忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

玉川徹氏が本音吐露「炎上したいわけでもないし嫌われたくもないんだけど、こういう風にしか生…

2022年03月09日 | 忘憂之物





夫婦合わせて103歳になったが、それでも社交辞令で「若い」と言われることがある。正直、私は嬉しくないが、妻はやはり「嬉しい」とのこと。

朝から晩まで顔になにか塗りたくり、テレビ見ながらいろんな健康器具で運動して、毎日毎日、夜寝る前には顔面になにか、ハンニバルレクター博士のハーフマスクみたいな怖いのを装着して(しかもなんか中から光る)、お肌によろしいとか、髪によろしいとか、とにかくよろしいとか、怪しげな美容食品をちゅうちゅうと啜り、せっかくのとんかつをふた切れも喰わず、毎月毎週、今日はまつ毛に明後日は爪、顔や腹や足など「体の部位ごと」にどこかに通い、任天堂スイッチが買えるほどの金額もするシャワーヘッドを使って風呂に入り、私に対して「絶対に使うな」と厳命しているシャンプーを使い、やっと出てくれば任天堂スイッチが2台買えるくらいのドライヤーを使っているだけのことはある。たぶん、まだまだ、なにか書き忘れている。

比して私は何もしない。努めてなにもしない(少しやれ)。

私の場合はいわゆる「幼いころ年上に見られた人あるある」だ。小学6年生なのに「おっさん」だと間違われたこともある。妹とイズミヤに行ったら、店の人から「おとうさん」と呼びかけられたりもした。妹は嫌がっていた。「おにいちゃんならいいのか」と不思議に思ったが、中学生の時、水商売ばりばりの30代叔母といれば、駅前の喫茶店のおばさんから「彼氏」と思われていたこともある。あまり笑わなくて太っていて物静か。服装にもこだわりがなく、あっさりいえば「ダサい」。落ち着いた中年オヤジだと思われていた。中2の秋だった。

つまり、10代前半から「おっさん」とみられることも少なくなかった。で、あるときそのまま「若いおっさん」で見た目が止まる。これが「あるある」だ。ツレはもう、たぶん剥げているか、残っていても白髪だらけのじじいだと思うが、私は髪もふさふさだし、白髪もあまりない。持続可能的に女性ホルモンが多いのかもしれないが、個人的には早く藤本義一になりたい、と白く染めようかと思うほどだ。

妻のように努力しているわけでもなく、普段からなにもせず、ただ無意味に「なんか若い」は恥ずかしい。阿呆みたいだ。早く杖をついてのろのろ歩き、どこかの美術館などで分かったような顔をしたい。何億円もする絵画の前で立ち止まり、画商に無駄な期待をさせたいのである。

また、我が家にはオスのシーズがいる。名前は「戦え!むーちゃん」だ。このブログの過去記事にも何度か出ていると思う。残念ながらメスの「魔犬!りーちゃん」は数年前に魔界に戻って行った。今でも思い出して泣く(泣)。

いまから20年ほど前、その「りーちゃん」の誕生日に買ってきたのが「むーちゃん」だった。子犬が欲しいと思ったのだった。だから「お婿さんを買ってくる」という奴隷農場のオーナーみたいなことをやった。しかし、残念ながら「むーちゃん」は生涯、りーちゃんには見向きもされなかった、というか、近づくだけで噛み殺されていた。嫌いなタイプだった。だからむーちゃんはなにかと諦めて去勢したのだった。気持ちがわかるから一緒に泣いた(泣)。

そんな「むーちゃん」もおそらく、人間でいうところの百寿を過ぎている。まだ健在だが、もう、よたよたしてるし、ふらふらしている。メシは相変わらず喰うが、散歩は抱いていくか、任天堂スイッチが1台半ほど買える価格の「専用カー」でしか行けない。たぶん、2歩しか歩けない。しかしながら、第三者的、あるいは客観的に評価しても、まだ顔は可愛い。表情は子犬のときのままだ。さすがは愛玩動物と言われるだけのことはある。まさに「可愛い」という機能以外はすべて神様が取り上げた生き物だ。

しかしながら、人間のおっさんのはずなのに「妙に」若いのがいる。「若々しい」とかではない。あ、ここからは持続可能的にアウトな話になる可能性があるから気をつけてほしい。自分のことを持続可能的と自覚する人は、ここから持続不可能になるから読まないほうがいい。つまり、私の独断と偏見による考察をする。もちろん、表現は差別的だし排他的だし侮蔑的だ。

