忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

オーロラ計画ってあったよね

2012年03月13日 | 過去記事

ちょっと前、太陽の表面活動が派手になっていたらしい。ピークは3月8日。米海洋大気局(NOAA)と米航空宇宙局(NASA)は地球上の無線通信やらGPSに障害が発生する、と注意を呼び掛けた。

原因は磁気嵐。太陽フレアにより飛ばされた荷電粒子が毎時約480万~640万キロという、よくわからない速度で地球に向かってくるという。でも、困ることばかりでもなく、その御蔭でオーロラが見えるとも言う。普段でも「オーロラを観に行こう」というツアーは日本にもあって、コレは中高年から高齢者にニーズがある。場所は北極とかカナダとか。

また、べつにオーロラは寒いところが好きなわけではなく、太陽風と地球の磁場の関係で偶然、地磁気緯度の高いところに発生する。東北の震災を受けた原発事故で、よく「東京→ニューヨーク」で浴びる放射線量は往復で100ミリシーベルト、とか言われていたが、それなら「オーロラに会いに行こうツアー」でアラスカに飛んだほうが、紫外線やらX線やらをたくさん浴びる。というのも、人体に有害な放射線は宇宙空間を飛びまくっている。コレが地表にまで届かないのは、地球に磁場があるからだ。

地球に棒磁石を突き刺す。その先端が北極(南極)圏内となる。そこに砂鉄をふりまけば小学校の理科の実験になる。棒磁石ごとくるりと地球を回せば、砂鉄は「真ん中」にはくっつかない。つまり、有害な放射線は砂鉄のように「地球全体」には降り注がない。また、人体に有害な宇宙線量は上空1万メートルを過ぎると40倍から100倍の「濃さ」になるから、私が京都の自宅にいるのとアラスカ上空を飛んでいるとなら、その被曝線量の差は歴然となる。しかし、それでも飛行機に乗って旅行する程度なら心配ない。オーロラも好きな人は見に行けばいい。コレは私が勝手に言っているのではなく、国際放射線防護委員会(ICRP)が公表している。

普通、磁気嵐の中、飛行機に乗って怖いのは放射線量ではなく、計器が狂うなどの現実的、且つ、緊急的な危険が真っ先に来る。これは「地震、津波による原発事故」の場合も同じで、放射線がどうのという前に、すべきことは山積している。事実、チェルノブイリでは28名が死んだ急性放射線障害であるが、日本の場合はひとりもいない。原発作業員が放射線宿酔で倒れた、なども寡聞にして知らない。しかし、自殺や餓死、病死など、自宅や避難所で死んだ人は800人以上だ。せっかく津波を生き延びた人が死んでいるのだ。

それでも政府は除染除染とやる。地域住民にも「放射線(放射能?)は怖いです」ばかり言わせる。反核団体は気炎を上げ、東海第二原発の敷地を取り囲んだりする。菅政権も今がチャンス、反原発で政権浮上を狙って露骨な無様も晒した。代わった野田総理は、震災からちょうど1年となる先の3月11日、首相官邸で<広域処理で国は一歩も二歩も前に出て行かなければならない。日本人の国民性が試されている>と記者会見した。「災害廃棄物処理特別措置法」に基づき、文書で各都道府県に協力を要請するとした。瓦礫を引き受けてくれと。

左巻きのくるくるパーに振り回され、無駄な労力を唯々諾々と注ぎ込み、真に急がれる復興は遅々として進まない。こんな状態が1年間続いたわけである。野田総理は<日本人の国民性が試されている>と上から言うが、実際に試されてダメだとわかったのが民主党政権だった。国が災害廃棄物処理で地方公共団体に協力要請できる、と定めている同法が成立したのは昨年の夏。そしていま、総理大臣が文書で協力を呼び掛けるという事実こそ、批判するモチベーションが折れるほどの実に象徴的な出来事だ。「なにをいまさら」と言う気も失せる。そもそも頼んだくらいで原発アレルギー、もしくは左巻きのくるくるぱーが黙っているはずもない。

さすがに朝日新聞も庇いようがない。12日の社説でも<だが、この1年、私たちが選んだ政治家の行動は、あまりにふがいなかった>と他人事のように書いている。朝日新聞は2009年8月25日には「待ちきれず期日前投票に行く私」という朝日川柳を取り上げ、散々「民主圧勝」の空気を流しながら「歴史的体験をしよう」と盛り上げていた。

他の反日機関紙も止めを刺すかのように「麻生批判」に念を入れ、出した瞬間から嘘だとバレていた無茶なマニフェストも「民主党政策の財源は確保されている」という学者を引っ張り出していた。「心配無用。民主党は大丈夫」と言う経済界の大物もいた。これら過半が選挙後、一定の時期を過ぎると謝った。すいませんでした、民主党には私も騙されてしまいました、と。しかし、当時は駅前の立ち飲み屋の酔っ払いでも「民主党はダメだ」と言っていた。世の中の「センセイ」やら「シャチョウ」が全部、ちゃんとした立派な人だとは限らない証左だ。ごめんで済むなら朝鮮人民軍内務軍はいらない。実に無責任極まりない。

