忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2008.12.27 [3]

2008年12月27日 | 過去記事
イヴの日の夜。多くの家庭で家族団欒、クリスマスパーティが続いている時間。テレビ朝日では「派遣を切られたブラジル人」を延々と流す。橋の下で暮らし「私の家はこの箱です。」と言わせ、「子供に、家族に会いたい」と大泣きさせる。TBSは「あの戦争は何だったのか」という特番を組む。▼せっかくの団欒に水を差すなどとは言わない。プレゼントにケチを付ける子供に「ほら、もっとかわいそうな人もいるだろ?」という安っぽい説教の具にはなろう。▼日本人嫌いが高じて「幸せな雰囲気をぶち壊してやる」という動機もあたらない。クリスマスごとき「幸せではなく日常」になった日本では今更だ。▼私が感じたのはひとつ。「家族がそろってテレビを見ているだろう」だ。単純だ。▼そこに「伝えたいこと」を持ってくる。それは決して「クリスマスソング」の特集を組んだり、その日くらいは「お笑い芸人」を総動員して番組を作ったりはしない。そんな目的はとっくにない。▼ケーキと御馳走を囲み、クラッカーの音と笑い声が響く中、政権批判や自虐史観を垂れ流そうと必死なのはわかるが、普通、そういう家は食事の際、残念ながらテレビはOFFだ。テレビ屋はそんなことも知らない。▼クリスマスくらいは反日を止めて家に帰ったらいいのにと思う。イデオロギーは横においてクリスマスツリーを飾れば、少しはマトモになれる。

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