と、一応断ってから書くと、見出し画像の盆暗は2018年6月9日、走行中の東海道新幹線のぞみ256号内でナタとナイフを使い、女性2名に襲い掛かり、止めに入った男性1名を殺害した小島一朗だ。なんと当時22歳。

「そう言われたらそう見えるかも」という人もいるかもしれないが、私なんかは「博士くんガム」を思い出した。22歳どころか、小学生の雰囲気を感じたのだった。逮捕された小島は動機について「無期懲役刑になり、一生刑務所に入ること 」と言った。昨年、念願かなって無期懲役になり、裁判所で万歳三唱した。本人は「有期刑になれば、また出所して人を殺します」と宣言もしていたので、このまま刑務所内で死ねばいいが、それにしても不気味なほど表情や顔つきが幼い。正直、他人様の顔をどうこう言うのもアレだが気味が悪い。

あんまり気持ちの良いものでもないが、参考までにちょっと他のも貼ってみる。









これは「若い」というか、やはり「妙に幼い」がしっくりくる。


過去、私もいろんな人間を面接した。いまでも稀にするが、アルバイトの面接なども入れると、たぶん、百人は軽く超えていると思う。そこで履歴書に目を通してから本人に会うと、実年齢とのギャップがすごいのがいる。画像のレベルもいたが、往々にして「変わった人」だという印象だった。それから「甘えている、身勝手で幼稚臭い」と感じる言動が目立つのも特徴だ。

これは風説だが、いわゆる「引き籠りニート」は顔が幼い、とか言う。私も全部は否定しない。私の場合は「帰宅好きの社畜」であるから当てはまらないが、結構な年なのに履歴書の「職歴」がすかすかだったりするのがいる。はっきり書くと「ブランクが異様に長く、且つ、頻発している」という状態だ。せっかく見つけた仕事を短期間で辞めて、次の就職までが長期間かかっている。

理由を問うと答えは同じようなものだった。「人と上手くやれない」「職場が合わない」「不当な評価を受けた」「最低の上司がいた」などだ。あとは「メンタルがやられまして」「心が弱いんです」もまあまあいた。世の中は真剣勝負だ。斬られることもある。そんな最初から「弱者ガード」してくるのは怖くて使えない。同時に「この仕事がしたくなった」とか「条件が合わなかった」みたいな建設的なのは聞かない。

就職サイト「JAIC」の特集を見ると「幼い顔の特徴」があった。「ふっくらした丸顔」「顔全体が色白い」「顔のしわが少ない」とのことだ。

なるほど、これはたしかに、自分の番組で取り上げておいてから「金持ちの道楽見せられても」とか言いそうだ。指定感染症の類型にて「5類、5類と言っている人が、なにが2類でダメだといっているのか分からない 」と言うはずである。これなら「ウクライナはどこかで引くしかない」とウクライナ人に言うのも仕方がない。同時に福島瑞穂や森永卓郎が浮かんだ。「妙に幼い顔」のもう一つの特徴としては「そのままで老け込む」とのことだ。

つまり、若いころの顔のまま老け顔になる。悪い意味で「そのまま」なのだ。ピンと来る人だけわかってもらえればいいが、私などは妙に納得した。

同サイトによれば、幼い顔になる要因として「紫外線を浴びていない」とか「社会経験が乏しい」などいろいろあるが、これらの要因はテレビ朝日の社員には当てはまらない。消費税を「3年間ゼロ」にする前に支持率が3年持たずにゼロになった政党の党首や「侵略されたら黙って殺される」とか、プーチンが喜びそうなことを言う経済評論家も該当しない。

他の要因もそう。「運動していない」「人と会話していない」などもピンとこない。彼ら彼女らは紫外線も浴びているし、他人との会話も多いはずだ。

すなわち「引き籠りニート」ではない場合も「妙に幼い顔」がいることがわかる。しかし、精神面の要因とされる項目に気になるものがあった。それは「ストレスを感じずに生活しているから」「一般的な大人が経験することをしていないから」「幼い言動を繰り返しているから」というものだ。

「幼い言動」というのは、例えば「クソ○○」とかの言葉を吐く、などだった。我々も子供のころ、クソババアとかクソボケとか使った人もいるだろう。あと大嶽部屋にいたロシア人力士「露鵬」の本名は「ソスラン・フェーリクソヴィッチ・ボラーゾフ 」だったが、名前にクソヴィッチとかビビったものだ。

