忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

老人ホームで入居男性死亡、施設に約3400万円の支払い命令 京都地裁>2012.7.12

2012年07月12日 | 過去記事

    





http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120712/waf12071208440005-n1.htm
<老人ホームで入居男性死亡、施設に約3400万円の支払い命令 京都地裁>

<京都府京田辺市の特別養護老人施設に入所していた男性=当時(81)=が平成21年3月に施設内で転倒し死亡したのは、施設側が安全対策を怠ったことが原因として、男性の遺族が施設を運営する社会福祉法人「幸生福祉会」(同市)に対し、計約5560万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が11日、京都地裁であり、佐藤明裁判官は約3400万円の支払いを命じた。

 判決理由で佐藤裁判官は、男性が脳(のう)梗(こう)塞(そく)や認知症を患っていたことなどから、「転倒する可能性は十分に予見できた」と指摘。ベッドからの転倒を防止する離床センサーを設置するなどの必要な安全措置を講じていなかったなどとして遺族の請求の一部を認めた>










転倒して足を骨折したお婆さん。車椅子で生活するのだが、どうにも「自分は立って歩ける」と信じている節がある。夜中、センサーマットが何度も発報する。その度に駆けつけるわけだが、ときにはベッドからふらふら立ち上がり、カーテンに掴まってよろよろ歩いていることがある。血の気が引く。そういうのがフロアに数人、もっと危ないのがひとり、ふたり・・・

そんなのが30名ほど。夜間は基本的にそれらをひとりで看る。私の夜勤、いまのところ「大きな事故」はないが、事実を正確にはっきり言うと、これは単なる偶然であり、このあと、深刻な事故を起こす可能性は100%に近い。

「よろめいた時、咄嗟に支えて難を逃れた」とか「誤食して飲み込むところだった」とかは数え切れぬ。尾籠な話で恐縮だが、あるとき、トイレ介助をしていると、ひとりのお婆さんの「おしり」から尻尾が生えていた。引っ張り出すと医療用のビニール手袋だった。どこかで食べたわけだ。ビニール袋などを食べて腸閉塞で死ぬのは海亀や海鳥だけではない。幸い「出てきた」からよかったものの、それ以外にも豆電球とか石鹸、鉛筆やガムテープなどなんでも食べる。花瓶の花をむしり取って食べていたのもいた。好き嫌いがないのは結構だが、正直、対応が難しい。

私はこの仕事をするようになってから、ずっと「看視専門」の職員の必要性を感じている。他の職員が排泄やら入浴やら、いろいろとお世話をしている最中、ただ「事故がないように」という理由だけで存在する専門職員のことだ。しかしながら、それは理想論。そんな人件費どこにあるんだ、ということになる。これもわかる。それに専門職員がいたところで事故はゼロにならない。ならば責任を問われる看視専門など、誰もやりたがらない。


<転倒する可能性は十分に予見できた>はその通りだろう。離床センサーを取り付けていなかった、とされるが、これも全員に設置している施設などあるのだろうか。アレは実のところ数万円から十万円程度する高価なモノだ。もちろん、ピンからキリということで安いモノもあるが、マット式ではない赤外線センサーなら認知症の人が持って行ってしまうし、動かすから無意味化している場合もある。他にもタッチセンサーやらピローコール(枕から頭が離れると鳴る)などもあるが、繰り返すと夜間はひとり。複数のセンサーが同時に鳴ると「優先順位の高い(転倒リスク・危険度の高い)」センサーから対応することになる。となれば当然、他のセンサーを鳴らしている利用者の危険度も増す傾向となる。

また、転倒リスクを言うならば「特別養護老人ホームに入所している全員」にそれはある。<転倒する可能性は十分に予見できた>と言うが、相手は年寄り、認知症があろうが無かろうが、ごく普通の健康的な老人も転倒するリスクはある。つまり、この遺族はやりすぎだ。施設側の対応が不味かったのか、いずれにしても求めた損害賠償が5560万円。京都地裁の佐藤明裁判官は3400万円の支払いを命じている。もちろん、大事な身内を転倒事故で亡くしたショックはわかる。事故だとしても納得のいく説明を求める気持ちもわかる。しかし、コレが通例となると施設側はリスクを避け始める。

例えば全部のベッドに各種センサーを取り揃える。人員も増やす。「転倒防止策」として各種、あらゆる福祉用具も増やす。裁判で言い分けできるように、だ。「安全対策に不備はない」と判断してもらうよう、そこに尽力するようになる。ならば費用は跳ね上がる。自己負担額がどうしても増す。「虐待を受けている」という場合の措置、緊急的な入所もままならなくなる。高額な保険にも入るだろう。そうでなければリスクが高すぎて施設運営など出来なくなる。

外出なども消極的になる。事故の危険は増すからだ。手間のかかるレクリエーションも不要、私のいる施設でも「ボール投げ」で椅子から転倒した事例もあった。座らせているか、寝かせているかすれば起り得ない事故だった。これからの季節、夜に花火やホタルの観賞といえば結構なモノだが、これらもリスクの塊だ。人員は限られるし、夜の外出となると職員はボランティアだ。これで「もし事故があれば」というリスクを重要視するなら、こんなのは全部、中止になる。「花火みたけりゃ家族と行け」でお仕舞いだ。

