知命を少し過ぎて、私もようやく食べ盛りが終わった。「質より量」と言っていたころが懐かしい今日この頃だが、最近はもう、大吟醸を少しと国産牛肉のちょっとよろしいのを買って来て、黒澤映画など観ながら晩酌するのが至福の瞬間だったりする。昨日の三船も格好よろしかった。
そんな至福の瞬間は年に3回。天長節と陸軍記念日、それから海軍記念日になる。次は5月27日だ。魚でもいい。ちなみに誕生日や結婚記念日などは、すべて「妻のため」に存在するから、私はべつにごちそう喰ったりもしない。ひたすら計画と準備に追われるだけの日だ。妻が喜ぶ、ためだけに私は存在する。
まあ、ともかく、昨日は3月10日だ。もちろん、日本人なら東京大空襲を忘れてはならない。無差別爆撃、というくらいだから民間人もヘチマもない。差別感情丸出しの連合国が「差別しないとき」は爆撃だけだった。ただ、無計画ではなかったから、ちゃんと事前に準備して計画もして実験もした。日本の住居を燃やすためだけに研究も重ねて「M69焼夷弾」も作った。
長さが51センチ、直径は8センチの鋼鉄製の筒は六角形にしてみた。屋根を突き破ると横に倒れて発火するように工夫した結果だ。中には高温で燃焼するガソリンをゼリー状にして入れた。これを前後2段、計38本を束ねてから東京上空、およそ700メートルからB29が振り撒いた。
3月9日の夜、B29の編隊を飛ばして東京都民を脅かしに来る。警戒警報が鳴り都民は防空壕に逃げ込むと、米軍機は東京上空から帰っていく。日本軍は「米軍機は房総半島沖に退去」として警報を解除。都民が「ったく、いい加減にしろよ」と家に帰って寝静まった深夜0時7分。突如として飛来したB29は297機、わざわざ寝込みを狙って落とした焼夷弾は38万1300発、1783トン 。地上にいるのは女性や子供、年寄だと知ったうえでやる。鬼畜である。
もちろん、念には念を入れて、逃げられないよう東京都を囲むように落としている。だから「焼夷区画図 」も作った。テーマはいくつかあって、先ずは民間人による初期消火を防ぐこと。消防車でも消せないレベルの大火にすること。そのためには局所集中でたくさん落とすこと。函館大火や江戸の大火までちゃあんと調べて「焼夷空襲理論」として考案している。更に確認しておくが、これは日本軍に対する作戦計画ではない。日本軍基地や施設が「紙と木」で出来ていないことは米軍も知っている。
攻撃対象は日本の民間人。作戦目標は「日本の女子供の殺戮」だ。
このM69焼夷弾を「実戦で使う」ことを前提に計画、準備したのはアメリカ「国防研究委員会」。この委員会によると「焼夷弾リポート」として纏められたのは1943年10月。まだ、マリアナ諸島は日本軍の統治下だった。日本はもうすぐ制空権を失う、と考えて準備万端だったとわかる。だから当日、B29は最大搭載量が3トンの機体に6トンもの焼夷弾を積んでいた。つまり、人員を減らし、他の武器弾薬は降ろしていた。日本軍からの対空攻撃がない、と知っていた証左だ。
ちなみに、この下部機関が「ウラン諮問委員会」になる。制空権を失った後の日本に対し、今度はナニを研究、実験、実行したのか、日本人なら忘れていない。
昨日、日本のメディアはもちろんのこと、SNSでも「東京大空襲」が目立った。無論、許しても忘れてはならないから、多くの日本人が昨日と今日、哀悼の意を捧げて黙祷もした。しかし、忘れてはならないのはそれだけではなく、3月10日の陸軍記念日もそうだ。アメリカもこの日に合わせて東京を空襲したが、ちゃんとロシアも日を合わせて、日本は北方領土を忘れろ、と脅してからミサイル演習もした。仲は悪いが、同じ穴のナントカ、考えることは似ている。
明治38年3月10日、大日本帝国陸軍が日露戦争における奉天会戦にて奉天、現在の瀋陽を占領して奉天城に入場した日である。ロシアに遠慮することなく、日本メディアはいまこそ、ウクライナ応援の意味でもロシア軍なにするものぞ、とがんがん特集でもすればよかった。日露合わせて60万人(日本24万人)の軍隊がぶつかった最大規模の陸上戦だったが、乃木希典率いる第三軍3万人ほどに対して、なぜにロシア指揮官のクロパトキンは「10万人規模の戦力」と誤断したのか、NHK取材班がその真相を追う、とかやればウクライナ人の戦意高揚にひと役買うかもしれない。「戦力差10倍」も今と同じ。ロシア軍が圧倒的に勝利する、という国際社会の予測も同じだ。
クロパトキンが引いても、欧米メディアは「戦略的撤退」と報じていた。まだ、ロシアが負けるはずない、と思っていた。ニコライ2世もそう思っていたから、セオドア・ルーズベルトが駐露大使に命じて「日露講和」を促すも「バルチック艦隊が思い上がった日本に鉄槌を下すであろう」として頓挫している。当時の国際情勢なら無理もないが、残念ながら海には東郷平八郎がいた。
そのおよそ3か月後、バルチック艦隊は38隻中21隻が沈没、戦死者約5000名を出して壊滅した。大日本帝国海軍の損害は水雷艇3隻、戦死者117名。思い上がって鉄槌を喰らわされたのはニコライ2世だった。史上稀にみる「一方的勝利」でもあったが、ニューヨークタイムスは信じられずに「ロシア艦の水兵が反乱を起こしてキングピンを抜いた」と報じたことも有名だ。
日本の既存メディアに求めるのも詮無い話だが、どうせ地上波使うなら、こういう特集番組があってもいいし、もっと他にもいろいろ伝えてほしい。例えば共産主義国はよく喧嘩するけど負けてばかりとか。
ま、ところで、だ。
メディアもそうだが、ここにきて岸田政権もぱりっとしない。ロシアのミサイル演習も舐めてるが、日本の周辺をロシアや中国共産党の軍隊がぐるぐる回っても、北朝鮮がミサイル飛ばそうとも、習近平が「全軍戦争準備を」と言っても、国会では白真勲などが「日本の核共有議論はとんでもない」とか両手を広げてやっている。日本共産党は「今こそ9条」とかとち狂っている。言ってるほうも、聞いてるほうも実に呑気だ。
「危機に直面したとき、人格者は自分自身を頼みとする」と言ったのは、フランスのシャルル・ド・ゴールだ。9条信者には意味不明だろうが、この人はいろいろと良いことも言った。他にも例えばこういうのもある。「独自の軍事力なくして国家の独立はありえない。また、国家の運命の支配者たりえない」。
ド・ゴールはフランスを核武装させた。しかしながら、日本への原爆投下を知ったとき「人類を破滅させることを人間に可能せしめる手段」として嘆いていたといわれる。つまり、個人の見解と国家のリーダーとしての認識を峻別している。戦争は悲惨、絶対に反対。しかし「やるなら必ず勝つ」という覚悟だが、さて、日本の昼行燈みたいなおっさんはどうだろうか。