忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

だいげきどー!!!

2009年11月29日 | 過去記事
昨年12月、韓国でカン・ホスンという38歳の男が、21歳の女子大生を連れ去り、性的暴行を加えた後、指先を切り落として殺して埋めた。捕まえてみると、このカンは他にも6人の女性を同様の手口で殺していたとわかった。

韓国は事実上の「死刑廃止国」となっている。1997年の金泳三政権下において23名の死刑囚に刑が執行されて以来、金大中、盧武鉉と、死刑はあれども執行されない状態が続く。

しかし、このカンの猟奇的殺人には韓国民は怒った。韓国はそれまで「犯人の人権を尊重せよ」というオムライスみたいなことを言いながら「犯人の写真や実名報道」をしなかった国だが、保守系の中央日報と朝鮮日報がこのカンの顔を載せ実名で報道した。両紙は「人倫にもとる凶悪犯罪の上、本人も犯行を自白しており、顔写真の公開を求める世論も高まっている」とコメントを出した。続いて「韓国の良心的勢力」以外の各紙、テレビも報道した。ネットでも9割が賛同する書き込みがあったらしい。ま、そりゃそうだ。

そして恥ずかしい話だが、日本はここにきて大きく逆行する。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091125-OYT1T00641.htm
<奈良の集団強姦致傷事件、裁判員20人忌避>

記事を読んだが、これ、ちょっと考えられない。これでは裁判員の意味がない。

問題は忌避の理由だ。

<この弁護人は、4被告の弁護側が、被告に不利な判断をする可能性のある候補者ら計15~16人を避けたとし、具体例として「別の性犯罪被害者の親族」「若者の性犯罪への視線が厳しいと思われる高齢男性」などを挙げた。また、検察側の忌避は4人程度と話した。>

要するに、だ。

奈良県で鬼畜のごとき4人組が20代の女性を車に連れ込んでレイプしようとして怪我をさせた。ンで、捕まって裁判になるのだが、その裁判員が「性犯罪に厳しい人」だったから外されたというわけだ。私も書いていて意味がわからない。

つまり、泥棒が捕まるとする。ンで、私が「泥棒の被害に遭ったことがある」とか「人様のモノやカネを盗むなんて言語道断。許すまじ」と言えば裁判員から外されるわけだ。この弁護士に選んでもらえる裁判員とは、

「ま、泥棒って悪いことだけれども、なぜそうなったのか。盗むには盗むだけの理由があったと思うんですよね。人間、産まれたときはみんな天使なんだし」

という気味の悪い阿呆だけということになる。私などは「泥棒への視線が厳しいと思われるメタボ」などと言われて外されるわけだ。

つまりは「必要以上に」と言いたいのだろう。罪の量刑を計る際、とくに「憎悪」の感情に左右されてはならんという理屈なんだろうと思う。しかし、だ。

だからこそ司法の場はプロに委ねられていたわけだ。素人はどうしても感情優先、とくに「同じような被害にあった経緯のある人」などは、問答無用で「死刑!」と言うかもしれない。だが、それを「国民感情」を取り入れて、司法の場を「国民目線」で見る必要があるから裁判員制度などという金のかかる制度を作ったのではないのか。

冷静に客観的に・・というならば、それらの事件を取り扱うことの多いプロに任せておけばよかったのだ。まさに本末転倒のナンセンスが行われている。仕分け人は何をしとる。

男4人で女攫ってレイプしようなんぞ考える連中、社会が憎まんでどうするのか。それに、絶望を味わった被害者に代わって国が報復してくれるから「私刑」が行われないというのは、暗黙の了解ながらも純然たる事実だ。いくら綺麗事を並べようともそれが真理であり、それしか「人が人を裁く」方途はあり得ない。「反省して更生させる」というのは建前であり、本音からいえば、そいつらに死ぬほどの後悔をさせてナンボだ。

それでも、被害者の人権ではなく「犯罪者の人権」を言うならもう、「殺人はひとりに付き罰金1万円」とすればいい。裁判員が泣こうが喚こうが、殺人の最高刑は罰金1万円だ。弁護士が負けても「ごめんね♪」で済む話だ。

ならば、人間の倫理観は鍛えられるかもしれん。「殺しても1万円で済む」という事実にこそ、そこに「命の価値」を熟考する隙間があろう。また、人間の社会的秩序は鍛えられるかもしれない。「1万円で殺される」という事実にこそ、自らの手で秩序を守るという必要性が生じるからだ。何年間は「無法地帯」よろしく、ひゃっはー♪という時代が続くだろうが、生き残った人間は地獄から学ぶだろう。


当たり前すぎる話だが、量刑は重いほうが秩序を保てる。これは常識だろう。「やったら叱られる」と「やったら殴られる」は雲泥の差。それでも「やる」ならば、そこには正当な理由と覚悟が存ずるはずだ。つまり、「カッとなってやった」とか「ムラムラしてやった」とか「誰でもよかった」は激減する。これが社会の安定でなくてなんだというのか。

アニメの「タイムボカンシリーズ」で「ヤットデタマン」という信じられない安易なネーミングのヒーローがいた。例の悪役3人組は、ヤットデタマンが呼び出した「大巨人」という情にもろい巨大ロボットにやられそうになる。すると、いつも、毎回、反省したふりをして涙ながらに詫びるシーンがお約束だ。大巨人は、孔子の言葉である「罪を憎んで人を憎まず」を残し「達者で暮らせよ」と“遠山の金さん”のような言葉をかけて立ち去る。

しかし、悪役3人組は安心して本音を漏らす。「今度はうまくやってやる」とか「阿呆な大巨人ww」などと嘲笑する。そこに「地獄耳」が自慢の大巨人が再び現れ、怒りと共に渾身の「ダイゲキド―」を喰らわせるのだ。それも毎回だ(笑)。

悪人は簡単に反省しないと子供でも知っている。

この弁護人はヤットデタマンのDVDボックスを買ったほうが良い。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。