忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ドラクラの夜

2012年11月18日 | 過去記事



実は連休だった。なんやかんやで5日間ほど、ずっと部屋に籠っていた。計画的な引き籠りだ。タバコやコーヒーはもちろん、肉や酒も買い込み満喫していたのだが、その最終日、妻が「映画観に行く」と、相変わらずの決定済みの断定口調で部屋に乱入してきた。犬も一緒だ。

ナニを観るの?と問うと「リンカーン・秘密の書」。なんで?には「ドラクラを(ドラキュラのこと)斧で殺すから」という返答だった。さすがは我が妻、既に異論を挟めぬ論理を構築していた。仕方がないからシャワーを浴び、無精ヒゲを剃って出掛けた。日差しが目にきつかった。ドラクラかと思った。

ところで、要すれば「毛沢東とは実はキョンシーと戦っていたのだった!文革も天安門もキョンシーから人民を守るためだったのだ!」みたいな映画の冒頭、いきなりリンカーンの母親がヴァンパイアに血を吸われて殺される。ヴァンパイアにはならない。

史実での死因は「ミルク病」。「マルバフジバカマ」という毒草を喰った乳牛の乳を飲んだり、肉を喰ったりしたからだが、この病気はアメリカでもヨーロッパでもたくさんの白人を殺した。映画ではリンカーンがこの復讐のためにヴァンパイアを追うことになるが、史実によれば襲撃されて殺されたのはリンカーンの祖父。襲撃したのはインディアンだった。

幼少の頃のリンカーンの友人に黒人少年が出てくる。役名は「ウィリアム・H・ジョンソン」だった。そろそろ面白くなってくる。リンカーン大統領のとき、副大統領は「アンドリュー・ジョンソン」だ。国務省長官が「ウィリアム・スワード」。つまり、映画で黒人奴隷解放を強調したいから、足して2で割ったら黒人になってしまった。

このジョンソンくん。リンカーンが大統領になってからは側近みたいな顔で映画に登場する。これは有名な事実だが、べつにリンカーンは「奴隷制に反対」ではない。いわゆる「奴隷解放宣言」とは南部の奴隷を解放しただけであり、そしてそれは実に政治的な理由からだ。だから北部の黒人奴隷は解放されずそのままだった。つまり、リンカーン大統領がホワイトハウスに黒人を入れて、大きな顔をさせるわけもない。

それから映画でも大活躍、リンカーンの親友となるジョシュア・スピードは実在の人物。「ジョシュア・フライ・スピード」だ。イリノイ州のスプリングフィールドで雑貨店をやっていたのも本当の話。映画では若きリンカーンが雇われていたが、本当はリンカーンと共同経営、店の2階で同居していた。夜は同じベッドで寝た。ホモだったかも、と言われる。

映画のリンカーン。母親を殺したヴァンパイアは「ジャック・バーツ」。これもひっかけてある。やっぱりリンカーンは「ゴロツキ集団」のボス、ジャック・アームストロングとレスリングで喧嘩したりしている。「斧」を武器にしたのはリンカーンの少年時代、家の手伝いでレールフェンスをたくさん作り、斧の扱いが上手かった、という逸話から。オバマだったらバスケットボールを投げて武器にしていたかもしれない。

また、ヴァンパイアのボスは思いつかなかったのか、単に「アダム」という名前だった。これが南部「アメリカ連合国」の指揮官、ジェファーソン・デイヴィスに協力する。つまり、前線にヴァンパイアを送り入れる。驚異的な身体能力、それから霧のように消える能力を持ったヴァンパイアに北部の兵士は歯が立たない。そこでリンカーンは「銀のフォーク」に「何か」を思い出す―――というストーリーが展開する。

まあ、映画としてはアクションシーンが良かった。私は「はぶて師匠」より厳しくないから、評価は甘めに「良」としておく(シャカ→良→優→秀)。

ちなみに映画にインディアンは出て来ない。つまり、そこにヴァンパイアをあてると、しっくりくる。映画のリンカーンが斧でヴァンパイアを切り裂き、殴り倒し、首を刎ねるのと同じく、史実のリンカーンは議会の承認もなし、完全に個人の報復感情、及び、差別感情だけで、インディアンの人身保護条例を外し、予算を勝手に使って軍隊を出した。

