忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「救出」

2008年06月17日 | 過去記事
■2008/06/16 (月) 「救出」1

自宅の私の部屋にある机。目の前に「拉致被害者を救う会」の手拭が貼ってある。

ブルーリボンの絵柄に「救出」の文字。

「解決」とか「前進」とか「進展」ではなく、あくまでも「救出」と書いてある。

国内外で災害が発生すると、日本の自衛隊は「救出」に向かう。隊員は、その「救出すべき対象者」の「生命」と「身体」に関する安全を確保し、そして国家は、その「被害の対象者」が元の暮らしに戻れるように援助もする。

それは「人道的」な行いでもあるが、国家としての威信にかけて、更には、それがその国家の国民であれば「義務」すら発生する至極当然の行いであり、主権国家、独立国家に暮らす国民は、その「権利」と引き換えに「義務」を背負っている。しかしその「権利」とは、「税金払ってるんだから選挙権を出せ。」という世界的に稀に見る阿呆の理屈のようなものではない。

古代ギリシャにおける「市民」とは「選挙に参加する」権利を得るために差し出す義務として、己の国が侵略されたら「武器を取る」という約束をする。コレは現代でも「普通の国」ならば当然のことである。「普通ではない国・日本」には「腐った平和」を拝み倒すことから、選挙権というものを「税金を支払ったら受けられる行政サービス」と区別がつかん阿呆が溢れかえることになった。(意図的、確信犯もいるが)ましてや、日本のために武器をとるなど「あってはならない」と胸を張る。

そして、未だに拉致被害者の方々は「救出」されていないどころか、北朝鮮援助で派生する利権にしゃぶりつこうとする外道が、はやく国交を回復したいと画策し続けている。また、花道を飾りたいアメリカギャングのボスの名前は「ブッシュ」というらしいが、こいつからの命令で政府も外道の二次元外交に乗っかるつもりらしい。

ある意味、最低の国だ。

「普通の国」ならば、とっくに特殊部隊を展開させて「戦争も辞さず」という覚悟を決めて取り掛かるだろう。無論、そうなれば拉致被害者の方々だけではなく、それ以上の犠牲者が出るかもしれん。実際に街頭でビラを配る「横田めぐみさんのお母さん」の手にあるビラを叩き落す奴もいるくらいだ、それこそ「あんた達のせいで息子が北朝鮮で死んだ!」と嘆く、自分のことしか考えない母親もいるかもしれない。そしてそれは仕方がない。

「2」へ

■2008/06/16 (月) 「救出」2



それどころか、この最悪の日本政府、現政権は「何もできずに申し訳ない・・」と歯噛みしながら呻いているわけではない。決して拉致された日本人や、その家族のほうを向いて対応しているわけではない。アメリカのほうを向いている。支那のほうを向いているのだ。

これは当事者である拉致被害者家族の方々は声にできないことだ。だから、電波で喰ってる芸人は、今こそ、その電波を使って成すべきを成してもらいたい。日本の政治家はもちろん、企業も団体も右も左もどうでもいい。今よりもっと、声を上げ、そして続けていかねばならない。本来ならば、「あらゆる犠牲も仕方がない」と腹を括らねばならぬ問題であり、今更、言うのも詮無い話であるが「他人事ではない」ということだ。

たしかに、拉致被害者の方々に対しては最大の同情心を禁じ得ない。弱腰どころではない「異常な政権」に対しては「いい加減に何とかしてあげろ!」と声も上げよう。しかし、多くの傍観者は、これが「他人事」ではないと、未だ気付きもしていないと思うに、これはもう、どうにも手がつけられないのかと心が折れそうになる。

なにも、今更、北朝鮮に拉致されるとは言わん。その必要もないし、そんな阿呆、北朝鮮も必要としないだろう。与えるキムチとトウモロコシがもったいないと思う。

で、もっといえば「南京問題」にしろ「慰安婦問題」にしろ、「靖国問題」にしろ「教科書問題」にしろ、「領土問題」にしろ「拉致問題」にしろ、これらはすべからく「国家主権」及び「国家威信」という独立国家としてのアイデンティティを破壊する「侮日工作」であり、それらを通低する結果としての「深刻な問題」を理解していない。

もう、既に異常なことは起っている。

例えば、北朝鮮の国家的犯罪の被害にあった「家族」においては、その国の政府がどうにもならないから他国の政府と大統領に訴えるという「奇怪」な行動を取らせてしまっている。日本国内だけで通ずる平和憲法とやらも、「世界の反日国」をあげれば上位に日本が入るということも、世界的な視野をもってみると、つくづく『異常さ』を感じ取れるはずだ。

