忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

偽善の扱いかた

2011年03月15日 | 過去記事
レンタルビデオ屋が大忙しだ。駅前のレンタル屋も棚が空っぽらしい。ま、テレビは地震中継ばかりになるから、被災していない地域からすれば退屈なのかもしれんが、そんなにテレビ画面に何かを映しておかねば落ちつかないのかと不思議に思う。

我が家は夕食時にテレビを切るのは、以前からずっと変わらぬ「我が家ルール」であるし、レンタルビデオを借りても家族で観ることが多い。もっとも妻はすぐに寝てしまうのだが、それでも頑張って「観る!」とか言うから、どうしても妻優先でディズニーアニメなどを借りて、結局、私と倅だけでそれを観るという憂い目にも遭う。

昨日は豚肉とハクサイで鍋をした。シイタケや水菜もたっぷり入れて、追加で鶏肉も登場、妻は誰も取らないのに、一所懸命に「ふ」を喰っていた。休日前ということで、久しぶりに発泡酒も6本買った。それがため私は、仕事が終わってコーヒーも飲まず、夕方の休憩時間に少しお茶を飲んだだけの状態で我慢し、急いで帰宅すると妻と犬と一緒に風呂に入り、意図的に喉をカラカラにしてから、冷蔵庫で冷やしておいた発泡酒をぐびぐびやった。その横で妻は新発売の「グリコキャラメルアイス」を喰っていた。私が発泡酒と一緒に買ってきたのだった。その後、妻と倅と一緒に鍋を喰い、私はいろんな話をしながらウィスキーを少しだけ飲る。仕上げは雑炊だが、昨日はメシと一緒に「アサリ」を入れてみた。これが大当たりで、妻も倅も「おいしい!」として全部喰った。

至福の瞬間だ。この「なんでもない日常」がどれほど貴重な幸せなのか、と開き直って噛みしめる。東北地方では寒空の下、震える避難生活を続けておられるのに、我ら家族はみな健康で、犬まで風呂に入り、温かい鍋を喰いながら、明日も頑張ろうと話すことが出来る。無論、その日もコンビニの募金箱には少額ながら金も入れたし、妻も倅も何らかの募金はして来ている。しかし、その後、倅が妻の布団を敷いて、犬と一緒にあったくして眠ることを知りながら、東北地方の安否を話題にする。これを偽善だと言われたら、それは認める他ない。不謹慎だと言われたら、それもそうだと謝る他ない。

勤め先の施設でも「地震がきたらどうするか?」と今更ながら話題になっていた。私は「わかりません」と答えた。中には施設の利用者さんを放り出して逃げる、と宣言する者もいた。不謹慎だが、実際の緊急事態になれば、そう言っていた者が自分の命を顧みず、危機の中から利用者を助けるという「意外な側面」があったりするのも人の常だ。「絶対に見捨てない」と言いながら、ふと気がつけば自分だけが助かろうとして行動しているかもしれない。これも人の常なのだ。

妻は無邪気に問うてくる。自分が瓦礫の下敷きになっていたらどうするのか?と問うてくる。私は「助けられないかもしれないけど、私はそこから離れない」と言った。でも、逆の立場だったら、と考えるとき、それはもちろん、妻には安全な場所に移動して欲しい、と願うと知れている。私が瓦礫の下敷きになり、あるいはそこで絶命していたとしても、そんな危険な場所に妻がいつまでもいるほうが、私としてもゆっくり死んでいられない。

いま、生きている我々は「死ぬこと」については理解できないが、「残されること」についてなら想像することが出来る。また、死んだ人には追悼することしか出来ないが、残された人に出来ることは少なくない。菅総理大臣も「ひとつでも多くの命を救う」ということを最優先事項に挙げた。今、様々に行われている救援活動や援助活動も、それはすべからく「残った人」のために行われている。つまり、命は命を優先させる。

死んだ人はどうでもいい、とは言わない。しかし、生きている人間が死なぬことが優先されるのは真実であり、正義でもある。すなわち、レンタルビデオ屋の棚が空っぽになることは悪くない。いま、死んでいない人間が社会を形成している限り、死んでいない人間が様々に活動することは、その一助にすら成り得る。悲しみと絶望に暮れ、あるいは恐怖感に慄き、通常の「営み」が行われない社会は崩壊する。人はそれがわかっているからこそ、自分の出来る範囲で何が出来るかを考え、且つ、何をしないのかを考える。



東京都杉並区にある「TSUTAYA阿佐ヶ谷ゴールド街店は、Twitterで「営業再開しました!テレビは地震ばっかりでつまらない、そんなあなた、ご来店お待ちしています!」と馬鹿をやって非難に晒されている。これも「何をしないか」を考えないから、言わずともよい文言を羅列してしまった悪例だ。私がこのブログに「犬と一緒に風呂に入る写真」でも貼り付け、その下に「東北地方の人は寒くて大変だけど、我が家のりーちゃんはお風呂大好き!」などと馬鹿らしいコメントでもつけてアップすれば、次の日から私との付き合いを考える人はたくさんいるはずだ。コメント欄は罵詈雑言で炎上する。しかしながら、世の中には「それだけのこと」がわからぬ人間がいる。

