忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「それは八角だと発覚した~その2~」

2008年10月14日 | 過去記事
■2008/10/12 (日) ガチコメ的「それは八角だと発覚した~その2~」1

アイデンティティを北京語で言うと「認同(レントン)」という。

1999年に出版された「台湾の主張」(李登輝著)を読み返すと、当時からこの言葉が散りばめられている。「李登輝学校の教え」という小林よしのり氏との共著の中でも、李登輝閣下が「台湾アイデンティティ」に対してこだわり続けていることは周知である。

理由も著作の中で何度も語られる。すなわち「定着していないから」である。

李登輝閣下は著作の中で述べている。

「日本なら、共産党員であろうが日教組であろうが、あなたは何人か?と訊ねれば“日本人です”と答える。でも、台湾では中国人だったり、台湾人だったりする。」

今回の台湾旅行では、台湾総督であった明石元二郎氏の墓参りもできた。その際、元台湾国策顧問であった楊基銓氏の奥様、楊劉秀華女史に会うこともできた。今は亡き楊基銓氏は「私は中国人ではない。台湾人である。」という強烈な「認同」の持ち主であるが、それは、いわゆるグリーン陣営(独立派)だけではなく、李登輝閣下をはじめとする「建国派」にも根付いている観念である。至極当然ながら、先ず『私は台湾人である』ということだ。

さて、

2008年10月4日。

重厚ながらも軽快なオーラをまとわりつかせて「100年にひとり」の偉大なる人物を『生』で、手の届く距離で見た。限られた人数相手ながら、日本製のビデオカメラのメモリーがいっぱいになるほど、熱弁を振るう台湾の絶対リーダーの姿は、87歳という年齢などぶっ飛んだカリスマ性が、決して誇張されたものではなく、且つ、必然的なものであると感じさせるには十分過ぎるものであった。無礼極まる例えだが、それは「どんなに恐ろしいヤクザにからまれる」よりも、「どんなに耐え難いプレッシャー」よりも重く、また、「すごいことが起きる」という期待感が混在する不思議な感覚、雰囲気を生み出すのだ。

言わずとも、「一国のリーダー」足る者はこうなんだろうと、でなければ、李登輝閣下は李登輝閣下であり得ないと痛感することになった。

ここに挨拶文を、全文記しておく。

私は閣下の生声で注釈つきで、日本語で(関西弁ぽい)その場で聴いた。(自慢)

「2」へ

■2008/10/12 (日) ガチコメ的「それは八角だと発覚した~その2~」2

城総会長、斉藤大使、台湾、日本、アメリカ、ロシアからお集まりの、ご来賓の皆様、こんにちは!ただいまご紹介いただきました李登輝です。

明日、台湾の李登輝友の会、全国集会によって、世界各地区の李登輝友の会の会合を開催するに当たり、海外各地からお集まりの皆様に心から歓迎と感謝の意を表します。

台湾李登輝友の会は2002年6月に設立して以来、各地において台湾の主体性ある歴史観、文化観および民主価値を旨とする活動を始めて参りました。

この6年間はまた、台湾の政治経済が客観的な不正常情勢の影響を受け、残念なことに2004年の選挙以降、台湾の民主化は強化されなかったばかりか、逆に後退的な危機にまで見舞われたのです。

世界第三波の民主化を研究するする専門家であるハンチントン教授は「第三の波として民主化を遂げた国における民主の強化は、つねに4大挑戦に直面する」と語っています。

その一つ目は、民主化過程における参与者の造反。

二つ目は、明らかに反民主的なイデオロギーの政党や政治運動の選挙における勝利。

三つ目は、行政部門の権力壟断。これは民選首長が権力を一身に集め、立法部門の監督を回避し、行政命令で統治を進めるといった自体にも及ぶ。

四つ目は政府が人民の政治権と自由権を剥奪すること。

今日、私たちはこの4つの大きな民主化の挑戦を考え、深く反省し、台湾の民主化の病理を相対的に検討しなければなりません。

この度、世界各地の李登輝友の会聯合会の開催は、皆様のご意見や考え方を交換すべき良い機会でありましょう。ここで、私からも問題を提出して皆様の参考にしたいと思います。

