忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ダメの理由(愚痴)

2013年03月13日 | 過去記事



いまの仕事にも業務上、いろんな書類がある。役所に提出する公的なモノから、日々の業務上における報告書まで様々だが、私の経験則に基づく主観によると、パチンコ屋時代の遊技機や周辺機器における申請書類、あるいは従業者の名簿関連やら各種に及ぶ提出書類のほうが煩雑だった。それにいまの相手は所轄警察でもないから緊張感もない。消防署やら関連機関の立ち入り検査もあるが怖くない(笑)。

勤めて2年と少し。私が人気者になる瞬間は「力仕事」と「書類作成」になる。それも報告書の類が多い。具体的には「代わりに書いて」になる。丸投げだ。自分はずっと馬鹿でいい、という宣言か。また、最初は「どうやって書けばいいか」を聞きに来た人も、最終的にはメモ用紙を持ってきて「これに書いて」。書いて渡すと、それを丸写ししていた。

若い子には「ダメ」を言う。報告書の類は基本的に「あったことを書く」だけだから、文章の上手い下手は関係ない。要するに邪魔臭いだけだろう、と突き放す。年配の職員さんならあきらめる。誰かが言っても無駄だったから、いまのその年まで馬鹿なわけだ。「缶コーヒー奢るから」ということだが、それで失うのは120円だけではなく、学ぶ機会も含まれるわけだ。だから嫌いな職員さんほど、私は快く引き受ける。次も頼みやすいように、だ。それでも自分が優れている、と錯覚しているような馬鹿は、死ぬまで馬鹿でいればいいと思うからだ。

それに実のところ、大した負担にもならない。繰り返すが「あったことを書く」だけだから、2~3人前なら30分もかからない。それに何度もいろんな事例を書くから要領も得てくる。情報も集まる。私の勉強になる。

パチンコ屋時代の「社長マン」がそうだった。彼は想像を絶する馬鹿だから、逆立ちしてもマトモな文章が書けない。愛読書は「漫画・韓国の歴史」だ。それでも会長の娘婿だから馬鹿でも店長をやっていた。当時、私はその部下だったが、彼が出る店長会議、幹部会議の書類はすべて私が書いていた。「社長マン」が馬鹿だと知る幹部社員やらは知っていたが、当人の義理の父親である会長に馬鹿がバレなければいい。

そんな「社長マン」は会議の席で、その書面を怪しく読むだけだった。しばらくして、事前に目も通さない馬鹿に危機感を抱き、私の説明にも偉そう、且つ、邪魔臭そうに聞く馬鹿に腹が立ってきた。だから悪戯をした。つまり、読めない漢字や意味を問われると困るだろう、と思しき専門用語、カタカナ用語を散りばめてやった。案の定、社長マンは会議の席で「勉強不足で申し訳ないんですが、これはなんと読むのでしょう?」とか「すいません、いまの言葉の意味は?」と問われて脂汗流した。そこに事情を知っていた実子が「自分で書いてないでしょう」と指弾。社長マンは店に戻って私を呼びつけ、お前の所為で大恥をかいた、と憤慨していた。私は、ちゃんと説明を聞いてくれないからでしょう、と困った顔もしたが、本音はざまみろ馬鹿、だった。


いまの職場。先月から「広報」をやっている。新聞形式の広報紙やパンフレットやらなにやらだ。写真を撮って文章をつける。嫌いな仕事じゃない。また、何人かの古参の職員からも推薦があったらしい。是非にと頼まれ、断る理由もないから引き受けたが、本当はまったく気が乗らなかった。いまはもっと乗っていない。

なぜか。それは「テキトー」にやるからだ。だから楽しくない。力も入らない。懸命にやらないから面白くない。よくあるパターンの悪循環になる。なぜテキトーにやるか。「無難なこと」しかやれないからだ。つまり、頼むほうも受けるほうも、指針もなければ主張もない。「なんとなくこんな感じで」と引き受け「こんなもんでよろしいかと」と作る。これは「どうでもいい」に等しい。つまり、本心ではどちらも「やらなくていいのに」と思っている。