私はいま、大の阪神ファンのお婆さんが言う「死ぬまでに甲子園に行ってみたい」を叶えてあげようと、施設や相談員、担当の職員らと話し合っている。しかし、これも恐ろしいことだ。私は休日も返上、手当も要らないと言っている(そうでなければ実現不可能)が、これがもし、交通事故を起こせばどうか。

死亡事故を起こし、遺族から数千万円の損害賠償を求められたら?野球観戦中、何かのアクシデントに巻き込まれたら?そのお婆さんには娘がいるが、いま、ほったらかしだ。本来ならば娘が連れて行けばいいだけの話、それが甲子園どころか、面会にも来ない。連絡も付かない時が多すぎる。着替えすら持ってこない。だから、そのお婆さんは施設に寄付された衣類を着用している。そんな状態だが、もし、私や施設が甲子園に連れて行き、何らかの事故で死亡させたり、大怪我をさせたり、体調が悪くなって入院したりすれば、その娘は施設側の責任を問うことになる。となれば、バカバカしくてやってられん、となる。

また、記事の81歳(当時)のお爺さんはベッドから起き上がってコケている。つまり、ベッド柵が外れていたとわかる。ベッドをすべて囲う「4点柵」なら、ベッドから離床して立ち上がるにはベッド柵を外さねばならない。ならば音もするし、そもそも外せない場合も少なくない。しかし、これをすると「身体拘束」になる。利用者の尊厳がどうの、人権がどうの、というわけだ。だから施設は危険なのを承知でベッド柵を外す。普通の人が使うように一箇所、柵を外して降りられるようにしている。だから走って行っても間に合わない。

年寄りがコケると頭を打つのも怖いが、多いのは骨折、それも大腿骨などを折ってしまうことだ。これで寝たきりになる。みるみる活力が減少、認知症は速度を増して進む。依存心が強くなり、無気力になる。ADL(日常生活動作)が落ちに落ちる。だから私は徘徊行動の強いお爺さんに「プロテクター」の装着を提案したことがある。福祉用具の特殊なプロテクターだ。事実、その爺さんは何度も転倒事故を起こしていたが、結果は却下、理由は「生活の場だから」という建前だった。それに家族も嫌がっている、と。息子は「そんなことよりコケないようにすればいいじゃないか」と無茶を言ったという。全部揃えれば何万円かするプロテクターを買う金が惜しかったのか、と邪推する。

だから私の夜勤の際、そのお爺さんにはリクライニング式の車椅子に座ってもらった。もちろん、じっとしていないから目は離せない。17時間以上、そのお爺さんと行動を共にした。正直、トイレに行くのも連れて行った。言うまでもない。大変な重労働になるだけでなく、そのお爺さん以外、30名近い年寄りの危険性は増す。何かあっても駆けつけることが出来ない。それこそセンサーが発報しても走れない。そのお爺さんの車椅子ごと移動せねばならないからだった。私は危なそうな利用者の居室の前に椅子を置いて座った。あとはずっと巡回していた。17時間以上だ。朝の職員が来るまで、ベランダでタバコも吸えなかった。夜勤が明けると目眩がした。「これは続けられないかもしれない」と本気で考えた。

他の職員はどうしたか。椅子に紐で縛り付けているのもいた。テーブルなどを動かし、一定のスペースを作って閉じ込めているのもいた。彼らは「牧場」と呼んでいた。私は実態をこっそりと撮影、施設側に「プロテクターの装着と牧場、もしくは拘束どころか縄縛、これはどちらが人権侵害、どちらが利用者の尊厳を傷つけていますか?」とやった。笑わせないでくださいと。

それからは「リクライニング式車椅子」の方法が取られるようになったが、いま、そのお爺さんは最近、終日の徘徊行動から、ついに歩けなくなった。疲労骨折の寸前か。もちろん、いまは寝たきりだ。だから、結果的にずいぶん楽になった。認知症とはいえ、歩いているときは笑ったり、歌ったりしていたお爺さんだったが、いまはもう、中空を見つめてぼうっとしている。たぶん、もうダメだろう。



施設側はよほど「大いなる確乎たる理念」がなければリスクを避ける。いまはもう辞めたが、施設から年寄りを出すな、と公言していた看護師もいた。家族が持ってくる「大好物」を喰わせずに捨てることもあったと聞いた。理由は「お腹壊したら誰が責任取るの?」だ。施設の栄養士が「責任」を取る食事以外の提供はリスクでしかない、という考え方だ。死ななければいい。怪我しなければいい。簡単に言えば「ベッドの上以外で死なすな」ということになる。認知症があろうが無かろうが、立って歩ける人まで車椅子に座らせて「立っちゃダメ!」としていればよろしい、となる。


綺麗事ではなく、施設側に対する信頼と家族の理解、施設側の理念と職員のプロ意識、これが揃わないと大変なのは利用者本人、そこにいる爺さん婆さんだ。家族は放り込んで知らん顔をしても責められない。施設は訴訟対策さえしていればなんとかなる。憲法9条や反原発と同じく、言うだけの人権や安全が屁の役にも立たぬように、誰かがちゃんと「現実の問題」として認識せねば、現実として何も進まないし何も得られない。

よく「2050年には3人に一人が後期高齢者」と言われるが、その少し前の2042年には後期高齢者が4000万人に達する。私のオカンは100歳ほどになるから、まあ、もういいだろうと思ったが、何より私自身が71歳になる。後期高齢者の1歩手前だ。支えなければならない、ではなく、支えられる方だと実感したら背筋が寒くなった。ちょっと急いで何か考えなければならない。




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