「3へ

■2008/10/12 (日) ガチコメ的「それは八角だと発覚した~その2~」3

一・民主強化には国家のアイデンティティ問題が存在

今年の立法院と総統の二大選挙では中国国民党が勝利を収め、多くの人々が馬政府と中国国民党が「全面的な執政、全面的な責任負担」を行い、台湾の民主化を期待しました。しかし残念ながらその願いどおりには行かず、馬政府はこの3ヶ月以来、中国への傾斜を加速させています。直行チャーター便や観光客の来台のため、まったく存在していない「92年コンセンサス」を承認し、台湾をひたすら「一つの中国」の渦の中に巻き込もうとしています。そして馬政府の「経済は中国に依存する」との総体的政策は、台湾の経済民生を救うことができないことを証明しているばかりか、さらには台湾を中国の「経済を以って統一を促進する」策略から抜け出せなくさせています。

二・台湾が主権独立国家であることの否定は許されない

台湾は一つの「主権独立」の国家であり、一つの「主権在民」の国家です。台湾と中国との関係について私は、1999年当時話した通り、1999年に憲法修正を行って以来、両岸は国と国との関係に定まり、少なくとも「特殊な国と国との関係」となりました。決して「一つの中国」という内部的な関係ではないのです。ところが今の政府は何と自ら主権を放棄するように、両岸関係は一種の特別な関係で、国と国との関係ではないと宣言しました。こうした対外的な自己否定は主権独立国家の行為とはいえません。これは国を裏切り、人民の期待を失するものです。

「4」へ

■2008/10/12 (日) ガチコメ的「それは八角だと発覚した~その2~」4

三・主権は民に在り、政府に在らず

中国への傾斜を拒むには鳥籠の中の公民投票法を修正すべきである

台湾人民は馬英九氏を選出しましたが、これは決して彼に台湾の「主権放棄」の権限を与えたことを意味していません。ましてや中国の一部にさせることなど許したわけではないのです。

もし馬英九氏が今日、多数の有権者が自分を支持しているからとして、92年コンセンサスを承認していい、台湾の主権的地位を変更していいと考えているとしたら、皆様は断じてこのようなおかしな考えを認めてはなりません。有権者はまったくこのようなことを彼に許したわけではないのです。

四・国共両党に台湾の前途の勝手な授受を許してはならない

それから忘れてはならないのは、台湾の主権問題は国際問題であり、台湾海峡の現状が片方が一方的に変更してはならないということです。国共両党がドアを閉め、台湾の前途について協議し、それで天を欺くことができるなどと考えてはいけません。国共が協議を達成し、台湾海峡の現状を一方的に変更しても、台湾海峡の情勢に利害を持つのは両岸だけではありません。周辺諸国も同じなのです。ですから絶対に国共両党の勝手な授受を許すことはできません。

五・民主参与者の腐敗、愛台湾はスローガンに堕した

そのほか、最近ある政治家の海外送金事件に絡む汚職が発覚し、それがどう不法であるかは、司法の判断が待たれています。しかしそこで暴露された民主化過程での参与者本人腐敗、一部支援者が是非を論じなかったり、再三弁護をしていることは、台湾の民主強化に関心のある人にとっては重視に値することです。馬政府と中国国民党の行いは、台湾民主陣営に対する外部の脅威です。しかし民主参与者本人の腐敗と、それに垂れ下がる集団の腐敗は、台湾民主陣営の心腹内の禍です。そして危険性の上では、内部の禍は外部の脅威より小さいとはいえません。

皆さん、私たちの台湾への願望、民主への願望は、社会正義に対する堅い姿勢からくるものです。そうでなければこれほど小さな台湾は、何に依って立つのでしょうか。民主参与者に社会正義がないままで、社会正義のない反民主陣営に勝てるでしょうか。台湾は社会正義がないままで、社会正義のない中国覇権主義に勝てるでしょうか。

