忘憂之物

クレオパトラの子供の日


    



「職場の飲み会(多い・笑)」だが、私も毎度付き合うほどヒマではないから、参加頻度は3回に1回程度となる。先日、誘われたのは数えて3回目だったから、コレは本当なら参加することになるのだが、当日の朝、なんとなく面倒臭くなって嘘の理由を述べて断った。

9割が女性職員。飲み会に行けば男性が私だけ、というのも珍しくない。それに女性特有の面倒見の良さがある。会場の予約もお任せ、また、絶妙なコミュニケーション力を生かして「行き帰りの足」の段取りも計算に入る。甘え上手を自認する私の場合は「車で来ないこと」だけを告げられる。あとは任せておきなさい、ということだ。

その日が休み、あるいは夕方早々に帰宅した女性職員の誰かが車を出す。仕事を終えた私は、年上の女性職員さんに「着替え持ってきた?」と確認もされ、職場の大浴場で優雅に風呂に入る。勤めて1年と少し。既に好き勝手しているわけだが(笑)、それは私が「風呂上がりでないと酒が美味くない」とか言うからだ。

そういう日は仕事も順調。飲み会開始の時間が迫るから、何人かの女性職員が「あれはいいの?」「これはやっとく?」と手伝いもし始める。コレとアレはやっておくから、あんたは早く風呂に入って準備OKにしなさい、という至れり尽くせりだ。風呂からあがってベランダでマルボロを吸っていると、職場に迎えの車が来る。私はその「お姉さん」の誰かが運転する車に揺られていればよい。

その日もそういう段取りだった。しかし、私が急に行かない、と言い出す。あらら残念、仕方ないね、それじゃ、また今度ね、ということだが、夕方、やっぱり車が来ていた。もちろん、私以外の職員を乗せていくわけだが、停まっている車をちらり覗くと、助手席には若い男性がいた。少し前、ここに書いた「クレオパトラ」の末っ子だった。18歳だ。

長男は35歳。これが茶髪でやんちゃで評判だということだった。この無職長男に新車を買い与えたがために、このクレオパトラは夜間、パチンコ屋の清掃のアルバイトを探していた。確乎たる信念に基づく「もらえるモノはもらう」も言った。そのときの飲み会、私は比喩ではなく、本当に頭を抱えたのだった。

助手席にいる末っ子だが、コレは一見すると我が倅の如く、思春期の終わりながら母親を飲み会に送り届ける孝行息子、と見ることも出来た。だから私は次の日、昨日の不参加を詫びるついでに言ってみた。親孝行な息子さんですね、立派なモノだと。無論、長男とは違って、という皮肉も浮かんだが頭から消した。知ったことではない。

喫煙所になっているベランダで、クレオパトラは「そうなんよ、可愛いでしょう」と遠くを見つめながら細い煙を吐いた。そのとき、クレオパトラの携帯が鳴った。末っ子からだった。クレオパトラは彼氏(還暦オヤジ・不倫)からの電話よりも嬉しそうに出た。「もう・・」「なんでぇ・・・」と甘えた声を出していた。席を外そうとした私だったが、クレオパトラは手で静止した。すぐに済むから、と言っているのだと判断した。

勝手に耳に入った言葉で「墨」とか「ナンボいるのん?」があった。そのころ、ベランダにはもうひとりの女性職員が来た。昨日、参加したメンバーだった。

電話を切ったクレオパトラは「もうぉ面倒見切れんわ」と笑った。何がどう面倒見切れないのか、申し訳ないが、私には全く興味がない。それにこれ以上、無関心を押し殺す社交辞令も疲れる。今日のノルマは達成したはずだ、と思い、私は思わぬ助け舟、ベランダに登場した女性職員に後を任せて立ち去ろうとしたが、ちょうどその末っ子の話題を私といま、していたばかりなのだと話だし、へぇ~そうなの~と、その助け船が私を引き止めた。それからなんだかんだと私に話しかけてくる。連続技だ。もはや場を外すタイミングもない。助け舟だと思ったら駆逐艦だった。

仕方がないから問うてみた。「墨」というのは?

長男を見習って無職の末っ子は全身に「和彫り」を入れているらしい。手首から背中まで全部だ。コレの費用が150万円。そのぜんぶをクレオパトラが出した。「ナンボいるのん?」はその日、通っている彫り師のところへ行くのに小遣いがない、ということだった。それを今から職場まで取りに来るという。クレオパトラは1万円札を3枚ほど用意した。

私がまた頭を抱えていると、話題は昨日の飲み会に流れた。思い出したように「なんで来なかったのか」ともやられた。もっとも嘘なのだが、理由は昨日言った。適当に相槌をうっていると、末っ子の話も出た。私はもう一度、親孝行な息子さんですな、と皮肉を言った。

昨日の夕方、母親であるクレオパトラを飲み会の店に送った末っ子は、そのまま大きなワゴン車を運転して家に帰ったのだという。もちろん、クレオパトラは飲酒運転など立ち小便程度にしか感じていないが、最近、2度も検問で止められたから怖い、という理由で末っ子に送らせ、そしてその末っ子に車を乗って帰らせた。クレオパトラが言う「怖い」の中身は、もちろん罰金だった。それに自分は飲んでいたほうが慎重に運転するのだ、とも言った。いまはもう懐かしい「社長マン」と同じ理屈だった。

