この度の地震をテレビで見て、急に私のことを思い出して心配してくれたらしい。2度しか飲みに行っていないし、メールアドレスを聞いてくれたのも御愛嬌と思っていたが、これが何とも嬉しいものだ。メール受信に気付いた妻は「だれ?」と警戒していたが、もちろん、私はなぁんにも疾しいことなどないから、ちゃんと「うん、対馬の、原子力のおっちゃん」だとウソをついた。そこの奥さん、旦那なんか信じちゃいけません(笑)。
2日ほど前、静岡で震度6が来た。22時30分頃だ。京都も揺れた。揺れはすぐに収まったし、酷い揺れでもなかったので、私はそのまま寝てしまおうと布団にもぐったが、頭の中には太平洋プレートとフィリピンプレート、その上にユーラシアプレートがみえてきて、そのうちフィリピンプレートが大きく跳ねた。そうだ静岡だ、と気付き慌てて起き出した。
倅には風呂の水を溜めるよう指示を出し、妻には貴重品などをバッグに入れるよう命じた。靴下は履いて寝るよう、靴と防寒着は手元に置いて寝るようにと言い、私は用意してあった「非常用袋」を確認する。手動で充電できるラジオと懐中電灯、簡易トイレ、真空パックされた軍手や軍足、また、寒がりの妻用に防寒対策のシルバーシートがあった。飲料水も2L×8本が2ケース。保存食もあった。そういえば、避難生活とはいえ、我が妻はアレだからということで、私は乾パンやらビスケットだけではなく、苺のあんころモチ、チョコレートのビスケットなどの保存食も購入しておいた。妻のことだ。普通の乾パンなど喰わない可能性がある。また、合わせて妻のためにだけ「梅がゆ」などの高級品も入れてあった。保存食は高いのである。
しかし、だ。無いのだ。苺のあんころモチやらチョコレート味の類、あるいは「梅がゆ」までもが無かった。そう。妻は非常事態でもないのに非常食を喰うのであった。あれほど「食べちゃダメ」だと厳命していたにもかかわらず、その溢れる興味本位から、あまりにも普通に喰っていたのである。我が妻には非常食も宇宙食も関係ない。喰いたいから喰うのであった。無論、お菓子類は与え過ぎるほど与えている。それなのに「どんなんかな?」として非常食を喰うのである。まるで子供である。もちろん、この責任は全て私にある。隠さねばならなかったのだ。我が妻に「イチゴ味」やら「チョコレート」だと教えれば、そりゃ喰うに決まっているのだった。こんなことなら全てが「キムチ味」だと嘘をついていればよかった。しかも、である。妻は「知らない。食べてない」と白まで切る。
しかし、私が「静岡で震度6はやばい」と言い、倅も「あ、そうか!」と反応したのをみて、さすがの妻も真剣に怖がっていた。妻がなんで?と問う前に、私は簡単に説明した。
日本列島は4枚のプレートの上に乗っている。先ほどの3つのプレートと北米プレートがある。この4枚のプレートが重なり合っている場所、それが静岡県なのである。東北地方を襲った巨大地震の余震としても、静岡は少々離れている。しかし、その静岡に激しい揺れがあったならば、その連動したエネルギーは西日本を襲う可能性が高い、と素人説明をした。妻は慌てて大きめのバッグを取り出し、ドッグフードとペットシートを詰め込み始めた。妻は、先ず、犬である(笑)。また、今度は大きい袋にお菓子類を詰めだした。「ぶためん」を入れるかどうか悩んでいる。気分は遠足である。結果、入れた。
今日、仕事の帰りに霙が降った。職場の周囲は茶畑と田んぼだけだから、これがなかなか景色もよろしいので気に入っている。今日も立ち止まってしばらくみていた。駐車場近くには竹藪があって、風がある日には竹と竹がぶつかる「かちかち」「ぎいぎい」という音に耳を澄ませる。黄色くなった笹の葉がさらさらいうのも涼しげで結構だが、私はあの「堅い音」がお気に入りだ。今日はその中に「梅の花」を見つけた。
手入れもされていない竹藪、枯れた葉がブラブラするだけの竹の中、なぜだか梅の木が紛れ込んで見事な花を咲かせていた。あまりに可愛らしかったので携帯で写真を撮って妻にメールで送った。そのあと、小枝を折って持ち帰りたい騒動にもかられたが、そこは私が年をとった証拠だ。そんなことができなくなった。
最近、また寒くなった。この寒空の下、被災された方々は震える夜を過ごされている。町も村も流され、最愛の人を流された人もいる。雑木が混じる荒れ放題の竹藪を眺めながら、今日、自分は生きて、今日、他の誰かは死んでいるのだという意味を考える。
避難所にいるお婆ちゃんが「自分みたいな年寄りが生き残って、若い人らがたくさん死んだ」とテレビで嘆いていた。岩手県の警察は婦人警官ばかりでチームを組んで避難所を回り、そこでカウンセリングなどを行い「生きていればいいことありますよ」と被災者の方々を励ましていた。「命が助かっただけでもよかったじゃないですか」と元気付けていた。
