約2か月に一度、ペット専門の散髪屋に持って行く。私などは布施の商店街にある散髪屋で1500円で済むのだが、犬どもはそうはいかない。その代わり、リボンも付けてもらってフワフワの毛玉みたいになって帰ってくる。爪なんかも切ってもらって、尻尾の先もお洒落になっている。贅沢なもんだが、それも人間のため、それなりに我慢していることもあろうと納得することにしている。
あとはやっぱり、散歩だ。シーズー犬は長く歩いたりすると疲れるようだ。虹の会長の弟であったチャッピーのような大きな犬に比べれば距離はたいしたことない。りーちゃんなどは、途中で疲れて心が折れ、ずっと抱っこせねばならない日もある。冬場なども、あまりの寒さに驚いて、妻のジャンパーの中から顔だけ出して歩く(正確には妻が歩くだけ)ことも珍しくない。ちなみに、むーちゃんは関係ない。目で見てわかる「●マーキング」を繰り返しながら、百獣の王のつもりで歩いている。
もちろん、老犬になっても外の景色はみたいだろうから、シーズー用の乳母車にでも乗せて行くことになろうと思う。朝行ったり夜行ったりとバラバラだが、メシと散歩が「最強の楽しみ」であろう犬だから、これも雨降り以外はなるべく連れて行くことになる。
昨日はりーちゃんと喧嘩になった。私が買ってきたハンバーガーを食べたからだ。テーブルの上に置いて、シャワーをしている数分間でやられた。置いてあったのはフィッシュバーガーとソーセージマフィンとソーセージエッグマフィンであったが、りーちゃんはなんのためらいもなく、タマゴとソーセージの入ったソーセージエッグマフィンの包装紙を人間が開けたように偽装していた。喰い散らかすのではなく、そこに包装紙だけがぱさっと残されているのである。私はすぐ、まだ寝ている妻と倅に確認した。もちろん、ふたりとも「なに?はんばーぐ?むにゃむにゃ」という状態であるから、私はすぐに「りーちゃん?」と言うも、しれっとした顔で妻の布団に潜り込むのである。また、妻の証言によると、りーちゃんは人間の喰い物を喰った後、自分の餌皿の前で、普段は絶対に嫌がって喰わない「犬の餌を喰うふり」すらするという。「え?なにかあったの?わたし、これ食べてたんだけど?」という表情をして、何気にむーちゃんをみるとのことである。アリバイ工作もすれば罪をなすりつけることもするのである。もうすぐ尻尾が9本に増えて人語を解し、中空に浮かび上がって「人間どもよ、我にひれ伏すがいい」とかなっても私は驚かない。
ま、いずれにしても玩具犬、手間ひまはかかる。一応、犬らしいこととして「番犬」的な動きをしたり、見回りもしてくれるのだが、まあ、こんなもんだろう。あ、でも、怖いビデオを見たあととか、夜中、何か不穏な感じがして怖くなることがあるが(ない?)、その時には「お化けセンサー」として役立つことがある。やはり、そこは動物だから「何か」あれば反応はするわけだ。だから2匹とも呑気にしていたら怖くなかったりする。が、しかし、逆もあって2匹で部屋の隅をじっと見られたりすると、なにもなくとも怖くなったりもする。アレはマジ、止めて欲しい(笑)。蚊が飛んでるだけなら、そう言って欲しい。
人間でも犬でも猫でも、生きていれば手間がかかる。それはメシ喰ったり風呂に入ったりだけでもなく、例えば3日ほど散歩に連れて行かなかったりすれば、犬はイライラしたりもするだろう。元気がなくなったり、愛想がなくなったり、そのうち体調にまで影響して病気になったりもする。そして、これは人間も同じだ。
人間は喰えていても、寝れていても文句を言う。文句が無ければ、それこそ「探してでも」不満を見つけて文句を言いたい生き物なのかもしれない。「現代人のストレスは少なくない」とかテレビでやると、確かにそう言われればそうかもしれないと思う。なんというか「やらされている感」もそうだし、「仕方がない感」も巷を覆う。若き新入社員が「金さえあったら働くわけがないじゃないすか、なにいってんすか、あっはっはw」と胸を張る姿に、戦後日本の骨抜き教育の堂々たる成果を見た気がして、もはや、ヘロヘロ、どうぞ勝手に死ぬなり親をタカリ殺すなりしてください、と投げ出してしまいたい衝動にかられたあの日の僕・・・と言う今日この頃、そんなりーちゃんには今日、ペットショップで「ワッフル」を買ってきました。おいしかったです(喰うなよ)。
人の心には「なまけ草」という草が生えるんだよ、と耳が腐るほど聞いた人も多かろう。放っておくともう、なまけ草がぼうぼうに生えて手がつけられなくなる。だから、少ないなまけ草のうちにさっと抜いてしまうのがよいと教えてもらったりした。私はもちろん、今ではもう「なまけ草」のジャングルがぐるぐるである。もう、何か住んでいる。
