http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=522442&log=20080618
あの、「校歌に校名がなく支那語と英語がある」という驚くべき小学校の続報をくれた。日本人は「日本人」と呼び、支那人は「中国の方」と呼べと教えるあの小学校だ。少し書く。
夏休み、一人の生徒(6年生・支那人)が「空き巣」で捕まった。ソコから、出るわ出るわで20数名(わかっているだけで)!!もう「中国少年犯罪クラブ・ロン」である。
内、日本人の生徒は4名。それもファーストフードを奢ってもらったり、直接、現金をもらったりしたという。
それに「空き巣」だけではなく、「ひったくり」や「置き引き」も行っていたというから、さすがは犯罪国家の期待の星であろう。外国人で未成年、さぞかしこの国での暮らしは快適だったと思われる。件数はもう不明であるという。
私は近隣の犯罪発生数などを調べてみた。あまり地域が特定されてもアレなのでソースは貼らないが、どうかご理解いただきたい。
近くの「住居密集地」などと比しても、その「校区」の件数はひと目で異常であると認識できる。マップにマーク(発生地点)が記されるのだが、明らかに数倍、いや、もっとか。それも7月後半~~8月の数値が異常であった。つまり、合致するのだ。夏休みと。
学校側の言い分は「被害届が出ていない」というらしい。「空き巣」はともかく、「ひったくり」で被害届を出さないなどあり得るのか?さっきのマップは関係ないと?
おそらく、ほぼ確実に「あの周辺」は「支那人の餓鬼の狩場」であるのだ。そして、やはり、学校側は「一切の情報公開はしない」という。理由は「子供達に子供らしい学校生活を送らせるため」であるという。支那人の子供の人権を守るためだそうだ。
ふざけすぎた話である。この校長は日本人らしいが、そこの教職員の過半は支那人であるという。日本人の子供に支那の歴史を教え、支那の文化を素晴らしいと教える。そして、その支那人の餓鬼どもは、なんら反省するそぶりもなく遊び呆けているらしい。もう、舐めきっているのだ。
で、その支那人窃盗団だが、もちろん、「見張り役」もいれば「実行部隊」もある。それに、被害に遭うのは「戸締りを忘れた家」だけではあるまい。すると、そこには当然「技術」と「道具」が見えてくる。つまり、完全に役割分担をなした「犯罪集団」であるわけだ。
対象はもちろん、過去の戦争で平和な中国大陸を侵略した悪鬼・日本人、小日本、日本鬼子、東洋鬼の末裔である。「日本人には何をしてもよい」と擦り込まれた支那人の小学生が、単なる「コソ泥」でなく「刃物」を具備するまでもう少しか。
今回の件(常習的だと思われる)も、支那人の餓鬼どもに捜査が及ぶころには、もう卒業してわけがわからんのだろうか。何人かは捕まるのだろうが、そこは天下御免の少年法&外国人。差別だと騒げばたちどころに無罪放免、いや、逆に損害賠償請求もアルヨ!!