私がパチンコ屋で店長になった平成16年、当時の同グループ店舗が更新したホームページのことを書いた「さるさる日記」が残っていた。先ずは地震だ。紀伊半島沖を震源とするマグネチュード6の地震があった。その店舗があった大阪は震度4の揺れが襲い、ひとりの高齢者が頭に怪我をして亡くなった。その日の夕方、その店舗のホームページにはこんな文言が踊った。




震度4だとぉ~~~○△(店の屋号)は震度6!!!
グラァグラァグラァァァ~~~!!!
激震○△!!揺れる○△!!

震度6!最高震度6を体感せよ!!





とある「パチンコ専門掲示板」は炎上した。私が発見してから30分後には削除させたのだが、どうやら間に合わなかったようだった。当時の日記に詳しいが、私はその「内容」を当該店舗の店長が「確認済みでGOサインを出した」ということに驚いている。

ちなみに、私が幹部会議などでこの件を取り上げ、威張った幹部連中に不謹慎だと発言し、近くに上陸するとされる台風23号をネタにすることなどないように、と皮肉を込めて厳重注意したが、どうやらこれも「ネタフリ」にしか過ぎなかったようで、同年10月、近畿地方に最大風速51.9メートル、降水量は過去最大で277ミリを記録した大型台風が上陸、滋賀県1名、京都15名、兵庫県26名、和歌山1名、大阪府1名の計44名の方が亡くなった。沿岸では避難勧告が出され、多くの人が大変な目に遭った。その翌日、その店舗のホームページには、



○△(店の屋号)に上陸!!!

暴風○△!!

荒れ狂う波!!押し寄せる波!!

○△の高設定機種の波が津波となる!!

○△に緊急避難命令!!





という文言と共に、大波やら暴風雨のイラストが描かれていた。話してわかる連中ではなかった。この連中は、それから2年ほど過ぎた頃、私が暴いた内部不正の中心的人物だったとわかる。本社部長2名、店長1名、現場スタッフ数名を解雇させたが、薄汚くて意地汚い連中は、その思考センスまでもが腐臭を放つのだとよくわかる実体験となった。






また、今回被災した地域でも、さっそくコンビニ強盗や火事場泥棒が出現しているらしい。津波で流されたATMなどを探すつもりか、どこまで下劣な生き物になれば気が済むのだろう。「募金詐欺」も横行しているとのことだ。高齢者の自宅などに電話をかけて、被災地の悲惨な状況を詳しく語り、それから振込先を指定するという最悪さだ。無論、警察力が弱まるから犯罪者も増える傾向にある。不安からナーバスになっているから人的なトラブルも増える可能性がある。避難所の雰囲気などは悪くなる一方だ。

それでも外国から見れば、日本人の整然さは驚愕に値する。各国の報道も「日本人の民度」に驚いている様子だ。瓦礫の山の中、淡々と水や食料を求めて並ぶ姿は、外国からすれば、それだけで驚愕するレベルなのだ。ま、しかし、それでも「一定数の腐った連中」がいることも否めない。例えば、一部のメディアだ。


http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/03/15/kiji/K20110315000430740.html
<日テレリポーター“失言”、フジの混線?発言に批判>

<日本テレビで14日に放送された情報番組「スッキリ!!」(月~金、前8・00)内で、東日本大震災で被災した宮城県石巻市からの中継の際、「本当におもしろいね~」という話し声がオンエアされ、批判が起こった。

 同局によると、この発言は大竹真リポーター(39)が中継に入ったことに気づかず現場のスタッフに話したもので、「中継回線がうまくつながらず、放送が段取りどおりに進まないことについて発した言葉だと聞いている」(同局)。

 同局は「たとえ私語であっても視聴者の方々に誤解を与えかねない」と判断。同リポーターに対し厳重注意を行った。

 また12日にはフジテレビで放送された震災関連特番で、菅直人首相(64)の会見中に「ふざけんなよ、また原発の話なんだろ」「あはは、笑えてきた」という男女2人の話し声がオンエアされた。同局は「音声がどこから混線したものかは不明で調査中」とした>






ウソかホントかわからんが、ネットにこんな写真もあった。







腹が立つ、とかはない。何か悲しい気持ちになる。なぜ、そんな「自分個人の気持ち」くらい仕舞っておけないのか、と不思議になる。

私は明日も仕事に行く。仕事場では笑うこともあろう。通勤途中、ラジオで被災地の状況ばかり聞くわけでもない。職場で地震のことばかり話すわけでもない。地震からずっと「居室の窓に向かって手を合わせている」利用者さんのように、常に被災地に想いを馳せるほど人格もできていない。ただ、腐臭を放つ馬鹿はわかる。それだけを避けていたい。


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