その代わり、私はちょくちょく「英霊の言の葉」を読ませてもらう。「なまけ草」ぼうぼうで部屋が汚れていたり、書棚が散乱しても片付ければよいことだが、その根本的な部分、なんというか澱んで腐敗するかの如き、人間の醜悪な部分も「なまけ草」と同じく、なにもせずに放逐しておくとダメになってくる。「手入れ」が必要なのだ。
普段、調子のよいときは周囲に感謝も忘れていない。自分に余裕のあるときは他者のことも目に入る。しかし、いつも仲良く過ごしている家族であるが、ときにはウザったく感じてしまったり、相手の善意からなる「心配」に対して素直になれず、気を許しあえることを「気を許すだけの存在」だと誤認する。1年365日、100年で36500日、たまには調子の悪いこともある。ンだよ、ったく、ふざけるなよ、と己の中の己が肥大し始める。
「オレがなんでこんな目に」
「自分は損な役回りばかり」
「私にばかり冷たくする!」
そんなときの特効薬。「英霊の言の葉」である。靖国神社で大人買い。
私はおかげさまで「家族仲良いですね」とか「奥さんと仲睦まじいですな」と言われることがある。私もそう思う。冗談半分で「何か秘訣でも?」とか「やっぱ我慢してるでしょ?」と言われることもある。私はそう思わない。例えば、これだ。
海軍大尉 古河敬生 命
昭和20年4月21日 鹿児島県出水沖にて戦死 25歳
この頃少し心に余裕ができるとお前の事、生まれ来る子供の事が気になつてならない。どうか体にだけはくれぐれも気をつけてくれ。最初九州の某基地に来た時、予定が急変して全員特攻隊を命ぜられ、今日か明日かと、出撃の日を待つてゐたが、毎日お前がゼリーを作ってくれた時の手紙を出して読んだり、お前の写真と、悦ちゃん(妹)の写真を出しては眺め、最初にして最後の死の出撃を待ってゐた。然し、自分で驚く程、俺の心は澄み渡り、もう一人の俺がその澄み切った心の俺をしみじみと眺め直す感じだった。
さうする内、幸か不幸か命令と所属が変わり任務も変わつた。沖縄へは二度出撃した。初陣も事なく済み、自慢する程の手柄も立てないまま現在に及んでゐる。この前やつてきた萩原にも、お前の事を聞いた。然し驚いてはいけない、萩原も来た翌る日の出陣に散つて終わつた。人の命の儚さは、今更ながら唖然とするものがあるが、この頃は大分神経も太くなつてきた。お前も心を“太く”持つて、待つていてくれ、必ず帰る。お前が子供を安産する迄はさう簡単には死なないつもりだ。
この手紙は「死ぬと決まった手紙」ではない。この手紙が書かれたのは昭和20年4月20日、出水港基地内である。すなわち、出撃する前日、もうすぐ子が生まれる妻に向けられた手紙である。英霊への不敬を覚悟で書くが、25歳の若者が産まれ来る子の顔も見ず散華した。我が子を産んだ妻に「御苦労様」を言えなかったのである。「待っていてくれ」「必ず帰る」と手紙に書いた翌日、出撃して帰れなくなった。帰れなかったのである。
今のこのクソ平和な日本に生きて、いったい、どんな不満があると言うのか。何の問題があり、どのような悩みがあると言うのか。不細工であろうが太っていようが妻が元気で子を産んでくれて、産まれた子は勉強も出来ず、器量もないとして、だから、それがどうしたというのか。私はこの手紙が好きで何度も読んだ。そのたびに心から幸せを感じる。この英霊にも祈るような感謝の念が沸き上がる。申し訳ない、と心の底から謙虚になれる。
せめて、せめて「ちゃんと」生きようと思う。この25歳の英邁たる海軍大尉には逆立ちしても1ミリたりとて近寄れないが、こんなカスみたいな、クソみたいな、バカで脳なしでどうしようもない私でも「ちゃんと」生きることはできる。だから、せめて、それをする。
カチンときたら、トイレにこもって1ページ、何処でも開いたところを読めばいい。
こんな世の中でも「ちゃんと」生きていくなら、それなりに心は澱むことがある。そんなときのために「ちゃんと」英霊は言葉を残してくれている。こんな我々でも元気で前を向いて生きていけるように。「ちゃんと」日本を愛して日本を繋げて生きていけるように。
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久代千代太郎
Sugar
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