忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

威張った奴隷

2012年11月20日 | 過去記事



不味い職場というのは揉め事が多い。小さな不満が大きく育てられ、非常に稚拙な言動にて表わされるから、どうしても「トラブル」にまで発展する。それを管理、指導する立場のほうも所詮、毛の生えたレベルだったりするから、その相手を説き伏せたり、互いの意見を折衷した提案をしたり出来ない。感情に任せた極端な対応を躊躇しない。

私はいつも、昼休みはベランダにいる、と浸透してからずいぶん経つ。たった独り、そこで本やら新聞を読み、疲れるとマルボロを吸いながらコーヒーを飲み、田園風景やら山の景色を見ている。他の職員は「休憩室」みたいなところで屯する。そこでいろいろと愚痴や不満が交換されているのは知っている。私は知っているから参加しないし、興味がないから近寄らないのだが、どうやら最近、彼ら彼女らがそこから出てきて、我が神聖なるベランダにやってくる。休憩時間は労働者の権利だと共産党が言っているのに、彼ら彼女らは堂々と私の権利を侵害する。今度、施設にやってくる人権擁護委員に言いつける予定だ。

人が本を読んでいるのに、そこに平然と声をかけてくる。なんたる無神経だと憤慨するが、その内容は先ず「ちよたろさん、だいじょうぶ?」だったりする。腰や膝のことか、血圧のことか、糖尿病のことかと思うと、そうではなく「5勤だったでしょう」と心配される。

「5勤」とはそのまま「5日間連続で勤務した」という意味になる。この職場はこれを「4勤」とか「5勤」と呼び、体が持たないとか、疲れが抜けないとやってきた。彼ら彼女らは知らないみたいだが、1週間というのは7日間ある。このうち「5日間の連続勤務」などはそこらのオッサン、立ち飲み屋で瓶ビールを呷るオッサンでも普通にやっている。それなら私だって過去「20勤」とか「35勤」とかやってきた。「疲れが抜けない」ではなく、それはもう気絶するレベルの疲労も経験した。それでも仕事は楽しかったし、面白かった。遣り甲斐もあった。「お父さん」というのは少なからず、そうやって家族を喰わせてきた。

私はいま、この生活状況のことを「のんびりライフ」と呼んでいる。こんなに楽して世間や妻に申し訳ないと言いながら、でも、もう子育ても終わったし、自分の好きなことに時間使ってもいいよね?という感じで生きている。時間に余裕があるから晩飯は8割以上、私が作る。家事も手伝う。いままで行けなかった「近場の観光」も妻と一緒に回っている。

彼ら彼女らはつまり、私の「のんびりライフ」のことを激務だと言っている。先日、その月の勤務に「連休がない」と絶望している30歳の兄ちゃんがいた。もちろん、休日数は同じだ。ただ、それが「つながっていない」わけだ。いわゆる「飛び石連休」だった。

彼は「おかしいでしょ、これ」と愚痴る。私は彼の年齢のとき、家にも帰れずトラックや市場の事務所で仮眠し、あるいは「住み込み」でもないのにパチンコ屋の寮で生活し、連休はおろか休日すらなく、一日15時間も20時間も働いていたが、世間というのはこんなに緩やかに友愛に流れていたのかと驚いた。こんなのが激務、これがハードワークというのだ。私はその兄ちゃんに対し、まるでベトナム戦争の帰還兵が、戦場を知らぬ若い兵士を諭すように、世の中はもっと激務、ハードワークで溢れています、だから今日も明日も日本社会はなんとかなっています、と教えてあげた。

そんな彼が遅刻した。勤務開始時間から10分ほど過ぎて電話があった。自宅からは30分というところか、ならば遅くとも50分後に来ると思っていたら、これがなんとも1時間半以上が過ぎていた。「すいませンでしたぁ」と来た彼は髪型ばっちり、たぶん、風呂にも入っていた。なんとも優雅なことだ。

先日も一緒に飲んだ「あきぼん」氏。彼とは30年来の付き合いだが、我々の学生時代「朝起きて先ず、行くところは?」については「玄関」だった。つまり、起きたらそのまま靴を履いて外に出る。制服を着て寝る。無論、朝メシどころか顔も洗わないし、歯も磨かないし、トイレは学校にもある。「体育館横のトイレ」は私の洗面所だった。

まあ、つまり、朝、起きられないのに他に何をするのか、ということだが、もちろん、お勧めはしない。お勧めはしないが、せめて「遅刻したとき」「寝坊したとき」くらいは寝癖頭で走り込んで来るのが普通だと思っていた。しかし、彼ら彼女らは違う。「どうせ(給料から引かれる)なんだから」とゆっくりする。そしてそれを隠さない。

