忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

巨大冷蔵庫からの脱出

2010年09月14日 | 過去記事
私が卒業した中学校に似た校舎の中に入ると―――――

廃材が散らばる工事現場の風景が広がった。人もたくさんいて、みんな、それぞれが何かをしていて忙しそうだ。知った顔も何人か見つけた。私は周辺の人に愛想笑いをしながら、建物の中を見学していた。ふと、社長マンがいた。書類の埃を叩いている。

「だいぶ、格好つきましたね」

私はこの建物の事を言っているようだった。社長マンは書類から目を離さず、素っ気ない返事をしたと思う。私はそれを上回る素っ気なさを醸しながら、社長マンの奥にあるドアを開ける。そこは巨大な冷蔵庫になっていた。内部は天井が高く、広さも相当あるようで、使い古した木製のパレットがいくつも積み上がっていた。奥まで歩くと、冷蔵庫はまだ続いており、パレットの上にはダンボールが組まれて積んであった。

そのとき、ドアが閉まった。「ぷしゅ」という油圧の音がした。私は舌打ちしながらドアに近づくも、映画で観た記憶のある太い鋼鉄製の鍵が十字型に組まれていた。とても中から開けられるような代物ではないことはすぐに理解した。

「おい!ちょ!開けてくれ!」

蹴った足から伝わったのは、そのドアの絶望的な分厚さだった。声どころか音すら伝わる気がしない。それに、今気付いたのだが、相当に寒い。体毛が揺れるほどの冷風が吹きつけてくる。奥歯がガチガチしはじめた。これはもう冷蔵庫というか冷凍庫の寒さだ。

私は身をすくめながらも周囲を見渡した。非常ベルのようなものを探していたんだろうが、私にその明確な意思はなかった。パレットに積まれた段ボールはビニールで梱包されていた。これを破いて体に巻きつけたいところだが、このビニールがまた頑丈で指が通らない。

私は段ボールと段ボールの隙間に体をねじ込んだ。しかし、不思議なことに冷風はダイレクトに吹きつけてくる。私を狙っているかのようだ。気温は何度か知らないが、ともかく、この直接体温を奪う冷風をなんとかせねばならない。なのに、その吹き出し口さえみつからない。いったい、この風は何処から吹いてくるのだろうか。

私は凍えながら考えた。考えても意味のないことだが、ドアを閉めた人間は「私を殺そう」として閉めたのだと確信した。明白な殺意がそこにあったのである。いったい、犯人は誰なのか。社長マンなのか?それとも、あいつか?こいつか?・・・・

ぴーぴーぴー

電子音が聞こえる。それになにやら人の話し声もする。しかし、周囲には誰もいない。ははん、これが幻聴というやつだな。私はこの冷蔵庫で遭難して死ぬんだ。何ともつまらん人生だった。まさか、こんな終わり方など、夢の中とはいえ夢にも思わなかった。

ぴーぴーぴー

この音はアレじゃないのか?病室で家族が見守る中、この電子音が鳴り響くときというのはアレだ、お医者さんが「残念ですが・・・」とかいうアレではないか。

寒いし暗いし怖いし死んだし、私はもう、なんだか泣けてきていた。

ぴーぴーぴー






――――デジタル時計が7:30を表示している。冷房の温度設定は20度&強風。私は「やしきたかじん」の書いた歌詞のように「シーツにくるまって」いた。シーツを握りしめていたのである。そうだった。私は昨日、JR天王寺駅付近のビジネスホテルにチェックインだった。車上荒らしアカンのである。懲り懲りなのである。命の危険が危ないのである。

すっきり目覚めた私は10Fにある大浴場も、そこからみえる通天閣も一人占めであった。ちょっと、私の通天閣とも比べてもみたりした。先っちょがちょっと、串カツみたいだったほっとけ。それにしても▲はちょっと飲みすぎじゃないのか。あんなに酒強かったか?

