忘憂之物

川下りと天下りの差異について

職場に「ヒヤリハット報告書」というのがある。これは「事故になりそうだった」とか「危なかった」という事例を記し、介護職員らで情報を共有することで事故を未然に防ごう、という主旨であるはず―――なのだ。

最近、改めて驚いた。6月以降、二十数件の事例があったが、この記入者が私だけだった。つまり、30名以上いる介護職員の中でおよそ3ヵ月間、職場で「ひやり」「はっと」したのは私だけということか。さすがは先輩諸氏、肝が太いモノだと感心しかけていたら、先日、その原因が少しだけわかった。私が夜勤のときだ。

「自立歩行」が出来ない利用者さんがいるのだが、この人は自分が「歩ける」と信じて疑わない。本人はいま、ちょっと足の具合が悪いだけで、車椅子の世話になっているのも「昨日から」だと言う。もちろん、私が勤め始めてから7カ月、ずっと車椅子で一度も歩いたことはないし、そのお婆さんはとても太っているから、普通に立位(立つこと)をキープするだけでも大変だ。そのお婆さんが、その日も普通に歩こうとしたらしく、他の利用者さんの居室にて尻もちをついた。私は遠く離れた別の居室にて、他の利用者さんの介護をしていた。

見つけた職員が私に教えてくれた。如何にも「こけてますけど?」という呑気な報告であったが、私は100キロの体重とは思えぬダッシュ、通路の風を切り裂いて駆けつけた。すると、尻もち状態のお婆さんは、ぬいぐるみのクマのような姿勢のまま「こけたwww」とか笑っていた。少し安心したが、すぐに血圧や体温などをチェックした。腰や足、臀部や肘辺りもチェックしたが怪我はない。バイタルにも異常は見られない。とりあえずほっとした私がベッドに移乗し、いつものように「明日の検査が朝早いですから、今日はこのまま、ここで休んでください。御家族にも連絡してあります」と嘘をつき寝かせた。

そのとき、報告してくれた職員が私に問うた。「どうします?」とのことだ。菅直人ではないが、ちょっと質問の意味がわからない。すると、察した彼は「施設に報告・・・します?」と再度問うてきた。

「ボクは黙ってますけど・・・」

だから安心せよ、ということか。面食らった私はそのまま主任看護師と主任介護士に電話、状況を伝えると「そのまま朝まで様子を見てください」とのことだった。なるほど、これなら誰も「ひやり」とも「はっと」ともしないはずだ。怪我もないとはいえ、この「軽微な事故」を隠蔽するかどうかを逡巡するのだ。事故に至らぬ邪魔臭い報告など誰もしないわけだ。もっとも、私はその事実に「ひやりはっと」したが。

もちろん「事故報告書」はある。これには病院に運んだり、本人に打ち身や傷が残るような「事故」が書いてあった。つまり、本人を含め、誰にもバレなければ「なかったこと」になる。これでは「ヒヤリハット」の意味がない。すなわち、職員らが「共有」していたのは、状況説明をしたり、報告書を書いたり、下手すれば施設から叱られるような「うっとうしい報告」が伴う軽微な事故を「隠蔽するかどうか」の判断基準だった。




「急がば回れ」という。それはこの仕事の場合においても通用する。つまり、常に効率よりも安全を最優先させる。「どっちにしようか?」と思ったら、とりあえず安全なほうを選択する、これは職場の主任介護士の男性が教えてくれた言葉だ。尊敬すべき人物であるが、如何せん、本人が悩むそのまま、現場への指導力が若干足りない。「安全を最優先」は指導すべき項目であるし、周知徹底させるべき指針であるが、これがなかなか上手くいかないのだと、先日、ホルモン焼きを喰いながら愚痴っていた。

浜松市の「川下り」の事故もそうだ。暑かろうが窮屈だろうが、そこは「救命胴衣をつける」という安全を最優先させるべきであった。「保津川下り」がある我が町、京都の亀岡市観光協会も気をつけたほうがいい。歴史ある観光スポット、積み重ねた「ヒヤリハット」は少なくないはずだ。とりあえず、ホームページの「保津川下り紹介」の写真、乗客が救命胴衣を着用していない、と指摘しておく。




話を戻すとまた、恐ろしいことに先日、事務所にてタイムカードを切った私に女性相談員がこう言った。「もう少し落ち着いてやったほうが(仕事したほうが)いい」とのことだ。これまた枝野官房長官ではないが、質問の意味がよくわからない。私は落ち着き過ぎるほど落ち着いているから困っているほどだ。なんのことかと思ったら、なんと、その「ヒヤリハット報告書」を読んだ彼女は、私ばかりが「危ない状況」を作り出していると理解していた。この50歳を過ぎる独身中年女性管理職、この施設を経営する医療法人の理事長の長女の解釈とは、つまり、書いてあるのは私の報告だけ、書いていないことは「なかった」わけだから、この最近売り出し中の巨漢中年介護員は慌て者、目立ちたがり、スタンドプレーで危ないことばかりやっている、だから何度も「ひやりはっと」しているのだ、という認識だ。「これはおかしい。他の人は書いてないんじゃ・・?」と疑う脳みそもない。

