忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

鯉の話、略して・・・

2011年04月22日 | 過去記事

広島カープが強い。6連勝で貯金4とのことだ。金本アニキと新井を返すから、丸と石原をくれないかという今日この頃、広島が強いと「はぶて師匠」も機嫌がよろしかろう。

珍しく少しだけ野球の話をすると、やはり、今年は「東北楽天イーグルス」に頑張ってほしい。16年前にはオリックスが「がんばろう神戸」と書いたユニフォームを着てリーグ優勝した。前年の「イチローフィーバー」もあって、前年覇者の西武ライオンズもボコボコにして7月にはマジック点灯、震災で苦労している地元神戸の人々を大いに勇気づけた。私も野田の「19奪三振」とか震えた。当時、野田のフォークも打者の手前で消えたが、2004年にオリックスの投手コーチをしていた野田も「野球解説者」になってからどこかに消えた。


ま、ともかく、今年は「楽天ファン」で通そうかと思う。もちろん、大阪出身の私は「阪神タイガースの応援をすること」が法律で決まっているから仕方がないが、星野監督の「東北楽天イーグルス」もがんばって甲子園に来てほしい。「負けるな東北」である。

ところで、この「東北楽天イーグルス」の「イーグル」とは「イヌワシ」のことだが、6連勝中の「広島カープ」の「カープ」といえば「鯉」のことであると子供でも知っている。勢いのある今はまさに「鯉の滝登り」状態であろうが、この滝はどこの滝かといえば、これは黄河の中流にある「竜門」のことだと支那の古書「三秦記」に書いてある。

他の魚もこの滝に挑むが、鯉だけが一気に急流を登り切り、そのまま天まで駆け上がり「竜」と化した、という伝説が残る。つまり、カープは一気に勝つとドラゴンズになる(笑)という冗談はともかく、立身出世の「登竜門」とはここからきている。

さて、ここに「登竜門」を登りつめた2匹の鯉がいる。初回から失点を重ねて試合をブチ壊し、野球のルールもよくわからぬままマウンドに立ち続けてチームを壊滅状態にまで追い込んだ「エース」は投手交代ならぬ「党首交代」を経て、次の「エース」はまたまた四球に死球、ボークにワイルドピッチ、味方の野手はエラーの連続、自民党の攻撃はもう2年近く続いている。呆れたファンや疲れた観客はもう誰もいない。


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110420/stt11042021040009-n1.htm
<鳩山氏が首相に提言 原発で、異例の1時間半会談>



鯉といえば「まな板の上の鯉」だ。これはいうまでもなく、覚悟を決めた鯉はまな板の上で暴れない、という意味だが、実際のところこれは嘘で鯉は大いに暴れるらしい。どおりでこの2匹の鯉も無様にもがいている。「お互いに研究していこう」とのことだが、そんなことは誰も望んでいないし、そんなことをしても「学べば学ぶにつれ原子力は危険だと思うに至った」とか「法律を読めば、内閣総理大臣が現地本部の本部長を指名することになっているんですね」などというのが関の山だ。

この災害時に1時間半も現職の首相が会談するなら相手を選んでほしいものだが、この2匹の鯉といま、真面目に語ろうとする真面目な人は日本にいないのかもしれない。


ま、ところで、だ。


「まな板」に載せた鯉を切り捌くときは、先ず、包丁の背で頭を叩いて気絶させてから内臓を抜く。このとき「苦玉」と呼ばれる緑色の胆のうを潰さないよう気をつける。肉に苦味がうつるからだ。あるいは「目を隠す」らしい。鯉は目を隠されると、不安になり大人しくなる。そこを一気に鱗を剥いでハラワタを引き抜く。

この2匹の馬鹿な鯉も、もう、いい加減、どうにかならんものか。包丁の背で頭を叩くと警察に捕まるなら、誰かせめて、目隠しでもして大人しくさせたらどうか。そうしてから薄汚い鱗を剥がして3枚におろし、朝鮮臭い皮を引いてから身を薄く削ぎ切りにして氷水に落とし、そこでかき混ぜること数分、上げて芥子酢味噌で頂く―――と見せかけて釜山港へ捨てるのがよろしかろう。

「及ばぬ鯉の滝登り」という言葉もある。もう民主党では日本はどうにもならぬと被災地の犬でも知っている。一昨年前の夏「鯉が踊ればドジョウも踊る」とかで多くの有権者が踊らされた。まさに「麦飯で鯉を釣る」が如く、目の前に並べられたウソをして「浅みに鯉」とばかり喜んでみたが、民主党からすれば有権者は「生簀の鯉」に過ぎなかった。

広島カープに他意はないが(笑)、これではどちらが鯉なのかわからない。


ところで、東北地方南部にある山形県米沢市には「米沢のABC」と呼ばれる名物がある。「ABC」とは気に入らないが、これはアメリカ・ブリテン・チャイナではなく、AはAPPLE、BはBEEF、そしてCがCARP、すなわち鯉だ。また、山形県は他所に比して被害も小さく、養殖の鯉は無事だと思われるが、米沢に鯉を送ったのは1802年の福島県相馬市、第九代米沢藩主の上杉治憲公が使いを出して技術をもらったものだ。

来日したジョン・F・ケネディ元大統領が最も尊敬する日本人として「ウエスギヨウザン」と言ったら日本人記者が誰も知らなかった、という恥ずかしいエピソードもある。「鷹山」は上杉治憲の隠居後の名だ。

もうすぐ「子供の日」だ。東北の避難所には民主党の馬鹿らしい「コイノボリ」ではなく、米沢の美味しい鯉でも「鯉こく」にして贈ってほしいものだ。


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