昨日はコソーリと会長と二人で「ぼうねんかい(はぁと)」を開催しました。
いやー楽しかった。最後の〆に「焼肉屋さんの牛丼」を喰えるうちは死なないでしょう。あんなに飲んで、〆に牛丼。しかも、焼肉屋。めたぼってなに?
いやぁ、皆様、今年もお世話になりました。この場を借りて、御礼の言葉を述べさせてもらいます。ありがとん。また、こんなわけのわからんブログを読んでくれた人、「さるさる日記」から追っかけて読んでくれた人、どうも、ありがとん。
※画像は長州力です。
この「足」をみただけで、サソリを決められているのはアントニオ猪木、場所は静岡、などという情報が頭を巡る私はいったい・・・
まあ、そんなことはどうでもいい。
ともかく、大晦日なのである。
そして、
これが「回転海老名固め」である。安生も大変だ。生きていくことは辛いことだ。
産経もこんなん連続写真で撮るな。
そして、だ。
年末で賑わう六本木ヒルズでも「プロレス的」な事件があったそうな。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081231/crm0812310022000-n1.htm
<六本木ヒルズ近くに刃物男「派遣切り」と叫び振り回す>
私が知っているのは、
「メタル斬り」と「ドラゴン斬り」くらいか。
それにしても、なんて「マスコミ想い」の犯人なんだ。
マスコミは「その動機」を渇望していたのだ。よくぞ我が身を犠牲にしての、年末年始のワイドショーネタ提供!!見届けたぞ!!
そして、なぜだか思い出されたのは、1973年11月!新宿伊勢丹前において!
アントニオ猪木と倍賞美津子夫妻(当時)を、白昼堂々と襲ったタイガー・ジット・シンである!!警察も介入、マスコミは報道しまくりだったという!
新日本プロレス、連日、満員御礼。シン様様。
ん?
なんで、こんな話を思い出したんだろー?
まあ、ともかく、
この「派遣ギレ」よ。
あのタイガー・ジット・シンはなー(※ジェットではない。ジットね。)
シンガポール人なのに「インドの狂虎」と呼ばれたシンはなー
「100ドル稼いだら10ドルだけ使う。50ドルだったら5ドルだけ使う。それがビジネスの始まりなんだ。」
と述べている。
シンは倹約家であった。日本でブレイクしていた時代、「1週間で百万円稼ぐ」といわれたシンは五千円使うのが関の山だったという。ケチではない。パレスチナ周辺では、自分自身がブック(プロレスのマッチメーカー。現場を取り仕切る人。)となり、チャリティプロレスなどの興行も手掛ける。名士なのだ。
この「六本木お騒がせ包丁男」よ。
そのように派遣もされていない場所で人騒がせをしないで、文句があるならサーベル咥えて派遣会社に乱入せんかい。
実に不思議で仕方がない。なぜ「派遣先の企業」に文句を言ったり、関係のない人に包丁振り回すことになるのか。派遣されてるのか。バカなのか。
まあ、でも、
バカに自覚症状はないからな。(というか、賢いと思ってる。)言っても詮無い。
っと、
工作員1号からメールが・・・
ん?
そういえば、
「課題」を出しておいたんだった。首尾はどうか。
どうも「伸び悩み」というか、「使えない」というか、ちゃらちゃらしてるというか、気に入らんから「ちゃんとしないなら死ね」と伝えておいた。
「いまいち、仕事がぱっとしない」
「くだらないミスがなくならない」
「真面目だが、視野が狭い」
「努力家だが、継続しない」
そう。1号には赤信号が点滅。正月はどこかの段ボールで過ごさねばならないかもしれん。世の中甘くない。私も甘いものは嫌いだ。チョコとか。
さて、1号よ。
「一廉(ひとかど)の男になりたい。」
もしくは、
「派遣ギレ」
さあ、ドッチ!!!
メールには写真が添付されていた。
これだ。↓
なんかの本で読んだ。
「親の足を洗う研修」
「もう、なんやねん!おまえは!!」
と、急に帰ってきて「足を洗わせろ」という息子に戸惑う1号パパ。
「ともかく足を出せ!」と脅迫する1号。
私から、
「一緒に風呂に入るんじゃない。洗面器に湯をためて手で洗うこと。やらなきゃ明日から会社に来るな。ぼけが。段ボールは裏から持ってけ。」
と厳命されている1号必死で懇願する。「足を出せ」と(笑)。
すると、あら不思議。
照れ笑い、怒鳴り声・・・
沈黙・・・・・沈黙・・・
泣き崩れwwwwwwwwwwwww
ボロボロギスギスカピカピになった「親の足」。
どれほどの苦労をそこから感じるのか。
どれほどの苦難を踏み越えてきたのか、その「足」で。
誰のために・・?
何のために・・?
言葉はいらない。
何も要らない。
ただ――――――――――――――――
想うだけで、
気づくだけで、
「感謝」は伝わる。
1号は「ありがとうございました!」と言いにきた。だが、違う。
謝辞を述べるのはこちらだ。
部下が「一皮むけてくれた」のだ。礼を言うのは私のはずだ。
彼は「感謝」を思い出したのだろう。目つきが違う。明るさが違う。
2008年、「私の一番うれしかったこと」はコレだ。
これで1号も派遣ギレで包丁振り回すこともなかろう。
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