そしてなんと、末っ子は無免許だった。私はもんどりうった。

最近、クレオパトラは何度か、運転免許費用として金を出している。しかし、そこは末っ子の「やんちゃ」なわけだ。それらをスロットで使ったり、何かしら遊び呆けて使ってしまうのだと恥ずかしそうに言う。それに「学校が嫌いで高校も行かなかった」として、教習所に通えない末っ子を擁護する。「(あの子は)退屈がアカンねん」と目を細める。

私は思わず、最近続いた事故の話もした。祇園や亀岡、とくに無免許の少年が起こした亀岡の事件とまったく同じではないですか、と言ってみた。すると、クレオパトラはなんと笑った。「そうやねん」と笑ったのだ。だから自分も言っているのだと。無免許運転は危ないよ、と言っていると。でも、それでも、つまり「無免許運転の危険を冒してまで」母親を送り届けてくれるのだと。夜遅くなるから帰りは迎えに来ないのだと。

駆逐艦の女性職員は何も言わないが無意味に笑っていた。彼女らは絶対に「その場」で批判的なことはやらない。あとでヤル。陰でヤル。それが掟だ。その掟に縛られない私は、普通、帰りに迎えに来てくれると助かりますよね、と言った。我が妻はそうしてくれるからだ。無論、無免許はどうしようもないが、本来、行きはどうにでもなる。電車もある。なんとでもなる。困るのは深夜、酔って電車も無くなった夜中である。しかし、それでもタクシーというモノがある。私の妻が迎えに来るのは、その帰りに「味噌ラーメンを喰う」からだ。

私はクレオパトラの笑顔の裏にある「悲鳴」を感じた。助けてくれと泣いていた。自分は馬鹿だけど、子供まで馬鹿になってしまった。どうしよう、もう、どうしていいのかわからない、と嘆き叫んでいた。別れた旦那は既に他界している、とも聞いた。いまの「彼氏」に相談するとか、そういうレベルにある問題ではないとも理解した。もう完全に、何かが毀れていた。修復不能、回復不能、ズタズタに引き裂かれたイキザマは、辛うじて演じる社会活動や、その場その場を切り抜けるだけの社交辞令的な仕事術などでようやく、いわば必死に紡ぎ合っていた。

しばらくすると、クレオパトラの携帯から派手な着信音がした。クレオパトラは日当の4倍以上の金を持って走った。駆逐艦は掟通り、クレオパトラが見えなくなってから、たいへんやなぁ~と呆れて見せた。私が同調すると、タトゥ全身って、一生とれへんやろ?と間の抜けた心配をした。私は「そこかい!」とツッコむしかなかった。

背中に龍を入れようがピカチュウを入れようが、それは本人の勝手だ。しかし、それなら自分でやれというだけだ。自分の金で自分の意志でやればいいだけだ。将来、どこかのサウナで「立派なモン、背負ってまんなぁ」と言われたとき、ええ、これはお母さんが入れてくれたんです、とでも言うつもりか。




<乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であると指摘され、また、それが虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与していることに鑑み、その予防・防止をはかる>



悪評高い大阪市の家庭教育支援条例(案)第4章15条だ。「浪速の剛腕」の腰巾着どもは「先天性」という言葉も理解できないが、この法案における「発達障害」の定義を改めるなら、京都府民である私が無責任に賛成してもいい。

頭も体もなんともない五体満足な「餓鬼」が、いつまでもいつまでも当たり前のように親の世話になり、親もそれを恥じず、それを案じず、畜生レベルの餓鬼を世間に放置し、あまつさえ無免許による普通乗用車の運転まで咎めぬ阿呆親と子を再教育せよ。どこから引っ張ったのか知らんが、150万円も捻出して18歳の無職小僧に和彫りを施し、無免許運転で母親の職場に乗りつけて「小遣いを出せ」と言わせるのも虐待である。貴様、いい年して何やってるんだ、と掴み掛らぬのもネグレクトである。

だからこのクレオパトラは心の裏で泣いている。どこに行っても「あんたが悪い」と言われるし、ある意味、それは本当のことでもあるし、どうこうする知恵も覚悟も備わらないから、脆弱に増長する馬鹿餓鬼に対して無力のまま、今日も明日も笑いながら号泣することで精神を殺す。「先天性」の病はその本人、家族に原因はないから市の教育支援条例は役に立たんが、明らかに「後天性」である馬鹿餓鬼の増長に対してなら用を供する可能性がある。基準は明瞭だ。社会に役立つ、などおこがましい。要すれば人様の迷惑になるか、ならないか、だ。




端午の節句。クレオパトラは菖蒲湯も柏餅も買わなくていいから、子供らの前で包丁振り回して「出ていけ!勝手に生きるなり死ぬなりしろ!」と泣き叫ぶべきだ。それが唯一、母親として残された正しい振る舞いだ。
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