忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

国家レベルのモンスターペアレンツがいる

2009年11月27日 | 過去記事
宇宙が生まれてから137億年。

地球が生まれてから46億年。

ママからお小遣い十数億円。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091126/crm0911260146004-n1.htm
<実母から首相に十数億円 実母の参考人聴取も検討>

平成14年から毎月1500万円。年収1千万を超えて「勝ち組だぁ!!」と叫ぶサラリーマンなど、ドラクエのスライムみたいなもんだ。個人献金ならMAX150万円オーバー、贈与ならば脱税、秘書は貸付だと言っているも、当の本人は「知らない。驚いている。信じている」とほざく。毎月1500万円借りて知らなかったとは、どれほど恵まれた家庭のアレなのか。日本国民も舐められたもんだ。これが麻生さんなら・・・とマスコミは忸怩たる思いで見ていることだろう。しばらくはネタに困らない。思いっきり叩いて叩いて、そらもう、支持率がマイナスになるまでテレビで流す。年末に特番を組むかもしれない。

ともかく、この友愛総理、“信じるとか信じない”はどうでもいいと気づけ。オバマ大統領との首脳会談のあとでも「信じてくれと言った。大統領は信じてくれると言った」などと抜かしているが、国際外交において「信じる信じない」で話を進められたら困る。あとで「信じていたのに!」と泣き喚く阿呆な女じゃないんだから、こんなマザコンのボンボンは一刻も早く何とかなってくれと言いたい。

まあ、しかし、鳩山のオカンと違って、だ。我がオカンときたら9億円くれるどころか、17歳から独り暮らし、中学生のころから朝刊配達で家計を支えたかわいい息子に、未だに小遣いを強請る始末。妻のオカンはお年玉を贈ってくれるが、我がオカンは「お母さんにお年玉は?ああぁ?」と脅す始末。二言目には「オカンはほったらかしかい?」とスネに入り、たまに電話すると「はい?オレオレ詐欺さんですかぁ?」と、どっかでみたCMの真似をする。私は「オレ」など言ってないというのにである。かあさん、もうww

しかし、念のため、どんな場合においてもオカンに「金を振り込んでくれ」と電話があれば、それらはすべて詐欺だと思えと教えてある。17まで産んで育ててくれたのだから、もうこれ以上、世話をすることはあっても世話になることはないと言ってある。でなければ、オカンのことだ、私がどこかでなんかやらかしたと聞けば、借りてでも振り込んでしまう恐れはある。そして、それを埋め合わせるのはどうせ私なのだ。嗚呼ぁ、もういやだ(笑)。

ところで、この振り込め詐欺。こんな阿呆みたいな詐欺が通用するのはどうせ日本だけだろうと思っていたら、どうやら、やはり、そうらしい(笑)。なんかで「外国でも振り込め詐欺に気をつけましょう」とあったから、お?とうとう外国でもこんな阿呆な詐欺が出始めたのかと喜んでいたら「外国に旅行している日本人」をターゲットにして振り込めとやるのだとか。ま、しかし、

「あんたの息子、麻薬か売春でだったかな?アメリカで捕まって大変だよ。釈放するには早急に日本円で200万円必要だ。ま、一応、知らせたからね。3日もすれば向こうの刑務所だ。向こうは厳しいからね。懲役100年とかザラだよ。日本人は嫌われてるしね」

などとやれば、日本の普通の親御さんは、・・・!!あわわ・・・となるのではないか。

親ならば先ず、当たり前に「心配する」わけだ。また、私も人のことは言えんが、忙しさにかまけて実家には寄りついていないという人も多かろう。つまり、親は、大人になった自分の子供が今、どういう状況にあるのか把握していなかったりする。騙す側は、そこに期限を設けたり、どっちでもいいという態度をとったりして、この話が本当かどうか「考える余地」を奪うわけだ。実に悪質といえるが、ともかく、目先の金と血を分けた子供。追い込まれた思考で選ぶのは決まっている。だから、毎年、何億円もヤラれるのだ。

例えば、アメリカなんかだと、親に金があればフロリダ辺りにでかい家買って、老後は悠々自適に暮らすというのがある。私は白人が嫌いだが、こういう、なかなかにイイところもある。子供に何か買い与える際も、単純にプレゼントしたりしないという。すなわち「働かせる」わけだ。実に合理的ではある。1ヶ月間、家の草むしりをやれとかな。

その「契約」を守った場合、子供は自転車とかゲームを買ってもらえる。これがアメリカの常識のようだ。私にはこちらのほうがしっくりくる。

また、映画なんかでも、小さな子供が一人部屋で寝かされるシーンをよくみる。夜、遅くなれば、子供は親から「寝なさい」と言われ自室のベッドに行く。親はリビングでいちゃつきながらブランデーを飲んだりする。これも我が家と似ている。

これはおそらく「子供の自主性」を育むには効果はある。どうも日本の子供は父親から母親を奪う傾向があるではないか。また、未だに「それが良し」とされている感も否めない。これはたしか「エディプスコンプレックス」とかいうはずだ。つまり、小さな男の子が母親を独占しようとする際、そこには強大な父親という存在が邪魔になる。邪魔にはなるが、とても敵わない。敵わないから強くなろうとする。強くなろうとするから成長する。自我が芽生え、精神的に独立し始めるというアレだ。

私はフロイトを知らなかったが、なんか、本能でそうだと思っていた。それは私に父親がいなかったからかもしれない。母親も祖母も独占し放題、家族で唯一の男の子が私だっから、それはもう過保護過ぎてもう、あんた、“王子様扱い”であったからな。そして、こんな大人になった(笑)。正直スマン。