白人はインド人やアラブ人に対しては「劣った人種」だと馬鹿にした。理由はキリスト教じゃないから、それと白くないからだ。イギリスは自国の織物産業が脅かされないがために、インド人職工の手を切り落とした。工場を潰すのではない。もう仕事が出来ないように両手首から先を切り落とす。白人が困らないためならなんでも正当化できた。

もっと白くない黒人奴隷はモノとして扱った。単なる「商品」だった。いま、我々がペットショップのゲージの前で抱く感情、可哀そうにとか出たいだろうな、という感覚すらなかった。我々が「ポーク」や「ビーフ」に感情を持たないように、白人は黒人奴隷に無関心だった。だからリンカーンも「白人と黒人が同じ人間」などとは決して思っていなかった。ただ「道具」「モノ」としての不要を言い、南部の戦争継続をさせないため「取り上げた」だけのことだった。だから「解放」の前には「没収」があった。普通、人間には使わない言葉だ。

それならインディアンは害獣だ。だから「駆除」した。映画に戻ると、青年期のリンカーンに「ヴァンパイア退治」のノウハウを教えてくれるのは、ヘンリー・スタージス。彼もヴァンパイアなのだが、これはまず間違いなく「ヘンリー・クレイ」のことだ。本当のリンカーンもクレイを師と仰いでいた。そのクレイは徹底的なインディアン廃絶論者だった。

映画のヘンリーはヴァンパイアを殺すのは「人類のため」と言ったが、史実のヘンリー、このリンカーンの師は「人類全体からのインディアンの消滅は、世界的には大きな損失ではない。私には、彼らが人種として保存されるだけの価値があるとは思えない」ともっと酷い認識だった。

映画は「銀のフォーク」を絡めた作戦が功を奏して北部が勝利する。ヴァンパイアを使った南部は負けて、リンカーンはゲティスバーグでの演説「人民による人民のための~」をやる。人類の敵、ヴァンパイアはアメリカを追われ、辛うじて生き延びた少数はアジアやヨーロッパに逃げた、と括られ、リンカーンの有名な演説の「人民」にヴァンパイアは含まれなかったのである、めでたしめでたし、みたいになる。もちろん、ここはヴァンパイアをインディアンに入れ替える。つまり、そういうことだった。

映画「リンカーン・秘密の書」。ラストシーンにはフォード劇場に向かうリンカーン夫妻が出てくる。そこで北軍のメリーランド州出身の俳優ジョン・ウィルクス・ブースから襲撃、リンカーンは暗殺されるわけだが、この直前にヘンリー・スタージスから「ヴァンパイアになれよ」と勧められる。未来永劫、この国の将来を見届けることができると。映画の中のリンカーンはコレを断る。



リンカーンが暗殺されてから遺体盗掘と身代金要求未遂事件が起る(史実)。なにしろアメリカ人の子供に「偉大な大統領は?」と質問すれば8割以上が「リンカーン」と答えるほどのアレだ。また、その過半が「その理由は?」に対して「なんでだろう?」となるほどの有名人、その遺体を掘り起こして盗めば金が盗れるかも、となった。

1900年、それを防ぐためにリンカーンが眠る地下墓所を再構築した。棺は数フィートのコンクリートで囲まれた。その際、立ち会っていた息子のロバート・トッド・リンカーンを含む23人が、リンカーンの遺体の確認をする。死後30年以上が経過していた。

棺の蓋を開けて23人は仰天する。遺体が完全に保存されていた。腐敗がない。服はカビだらけ、胸に置かれていたアメリカ国旗は腐食が進んで「欠片」になっていたが、リンカーンの遺体は<彼の顔は白墨のように白かった>とのことだ。

もしかすると、これも「映画とは違う話」になっていたのかもしれない。




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