だから勤務時間外で取り組む、などまっぴら。それほどのモチベーションもない。そんな調子で良いモノが出来るわけもない。また、申し訳ないが、施設トップと激論して訴えることもない。そこまでの情熱もない。そんなにヒマでもない。でも「やってくれ」と言われるし、いままでも誰かが「やっていた」わけだ。しかしながら、本当に必要かどうか、あるいは「これでなにをするのか」がない。組織としての理念もない。あっても口だけだ。朝日新聞紙面を作る人の苦労がわかる。いや、こっちは嘘を書かないだけマシか。



私が尊敬する福祉関係者がいる。その人は大学教授で福祉施設も運営する。その人の施設では「夏祭り」を止めた、と聞いた。「だっていらないでしょ?」だった。私もそう思っていたから、大いに賛同した。だっていらない。必要なのは施設関係者、地域の関連機関に「やってます」と言いたい理事長とか施設トップだけだ。

こういう老人施設における「夏祭り」は正月以上のイベントだ。家族も来る。地域の人も来る。ヒマを持て余す地方議員も顔を出す。市長から電報も届く。呆けていようがなんだろうが、選挙権はあるからだ。その家族にも期待できる。「そのため」だけに、現場職員はあれやこれやと「テキトー」にする。中にはテンションをあげている人もいるが、私を含む多くは「早く終わらないかな」と嫌々、無理矢理に付き合わされている。

また、所詮は素人がテキトーに作ったモノ。昨年夏、私が作ったお好み焼きや焼きソバは大好評を得たが、それも職員やら家族からだ。多くの利用者は喰えないし、喰えても「ソース味」の粉モンだ。年寄りが好むモノじゃない。あくまでも「雰囲気を楽しんでもらう」わけだから、それでいいと言う人もいるが、私は賛同しかねるのだった。

理由は「連れて行けばいい」と思うからだ。手をつないで歩けば行ける、車椅子を押せば行ける人には楽しんでもらえる。買い物もできる。トイレもなんとかなる。事実、その大学教授の施設はそうした。「雰囲気を楽しめる人」を中心に考えれば、必然的にそうなるだけのことだ。それに社会参加というなら、町や村の「夏祭りに参加」が本物となる。人手不足の声もあるが、それこそ「家族付き添い」を徹底すればいい。基本的に家族が来られない、なら参加はあきらめてもらう。好運にも人手があれば連れて行く。それだけだ。

もちろん、それを家族に通達する。事前に告知された365日のうち1日、それも夕方から2~3時間を、親や祖父母のために割けない家族はきっと、ハリウッド女優か何か、世界的に有名な家族なんだろう。それとも世界的な大企業のオーナーとか。馬鹿みたいにヒマな我々と違って、とても忙しいわけだ。それからきっと1秒が1万ドルとか、たぶん、お金持ちなんだろう。それなら我々がお世話するまでもない。

また、施設に少なくない夏祭りがどうした、というレベルの年寄りは静かに平常を過ごしてもらう。意識もない「チューブ人間」に法被を着せて写真を撮る下衆な感覚は私にはない。本人が嫌がるのにサンタの髭をつけて写真を撮ったりする気もない。「笑え」と言われて、笑える人だけ撮った写真も要らない。そこに「みんなでたのしく夏祭りをしました」とか馬鹿みたいな文章をつけるのも嫌だ。正直、舐めてるのか、となる。

その代わり、例えば花見に行くと、私は石垣を登る。施設の車の屋根にも上る。高所恐怖症で100キロの中年男性が、カメラ片手にするする登るだけでも年寄りは喜ぶが、そこから花弁を絡めて撮ったデジタル画像にも喜ぶ。「欲しい」と言うからパソコンで細工してプリントする。それを100円均一の額に入れて差し上げると、また、たいそう喜ぶ。

「夏祭りを止めて、行ける人だけ連れて行けばどうか」を言うと、行けない人が可哀そう、行けない人はどうなるのか、という偽善者の総攻撃に曝される。それは「差別になる」と。それに対して「知ったことか」みたいに言うと人格を否定された(笑)。問答無用、自分らは心が綺麗。私は汚い。自分らは公正で平等。私は差別主義者で冷血漢というレッテルが貼付される。左巻きの怖いところだが、上手に立ち回るには「行けない人のことを優先的に考えましょう」として、段取りから片付けまで、すべてを現場職員の雑務に回すことを躊躇ってはならない、というわけだ。

