忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

原始猿人バーゴンの教え

2010年07月14日 | 過去記事
テレビが一般家庭にまで普及し始めたのは1953年頃からだと言われる。映画「3丁目の夕日」がそうだったが、映像がそのまま届く魔法の箱の衝撃はすごかったんだろうと思う。当時の「テレビでやっていた」は信憑性があったと思われる。「百聞は一見にしかず」がそのまま、なわけだから、その説得力は凄まじかったはずだ。もちろん「テレビのニュースでやっていた」は疑う余地のない決定的な事実として扱われたのではないかと思う。

つまり、それから十数年しか経たないのに「テレビばかり見ていたら阿呆になる」と子供を叱った親がどれほど偉いのかもわかる。いくつもの「それホント?」「だってテレビでやってたもん」を潜り抜け、それはまさに大人になるためのイニシエーション(通過儀礼)として、テレビ・マスメディアの胡散臭い部分を見抜くことが必要だったのかもしれない。

しかし、そんな賢い大人が最後まで騙されたのは「NHKだけは違う」という妄想であった。「日本放送協会」とは「国営放送局」であり、だから大人は「NHKだけ」は子供が見ていてもためになると信じていた。全部、違っていた。

私が子供のころ、テレビで「水曜スペシャル・川口浩探検隊シリーズ」にハマった。もう、絶対に見ていた。ドキドキしてワクワクした。小学校1年生とか2年生の健康な男子が「人喰いワニ」に興味を示さぬわけがない。「恐怖の人喰いサメ」と言われて見ないわけにはいかない。私は中学生になっても見ていた。

健康な男子中学生が、いよいよ女体に興味を持つのと同じく「原始猿人バーゴン」にも興味を抱いて当然であろう。いや、それはたしかに「原始巨大怪魚ガーギラス」くらいには、もう、中学3年生で、そろそろ大人の階段を上らねばならなかったから、もしかすると、ホントはいないんじゃ・・・?という不安にかられたこともあった。

しかも、である。そんな私の不安を嘲笑うかの如く「加門達夫」の「行け行け川口浩」が大流行。私はなぜだか馬鹿にされているようで、赤面しながらその歌を聞いたものだ。今思えば、水曜スペシャルはテレビ朝日だった。あんな当時から騙されていたわけであるが、それはまあ、夢があってよろしい。面白かったしな。

また、学校でも「原人?ばーごん?いるわけないw」という頭の良い、ませた子供もいた。薬局の息子の南山幸一君とかだ。しかし、目をキラキラさせて「ばーごんはいる!」という愛らしい友達もいたはずだ。そんな夢のある友人に対して「どこにいるの?何喰ってるの?なんで政府は捕まえないの?」などという「大人の質問」を浴びせ倒し、その「いる」の根拠が「テレビでやってた」ならば「子供だなぁw」と馬鹿にされるという憂い目にも遭うこともしばしば、であったはずだ。


また、我が妻は41歳になるが、今でも「万引きGメン」を録画してまで見る。私が横から「これ、なんで、万引きしそう、で泳がせるの?警備がいるなら腕章付けて店の中歩けば、このお婆ちゃんも捕まらずに済むやん?」などと言えば烈火の如く怒りだす。また「犯罪列島24時」とかも大好きで、倅に録画予約させてまで見ている。「音声を変えてあります」という表示の中、なんやこら!おまえ!こら!というチンピラの映像の何が面白いのか、私にはさっぱりだが、妻はずっと「ハッピーターン」を喰いながら、最後まで見ているのである。映画なら寝るのに、である。

ま、これほど影響力のあるテレビ。悪用されないわけがない。だから、「ほぇ~これがテレビちゅうもんか?」の子供の世代はそれに気付いて、自分の子供世代には「テレビばっかり見るんじゃない」と躾けた。その次くらいはもう、「原人ばーごん」どころではなく、ウソかホントかわからない内容が流され続けていた。テレビでやらないことは「無かったこと」にされ、テレビがやったことは「無くてもあったこと」にされた。


2010年の参院選、テレビは極力、民主党を擁護するスタンスだった。しかしながら限界だった。それほどの無能だった。周知の通り、テレビでは「無かったことにされた」民主党議員の失態や暴言、あるいは疑問や疑惑というのは最小限であった。小沢、鳩山の政治とカネの問題でさえ、勝谷誠彦のような「小沢の犬が吠えるまま」を流していたマスコミも少なくなかった。ただ、それは酷過ぎて視聴者が引いた。選挙の争点も同じく、マスコミは視聴者が喰いつきやすいからという理由で「消費税」ばかりをやったのではない。