ま、ところで、民主党の長尾敬議員である。私は「敵に塩を贈る」という言葉を思い出したから、思わず「伏見の大吟醸」を購入して土産にした。私が大吟醸を用意するのを見て、我がおかしゃんが「大吟醸?田母神さんくるん?」と、まるで田母神さん来るなら自分も行くけど?みたいな感じだったから、思わず「田母神さんなら、これじゃなく、あっちの1万5千円のを買うぞなもし!」と威張っておいた。いずれにしても長尾敬議員、である。久しぶりに一緒に酒を飲んだ。アンチ民主党の読者の皆さま、正直、すまん。楽しかった。

その後、日台交流会の野口さんは「ホテル日航」でコーヒーを御馳走してくれた。「若者から日本を変える会」の代表の辰巳さんにも久しぶりに会った。相変わらず、頭が小さくて「日本兵の遺骨」みたいだった。みなさま、お疲れさまでした。いやいや、どうも。

私は嫌々ながらも虹の会長の命令で、長尾敬議員に直接「いやぁ、民主党もさすがは開かれた政党ですな!自民党員にまで代表選の投票用紙を配るとは!」と皮肉たっぷり、ソースたっぷりにポテトを喰った。また、野暮なことはともかく、他にもいろいろと気になっていたことも聞けた。いくら代表選前日とはいえ、まさかここには書けないが、まあ、納得したこともあった。もちろん、それは納得出来んね、韓国は日本の植民地でした、ということもあったが、なによりも忙しい身でありながら、快く参加してくれた長尾敬議員にはこの場を借りて御礼申し上げておきたい。がんばってね。

いやぁ、それにしても、メンバーがよかった(笑)のか、かなり充実した「場」になった。久しぶりに満足度の高い「憂国談義」だったのではなかろうか。代表選の直前だったし、朝鮮高校の無償化の件もあった。もちろん、居酒屋だから事前に質問状も渡していないのに、ある意味ストレートに、違う意味では忌憚なく、長尾敬議員の言葉で応えてくれた。

クソつまらん代表選も明日には終わる。私はずっと「管が勝つ」と断じているが、ゲンダイの焦り方をみると、やっぱ、そんな感じである。

http://gendai.net/articles/view/syakai/126413
<小沢首相ならすべてうまくいく。だから小沢を失脚させたい旧勢力>

ゲンダイの断末魔の叫びが聞こえる。冒頭から<民主党議員は、今回の代表選で小沢を何が何でも勝利させなくてはダメだ>と必死だ。しかし、相変わらず記事に内容は無いので、これくらいにしておくが、いずれにしても、明日、泣いても泣いても民主党の代表選の結果が出る。マスコミは2度目の「ハネムーン」と称して管政権を祭り上げる。支持率は相当上がる見込みだ。70%とかいくだろう。どっちでもいいがね。

また、冒頭の私が見た夢だが、実はこの最近、この手の夢をよくみる。自分のことだからそのまま書くが、やはり、私は心のどこか、深層心理の奥の方で「組織に属していた頃」を懐かしんでいるのだと自己分析している。私の場合、会社組織というところに身を置き、その中で生き残ったり、勝ち上がったり、負けたりもした。自分の意見や意思を中心に届けるには、やはり、その中でのイニシアチブが必要だったりもする。

この日、私が長尾敬議員から受けた感触は「それ」だった。長尾敬議員のいう「中から変えていく」あるいは「中から声を出す」というのは、つまるところ、組織の中のことだった。もちろん、日本は政党政治である。どこぞの政党に属していないと、とても中心には声が届かないことも理解できる。事実、長尾敬議員にも「(民主党が)与党にいるなら残るべき」という声は少なくないようだ。いろんな人が、そうアドバイスもしたらしい。

「政権与党」という実行力のある組織に属していたほうが、己の信念を実現させる可能性が増す、あるいは、その組織内における自身の影響力が増すことから、自分の意思を投影させた政策なども実現させることが出来る、ことになっている。もちろん、私も頭では理解できる。一般社会の出来事であるも、私も可能な限り、今までそうしてきたし、これからもそうするだろう。「組織の中」というのは、ちゃんとやっていればメリットのほうが多い。また、単なる損得勘定だけではなく、課せられるノルマや制限される組織ルールというものと対峙するとき、それらをクリアしたうえでの「成果」とは自分を成長させてもくれる。これは私も実感してきたつもりだ。しかし、である。

長尾敬議員が自分で言う通り「自分は福祉政策をやりたい。安全保障は専門ではない」ならわかる。これは別に金融や財政の対策でもいいし、雇用問題の専門家でもいい。つまり、組織人でいい。なぜというに、そこには「妥協ポイント」もあれば「議論する余地」が多いにあるからだ。「A案」と「B案」を俎上に挙げて議論する、これが国会の場で行われることこそ政治家の仕事であり、各種委員会などの意義もそこにあろう。