外国の報道では日本人の民度に驚いて、そして感動しているらしいと、さすがの反日メディアも取り上げている。スマトラ島の津波やチリの大地震、支那は四川省での大地震を思い出して「日本人に比べて恥ずかしい」とマトモな反応を示している。日本全国から送られてくる生活物資は避難所に届かないから、圧倒的に物資は不足しているわけだが、誰もどこも襲わないし、整然と並んで順番を待ち、互いに励まし合って耐えている。
救援活動に取り組む自衛隊や警察、救助隊やボランティアの方々も劣悪な環境ながら、日々、黙々と努めておられる。そういえば、現地入りする自衛隊員の所持品の中に「紙おむつ」やら「粉ミルク」が入っていたのだとツイッタ―にあったらしい。もちろん、違反行為らしく、上官からは叱られるわけだが、上官らは「勝手にしろ」と放っているとのことだ。私はこの話を知って、かつて、日本軍が東南アジア各地で同じようなことをしていたのを思い出す。
欧米列強に収奪され続けていた東南アジアの植民地。その各地に日本軍がやって来て、自分らを「マスター」と呼ばせていた白人どもが逃げ惑った。しかし、戦火が治まると貧しさだけが残った。さて、アングロサクソンに代わり、今度は日本軍が貧しい村から収奪するのかと思いきや、日本軍兵士は調達した食料などを村の前で落としたりするおっちょこちょいだった。軍用トラックの荷台から、村の前を通る道で食糧の入った箱や袋を落としてしまうのだが、荷台に乗って見張っているはずの日本兵は気付かない。もちろん、その後も作戦行動を控える軍隊だ。食料の喪失は厳罰に処される。当時の日本軍の上官も怒った。中には貧しい村人に軍の食料を分けているという不届きな部下もいた。
上官は「貴様、銃殺だ!」と言いたいところをぐっと堪えて「今後の作戦行動に影響するから銃殺は勘弁してやる」とのことで、村人に貴重な食料などを「奪われたり」、あるいは道端に「落としたり」した日本軍兵士は往復ビンタに晩飯抜き、朝まで基地周辺の草むらに立たされるという罰を受けることになった。日本軍兵士はよほどドン臭いらしく、基地周辺には毎夜のように、たくさんの兵隊が立たされていた。上官は「貴様!また食料の備蓄を無くしたな!」と往復ビンタするも、それを見ていた日本軍兵士からはクスクスと笑い声がした。
末端の兵士もドン臭いが、その上官もとろくて、罰した部下が何人か立っているところに、ついうっかり「酒と喰い物」を忘れてしまう癖があった。これでよくもまあ、大東亜戦争初期の猛進撃が成されたものだと感心するが、相手のアングロサクソンが弱かったのか、この軍隊がまあ、強かったのか。また、このあたりのことを日本人は知らないか、知っていても語らないが、例えば「フィリピン少年が見たカミカゼ」でダニエル・H・ディゾン氏などが語ってくれている。
よく「日本の文化で本音と建前があるが、いかがなものか」と言われる。白人やら支那人がわからないのも無理はないが、情けないのは日本人の中でも「オレは本音で生きるタイプ」とか言って喜んでいる馬鹿がいることだ。自衛隊員が被災地に「命令違反」の紙おむつや粉ミルクを持ち込むのは「本音」で、それを上官の立場上、あるいは組織の規則上、叱って罰するのが「建前」であり、後でこっそりと許してしまうのも「本音」である。
被災者の方々は「本音」では物資が欲しくて仕方がない。明日が不安で仕方がない。それでも整然と行動するのが「建前」である。これほど優れた文化が他にあるというなら教えてくれ。子供がゲームを買うのを止めて募金する。チンピラが宴会を取り止めて募金する。これを「建前」だとして「本音」とすれば「ゲームが欲しいくせに」と思うのは異常者だ。
いま、東北地方は「荒れ放題」になった。それでも小さな「梅の花」が咲いている。それは小さな親切だったり、決死の救援活動だったりする。それらはすべからく「助かって欲しい」という本音であり、「絶対に助けてやる」という本音である。そして「必ず復興させてみせる」という本音が本気に昇華し、日本人は本当にやってしまう。
日本人は負けない。日本は負けない。
ほら、梅の香りがしてきたはずだ。「梅の花」の花言葉は「厳しい美しさ」だ。
そして、私はまた「梅がゆ」を購入した。さて、これは本音か建前か。
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久代千代太郎
Karasu
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