そして、ごめんも言わない朝日新聞はこうも書いた。


<▼郵政選挙で「純ちゃんブーム」に乗った無党派層が、大挙して「政権交代ムード」に身を任せたかに見える。大盤振る舞いの公約に不安を覚えつつも、いっぺん民主にやらせてみると思い定めた人が結構いるらしい>

<▼風の変化が増幅される小選挙区制の、自民には災い、民主には恵みである。それが4首相でつないだ4年間への審判、我慢の爆発ならば、今さら「ムードに流れる大衆」とくさしても始まらない。前回「ブームで300議席」の自民にそもそも嘆く資格はなかろう>



まるで「犯行声明」のような自画自賛だ。そのムードやらブームを作ったのは俺達だ、みたか、自民党とその支持者どもめが、という自負心が垣間見える。気持が高揚して筆が飛んでいる。性的興奮を覚えていたかもしれない。そして最後にこう書いた。


<▼報じたことの虚実は時が検証しよう。報道に身を置く者にも、この戦後史の山場は勝負時である。久しぶりに、いや初めて「歴史」に関与している感慨を覚える。コラム書きではなく、一人の有権者として>


不気味な文章だ。ま、朝日新聞が欲情しながら書いているところ申し訳ないが<勝負時である>は結構だが、それはもう、2009年8月の自民党以上の酷い惨敗であったと言わざるを得ない。あのとき立ち飲み屋の酔っ払いが言う「子供手当なんて出るかいな」が正解だったわけだから、これは勝負もヘチマもない。その結果は多くの人が予想した通り、前代未聞の反日極左暴力集団に日本の政権を明け渡してしまった、というだけだった。そして、間接的にではあるかもしれないが、あのとき、民主党政権を推したマスメディア、知識人コメンテーター、学者先生らは「震災による原発事故対応」における菅政権の人災を招き入れた責任がある。いまさら<だが、この1年、私たちが選んだ政治家の行動は、あまりにふがいなかった>で済まされることではあるまい。

あの当時、メディアは麻生・自民党批判と「生活第一」だった。ちょうど「のりP」がシャブPになってくれたりもしたから、テレビは民主党の政策を解説したり、民主党議員の不様は「報道しない自由」を駆使することができた。視聴者が求めているのはシャブPだと強弁することもできた。御蔭でテレビは民主党に一度、やらせてみましょう、という雰囲気を作った。中には「とにかく一度、一度ヤラセテみてダメだったら代えればいい」と公然と吐く人間もいた。同時に覚醒剤については「一度だけと安易にやるな」とやっていた。「一回だけなら大丈夫」などという甘い考えは危険だと。痛烈な皮肉だ。

実際はやはり「一回だけなら大丈夫」ではなかった。それは多くの常識ある人も言っていた。拙ブログでも2009年の7月、8月くらいを読み返すと泣けてくる。毎日、やばいやばいと喚いている私がいた。予想は裏切らなかった。どころか、遥かその先、まさかそこまでなのか、という絶望を隠せない状態が露見した。たしかに―――政権交代前からずっと、自民党はまさに、橋下市長が言う「何も決めない民主主義」という日本政治の限界を体現していた。しかし、代わった民主党は「決めてはいけない」政党だった。「決める」だけの知識がない。情報がない。覚悟もない。なのに決めたり、それを止めたり、また決めたり、を繰り返した。日本は外交も内政もずたずたになった。そこにいろんな災いもあった。

いま、テレビや新聞がやっているのは政権批判、あるいは、政策批判ではない。もちろん、国会でやっているのもそうではない。以前、自公政権時代の日本はまだ、それをやっていた。辛うじてだが、そうなっていた。一部、週刊誌やらゴシップ雑誌は個人攻撃や人格非難をしていたが、それも言論の自由、表現の自由がある国では普通のことだった。


ナポレオン3世は普仏戦争のあと、パリの都市計画をやった。いま、パリにある道や建物の多くはその当時に作られたモノだ。言うまでもなく、これは選挙を通して市民に問いかけ、民主的な手続きを経て行ったわけではない。万事が強権発動、一刀両断で物事が決まった。いま、これをやれる国は北朝鮮とか支那とかになる。

日本では「地域住民が反対」とすれば瓦礫も処理できない。米軍基地も移設できない。すなわち、公共のプロジェクトが行えない。日本は土地も個人が所有する。道路を作るにせよ、箱モノを作るにせよ、どうしても多額の金が動く。コレが支那なら共産党幹部が出てきて「どけ」でお仕舞いだ。逆らえば殺される。ナポレオン3世の時代もそうだった。

