忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「藪をつついても蛇が出ない日」

2008年10月14日 | 過去記事
■2008/10/13 (月) ガチコメ的「藪をつついても蛇が出ない日」1

政権末期のブッシュの取り巻きが、ついに形振り構わず「保身」を優先させた。

もう、こんな世界、正義もなにもあったもんではない。グロテスクな本音が剥き出しとなり、親たちの切実な願いですら為政者の餌に過ぎなかったと知れた。人類は滅びるべきかもしれないが、その「順番」だけはわかった気がする。

http://www.asahi.com/politics/update/1011/TKY200810110186.html
<「蚊帳の外」に置かれた日本 テロ国家指定解除>

何を嬉しそうに「蚊帳」などというか。自国民を拉致されながらも、独裁者、テロ国家を支援する韓国などと同じ「蚊帳」などに、誰が入ると言うのか。

この腐れ死に紙は「孤独」と「孤高」の差異を学べ。

にしても、だ。

<米国によるテロ支援国家指定解除の発表を、日本政府は直前までまったく予期していなかった。「蚊帳の外」に置かれた格好の日本側にとって、同盟国・米国との信頼関係が大きく揺らぎかねない事態。拉致問題の行方にも暗雲が漂い、支持率が伸び悩む麻生政権にとって新たな痛手となりそうだ。>

嬉しいのはわかるが、この期に及んでも「麻生政権への痛手」と書く能天気さはどうだ。これが「日本国の痛手」であるということは自明であり、拉致被害者の方々は、いわば「当事者・被害者」であるという認識が未だないらしい。「拉致攻撃」の根本は、国家主権への侵害であり、国家に対する明白な攻撃であると周知である。

他人事だと思えるほうが異常なのであり、それは「広範囲」且つ「不特定多数」という曖昧さからくる過った楽観に過ぎない。拉致してもどうしようもない朝日の社員はともかく、多くの日本人、及び、日本に住む者にとって「拉致攻撃」は脅威であり、「自国民が失われる」という結果においては、ミサイル攻撃となんらかわりない戦争行為ではないか。

「2」へ

■2008/10/13 (月) ガチコメ的「藪をつついても蛇が出ない日」2

例えば、ある村があったとしよう。その村人が「神隠し」に遭う。しかし、どうやらそれは隣村に住む鬼がしでかしているとわかっている。そこで「鬼から娘たちを取り戻すぞ!」と気勢を上げて村長になった太郎さん。大きな町から協力を得られると思ってはいたが、どうやらそこの町長は鬼と取引したようだ。さて、これは「太郎さんの痛手」か?

鬼は金棒を持ち、こちらを軽んじている。さて、これは「太郎さんとこ」の脅威か?

否。

当たり前だが、そこで笑っている『村人全員』の脅威なのである。「え?鬼ってなんかしたの?」と言っている能天気な人にとっても脅威なのである。振り下ろされる金棒は相手を選ばない。鬼と仲良くしようとしていた人達にも、それこそ平等に振り下ろされることだろう。「神隠しは鬼のせいじゃない!」と言っていた家の子供達にとっても脅威に違いない。

また今更、アメリカの偽善に対するショックはない。生娘でもあるまいし、「騙したのね!!」とする親米保守オヤジの“みっともなさ”はなんともしがたいところではあるが、ともかく、日本は淡々と延長したばかりの経済制裁を続けるほかない。願わくば、具体的な「奪還」を望むところではあるが、残念ながら、それはもう少しあとのようだ。

そして、計ったようなタイミングで「ロス疑惑」が疑惑のまま消え去った。日本のマスコミは「誰かから言われたように」そればっかり報道している。自国の隣にあるコントロールが危うい独裁テロ国家の将軍様が、どこでどうなったかも怪しい状態ながらも、同盟国は「普通の国ですよ」と判断を下した。核兵器を具備し、日本に対して敵愾心を隠さない危険な犯罪国家を、犯罪国家のまま容認したのである。これほど、危険で重大なことが起こっているのに、今、ロス疑惑もあるまい。

韓国政府は自国民を最も拉致されながらも、さっそく「テロ支援国家指定解除」を我がことのように歓迎している。ならば黄海上に展開している韓国海軍も撤退させればどうか。ミサイル実験も歓迎すればいい。統一すれば晴れて「核保有国」の仲間入りではないか。

「3」へ

■2008/10/13 (月) ガチコメ的「藪をつついても蛇が出ない日」3

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ともかく、マトモな人はずぅ~~~~~~~っと、同じことを言っているが、日本も独自の抑止力、防衛策を講じるべきであり、拉致問題は日本が日本国として解決するほかない。そもそも、なぁにが世界の警察なのか、なぁにが日米同盟なのか。

国と国が互いの政治的打算による安保条約を結んでいるだけのことを、いかにもアメリカの兵隊さんが「日本のために」血を流してくれると、守ってくれるはずだと「信じる(笑)」のも大概にすべきであろう。自国民が拉致されたら、その国の政府が取り戻すのが当たり前なのである。その国の兵隊が血を流してでも奪還すべきことであるのだ。

今更過ぎるが、国民の果たす義務とは、国家の責任への忠誠ではないか。納税とは、単なる公共サービスの対価として支払っているわけではないのだ。あっちが得だ、こっちは損だと国を移り変わるわけにはいかない。義務とは、その責任を果たすことも包含される。イチイチ言うが、それはつまり、「戦争になったら武器を取る」という国民としての責任のことである。公共心の先っぽには「国家」が厳然としてあるのが国際常識なのだ。

つまるところ、今回の件など、

「ったく、メリケンは使えないなぁwww」

と一笑に伏せばよい。あの人工的な国家なら、その程度だろう。

アメリカという国名の由来は「アメリゴ・ヴェスプッチ」という人物の名であるという。この人物はコロンブスがアメリカ大陸に上陸したあと、ヨーロッパにて「大陸発見!!」と騒いでいた詐話師であるというぢゃないか。実にぴったりである。

まあ、ともかく、

支那共産党の覇権主義が周知となり、アメリカや国連なんぞあてにもならないと知れた今、ちゃんとした議論をすべきときである。何よりも先ず、拉致問題の解決、すなわち「全員奪還」が急務であり、大和民族はこれを機に目覚めることになろう。

「4」へ

■2008/10/13 (月) ガチコメ的「藪をつついても蛇が出ない日」4

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ところで、

先週の間だけで、台湾の愛国者である李登輝閣下と、日本の愛国者である改革クラブの西村真悟先生に会う機会に恵まれたが、少しずつ、少しずつ、何かがジリジリと動き始めている。ちゃんと考えている人はいる。ちゃんと動いている人はいた。あとは、我々が何をするのか、何ができるのかである。社会正義の塊のような人は、往々にして宣伝が下手、金集めが下手である。しかしながら、そのような小細工を弄する余裕もなかったというのが現実であろう。しからば、今こそ、心ある国家国民が背中を力強く押すときであるのだ。

国民の意思を示す場所、国民の総意を知らしめるときがくる。

議会制民主主義の「正しい使い方」を示すのは日本国民からである。昔も今もアジアのリーダーは日本国である。アジア民主主義の教科書は日本にこそあり。腐れ政治屋に引導を渡すときがくる。政治家の仕事は選挙ではないと思い知らせるときが来る。

難しい話ではない。

「拉致被害者を奪還する!!」

と公言する国士に投票すればいい。

台湾が「アジアの交差点」なら、日本は「国道1号線」である。またまた歴史が動く。世界がひっくり返る。リアルタイムで見れる我々は幸運なのかもしれん。

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