民主党の闇法案である、外国人地方参政権、人権擁護法案、夫婦別姓法案を俎上に載せることを控えて見せた。私の知る限り、関西ローカルのニュース番組のみが、短い時間ながら懸命に危険を訴えていた。どの政党が反対しているのか、賛成しているのか、を紹介していた良心的な番組もあった。さすがは青山繁治氏である。

ほとんどのテレビも新聞、それも全国放送とか全国紙レベルの、いわゆる「大マスコミ」は福田政権はともかく、安倍政権と比して麻生政権と比して、徹底的に可能な限り擁護した。勝谷誠彦のいう「マスコミの偏向報道による小沢潰し」など、まるでゲンダイの「大マスコミに騙されるな」レベルの戯言であり、マスコミは懸命に触れないようにしてきた。

あくまでも自民党政権と比してだが「マスコミが叩く」というものがこんなレベルではないということを、我々はもう知っている。ときには命を奪うほどの威力、政治生命ではなく、まさに生命を脅かすほどのレベルがマスコミの「叩く」ではないか。

もし、2007年の参院選で大敗した安倍内閣の中川幹事長が「続投」すれば、いったい、どれほどの「叩く」が自民党を襲ったのか。現役閣僚が落選して尚、続投するとなれば特番組んで朝まで叩いたであろうことは容易に想像できる。反日マスコミは政権の功績には触れもせず、安倍政権の時は散々「政治とカネ」をやった。松岡元農水省は自殺にまで追い込まれた。絆創膏で叩かれた次の赤城元農水省も「事務所費」で更迭された。当時の民主党幹事長、鳩山由紀夫が「職を辞していただきたい」と街頭演説で訴えていたが、その必要もなく、みんなあっさり辞めた。ちなみに、赤城元農水省は絆創膏を貼る前に「緑資源機構」を廃止したが、マスコミは触れもしなかった。

安倍政権はまさに「小泉政権の負の遺産」といわれた「郵政民営化以外」の問題を丸抱えながら、焦り狂った戦後レジームの権化である反日マスコミの総攻撃を受けながら、教育基本法を改正し、防衛省への格上げを成し、憲法改正のための国民投票法を通し、霞が関を敵に回しての公務員制度の改革も断行した。安倍さんはビオフェルミンと正露丸飲んで備えるべきだ。もうすぐ、また出番があると信じたい。勝谷誠彦はまた「アベニスト」と馬鹿にするだろうが放っておけばいい。金美齢女史のような「年上の女性」を怒鳴りつけることが出来る粗野な三文コラムニストなど日本人ではない。武士の風上にも置けん。

管直人は今回、落選した「千葉景子さん」を法務大臣として続投させた。曰く「大臣は、国会議員でなくとも適任者であればなれる。千葉氏は法曹出身で大変、適任者だ」とのことだが、管自身が総理として適任かどうかを問うた方がいい。それに国務大臣が国会議員でなくとも適任者ならばなれるのは知っているが、選挙で「適任ではない」と評された民間人がそのまま居座ることはまた別の話だ。それに「千葉景子さん」の落選と続投騒ぎで目立たないが、参院選比例代表では民主党岩手県連代表である工藤賢太郎氏も落選している。「小沢王国」のひとりである。工藤氏は12日に県連代表を辞任している。

落ちるはずもない大物がバタバタと倒れ、小沢公認の二人目候補が次々と斬り殺され、客寄せパンダのタレント候補も「民意」の前に吹き飛んだ。自民党は選挙前から「消費税10%」を挙げており、しかも、谷垣総裁は「地味過ぎる」だの「リーダーシップが無い」だのと言われていた総裁だ。舛添氏も与謝野氏も飛び出し、党内での求心力を問われていた。そして、もちろん、有権者は自民党にOKを出したわけではない。つまり、本当ならば、今回の参院選も自民党は大敗を喫していたはずだった。負ける要因はたくさんあった。

また、ならば昨年の夏同様、「民主が勝ったのではなく自民が負けたのだ」の逆パターン、つまり「今回は民主にお灸」だったのかといえばそうでもない。

昨年、なんとなくマスコミに扇動されて民主党に投票した浮遊層は、相変わらず、今回も浮遊していたと思われる。自民の支持層も戻ってきたとは言い難く、民主党の支持者も昨年同様にたくさんいた。これは数字も出ている。民主党擁護の反日マスコミが「民主党は負けていない」と書ける根拠にもなっている。選挙特番の冒頭、すぐに「たわらちゃん」が当確となるほど、民主党の支持者は頑張ったのである。