だから自民党が政権を担っていたときは「政治」をやった。回りくどいながらも、それは民主主義の代償、計算されたリスクなのだとして「政治」をしていた。そこには当然ながら「独裁」ではない部分に「ボロ」も出る。小銭やオンナで転ぶ小物やら、阿呆な大臣が馬鹿なことを言って切られたりもする。民主党の岡田副総理が騒いだような「密約」とやらもバレたらニュースになる。国民の知る権利、説明責任やらという空虚な言葉が躍る。

しかし、思えばそれは「普通のこと」だった。「自民党なんぞ、アメリカのいいなりじゃないか」と批判するも、それは自国の軍隊すら持たぬまま、領土を盗まれても、国民を拉致されても呑気に暮らしてきた日本人全員の咎である。反日メディアのグロテスクはともかく、普通の民主国家における政権批判、政府批判とは、ある種の健全な状態でもあった。




―――いまは違う。

いま、マトモな政権批判は過半以上のメディアにない。尤も「マトモな批判」に値する政権ではないが、それを監視するはずの国民の過半以上も、そんなことを求めてはいない。自分らが選んだ政党がどれほど無能なのか、どれほどの素人の集まり、どれほどの愚者の集いだったのかをサディスティックに見せつけられて喜んでいる。民主党に投票した有権者は、それらをみても恥ずかしいとは思わない。どこまでいっても他人事、そもそもが私利私欲を原動にした投票行為だったからである。


2009年8月30日、日本では壊滅的な事実が判明した。日本の公共心が死んだ日、と記憶すべき重大な記念日になった。安易な「一度ヤラセテみよう」では済まぬ、危機的な現状が露出した日でもあった。東北の震災は皮肉にも、それを強引に引き戻す効果となる。

日本人とは、例えば「マイカーが欲しい」という私欲と「子供が安心して通える学校」などという公欲を峻別、且つ、その優先順位を誤らない民族だった。「子供が安心して通える学校」もないのに「マイカー」などあっても仕方がない、というマトモな公共心を強く持つ民族だ。世界が何度も驚愕した「震災における日本人の公的振舞い」の根拠もそこにある。つまり、日本人は遺伝的に「そうすべき」と「なぜそうすべきか」がセットになっている。秩序を護り、高齢者や子供、怪我人や病人を優先させる言動とは、とくに道徳的、道義的な意味合いだけではなく、自分を含めたその他大勢が安心して安全に過ごせる根拠と成り得ることを知っていた。誰に教えられるでもなく、自分にも子供の頃があるし、自分の子供もいるし、自分も怪我や病気もするし、高齢者にだってなる、と知っているからだ。相身互いと御蔭様、困った時はお互い様、情けは人のためにならず、である。

あの悪夢の政権交代の日、日本人はこれを決定的に見失った。目先のガソリン税廃止や子供手当、高速道路無料や高校無償化などのサービス合戦、安売り合戦に目が眩んだ。「公共」は悪者とされた。公共事業と聞けば、イコールで無駄遣いという刷り込みもされた。時流に乗って前原は八ッ場ダムをいらないと言い、レンホウはスーパー堤防もいらないと言った。「コンクリートから人へ」とは、すなわち、そのまま「公から私へお金を使います」という意味となる。無駄な公共事業を止めて、その分、国民の皆様に還元します、そうなれば国民の皆様、こんなに生活が楽になります、こんなにお金があなたに入ります、ということだった。ひと昔前の日本人ならコレは断る。それより子供のために良い学校を、孫のためにちゃんとしたコミュニティを、もっと優れた病院を警察を消防を自衛隊を、となる。

日本人は、それを先の震災で決定的に気付かされた、はずだった。元からあった「絆」とか「助け合い」を言われ、それら「大和民族の最強兵器」を思い出した、はずだった。しかし、未だに「瓦礫受け入れ反対」の連中を跋扈させている。1年も経過するのに、未だ30万人以上が避難生活を強いられている。3月11日に「忘れない」と黙祷するのも結構だが、忘れるも思い出すもない。まだまだ、ちゃんと「そこにある」現実だ。




いま、オーロラは北海道でも10年に1度観られる、とかでツアーもある。幻想的で美しいオーロラは人気者だが、コレは太古の日本でも観られていて「赤気(せっき)」と呼ばれて「日本書紀」にも登場する。いまと違うのは、これが恐れられていたことだ。藤原定家の残した日記「明月記」(国宝)にもある。


<北の空から赤気が迫って来た。その中に、白い箇所が五カ所ほどあり、筋も見られる。恐ろしい光景なり>


北から迫る赤い気。5つの白いもの。そしてその「スジ」・・・・大昔の大和民族のぞっとする洞察力だが、いま、民主党に投票するような「目先しか見えぬ日本人」にはわかるはずもない。

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