最近、またまた退職者だった。急に人手がなくなる。慣れているはずなのだが、今回は人数が違った。休みが減るし、残業もしないと対応できない。これに待ってましたとセクト派閥のボスが出る。「なんとかしてください」と施設に文句を言うと、施設側は「管理職にフォローさせます」。勝手に管理職は辞めない、と思っている。

現場を仕切るボスは「やらせたらええねん」と攻撃的だ。だからわざと管理職を使う。現場で十分対応できているのに「手伝ってください」「これをやってください」と大威張りだ。施設がそう言ってますから、が大義名分になる。冗談半分、施設の長である左巻きの天下りまで引っ張り出す、とか言う。どうせなにもできない、役立たずだけどね、と付け加える。いくら左に巻いている阿呆とはいえ、それはあんまりだ。というか、それでは「現場職員」としての存在意義すら失ってしまう。自ら「こんなの誰でも出来る」と仕事を馬鹿にしているからそうなる。もしくは、これで「事故でもあれば面白い」とか、恐ろしい期待感も否定できない。怪我するのはあんたじゃない。そこの年寄りだ。

「誰でも出来る」はちゃんとやることによって「誰でも出来ない」に昇華する。「誰でも出来る」ことは積み重ねることによって偉業になる。安モノにはこれがわからない。根っからの単純労働者にはその価値すら理解できない。消費カロリーと賃金を計りに載せている。自分の退屈な時間を切り売りして給与を得ていると信じている。だからいつまでも餓鬼のままなのだ。

先日、施設のイベントだった。文化祭だ。いろいろと飾りをつけたり、大量のパイプ椅子を運んだり、邪魔なモノを片づけたり、と面白くない労働がある。ひと通りの作業が済むと、明らかに片付いていな職場をあとに、みんな普通に帰って行く。知ったことか、と聞こえてくるようだった。介護主任が独り、真っ暗な施設横の倉庫で片づけをしていた。私が手伝おうと足を向けると、うしろから「行かんでいい!」と怒声が飛んだ。みればセクトのボスだった。

「やらせたらええねん」だった。「ちよたろさんが手伝ったら、それが普通になってしまう。施設は人が足らないとか気にもしない。現場の職員がいないとどうなるか、思い知らせないと変わらない」という、なんとも立派な言い分だった。

自分らよりも早く出勤している上司が、自分らよりも遅く残って仕事をしている。もちろん、これは上司という立場上、致し方がない部分はある。しかし、いま目の前で上司がやっていることは、どう考えても「現場の仕事」である。これを現場の部下が手伝うことが「普通になってしまう」ことになんの問題があるのか。というか、

「それが普通になってないから、ここも、我々も、みんなみんなダメなんです」

と言って手伝いに行った。ボスは明らかにむっとした表情だったが、それ以上、後ろから声は聞こえなかった。たぶん、そのあと「偽善者」とか「点取り虫」とか「酒飲みバスタオル」とか悪口を言われている。ま、どうでもよろしい。ノーダメージ。私には通じない。

「思い知らせる」のは「現場の職員がいなかったらどうなるか」ではなく、現場職員がいればどれほどなのか、を思い知らせねばならない。下の者は上の者からは助かった、申し訳ない、いつも有難う、を連呼させねばならない。それが誇りであり矜持である。それが「奴隷との差異」であり、単なる「職員A」ではない根拠となる。管理職や上司と呼ばれる人の過半は、その能力や責任感から進んで仕事をこなしていく。運営する側もそう。「そこに行かないとわからない」不満や苦労、様々なストレスが混在する。

それが左巻きの天下りでも同じ。阿呆なイデオロギーを振り回して悦に入るところをやっつけるのはともかく、施設の長を呼びだして現場仕事させる、という行為は自分自身の否定である。現場職員としてのアイデンティティの崩壊を意味する。スジを違えちゃいけない。だから腹の底が腐り、仕事場だけではなく、私的な空間においても愚痴や不満だらけになる。そんな状態、そんなレベルだから2009年、民主党にやられたわけだ。

介護主任は一瞬おどろき、それから「助かりますぅ~~ありがとうございますぅ~」と拝んできた。後ろを見れば、これいったい、誰がどうするのか?というほどの電球やら提灯があった。これをぜんぶ、箱に詰めて倉庫に直さねばならない。

不惑を過ぎたオッサン二人、真っ暗な倉庫前でせこせこ箱詰めなどをしていると、後ろから兄ちゃんが来た。遅刻風呂上がりの彼だった。駐車場まで行ったけど戻ってきました、ということだった。するともうひとり、20代半ばの女性職員がぽつんといた。「明日が休みだから」と言うと、電球についていた配線を束ねてくれた。

私も言った。助かる、有難う。よしよし今度、おっちゃんが焼き鳥、おいしいの喰わせてやる。遅刻風呂上りが「オレもいいっすか?」と言うからダメだと言った。

民主党。たぶん、冬の総選挙は敗北レベルではなく崩壊までいく。




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