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忘憂之物

「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ



「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ

<【岡雄一郎】体罰問題について、元プロ野球投手の桑田真澄さん(44)が朝日新聞の取材に応じ、「体罰は不要」と訴えた。殴られた経験を踏まえ、「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」と指摘した。

 私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。

 早大大学院にいた2009年、論文執筆のため、プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしました。

 体罰について尋ねると、「指導者から受けた」は中学で45%、高校で46%。「先輩から受けた」は中学36%、高校51%でした。「意外に少ないな」と思いました。

 ところが、アンケートでは「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼりました。「あの指導のおかげで成功した」との思いからかもしれません。でも、肯定派の人に聞きたいのです。指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と。

 私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。

 指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。昔はそれが正しいと思われていました。でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか? 何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。それでは、正しい打撃を覚えられません。「タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん」。そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。

 今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。

 「練習中に水を飲むとバテる」と信じられていたので、私はPL学園時代、先輩たちに隠れて便器の水を飲み、渇きをしのいだことがあります。手洗い所の蛇口は針金で縛られていましたから。でも今、適度な水分補給は常識です。スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると感じます。

 体罰を受けた子は、「何をしたら殴られないで済むだろう」という後ろ向きな思考に陥ります。それでは子どもの自立心が育たず、指示されたことしかやらない。自分でプレーの判断ができず、よい選手にはなれません。そして、日常生活でも、スポーツで養うべき判断力や精神力を生かせないでしょう>










NHKが京都明徳高の「ダンス部」を特集していた。京都府の下から数えて3番目か4番目。偏差値の残念な私立高校で子供らが懸命に踊っていた。そこに名物教師がいるそうで、NHKは「鬼教師」の異名を持つ女性教師が、子供らを容赦なく怒鳴りちらす様子を映していた。

もちろん、最初から全国大会の常連にはなれない。鬼教師は悩み、2006年から「指導方針」を変えたのだとか。評価の仕方は部員のダンスではなく、授業態度や挨拶も考慮した。簡単に言うと、挨拶も出来ない阿呆は参加させないようにした。それから「名物」になるあの口調だ。この39歳の女性教師は自分のことを「わし」とか、小林よしのりみたいな感じにしてみた。それから「阿呆・呆け」は当たり前、入学金9万円、学園充実費7万円、第1期分授業料19万を銀行振り込み、なにもなくても年間60万円、合わせて教科書に修学旅行費にと金を支払ってくれた余所様の御子息に向かって「アホか!ワシがお前らのスイッチ入れなあかんのか!!」と罵倒する。スイッチくらい入れて差し上げたらどうか。

さすがに殴るシーンはなかった(と思う)が、それでもアレは私でも怖い。萎縮すると思う。また、あんな警備会社のCMで目からビーム出してる五輪選手のニセモノみたいな男オンナに、我が倅が「阿呆か!」とか「帰れ!」とか「呆けが!」とかやられていると想像すると悲しくなる。入学金だけでも返してくれ、と思う。

私はそのNHKの特集を見て、哀号、日本には酷い教師がいるモノだ、あんなの日本の軍国教育丸出しじゃないかと嘆き、マッコリの上に涙を浮かべつつ、それでもきっとNHKが人権擁護の観点から、あるいは平和教育の理念から、こんな教育は間違っていると糾弾し、スタジオにカメラが戻れば鬼教師がスタンバイ。そこに亀田のオヤジでもゲスト出演させて「子供は愛情もって育てなアカン。わしもそうやったから、こうきもだいきも世界ちゃんぴょんになったんや。万文の山はいくつはばまおうとも戦陣の谷に何度も落ちようとも前え進め」とか説教させて、あの先っちょにグローブがついた西成名物の棒でもプレゼントして、泣いて悔いた鬼教師が人間に戻るのかと期待していたら、なんともまあ、保護者からの期待も大きい、とかやる。

もし、この教師から「阿呆か!おまえなんぞ大会に出すか!やめてまえ!」とか言われて自殺した生徒が出たら、NHKはどう報じるつもりなのか知りたい。まさか「殴ってないからOK」なのか。「女性だからOK」なのか。いずれにしても、最近悪名高い「スパルタ教育」には違いあるまい。桑田も朝日新聞紙面で怒るはずだ。

桑田氏自身も<私は中学まで毎日のように練習で殴られていました>と告白し、また<殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です>と当時の心情を吐露している。ところで、これを読んでから「ああ、そうか。桑田君は当時、殴られるのが嫌だったのか。知らなかった」と思った指導者や先輩はいるのだろうか。どこのだれが「殴られて喜んでいる」と判断して殴るのか。元民主党の「ぶって姫」でもあるまいし、健全な少年少女はマゾっ気などない。