「5」へ

■2008/10/12 (日) ガチコメ的「それは八角だと発覚した~その2~」5

六・社会正義を行う「台湾本土」、超越した「新時代の台湾人」を追及

長年にわたって台湾の民主運動は、民主、自由、人権という価値観を標榜し、社会正義をその根本的な哲学の基礎においてきました。ハンチントンは民主の基礎を論じる際、神学者ニーバーの「人類は正義を実践する能力を備えているため、民主を可能にすることができる」という言葉を引用していましたが、人類は正義に反する傾向の中にあって、民主を必須とすることもあるのです。民主の最大の敵は反社会正義です。そのため台湾の民主において、将来最も憂慮しなければならないのはブルー陣営とグリーン陣営の対立ではなく、社会正義が行われているかどうかなのです。ブルーで反社会正義なら悪、グリーンで反社会正義ならやはり悪です。いわゆる「台湾本土」は特定の血統や地域の人の総称ではありません。そのようなものを超越した台湾へのアイデンティティ、社会正義への崇拝、清廉自律、土地をいとおしいことのすべてを指すのです。

七・自己統治能力を備える現代的公民になれ

今日、私たち台湾の2300万人の眼前に横たわっているものは、いかに生存するかの問題だけではなく、如何に超越するかの問題があります。私たちは台湾が正常な国家になることに圧力を加える外圧的脅威を超越しなければなりません。そしてまた歴史がもたらした漂流意識を超越し、低い道徳基準で自己を甘やかす陋習を超越しなければなりません。

こうして初めて、台湾人民にはチャンスが訪れ、アジアの孤児の運命から抜け出し、自己統治能力を備える現代的な公民になることができるのです。

皆様、過去の20数年において、人々の心は台湾の民主化を推し進め、その成果は小さなものではありません。しかし今日の歴史は私たちに新しい課題に直面しています。台湾の民主化に対する内外の危機はすでに眼前に迫っており、さらに向上する力で挑戦を克服しなければなりません。皆で「同じ心で提携」し、引き続き努力して行こうではありませんか。

最後に、皆様の長期にわたる「李登輝友の会」への不断のご叱咤、ご支持に、改めて感謝に意を表すと同時に、皆様のますますのご活躍と、ご健康をお祈りいたします。

ありがとうございました。

「6」へ

■2008/10/12 (日) ガチコメ的「それは八角だと発覚した~その2~」6

これ――――

ある意味、そのまま日本にもあてはまる。

不思議な話だ。ずっと民主主義国である日本にも「同じような課題」が突きつけられているのだ。つまり、日本の民主化もぐらついているということではなかろうか。台湾の偉大なリーダーは、「日本語で日本から来た日本人にも」何かを問いかけていたのではないだろうか。台湾を写し鏡として見るとき、日本の問題点と重なる部分は少なくない。

そして、至極当然ながら、「問題の解決策」のヒントが散りばめられていた。

アイデンティティの崩壊・・・・
独立主権国家の否定・・・・・・
手前勝手な授受・・・・・・・・

スローガンにもならない愛国心・・・・・。

そして、

基盤となるのは社会正義。つまり、民主の最大の敵は反社会正義・・・・。

戦後の民主主義教育とやらでズタズタにされた「日本人のアイデンティティ」は、己の国を否定するところまで悪化した。「日本の背骨を腐らせる」という共通目的の下、大同団結した売国と反日は、日本人の民族性、あるいは敗戦からの傷心を逆手に取り、また、不安定な生活からのブレークスルーを「与えてもらった民主化のお陰」という大嘘を垂れ流し、ありとあらゆる手で戦前を否定することに躍起した。

戒厳令が敷かれていた当時の台湾や、今も昔も韓国が「どうやって近代化したのか」に触れないまま教育がなされることにより「(反日でなければ)アイデンティティが持てない」ならば、翻って日本は「なぜ近代化したのか」を教えないまま、いや、あたかも「隣国を侵略するがために」軍国主義国家となっていったと大嘘を擦り込むから、日本人のアイデンティティは立ち腐れることになった。

政治屋はそれをさらに悪用し、政治家は戦勝国のパワーバランスの前に四苦八苦することになった。日本の大人たちは、貧しさの中から「モノの豊かさ」を追求することに邁進し、世界でも究極と言っていい復興と成長を実現させた。そこに「日本人のすごさ」を垣間見せたことに異論はないが、あまりに狭窄した熱心さは売国と反日の危険に気付かぬまま、次世代に何も残せなくなった。「モノに溢れる」社会は「モノを消費する」社会となる。