阿呆の底が抜けているとはこのことだ。だから「車で博多に帰ることが多いから」という理由だけで「高速道路無料化」をいう民主党に騙される。ガソリンが25円安くなる、と夢を見る。もちろん、韓流スターは大好きだ。京都の人権擁護委員とも懇意にするはずだ。




川下り―――ではなく天下りしてきた施設長とは違い、私は腰は低いが媚びないから、こういう「社長の息子」とか「経営者の娘」に嫌われる傾向がある。いわゆる「鼻につく」というやつだろうが、これもいつものことだ。もう慣れた。



夜勤明けで少々、心身共に落ち着いていなかった私は、ふぅ~と大きな溜息を吐き、首にかけたバスタオルを手に持ち替え、それを捻りながら化粧の浮いた相談員に向き直した。




「――――ハインリッヒの法則、御存じです?」



・・・・はぁ?という表情の中年不細工に続けて、

「ひとつの重大事故には軽微な事故が29含まれる、というアレです。ンで、その背景には300のヒヤリハットが潜んでいます。コレは労働災害における基本です。6月からの当施設の事故報告書には十数件の事故が報告されていますね。その内、怪我をした、病院に運んだ、という重大事故を10件だと仮定したら、そこには290の軽微な事故が含まれています。ということはつまり、そこには3000のヒヤリハットが発生しています。しかし、6月から今までのヒヤリハット報告書には20事例と少々、たしかに、すべて私が書いたモノです。ならば残りの2980のヒヤリハットはどこにいったんでしょう。見えなくなってしまったモノもたくさんあるでしょうが、とりあえず、当施設には30人以上の職員がいますね、ならば少なくとも、認知された600以上のヒヤリハットは可能性として考えられます。ま、そんなことはともかく、いやはや、それにしても、介護職員を管理指導するお仕事、日々、大変なご苦労をされておられるでしょうが、これからもどうぞ、がんばってください。私はこれから家に帰り、昼前から酒飲んで寝ます。お疲れさまでした」



欠伸をしながら駐車場に向かうと、後ろから主任介護士が追いかけてきた。なんだろうと思ったら、満面の笑みで握手をしてきて「お疲れさまでした」と述べて戻って行った。そういえば思い出した。―――しまった。過日の「夏祭り」の日、理事長の売れ残り、叩き売りしても売れない娘は浴衣を着込んでいた。施設長はちゃんと「お似合いですな~」とかやっていた。私は褒めるのを忘れた。反省はしない。

コメント一覧

親爺
ちよさん、こんにちは。
レスに感謝。

今日は公休なのかな?

殺人的猛暑もなんとか峠は越えたやうで、アラ還親爺も一息吐いてゐます。

先便の續きになるけど、此の歳になつてやうやく自分や家族が健康で毎日過せることの有難さ、贅澤は出來なくてもそれなりのものを食べ、呑めることの有難さ、なにより一日を大過なく了へられたことの有難さを實感出來るやうになりました。
「行つて來ます。」と家を出て「おはやうございます。今日も一日ご安全に!」で始まり「お疲れ樣でした。お先に!」と職場を出て、「ただいま、今日の晩ご飯はなに?」そして「ご馳走さま」「おやすみ」で終はる一日の大切さ、有難さ・・・人はこの爲にこそ生きてゐるのだと。

仕事も、家庭も、無事これ名馬。
しかし、そこには撓みない努力と感謝が必須なのだと云ふことでせう。
久代千代太郎
>親爺どの

ゆっくり飲りましょうとも。


事故は気をつけていても起こりますもんね。「本日も一日、無事に終わりました」は、もっと喜ぶべき(笑)なんでしょうね。本来はそれだけで職場のくだらないストレスなんて吹っ飛ぶほどのらっきー!なんでしょうが、これがなかなか難しいですねw私も文句ばかりですw

精進します。



>あきぼん さん

いやぁ、学生時代から品行方正、率先垂範、清廉潔白、純情可憐、成績優秀、頭脳明晰が制服着て学校に通っているような私やあなたでしたが、まさか、そんな我々が40面をさげる頃「ハインリッヒ」とか語り合う、など岩丸先生もガンちゃんキックでしょう。

常に周囲を「ひやりはっと」させてきた罪、常に周囲を「どきどきはぁ~」とさせてきた罪は軽くありません。いま、我々が「ひやりはっと」しながら「かちんむっと」を我慢しなければならないのも、きっと罪滅ぼしなのです。

我々が10代のころから今まで、いったい、何をしてきたのかを思い出しながら、今日も一緒に祈りましょう。

あきぼん
ハインリッヒさん
http://omodel.blog95.fc2.com/
いやぁ~
大事故を起こした身としては耳が痛いです・汗
病院のベットの上で自分の馬鹿さ加減や浅はかさを文字通り痛感しましたw