当たり前である。誰でも殴られたら痛いし、嫌な気持ちになる。当たり前なのである。ダンス部の鬼教師に「阿呆か!」と怒鳴られたら、誰だってびっくりするし、嫌な気持ちになるのである。NHKは最近流行っている論調、京都明徳高の鬼教師に「全国大会に出る」ことが子供の教育にとって必要なのか?「全国大会で優勝する」ことが子供にとって意味のあることなのか?も検証してもらいたいが、桑田氏は「体罰は必要か」のアンケート結果、8割以上が「必要」に驚いて<でも、肯定派の人に聞きたいのです。指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と>と極論を持ってくる。だれがそこまでやれいうた、である。

はっきりしておかねばならないことは、暴力と体罰は違う、ということだ。テレビでも「体罰教師」としている。「暴力教師」は逮捕だ。これも当たり前だ。ひと昔前は「どこまでの体罰が許されるのか」だった。大阪市長も以前は「もみあげを掴んで引き上げる」くらいはOKと言っていた。それがいま「体罰ダメ、ぜったい」になった。理由はもみあげで自殺されたら困るから、それだけのことだ。暴力は昔から犯罪だと決まっている。その「曖昧さ(?)」みたいなのが問題点であり、その都合よろしい許容範囲の狭さ、あるいは膨張した自己肥大からの被害者意識、安易で脆弱な権利主義からなる尊大化、自分の子供も殴れない親の薄弱化、だけど相手が言い返せないとなるとモンスターペアレンツ化、学校と社会、親と子供の関係の「歪み」が生じさせている複雑怪奇が要因、あるいは真因である。単純化させて「体罰も暴力。ダメ、ぜったい」にしたい勢力はいる。それは「いつもの顔ぶれ」だ。

桑田氏は言う。

<私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です>

これはどうだろう。桑田氏が日本を代表する偉大なプロ野球選手だったことに異論はないが、この「体罰は必要ない」の根拠がこれでは持論に説得力もないのではなかろうかと思う。<上下関係の構図で起きるのが体罰>もどうか。当たり前に過ぎて思考が止まるほどだ。顧問と部員、監督と選手、というか、教師と生徒だ。上下関係は当然だろう。その上下関係がないところでビンタすれば、それを普通は「暴力」と呼ぶ。<監督が采配ミスをして選手に殴られますか>には開いた口がふさがらない。これはもう、殴ったら「事件」だ。桑田氏は王監督や長島監督を「殴ろうと思った」ことがあるのかどうか、どうぞ思い出してほしいモノだ。

それに<絶対に仕返しをされない>というのは、相手が先生だから、監督だから、で担保されるモノでもない。例えば徒党を組んだ虐め軍団。虐める相手を心理的にも追い込み、多勢に無勢を確保して<絶対に仕返しをされない>状態を維持しながら虐めを続ける。だからこそ深刻であり、結果が重大なことになる。「仕返しされるかどうか」などは「体罰」の問題で論じるに適用しない。関係がない。

偏差値が残念ではない普通の市立高校の桜宮高校は2008年、組体操の練習中にふざけていた生徒が殴られたこともあった、と市教委が認めた。殴ったのはいま、体罰教師の代表みたいにされているバスケットボール部の顧問。顧問は始末書を書かされたが、市教委は<顧問は、注意にも従わず、緊張感に欠けて事故につながり他の生徒に危険が及ぶと判断。ピラミッドを解体させた上で、この生徒の顔面を平手で2、3発たたいて引き倒し、さらに1発加え「しっかりやれ」と注意した>と報告している。殴られた本人は「悪かったと自覚」していて「気にしていない」とのこと。保護者も<他の方法で指導してほしかったが、(顧問の)処分はしないでほしい>ということで始末書だけで済んでいた。私がこの「本人」の親なら菓子折り持って謝りに行く。他の保護者から連絡があったそうで、いや、本当に申し訳ない、と平に謝る。そして言う。今後ともに殴ってくれて結構です―――

だって組体操は危険、は常識だろう。愛媛県でも死亡事故があった。福岡県では高校生が首の骨を折る事故があり、保護者が訴えて学校側が過失を認めている。このふざけていた「本人」の過失で他の生徒が怪我したり死んだりしたかもしれない。べつに組体操をしなくてもいいが、やるなら真面目にやらせる、のは教師の義務だ。危険行為に対して烈火の如く叱りつけ、ビンタして口が切れたくらい当たり前ではないか。「口で言ったらわかる」の前に、こんなことは「口で言われなくてもわかる」ことだ。だから殴られる。

桑田氏の意見に戻ると<指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法>ということだが、それは本当だろうか。指導者が怠けていて、最も安易な方法とは、例えば「組体操をさせない」ではなかろうか。事実、危険だという理由でやっていない学校も珍しくはない。保護者からの「あんな危険な種目、うちの子は出場させないでくれ」もある。ならば「危ないし、面倒だから止めましょうか」という教師もいるだろう。だから我が倅の運動会や体育祭は「騎馬戦」がなく、組体操もなく、代わりに男女入り乱れてチアガールの真似事をさせられていた。見てられなかった。妻とふたり、男の子になんてことをさせるのか、と呆れたモノだ。