「3」へ

■2008/06/16 (月) 「救出」3

周囲を見よ。「リアルな周囲」を見よ。

上記にあげた「侮日工作」など全く興味がない周囲を見よ。「他人事」だとせせら笑うこともしない。ただ、ひたすらに「自分のことしか興味がない」人々を見よ。まるで「少しだけ行事のよい支那人」のようではないか。過日の虹の総会で、河内屋顧問が引用していた「支那人は自分と、自分の家族がよければそれでよいのだ。」(暗黒大陸中国の真実・ラルフ・タウンゼント著)を聞いて、私は密かに「それは今の、多くの日本人も同じでは・・?」と気付き、ゾッとした。そして、この日本の状況であれば、事はもっと深刻ではないのか?

更に、「荷車の事故などでは誰も助けに入らず、ただ、周囲でそれを見物する支那人」(同著)という描写では、先日の秋葉原での無差別殺人における「現場写真」を携帯で撮っている阿呆どもが浮かんだ。現場リポートをするアナウンサーの後ろでピースサインを出して爆笑しているおっさんの顔を思い出した。

この国の人々の無感覚、無自覚、無責任さを見よ。
この国の政治屋の愛国心の無さ、国家概念の無さ、主権意識の無さを見よ。

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先ほど私は<この日本の状況であれば、事はもっと深刻ではないのか?>と書いた。それはつまり、今回の秋葉原の事件、そして、それを模倣しようとして捕まり続ける阿呆どもは、その格好の実例となるということだ。

「4」へ

■2008/06/16 (月) 「救出」4

公共心の欠片もない「人民」を束ねるために、支那共産党は「何を」用いて統制を保っているのかと問えば、それは紛れもなく、人命など歯牙にもかけぬ「武力」であり、人権など饅頭の具にもならないとする「徹底した取り締まり」であり、教育も言論も「人民」には関係のない社会、それは朝日新聞の言う「閉塞した空間」どころの話ではない「自由の破壊」であり、文化も伝統も「操るには邪魔」なだけの無用であるから「気概」とか「誇り」ではなく、向かってくるときは「腹が減った!」というモチベーションしかない『人民』そのものである。そして、現在の日本にはこれらがない。

20人近くをトラックで跳ね飛ばし、ナイフで刺しまくっても銃殺されない。どころか、ちゃんと裁判して弁護士までつくという。立て篭もってもライフルから発射音は聞かれない。どころか、説得しに来てくれる警察官を刺し殺すこともできる。言論の自由も保障され、社会悪を垂れ流しても無問題、報道機関はその広告媒体という役割のみを重視し、金になるなら嘘でも何でも垂れ流す。文化も伝統も教えなければ、忘れさせれば「無いも同じ」であり、腹が減らないから襲い掛かってもこない。日本民族は、ただ、ぼうっと死んでいくか、刃物を持って振り回すか、自殺するかである。

日本民族の愚民化政策は完成間近である。

「投票に行く」などとんでもない。もう斜に構えて「誰に入れても一緒ぢゃン」という阿呆すら減った。もはや、「どうでもいい」ではなく、「わからない」のである。

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話を拉致問題に戻す。

北朝鮮は崩壊しなかった。現在では「北京五輪」を過ぎたらわからないという意見もあるらしいが、どうだろうか。そもそも、北朝鮮が崩壊しなかったのは、今更言うまでもないが南朝鮮と支那のお陰であるというに異論はあるまい。

「5」へ

■2008/06/16 (月) 「救出」5

南北統一が経済的に不可能だったから「太陽政策」を採り続けた南朝鮮。よほど統一は困ることだったのだろう。南朝鮮は北朝鮮に「国家予算の25%」という巨額の援助を行ってきた。また、北朝鮮が崩壊すれば、己の脇腹に「統一国家・朝鮮」という民主主義国家ができると困る支那も直接的に、または間接的に援助を絶やさなかった。

まあ、極東アジアにおいて、支那よりも凶悪で劣悪な人権蹂躙国家があればうれしい支那からすれば、「崩壊させなかった」動機としては無理もない話である。だからこそ、苦肉の策とはいえ(わかっているとはいえ)、「韓国・中国の協力も必要。それらの国にも拉致被害者はいるからわかってくれる」としていた拉致被害者家族の方々を思えば、日本政府の無策に憤ると共に、実に胸が痛いではないか。まさに「藁をも掴む」思いだったのだ。