そういえば「クソ教育委員会」とか、公共の場で言う剛腕も浪花にいたが、あのときは日教組の反日教育による危険を周知して、日本の世論に警鐘を鳴らしているのかと見逃してしまっていた。迂闊だった。しかし未だに「日本国内でウクライナの国旗を掲げて集まってもクソの役にも立たない」とか言われると、これは単なる思い違いだったと確信もした。いやはや猛省する所存である。ただの幼稚なおっさんだった可能性が高い。申し訳ない。お恥ずかしい限り、誠に遺憾である。


良い大人、つまり「おっさん」が公然と暴言を吐く。我々が暮らしている一般社会で考えてみる。もちろん、なんにでも例外と言うものはあるから、現実に50歳以上にもなる中途半端な管理職なども会議などで「クソ」「死ね」「カス」を言うのがいる。もし、あなたの現実にもいるなら、ちょっと「その人」のことを思い出してほしい。さて、周囲からの評判はどうだろう。会社からの評価ではない。あくまでも「周囲にいる人」らの感想である。

「物事をはっきり言うから好ましい」みたいな感想を嬉々として述べるのは「取り巻き」ではないか、と思う。少し距離を置いた「その他の人」は「うーん、まあ、ああいう人だからね」とか「いやーどうだろうね、まあ、個性だから」などでお茶を濁さないだろうか。ま、私の経験則による推察に過ぎんが、あながち大きく外してもいないと思う。あっさり書くと、やはり、褒められたもんじゃないとわかる。


個人的な意見だが、引き籠りでもないのに「妙に」顔が若い、という現象の最も大きな要因は「ストレスを感じずに生活しているから」ではないかと思う。ストレスホルモンは肌の荒れやシミなどの原因にもなるが、それだけではないのではないか、と考える次第だ。なにしろ「妙に」顔、表情が幼いという「結果が同じ」であるからだ。


元々大した考えもなく、驚くほどの浅いところで答えを出し、思うように発言し、思うように相手を腐し、嘲笑するか、遮るか、触れないかで都合よく立ち回るならばストレスとは無縁に思える。自分とは違う意見を一先ず受け入れて、とは大人の振る舞いだ。子供はしない。幼児は「それはちがう、そんなのいやだ」を言ってよい立場かもしれないが、これがずっと、中高年を過ぎるまで許されてくると、もはや、通常のストレスでも苦痛に感じるのではないかと心配になる。ストレスに対する獲得免疫がない状態だ。

記事には「本音吐露」とある。どこが本音かと読んでみると「僕は炎上したいわけでもないし、嫌われたくもないんだけど、こういう風にしか生きられないんです 」の部分がそうだと読める。玉川徹はプーチンより10歳年下の59歳。たぶん、今年は還暦だと思う。私よりも10年先輩だ。お疲れ様である。

また、念のために確認しておくと、玉川徹は過去に男性器を使ってピアノも弾いたりしていない。つまり、タレントでもない。もちろん、アーティストでもなければパフォーマーでもない。テレビ朝日の社員、会社員である。


「クソ」長くなってきたので、そろそろはっきりと書くと、だ。

日本の「無自覚、無責任な左巻き」や「何か、誰かによって左に巻かれている連中」はその浅薄さ、安易さ、幼稚性からストレスを軽減している可能性がある。なにがあろうが悩んだり、考え込んだり、学んだりしない。調べたり、認めたり、謝罪したり、反省したりもしない。大人ならわかる。そんなのストレスなんか感じるはずもない。

その辺を歩いている普通のおっさんやおばはんは、すべからく、自分や周辺の人生や生活に悩んだり、考え込んだり、調べたりしながら生きている。自分の言動を顧みて反省もすれば、誤りを認めて謝罪もしながら、日々、失敗しながら成長している。もちろん、大人の振る舞いとして、どうでもよいことなら悪くないのに謝ったり、小さいことなら意見の相違をそのまま流したりもする。

なにかと忙しい人生だ、毎日毎日、誰かを見つけて喧嘩しているヒマもないから、いちいち反論して盛り上がりもしない。みんな仕事に趣味に、家事に子育てに忙しい。自分の周囲のことだけでくたくたになるのが一般的だ。


いくらテレビ朝日とはいえ、還暦を前にして「こういう風にしか生きられないんです 」と言う会社員に憧れる後輩社員や部下がいればいいが、私個人の感想からすれば、ナニ言ってんだ、このとっつあん坊やが、しかない。





コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。