それでも「組体操」をやりましょう、という教師がいた。危険がないように私が責任を持って指導します、という教師だったはずだ。男子生徒に「組体操」をさせたかった、体育祭でその経験をさせたかった。その必要性を強く持っていたはずだ。これが<怠けて><安易な方法>なのか。

ダンス部もそうだ。全国大会だけがすべてじゃない、として39歳の鬼教師は仮面を脱ぎ、化粧をしてぶりぶりしてもよかった。みんなで楽しく踊っていればいいじゃない、世界にひとつだけの花じゃない、オンリーワンのダンス部にしましょう、のほうが楽だしNHKも来ない。バスケ部も同じ。<怠けて><安易な方法>ならば「危険の無い練習」だけすればいい。「殴ってしまうほど本気」にならないよう、テキトーにやっていればいい。レギュラーも主将も平等に輪番制だ。試合に負けてもいいじゃない。だって参加することに意義がある、スポーツとは自分と向き合うモノなんだよ、結果なんか結果に過ぎないじゃない、と笑っていればいい。それが最も楽な方法だ。

だからいま話題の大阪市立桜宮高校はすべての部活動を自粛。<安易な方法>を選ぶ他なかった。自殺した2年生の男子生徒の両親は大阪市長とも会った。地方の首長と参院議員の「二足のわらじ」くらい楽勝、という大阪市長はヒマだったのか、2時間も話を聞いたのだとか。そして記者会見でまた、世間の風を読んだコメントをしている。さすがである。

<まずはおわびです。スポーツの指導においては、前近代的なのかな、というふうに自分自身反省しています。この気持ちもお父さまお母さまにもお伝えして、こちらの謝罪の意を受け止めてくれたと思います」「『これからしっかり取り組んでいきます』ということを、亡くなられた生徒の前で誓ってきました>


倅がチアガールの真似事をさせられていた中学。倅が転校したあとのことだが、担任だった女性教師は授業中、顔面に「鉄の破片」のようなものが直撃、右目から頬にかけて十数針縫う大怪我を負った。失明の危険もあった。投げた生徒は不明。他の生徒からの「あいつが投げた」も「信憑性がない」「本人は否定している」でお仕舞い。女性教師はその年の夏、結婚する予定もあったが入院して延期。教師も辞めて精神的にも落ち込み、婚約者も戸惑うしかない。女性教師の父親が警察に通報。犯人捜しを拒む学校を相手に訴訟まで起こす覚悟だったが、結局、その子供の将来を、どうか、ひとつ、といつまでも阿呆みたいに宥めてくる学校の「事なかれ主義」に絶望。包帯だらけの我が子をして、この娘もオレの子供じゃないか、オレの子供の将来はどうなるんだ、と嘆く他なかった。

子供が大人を舐めるとどうなるか。社会から過保護にされた餓鬼が増長すればどうなるか。どこで曲がって腐るのか。「絶対に殴ってこない教師」は教育の場、とくに多感期前の餓鬼において通じるのか。教師に対して「なんだおい?殴れるなら殴ってみろ」と言ってよい子供ら、そしてその子らはどういう思春期を迎え、どう成長していくのか。そういう子らをして教師だけではなく、我々大人は無力感を無関心に変容させて対応しないか。

ついさっき、倅がスーツを着込んで出かけた。今日は「成人式」だ。その「結果」がまた、今年も見えるだろう。

コメント一覧

久代千代太郎
>のんちゃん

その某小学校でバリバリの体育主任と飲みたいですな。

桜が咲くころ、是非。
桜のん太郎
硬骨漢
少し昔のこと
ある小学校の新米男性教師がカッなって悪ふざけの過ぎた子にビンタを喰らわせてしまった

引っ叩いただけのつもりが鼓膜が破れてしまった
新米教員はクビを覚悟したという

当然家庭訪問の上で自らの過失を詫びたが、
保護者が地元民で「先生、ウチのガキはどついてくれてかめへんけども怪我線程度にどついたってや~w」
でこと無きを得た

そして彼は校長室に呼び出しを受けた
この校長は元は中学校の体育教師で「生徒指導の鬼」と呼ばれたおっかない校長先生だ

「お前の~、引っ叩くときは手をパーにして指を拡げんとアカン!そしたら空気が逃げるから鼓膜を破ることはないねん!次から気ぃつけや~!」と指導されたそうだ

当時の新米教師は今や30を過ぎ、某小学校でバリバリの体育主任である
組体操で親を泣かせられる体育主任は某市においても数えるぐらいしかいないだろう

因みにその校長先生は今でもたまに暴れる中学生との肉弾戦があるそうで間もなく退職されるが昔どついたお子らから何百枚と年賀状が届くそうです
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