忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「ネガティブ思考」

2008年03月18日 | 過去記事
■2008/03/18 (火) ガチコメ的「ネガティブ思考」1

万年雪に覆われるヒマラヤの山頂から、怒り狂った唐獅子が吼えた。観世音菩薩に祈り続けた若き僧侶は「地獄の釜の蓋」を吹き飛ばした。最凶悪党・支那共産党の公然たる僧侶への暴力行為を、天空の民は無論ながら、国際社会も許さないであろう。

雪をまとった唐獅子が、五輪に浮かれる共産主義の亡霊の喉元めがけて喰らいつく。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080317/chn0803170010000-n1.htm
<チベット騒乱拡大 四川と青海の自治州でも>

エアーズロックが「地球のへそ」ならば、この日本が『心臓部』となると前々から面白く思ってはいたが、まさか『胸に広がった』病魔が右わき腹あたりから吹き出てくることになろうとは・・・そして、その影響力は当然ながら「心臓」にも壊滅的なダメージを与えるのではないか。恐るべきシナリオ(最終章)はもう始まったのかもしれん。

<チベット亡命政府のあるインド北部のダラムサラで記者会見したダライ・ラマ14世は、中国当局の弾圧を「恐怖による統治だ。平和を装うため、武力に頼っている」と批判、「国際的な組織がチベットの状況を調査する努力をしてほしい」と訴えた。>

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世界が朝鮮戦争に目を奪われていた1950年。「チベットは中国の一部」という大中華イデオロギー、膨張主義、領土拡張主義に基づく侵略によって、支那共産党はチベットを一方的に蹂躙した。

そのわずか3年前にニューデリーで行われた第一回のアジア諸国会議の席上において毛沢東は、独立国家として参加していたチベットを認めているにもかかわらず、朝鮮戦争を「功美援朝戦争」(※美はアメリカのこと。つまり、アメリカによって侵略される朝鮮半島を救うという意味)と自画自賛しながら、もうひとつの手でチベットを血まみれにしていたのである。

内面的な自由を殺し、宗教を愚弄し、文化を壊し、伝統を踏みにじって、民族の誇りを奪いつくそうとした。民族浄化と称した「根絶やし政策」も行われた。公然たるこのホロコーストをして、アメリカもイギリスも国際連盟もなにもしなかったのである。国際社会の欺瞞の最たるものであろう。

また、国を乱されたチベットは、建国してから初めての飢餓にも襲われる。そして、当然ながらチベットの抵抗運動は激しくなるのだ。

そして----------------

「2」へ

■2008/03/18 (火) ガチコメ的「ネガティブ思考」2

1959年3月。

「ラサ決起」である。

首都ラサで一斉蜂起した民衆がノルブリンカ宮殿を取り囲む。支那共産党はこれを武力で弾圧した。4日間に及ぶ大砲撃によって民衆は尽く殺されたのである。また、これを朝日新聞は「反乱」と報じていることも付け加えておく。

そして支那共産党のホロコーストは、それからずっと続く。

人民裁判、人民集会が開かれ、多くの僧侶や「反動分子」とされた民衆が投獄され、拷問され、強姦され、処刑され、殺されている。その惨たらしさはまるで、旧日本軍が糾弾される、いわゆる「南京大虐殺」というでっち上げに等しい残虐行為をもって、現実に行われてきたのである。

そのような「歴史の負の部分」、もしくは「自国の闇の部分」をひた隠しつつ、60年以上前の日本軍の「でっちあげ蛮行」に目を血走しらせて日本に向けて吠える支那人民や、「植民地支配」がどうの、「慰安婦」がどうの、「強制連行」がどうの、と吠える韓国人などは「真実」が明々白々に詳らかとなったとき、発狂して死ぬのではないかと思うほどの懸隔を危惧すると共に、本当に心の底から気の毒に思う。

たまたま勝利した軍事大国のエゴに巻き込まれ、独裁政権の党利に巻き込まれ、あるいは事大主義から抜け出せぬ精神から、幼稚なナショナリズムに巻き込まれることから、ともかく「日本国憎し」と教え続けられる、伝え続けられる、考えさせられる境遇に、心底からの恐怖感と同時に、ある種の哀れみを感じることを禁じえない。

「3」へ

■2008/03/18 (火) ガチコメ的「ネガティブ思考」3

そしてまた、日本国内を見ても、現在進行形で行われているチベットのホロコーストなども「無いこと」として生活する状況にも懸念せざるを得ない。「明日は我が身」という言葉が虚しく空振りする雰囲気は、『万が一』の有事の際、確実にチベットよりもあっけなく占領を許すであろうことを表している。

無論、なにがあっても逆らわない「平和市民の集合体」である日本国民は、チベットのようにいきなり120万人も殺されたりはしないだろう。プラカード持って叫んだだけで、何年も牢獄につながれて拷問されるならば主義主張もへったくれもないだろう。『我々は世界で稀に見る微小な被害者で平和的に占領された!これも平和憲法9条のおかげさまです!』と叫ぶ、狂った政治家でも出てくるかもしれん。

単なる天候の問題で原子爆弾の被害から逃れた我が京都にしても「アメリカが文化財の多い京都を外してくれた!」とありがたがる気持ちの悪い国民性は、今、尚、命をかけて「祖国の独立」という難解な目的をあげて蜂起した、僧侶や民衆の気持ちは理解できんだろう。

<亡命政府によると、10日の抗議行動は平和的に行われていたが、軍が装甲車両とみられる車を投入。群衆に発砲したために混乱し、一部当局者は僧侶に変装してデモ隊の鎮圧にあたり、これがデモ隊を挑発し当局車両への放火などにつながったとしている。>

腐臭漂う巨大な怪物は、足元が腐れているのに気付かず、より巨大になれば、強くなればと牙を研いでいたのだろう。粗野に奢り高ぶることから「己の急所」を忘れたと見える。

しかし、とっくに殺したと思った唐獅子は、息を潜め、大切なことを見極めながら、我慢して我慢して、プライドを横において、何かを護っていた。

「4」へ

■2008/03/18 (火) ガチコメ的「ネガティブ思考」4

「独立」とは言わず、あくまでも「自治」の観点から議論のテーブルにはついているのだ。それは、言うまでもなく「多くのチベット人の命を護るためだけ」に妥協に妥協を重ねた目的であった。しかし、それすらを傷つけようとしたとき、誇り高き唐獅子は、己の頭の雪を払い、命をかけて牙を剥く。もう、最大のモチベーションとなる「独立」を、血の涙を流して掲げるしかあるまい。

そう。窮地に立たされたのは間違いなく支那共産党であるのだ。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080318/chn0803180829002-n1.htm
<「海外メディアは不公正」 チベット質問に中国不満>
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080317/chn0803171205009-n1.htm
<「どこから来た」深夜にホテル客室捜索 チベット族自治州同仁ルポ>

隣接する国々と紛争を繰り返し、今も公然と台湾侵攻を唱える。そして社会主義に基づく矛盾を包含したまま、平和の祭典を目の前として、今、このもうすぐ「旧ソ連のように分裂国家としてしか再生できない」・・・いや、ロシア共和国の術さえも通用しないかもしれない「アジアの怪物」は何を思うのか。

支那大陸が抱える問題を数え上げるに枚挙にいとまなく、その解決策も、打開策も、方向転換も、応急処置も、いや、その現状すらも掴みきれない怪物が死ぬとき、世界はどうなっているのか。ポジティブ思考が売りの私であるが、この危機感をして、私の無知ゆえの杞憂であって欲しいと願わざるを得ないのである。

まさに「9条」にでもすがりつきたい思いである。

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