そして、日本がようやく安倍政権というマトモな政権となり、「拉致問題を進展させるために」発動させた経済制裁を、今度は「拉致問題を進展させるために」解除するという本末転倒を行うらしい。もはや、この福田政権、正気の沙汰ではない。

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「北朝鮮が世界に信頼される国になりたいのであれば、拉致した子供達を母親に返しなさい!」とカッコよく言い放ったテキサスブロンコは、大統領としてではなく、人間としての花道を飾ったらどうだ。10カ国以上の国々から、もう何千人かわからない特定失踪者の調査を、それこそ圧倒的、怪物的な武力を用いてでも行ったらどうか。全員を無事に母親の元に送り届けてから、

「アメリカは世界の警察だ!自由と尊厳を脅かす悪の枢軸は許さない!」

と酔えばどうだ。そのほうがカッコいいぞ?

まさか、それをこのまま「テロ国家指定解除」なんぞするつもりなら、世界のギャングの汚名は免れまい。・・・まあ、っと言っても虚しいだけだがな。

「6」へ

■2008/06/16 (月) 「救出」6

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で、

たかじんの委員会の録画を見てたら(今頃)、相変わらず田嶋某という破廉恥な老婆が、ゲストの横田夫妻の眼前でキチガイの論理を展開させていて食欲が減退したが、あんな何の影響力もない腐れ外道はどうでもいい。むしろ、どんどんテレビに出せばいい。皮肉ではなく、あれほどの狂った論理は晒したほうがいい。アレに同調するような奴がいれば浮き上がってきてわかりやすいではないか。真剣に付き合いを考えることになろう。

問題はこういう奴だ。

http://www.asahi.com/politics/update/0614/TKY200806140256.html
<自民・山崎氏「年内に拉致問題の解決を」>

2002年、9月17日。小泉元首相の訪朝によって「金正日」から拉致を認める発言があった。「拉致は捏造」と叫ぶ輩も「拉致疑惑」と書く腐れ外道新聞も、これは北朝鮮による国家的犯罪であったと認めざるを得ないことになった。それを受けての横田早紀江さんの記者会見の言葉はこうだった。

<「(前略)そしてこれまでのあいだ、このように放置されてきた日本の若者たちのことを、どうぞ皆様がたも、これから本当に真心をもって報道してください。日本の国のために、このように犠牲になって苦しみ、また亡くなったかもしれない若者たちの心のうちを思ってください。このようなことですけれども、私たちが一所懸命に支援の会の方々と力を合わせて戦ってきたこのことが、大きな政治の中の大変な問題であることを暴露しました。このことは本当に日本にとって大事なことでした。北朝鮮にとっても大事なことです。そのようなことのために、めぐみは犠牲になり、また使命を果たしたのではないかと私は信じています。いずれ人は皆、死んでいきます。本当に濃厚な足跡を残していったのではないかと、私はそう思うことでこれからも頑張ってまいりますので、どうか皆様と共に、戦ってまいりたいと思います。(後略)」>(めぐみへ・横田早紀江母の言葉より:横田早紀江著)

我が子を拉致された母親が日本の国の将来を憂いている。何の罪もない家族に降りかかった不幸をして、事の重大さを説き、我が子の犠牲の上に国家をみている。

恥を知れ。売国議員。

覚醒せよ。日本民族。

「7」へ

■2008/06/16 (月) 「救出」7

これらの「主権侵害」、「国家侮辱」及び「内政干渉」などの問題は、今、この瞬間だけの問題ではない。過去を貶める侮日工作は、過去の日本を断罪するために行われているわけでも、今現在における外交問題を有利に進めるためだけでもなく、未来永劫、この日本国という国家に生きる日本民族の将来的な問題である。

己は奴隷と化して生きようとも、その子々孫々までをも賊国のとする覚悟はあるか?いや、あくまでも己は先人達の「命懸けの偉業」によって齎された平和に酔いしれ、先人達が「命を賭して築き上げた社会」の中において苦労もなく贅沢に惑溺し、己だけが安穏と死ねればそれでよいというつもりであろう。しかし―――――

<「この拉致問題が、かわいそうなことだけで終わってしまったということがないように、今からでも遅くはないのです。一人一人が力を合わせて心を込めて、日本のことを思って頑張れば、必ず成功に導かれると、私は信じています。」>(同著より)

真っ先に絶望しても許される拉致被害者家族がこう言ってくれている。13歳でめぐみさんを拉致されて30年以上が経過している母親、横田早紀江さんはこう言ってくれている。

「何ができるのか?」という時間はない。

「何をすべきなのか」を考えねばならない。

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