また、例えば「みんなの党」が一気に10議席も獲得して気勢を上げている。いわゆる「第3極」として頭角を現した、としている。自民でもない民主でもない、そして公明でもなく「みんなの党」だという有権者がいたことはいた。しかし、だ。

それは国民新党のゼロ議席をはじめ、社民も共産も少ない議席を更にひとつずつ減らしている。また、公明党も参院の議席数を21から19に減少させた。すなわち「みんなの党」にはコレが流れたに過ぎない。自民党の受け皿にも民主党の灰皿にもなっていない。自民党の改選議席数は38から51となった。民主は54から44とマイナス10である。単純に言えば、この10がそのまま「みんなの党」の改選議席増となったわけだが、私はその内容については違うと思っている。つまり、結果から言うと「民主の議席を減らすために自民に入れた層」がいるということだ。「民主を勝たせないために」という理由だけ、である。

今回の参院選では「どこがやっても、誰に投票しても同じ」という層が少し動いた。これは間違いなく民主党のお陰だ。「誰がやっても大差ない」というのは、自民党を中心とした政権に限る、という条件付きの「誰でも同じ」であったと有権者は気付いた。とんでもないと、このまま民主党に任せていたら日本がなくなってしまう、と危機感を持った層が動いたのである。とりあえずの「急ブレーキ」として自民党が選ばれた。それだけである。そして、急ブレーキをかけると、なにせ急なことであるから、いろいろと不都合なこともある。先ず、急に止まったから「V字回復」の先っちょが折れてしまった。

マスコミが心配するように、今回の参院選の結果を受けて、既に民主党は混乱を極めている。これからまだまだ、内部崩壊もあり得るほどの無様を晒すだろう。どうせ、この民主党内部のゴタゴタがある限り、吊るし上げを喰らうだけの臨時国会も召集しまい。ならば9月5日の代表選までは実質、日本の国会は機能しない。もちろん残念ながら、その代表選後もまだ民主党政権が続く。民主党の所為での政治的な混乱は、国際社会の中にある日本の立場をますます悪くするだろう。国内問題も山積している。また、見たくもないのに、もう少しだけ「小沢派VS反小沢派」という構図をメディアに見せられることになろう。

それでも有権者は「混乱」を選んだ。「ねじれ」どころではない。日本の国会を機能不全に陥れるかもしれぬ方を選んだ。なぜか?それは「破滅よりマシ」だからである。考えてブレーキペダルを踏んだのではない。咄嗟の行動、反射神経による本能的行動である。

この急ブレーキで日本は少し怪我をしたかもしれない。しかし、それはそのまま「民主党が過半数獲得」して即死するよりはマシなことだった。売国法案3法だけでなく、民主党の横暴は様々に悪影響を及ぼし、日本の国益をカラカラになるまで吸い尽くしたはずである。これは大袈裟ではなく「救国の風」が吹いた。そよ風程度であるが、紛れもなく「何らかの力」が働いた。私はオカルトめいたものを信じないから、その力とは何なのかと考えてみるに、やはり、それは「草莽崛起」という他ない。



管直人は靖国神社に祀られている高杉晋作に挨拶もせず、畏れ多くも「奇兵隊内閣」と罰当たりをやった。そこで、弟子の高杉晋作を愚弄されたと怒った吉田松陰は、その思想である「草莽崛起」の片鱗をみせつけた。日本人よ、なにが子供手当かと、子を産むのも育てるのも親の責任じゃと、まさに偸安姑息、目先の安楽は一時しのぎと知れ(且偸目前安)と教えられたのではなかろうか。





ネットの普及がある。様々な情報が飛び交い、ウソもホントも発信される。テレビは何処まで行ってもテレビだったが、ネットは違う。ネットで広く得た情報を、一度自分の頭で考えてみる。そして、近い人に知らせる。能動的に知らせる。積極的に知らせる。テレビ政治はこれにやられたのである。もはや、いくらテレビで嘘を流しても、ネットでつながった「口コミ」には敵わないだろう。相変わらず、日本人は道具を上手く使うものだ。

弟子にも「情報の大切さ」を教えていたとされる吉田松陰はきっと「テレビはダメじゃ!これが、いんたーねっとじゃ!」として「飛耳長目」を説くはずだ。


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