私の業界もヒヤリハットのメッカです・・
やはり意識の低さは貴殿の業界と同レベル、
若しくは恒常的に考えれば低いかと思います。

構造改革による規制緩和での業界肥大
格安運賃のチキンレース 
空洞化による配送先の消滅 
不況による仕事激減 大手までもが倒産する現状では綺麗事だけでは通用しない現実です。

安全とは、一人ひとりの意識も大切です・・が
キチンとしたルール作りと健全な価格競争の上でこそ成り立つとも痛感させられます。

運送業界もそうですがタクシー業界の知人が言うには、価格破壊が酷く乗務員さんは普通の暮らしが出来ない現状が珍しく無いそうで

「明日のメシがどうなるかわからない現状で
安全どうのと言われても・・」
がタクシー乗務員さんの本音だと言います。
規制緩和も良いですが、業界を破壊してしまう程の緩和もどうかと思います・・・

ハインリッヒの法則は
運行管理者の資格取得時に勉強しました。
私もかつてはそうでしたが意識が低いとヒヤリとした事にも気付かないかと思います。

反省が出来ない
自分を変える事が出来ない
自分がどうあるべきか
考えてみる事すら出来ない

そういう人にいくら
ミーティングやブリーフィングをしても無駄で
良い状況は伝染しにくく悪い環境はすぐに感染する事を踏まえても
この時代そういう人には去ってもらった方が良いとも思えます。

まぁ私も偉そうなこと言えた身分でも無く
お上からすれば真っ先に切られ要員でしょうけどw
親爺
ちよさん、こんばんは。
嚴しい環境の中で毎日のお仕事、本當にお疲れ樣です。

土建屋稼業を三十五年もやつてゐる人間に取つては、なかなか耳の痛いエントリーです。貴兄には百もご承知でせうが、殆どの建築現場にはKYT活動なぞといふものがありましてね。各職方、職長から上つてくる「ヒヤリ・ハット集」は、貴重きわまりない財産であり、なにより安全活動の糧なんですね。

そして、記入が義務付けられてゐる全ての下請業者(大工、鐵筋工、左官工等々)のKYT活動表を一目見れば、その現場の職方・職長の安全意識は當然ながら、それぞれの仕事の技倆、品質さへもがたちどころに解ります。もつと恐ろしいのは、その現場の管理者(いはゆるゼネコンの所長や職員)の意識、技術、錬度までが一目瞭然と云ふ事實です。

「理事長の娘さん」とやらは管理者として完全に失格ですが、それは『これまで重大事故に直面したことがない上に、事故の本當の恐ろしさが解つてゐない。そもそも安全意識がまるでない。』此の一言に盡きます。

私が入つた當時の業界では、まだ『怪我と弁當は自分持ち』なんて言葉がありました。現場で怪我をするのは本人が惡いんだ、と云ふ昔ながらの風潮が殘つてゐました。
然し、もう二十年も前から、そんなすり替へや言ひ譯は通用しません。
「休業四日以上」の勞災事故を一つでも起せば、その所長には大きなペケが付きますし、休業3ヵ月以上なら場合によつては所長交替で出世は止ります。職方の死亡事故はもとより、第三者災害(それが假令輕傷でも)など起さうものななら、警察、勞基が一個聯隊はすつ飛んで來て、即刻工事停止です。そして所長を含め職長、下請の管理者は業務上過失致死の容疑で取り調べを受けることは必定です。また、事故を起した下請は責任の大小に關係なく、そのゼネコンからの發注も確實に止ります。當然でせう、ゼネコンに取つては企業イメージの大きな失墜に直截つながりますから。

最低でも月に四~五囘は、現場・研修會などで安全講話やら講師を勤めます。その經驗から云ふと、勞災に限らず事故を起す人(それが自傷であれ、他者を傷付けるものであれ)に限つて、「俺だけは事故を起さない、事故に會はない。俺だけは別だ。」と云ふ不思議な信仰を持つてゐるんです。飮酒運轉の常習者と似てゐるとと云へば、確かに似てゐます(笑)。

自分を守ることが家族を守ること、そして自分の所屬する集團を守ることが、自分と自分の家族を守ることに直結する・・・・今の日本人に決定的に缺けてゐるのはこの意識です。
いや、生物として當然持つてゐなければならない、防衞本能さへ無くしてしまつたのが平成の日本人だとも思ひますね。

隨分な長話になつて申し譯ない。

KYTと聞くと大仰に聞えますが「危險豫知トレーニング」の頭文字を取つただけのものです。
この作業にはこんな危險がある、それを防ぐために自分はこれを必ず實行する・・・を地道に積み重ねることだけが、事故の芽を摘み、延いては自分自身を自分で守る事だ、がKYTの要諦です。
まあ、この邊りの”講義”は次に會つた時にでも續きをやりませうか。

ゆつくり呑まうなあ、ちよさん。

それでは、明日も一日ご安全に!
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