昨年のクリスマス。職場の女性が言葉も発せない爺ちゃんに「サンタ」の格好をさせていた。少しだけ調子に乗ったのか、動けない爺ちゃんに「飾り付け」まで施して「きゃーかわいい」とか。この人は終戦の年、佐世保から爆弾250キロとロサ弾(ロケット式焼霰弾)を積んだ「震洋」と共に米艦に突っ込むはずだったが、出撃前に終戦となった。現代日本にぬくぬくと生きる我々が侮って良いはずない。この爺ちゃんが若いころなら、私も含めた数人はボコボコにされる。私は怖くなったから、ね?かわいいでしょう?と同意を求める女性職員らに「私の死んだ祖父がこう扱われたら、私なら名誉棄損で訴えます」と言った。周囲は笑ったが、私は冗談を言っていなかった。

全部がそうではないだろうが、往々にして福祉施設は壮大な「やらせ」を演出する。それも「働きやすい職場です」と広告しながら離職率が高いとか、そういう仕方がないことではなく、理想と現実の「現実」を隠そうとする。なかったことにしようとする。そして空虚な「理念」とやらを前面に出す。「利用者様の気持ちが第一」とか、民主党の詐欺文句みたいなことでお茶を濁す。それに対して現場、つまり「現実」を知る職員らは愛想を尽かす。また、私のように他業種からの転職者も、そのあまりの幼稚に愕然とする。市場競争に巻き込まれないとはこういうことか、と頭を抱える。

人事センスも壊滅的だ。施設会議で「利用者さんの尊厳を尊重しましょう」と指導する古参の職員が、夜間になると徘徊老人を車椅子に縛り付ける。食事が遅い、として取り上げる。認知症の利用者が話しかけると「あっちに行け」。ターミナル(終末)介護の利用者に「今日は(自分が夜勤だから)死ぬな。死ぬなら明日の午前中にして」と語りかけて笑う。

現場職員は誰でも知っているから、誰も真面目に聞かない。好きか嫌いかで「挨拶をするかしないか」を公然と決めている理事長の娘は「利用者さんを区別することなく、平等に接するように気をつけましょう」とか、棒読みでやる。悩みは「子供が馬鹿で不良」。中学生かと思ったら、なんと、18歳とか。「不良少年」として通じるのは少年法の中だけだろう。世間では学校も行かず仕事もせず、毎日毎日、いったいなにをやっているのか、親子喧嘩しかやることないのか、と哀れんでいる。そして親の人格を要因として、誰も「親の背中を見て育った」と言ってあげないから、本人、いつまで経っても気付かない。

今年19歳になる長男の「子育て」に悩んだ結果、また最近「心の病」とやらでひと月休むそうだ。これで3回目か、と思ったら「5回目」だとか。それでもクビにならない、降格もされない、左遷もされない理由を本人は知っているのだろうか。まさか「能力が高いから」とか、自画自賛で得心しているのだろうか。そして理事長である父親は「そんなことは社会で通用しない」と教えてくれないのだろうか。女手ひとつは大変だろうが、それでも「お
まえは勝手にしろ、お母さんは仕事に行く」という姿勢を見せることこそ「教育」だとは思わないのだろうか。

私が勤めるのは「まだマシ」という恐るべき評価の施設だが、こんなんだから、今月も管理職を含む職員がごっそりと退職する。2年しかいない私はもう古参だ。温泉に行こうと予定していた連休が取れない。気がつけば周囲は後輩だらけになった。困ったもんだが、施設の天下りの左巻きと話した。広報における業務上の確認だ。中身のない連絡事項のあと、ところで――ときた。不気味な薄笑いながら、御自宅の新聞は何を?と問うてきた。

「産経と京都新聞ですが」

「朝日新聞が良いですよ、我が家はずっと朝日新聞です」

「やっぱり、そうでしょうね」

「ええ、そうなんですよ。福祉の記事が充実してます」

還暦を過ぎた御仁が人前で「わたしはばかです」と言っている。そりゃ人も続かない。困ったもんだが、さて――――



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