ちなみに、私がそれなりの年収も捨てて組織を諦めたのは、あのままであれば、いずれ「不正の片棒」を担がされていたと自明だったからだ。綺麗事で言うのではない。私はあくまでも打算的な人間だ。つまり、悪銭身につかず、割に合わんから言うのである。世の中、どんなに損をしたとしても、真面目に前を向いて生きるほうが「得する」ように出来ている。これは断言してもいい。どんなに世の中が腐ったとしても、どれほど悲惨な目に遭ったとしても、自分だけはお天道様の下を堂々と歩けることが、最大の利得、最強の得策なのである。これは不正してでも護るべきだ。

これは例えば「朝鮮高校無償化」がそうだ。これは福祉の問題ではない。教育の問題でもない。どこをどう言い募っても、これは売国法案に他ならない。国会議員が絶対に避けねばならぬことは「国を売る」ことだけであるから、この朝鮮学校の無償化などは絶対に通してはならない。長尾敬議員はもちろん、この売国案に断固として反対を表明しているが、私が思うのは「朝鮮学校無償化に賛成している議員」とは、明確に袂を別つ必要があるというのである。これは明らかなる「不正行為」だからだ。

とある政治家同士が、だ。「経済対策A」を押しているとする。同党の議員は「経済対策B」を引かない。そこで妥協案として、その議員が揚げている「福祉政策A」に賛同する。その代わりに自分の「経済対策A」も考えてみてくれ、ということだ。こういう駆け引きはあっていいし、ぶっちゃけ、そこに銭が動いても良い。しかしながら、政治家の最大の仕事である「国家と国民の財産と生命を護る」というジャンルはバーター出来ぬはずだ。

それに長尾敬議員は「福祉政策の専門」だと言ったが、これを西村眞吾氏の意見を借りれば「国防は最大の福祉」である。経済や福祉ならば、頭の良い人が考えてくれればいい。大きな過ちがあっても取り戻すこともできよう。しかしながら、国防、安全保障の分野における「失敗」とは許されぬところである。これは「うっかり」を意味する「迂闊」ではなく、間違えることは死を意味する「不覚」なのである。だから、責任は重大なのである。

少々、円高になったり株安になったりすることは、自由経済の国に住んでいる者としてのリスクでもある。長い目で見ればそんな時期もあったりするし、その都度、様々な議論が交わされ、いろんな対策も講じられることになる。人間は少しずつ賢くなる生き物でもあるから、そこから学ぶこともできよう。しかし、国が滅べば取り返しはつかぬ。やり直すことも、作り直すことも、反省することも出来ぬのである。

民主党の代表選で「政治とカネ」が言われている。しかし、例えば、私はそれよりも小沢の天皇陛下の政治利用を問題視する。小沢は最近でも財政を確保するために「皇居を証券化する」などと発言して度肝を抜かれたが、それに反論する管直人は「資産価値が少ない」ことをその反対の根拠とした。どちらも狂気の沙汰である。

こんなところに議論など必要ない。「お前は馬鹿か?支那人か?朝鮮人か?」でお仕舞いである。何でも話し合うことを民主主義的などと勘違いしては困る。そのレベルなら逆立ちしても社会主義のほうがいいと知れている。「人を身勝手な理由で殺したらダメ」「人様のモノを盗んだらだめ」と同じところに彼らはいる。彼らは「国旗を破いて党のマーク作ったらダメ」というレベルにあるのだ。



しかし、まあ、いい。長尾敬議員が日本国を憂いていることは事実であるし、オタクと言って差し支えないほどの歴史的知識も豊富だ。当たり前のことだが、日本が大好きなんだろう。それは十分過ぎるほど伝わる。我々は「いつか来るとき」に備えて応援せねばならないのだろう。それにゴタゴタいう前に、その組織自体が消滅しそうだ。

日本の有権者は馬鹿ではなかった。マスコミがいくら世論をミスリードさせても、もう、通じない時代がそこまで来た。代表選後にはいろんな動きもあるだろう。呆れ果てた「普通の国民」が鉄槌を下す日が来る。「お灸をすえる」と言っていた馬鹿どもよりも、圧倒的な「世論」の波が民主党などひと飲みにすることだろう。

2 コメント

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お疲れ様でした。 ()
2010-09-14 11:00:24
強くはありませんwww

話の内容は覚えてませ~んwww
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Unknown (久代千代太郎)
2010-09-14 14:00:30
おぼえてけよww
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