「7」へ

■2008/10/12 (日) ガチコメ的「それは八角だと発覚した~その2~」7

後進は「モノを造る」必要性が希薄となる。また、それ以外の価値感は教えられなかったから、なんとなく社会はつまらないものに感ずる。つまらない社会はつまらない人間を生み出すのだろう。哲学的でもなく、宗教的でもない「自分とは何者か」に若者は躓き始める。金があるモノは浮かれた。夢のような生活に疑問も持たず、無くなるまで気付かないのは今も少し前も同じであるが、その「立ち上がり方」は徐々に弱く、遅くなっている。

また、国でも人でも「自尊心」を失えば、ある種の自暴自棄ともいえる思考に陥りやすくなる。「どうせ」とか「たかが」というニヒリズムを介する自己嫌悪は、その存在だけではなく、それらを作り上げた環境、慣習までをも否定する。すなわち「己の周囲を否定する」ことからアイデンティティが溶解し始めることになるわけだ。

己を創りあげたもの(こと)を否定するということは、つまるところ、己の否定に他ならない。その病的なまでの個人主義は、すべからく戦後民主主義教育によって創りあげられてきたと自明であるが、現在、ようやく、そこから解き放たれようとする傾向も見られることになった。それは明らかに(やりすぎによる・笑)「売国・反日の失敗」と、日本民族への軽視であった。英霊のDNAは、そんなもんではなかったのだ。

日本民族の「足場」までは解体されていなかった。できなかったのだ。世代が変わり、時代が変わり、日本の少なくない若者は「足場」からまた組み始める。バラバラにされた設計図を寄せ集め、「自分とは何なのか」を見つけ始める。いま、ここである。

「8」へ

■2008/10/12 (日) ガチコメ的「それは八角だと発覚した~その2~」8

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さて、ホテルのBARで会長としーたんと飲み、室内の温度を16度に設定して眠ると次の日は「李登輝友の会・世界大会」が開催された。なんと、国会が大変で欠席された「改革クラブの大江康弘議員」の挨拶を、我が虹の会・会長が代読するという段取りになった。

1000名を軽く超える超満員の大会で、2年前まで「ハゲリーマン」と名乗っていた会長があの壇上に立つのかと思うと、当事者でもない私までが緊張してきた。だって2年程前には布施で飲んでただけなのである。たまたま、偶然に知り合ったハゲとデブが飲んでただけなのに、どこの誰がその2年後、こんなえらいこっちゃの大会で、しかも壇上に上がっていると想像できたのか。李登輝閣下が立った同じ壇上でハゲリーマンがしゃべると言うのだ。これはもう、私の中ではえらいこっちゃなのである。

それに、万が一、だ。テンパッて「やしきたかじん~李登輝バージョン~」でも歌い始めたらどうしようと、私が心配になるのも無理からぬことであろう。

っと・・・・

・・・・。

大きな拍手が沸き起こり、歓声が上がった。

壇上に立ち、李登輝閣下の巨大ポスターに対し、深々と頭を下げる会長の姿、姿勢に会場が沸いた。正直、鳥肌が立った。惚れ直した。

いやぁ、堂々たるもんだ。やはり、この人は会長だ。「たいていの大人の男は舐めてかかる」私ですらが尊敬するはずだ。くどいとキモイかもしれんが、本当にカッコ良かったのだ。

その後もみんなから絶賛されていた。ハゲリーマンは世界のハゲリーマンになった。そして「たいていのことには嫉妬する」私ですらが誇らしく思った。もう、いい加減キモイかもしれんが、本当にそのくらいカッコ良かったのである。

ともかく、台湾ビールも美味かったし、人も街も「食事以外(八角)」は気に入った。忘れられた日本の遺産が残る台湾に、是非とも倅を連れて行きたいと思う。妻には「士林」の「イチゴアメ」を買ってあげたいと思う。

暑くて熱い台湾で。

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