また、赤子のうちならば夫婦で育てていればいいし、母親の手が取られることも致し方ないが、ある程度、もう大きくなったら母から妻へと戻ってもらわねば困る。だから私は小学生にもなって「ママぁママぁ~~」と抜かす餓鬼(男の子ね)は嫌いだ。だから、我が倅はちょっとかわいそうだったかもしれないが、結果的にエディプスコンプレックスを克服できたのではないかと思っている。そのお陰かどうか知らんが、今、倅は17歳になっても母親と一緒に行動することを厭わない。ちゃんと「長男」として「母親を守る」という行動がみられる。というか、非常に仲が良いから助かる。

子供はいつまでも子供ではないから、いずれは独立、自立させねばならない。犬や猫なら大きくなっても甘やかして遊んでいればいいが、人間の子供は社会に出て、いずれは我々のように大人になって家庭を持たねばならない。己の力だけで喰って生きねばならない。

だから、やはり「突き放す」ときは重要だと思う。無論、親だって辛い。心配だ。しかし、このまま自立できなくて、一生、誰かを頼って生きていかねばならないならば、それはもっと心配だ。当たり前の話だが、寂しいながらも「早く独り立ち」させねばならんと思う。

これは、ある意味、親も子も同じなのだ。あくまでも福島瑞穂などと同じ意味ではないと断っておくが、親も「子供のいない生活」に慣れねばならん。親は「その後の親の人生」を組み立てねばならん。親として家族としてフォローすべきところと、してはならないところはあるのだ。

いつも我が家の話で恐縮だが、例えば、私は今でも娘は抱っこする。甘えてきたら抱っこして遊ぶ。娘は若いとはいえ、もう子供もいるし、立派な母親でもある。しかし、私からすれば、いつまでたっても可愛い娘に違いない。これは、娘がばあさんになっても同じだと思う。ヨボヨボの私は50や60になった娘の頭を、今と変わらず撫でるだろう。しかし、倅は別だ。小学生のころから殴ったことはあるが、抱き上げたりしたことはない。無論、倅が可愛くないわけではない(笑)。ちゃんと「幼児」のころは抱っこして「ひらぱー」などに行った。肩車もした。風呂にも一緒に入ったりもした。

これは、私なりの「男の子と女の子の育て方の違い」だ。存外、このやり方でどちらもしっかりする(今のところ、ね)。ちなみに、娘は結婚してから「金の無心」をしてきたことがない。当たり前のようだが、ある程度の覚悟もしていたし、実は用意もしていた。娘が結婚すると言い出したのは、私が独り暮らしを始めた年齢、17であったからだ。

妻と二人で何年かぶりに居酒屋に行って、人目も憚らずおいおい泣いたことを思い出す。寂しいやら心配やら、悔しいとか情けないとか、あのトカゲ踏みつぶしてやろうかとか、事実、トカゲの一家と会った際、私は裁判も辞さず、ただでは済まさないと迫った。

娘は未成年だ。それを妊娠までさせている。法律を調べ、罪名を述べて、どうするんだ?とやった。私は本気で相手の家族に「一生かかっても償わせる」と断言した。「どんな手段を使っても償わせる」と睨みつけた。トカゲの母親は涙を流して震え上がった。なぜだかついてきたトカゲの兄弟も下を向いたまま、身動きもしなかった。ファミレスの店員がずっとこちらを見ていることも知っていた。交通事故かなんかで「ややこしい相手が出てきた」みたいになっていたのだろう。私は明らかに「加害者」だと思われているようだった。ホントは被害者なのにである。謝罪と賠償を求めている最中だったのにである。

そして、トカゲがその席でいきなり立ち上がり「必ず、必ず、幸せにします!」と言い腐った。言い腐りやがったのである。そこで私が、

「ああぁ?おまえには聞いてないんや。わしゃな、こっちゃのオカンから銭の話を聞きたいんや。爬虫類は黙っとかんと剥製にして、わしゃの事務所に飾ったろかいっっ!」

と言えるわけがない。そんなん、ホンマもんじゃないか。

仕方がないから、私は条件を二つだした。

「クリスマスと娘の誕生日には早く帰ってプレゼントをすること」

これを「死んでも守る」と約束したトカゲに、私は思わず頭を下げていた。

「不束な娘ですが、どうか、どうか、よろしくお願いします」

トカゲの母親はもっと泣いた。

複雑な心境だ。実は今でも「許して」はいない(笑)。ただ、もう、持ってかれたら弱い。主導権は向こうにあるし、なにより、娘には幸せになってほしい。私も人並みの親として、子供らを自立させ、独立させる義務がある。なんとかそれを果たしたいと思う。

「情」と「甘さ」の境界線はある。

親は子供が「甘えている」と感じるとき「突き放す強さ」を持たねばならない。フォローしてよいこと、カバーせねばならないこと、ヘルプで駆け付けねばならんこと、これらを峻別しながら「見守る」という行いを続けねばならない。

これを間違えると、ネグレクトになったりモンスターになったりする。もっとも、この国の総理大臣は60を過ぎても自我がないのだろう。我々が持っていないものをたくさん持っているように見えるが、その実、誰でも持ってなければならぬものを持っていない。ブリヂストンの長女も、今は巨大なモンスターペアレンツとなっているのだろう。

アメリカや支那が仕掛けるのは「オレオレ詐欺」のレベルにないというのに。

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