことさへ忘れてしまつたやうな氣がします。。

>「親の世話をする親」の姿を子供は見る。自分の面倒を見てくれた親のことを、自
>分が親になれば思い出す。この連鎖が「家」のことだった。そして同じような境遇
>の「家」が隣にもある。だからわかりあえる。お互いにいつかは来た道、これから
>行く道、これらの連携がコミュニティだった。その塊が国だった。

正鵠を射たお言葉、そして名文です。
(いえ、決して譽め殺しなんかぢやなく)

以前 虹の勉強會でもお話したことがあります。
神棚と佛壇に手を合はせる兩親の背中を見て子供は育つ。そしてやがて親となり、今度は自分の背中で子供を育てる。これが連綿と續いてきた私たち日本人の"訓へ"と"教へ"なんですね。なにより、ついこの間までは「ほんの當たり前のこと」でした。



さて、ここはお決まりの文句で締めませうか(笑)。

子供 叱るな、我が來た道や。
年寄り 貶すな、我が行く道や。
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Unknown (久代千代太郎)
2012-03-23 21:31:22
>親爺どの

そうですな。つまり、親爺殿と一緒に酒が飲める機会も有限。一期一会どころの話ではありません。今度会ったらハグしてください。
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Unknown (親爺)
2012-03-24 17:40:46
  千代さん

>親爺殿と一緒に酒が飲める機会も有限

仰せの通り
なにせ還暦目前の老頭兒、
呑める囘數も量も殘り少なくなつて仕舞つたから(笑)。

>今度会ったらハグしてください。

夷狄の風習は好みませんが、貴兄のお望みと有らば喜んで。


では、例の場所で約束の時間に。
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