で、アレだ。この事件の実態を調べたりしようものなら、店にトラックが突っ込んだりするのだろう。家族や社員に何らかの事故や事件が起きるのだろう。ほんと、どうしようもない。警察は及び腰で「被害があったらすぐに通報してください」というのが関の山か。
もう、自衛を呼びかける他ないのだろうか。税金払うの止めようかな。
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「保護者を集めて話し合う」といっても支那人の親どもは知らぬ存ぜぬ、出てこないという。まあ、出てきたところで非を認めて謝罪して弁済するとは思えんが、どこの国でも「あの民族性」である。公然と嘘をつき、平然と開き直るのだろう。
無論、学校側もそれを咎めるなどあり得ない。事なかれ、先送り、隠蔽体質。学校の名前が出ないように、己らの仕事が増えないように、もしくは本気で「可愛そうな中国の方」を庇うキチガイもいるやもしれぬ。日本人は「そのくらい」の目に遭うべきだと・・・
「話し合い」ができない人がいる。「話し合い」が不可能な連中もいる。
よく、テレビなんぞで「野生のサルが出た!」とか「また、熊に襲われた!」とやる。そんなとき、村人や警察はライフルを持ち出し、ためらいなく射殺する。無論、危険だから仕方がない。麻酔銃を撃ち、捕獲して動物園に送るというのも現実的には難しい。
「人を襲った」という過去、事実はそれほどのことだ。しかし、言うまでもなく動物に「犯意」はもちろん「悪意」もない。集団で計画的に民家を襲ったり、ついでにレイプしたりもない。見張りもいない。そう考えれば考えるほど、私の中で「ある種の倫理観」が壊れはじめる。「悪戯」とか「悪さ」で片づけることのできない「確信的犯罪行為」に対しては、せめて毅然とした態度で、あくまでも犯罪は犯罪として処断すべきではないのか。
こちら側の妥協、許容範囲、受容力を計算して行う「悪事」に対しては、厳しい態度を持って接することが肝要ではないか。とくに文化も習慣も違うと知れている外国で、更に民族的な怨嗟を温床とした犯罪ならば、その悪逆非道さは計り知れないことになろう。
悪事に対する「犯意」すら正当化させる過った歴史教育は危険である。事実を歪めた「正史」は都合よく利用されるのだろうが、その弊害はいずれ己に跳ね返る。
さて――――
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
<テロ指定解除―核放棄の流れを止めるな>
産経新聞でさえ、
「アメリカは北に譲歩した。極めて遺憾である。」
「北朝鮮の瀬戸際外交に屈したアメリカ」
と批判し、
「日本が自立するチャンス」
とまで書いた。よほど失望したのであろう。まったく同感である。
ということは、普段はアメリカを非難している朝日新聞にとっては喜ばしいこととなる。昨日も実にうれしそうな記事を書いていたが、今日は社説でフォローしまくりである。
<米国が北朝鮮に対するテロ支援国家の指定をついに解除した。ブッシュ大統領は麻生首相に電話し、拉致問題への配慮を表明した。日本側の心配は分かるが、やむをえないのだという意思を伝えようとしたのだろう。>
バカバカしい。なにが<意思を伝えようとしたのだろう>だ。そのまま「北朝鮮へのテロ支援国家指定解除を歓迎する」と書けばいい。その上で「日本は早急に1兆円の援助を行い、過去の清算を急ぐべきである。国交を正常化してこそ拉致問題の解決も見えてくる」とすればいい。ったく、汚い紙である。
<確かに、指定解除にあたってはもっと厳密で広範な検証の約束を取りつけるべきだったろうが、今回の合意でも核兵器材料のプルトニウム抽出の実態に迫ることはできる。このままでは、流れ全体が滞ってしまいかねなかった以上、米国の選択にはそれなりの意味があると考えたい。>
気色悪い。ここでは麻生総理と同じことを言うのか。
いずれにしても、だ。
「拉致攻撃」というテロを容認したまま、「北の核を無能力化させた」という「ブッシュ外交の成果」として大見栄を切るつもりだろうが、これは明らかに日米外交の敗北であり、日本への安保条約の切り捨てである。朝日記事の<それなりの意味>とは笑わせるが、すなわち「同盟国の国民を拉致している独裁国家」の指定解除を行ったという事実は消えない。もう、やっと、アメリカという国はそういう国であると目が覚めただろう。
ともかく、凹んでいる時間が惜しい。女々しく泣く親米保守の手を払い、アメリカ様は玄関を開けて出て行ったのだ。すなわち、日本は見限られたのである。ウダウダせずに、とっとと自立しろ。
また、今回の「アメリカ外交の敗北」は、世界のテロリストに夢と希望を与えることになっただろう。ついにリバイアサンはテロル(恐怖)に尻尾をまいた。正義もなにもかなぐり捨て、実に政治的な判断を下した。もちろん、これが「直接」アメリカの国益になるはずもないが、なんらかの「利」を選んだには違いない。
大局的な見地から「拉致」よりも「核」を優先させたのだと正当化することだろう。あの悪魔の所業である原爆をも正当化したアメリカである。ご都合主義でよろしくであろう。
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