忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

月に128回は贅沢したい。肉喰いたい。

2009年08月27日 | 過去記事
■2009/08/27 (木) 月に128回は贅沢したい。肉喰いたい。1

もう、アレだ。無職バンザイだな。

http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009082001000720.html
<民主、13年通常国会で年金改革 政権獲得後へ方針>

「働こうと思っているが仕事がない。」と言っておれば安泰だ。腹が減ったら、そこらの政党事務所に行って「自民党の所為で、小泉構造改革の所為で食事もできません。助けて下さい。」と言えばいい。宣伝利用されるだろうがメシくらい喰わせてくれるだろう。

私も行こうかな。「チョパーリの所為で月に一度の贅沢の上カルビが食べられません。体重ですか?105キロですニダ。」とか言おうかなという今日この頃、一所懸命働いて、それこそ、周囲が遊び呆けている間も必死のパッチで働いて、若い身空で海にも行かず、山にも行かず、女の子連れて遊びにも行かず、言われるがまま税金払って、言われるがまま残業して、子供の学費払ってメシ喰わせて、少ない小遣いに文句も言わず、やっとこ生活が楽になってきたと思ったら、まだ虐めるつもりか。もう勘弁して下さい許して下さい。

<民主党は現行制度を抜本的に改め、職業に関係なくすべての人が同じ制度に加入する「一元化」を目指す。収入の15%の保険料を納付し、将来はそれに見合った額を受給する「所得比例年金」に「最低保障年金」を組み合わせる構想だ。>

4年後といえば・・・私は42歳か。

・・・働き盛りぢゃないかぁ(泣)。厄年ぢゃないかぁ(泣)。

もう、民主党が政権とってもいいから代表は「長尾た○し」にしる。せめて、しる。

おまいら、麻生さんが「金がない奴は結婚するな」と言ったとかで批判してるくせに、そんなんだったらもう、誰も結婚しないぢゃないかぁ。それに、やっぱり「そんな意味」では言ってないぢゃないかぁ。舛添さんもそうだが、百歩譲って悪意があったにせよ、それでも「厳しいことだが、それはそうじゃないの?」という程度じゃぁないかい?

「2」へ

■2009/08/27 (木) 月に128回は贅沢したい。肉喰いたい。2

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090824-00000224-jij-pol
<首相の「結婚しない方がいい」発言を一斉批判=岡田氏「現実分かってない」>
http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009082401000842.html
<派遣村めぐり舛添厚労相に抗議文 「怠けてる連中」発言と>

ったく、阿呆らしい。派遣村?抗議文書いてるヒマがあるなら履歴書書け。ど阿呆。イオンもなにが「現実分かってない」だ?中国様の許可は得たのか?得てないでしょ?

・・・。

にしても、回転寿司40皿以上は喰い過ぎだろっっ!(いきなりww)

我が家は妻と倅(17)を連れて行っても「35皿」だ。私が20皿喰うのだ。んで、倅が12皿+肉うどん。妻が3皿+マンゴープリン+パインジュース+シュークリーム+きつうどんだっっ!!どうだ!違う意味でも喰い過ぎだろっっ!!生活保護とかもらってないし!

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っと、まあ、そういうことで、だ。

世の中には「弱者」と呼ばれる人がいる。いわゆる「社会的弱者」のことだ。老人や障害者、子供や病気や怪我で苦しんでいる人などだ。

あえて言うが、これらの人々は人間社会において「必然的」に発生する不可抗力的な存在である。サイボーグじゃないんだから、一定数の人間が集まれば、必ずや一定数の人間が弱者となる。誰でも年を取るし、誰でも「大人の保護下にある児童」である時期はある。

そして、ある程度の個人差はあれども、往々にして同じくらいの時期に自立し始める。また、本人の責任は関係なく病気になったり怪我をしたり、障害を持って生まれてきたり、障害を負ったりもする。

「3」へ

■2009/08/27 (木) 月に128回は贅沢したい。肉喰いたい。3

政治家がこれらの「社会的弱者」に目を向け、積極的に支援する法律を作ることは必要である。道徳的にも人道的にも「行うべきこと」であるといえる。無論、そこに「身内や隣近所の助け」などもあろうが、そういう存在が近くにない人もいる。だからこそ法律として策定し、それを国家が運営することに意義はある。出来る限り広く、出来る限り深く、弱者救済という意義を果たすことも「国家」としての役割であろう。

政治家も「困っている人を助けたい!」という公共心くらい持ってなければ困るのだ。「(弱者を)探してくる」くらいの行動力も必要だろう。「弱者はいねーか?弱者はいねーか?」と探し回る政治家がいてもいい。それも政治家の仕事のひとつだと思うからだ。しかし、だ。

同時に行わなければならないのは、

“弱者を減らす政策”

も打ち立てねばなるまい。これは当たり前の話だが、つまり、国が「持たなくなる」からだ。「大勢の強者によって支えられる弱者」という構図が反転した場合いったいどうなるのか、説明の必要はあるまい。更に言えば、だからこそ「弱者のフリ」だけは許してはならないのである。コレは秩序を崩壊させる亀裂となる。

「4」へ

■2009/08/27 (木) 月に128回は贅沢したい。肉喰いたい。4

そう。言うまでもなく「秩序」の問題だ。弱者を支える強者のモチベーションを壊さないためにもだ。弱者がいつまでも弱者でいないためにもである。そして、「弱者がいないと困る」という奇特な連中を見落とさないことだ。弱者を喰い物にしつつ、新たな弱者を探す連中がいる。論理破綻しながらもゴリ押しで、倫理観も捨て去りつつ「弱者」を探す。造り出す。

「一定数の弱者」は仕方がない。健康で働ける国民が支えねば仕方がない。単純な構造だ。国民は税金を支払い、それを国家が運営することで問題はクリアされる。増税するにしても「福祉に使います」と言われれば批判もされにくい。それは大筋で正論だからである。

旧聞だが、北海道のヤクザが夫婦揃って「飛行機に乗って東京の医者まで行く」ということで、莫大な金額を不正受給していたという報道があった。他にも「偽装離婚」と呼ばれる不正受給もある。計画的に母子家庭となり、母子医療費の控除や母子加算手当などの助成金を受け取るわけだ。学費も免除されるし、何かとお得なのだろう。もちろん、生活保護の申請も合わせて行う。そうして、みんながみんな豪遊しているとは言わないが、それなりに贅沢な生計を立てていると言って差し支えあるまい。

例えば、月に一度の贅沢と称して寿司を摘むなどだ。髪を染めてブクブク太ったりするのである。長男とやらも定時制に通っているらしいが、昼間にアルバイトでもして「大好きなお寿司」くらい母親にたらふく食わせてやれと言いたい。税金で喰うなら、その店にいる全員に「御馳走様でした」と言うくらいの謙虚さは欲しいところである。

こういうのは「弱者」とは言わない。「弱者」という立場を利用しているだけだ。戦後の日本のマスコミや日教組や反日左派が、悔しいとか恥ずかしいという観念を滅ぼした証左である。元来、こういうのは「恥知らず」というのだ。人様の働いた金で暮らしながら「寿司が喰えるかどうか」を引き合いに出すなど、羞恥心が崩壊しているのである。なぜそうなったかと言うに、それは「権利」に対する誤解から発生する傲慢なのである。「してもらって当然」はエスカレートするのだ。

「5」へ

■2009/08/27 (木) 月に128回は贅沢したい。肉喰いたい。5

「欲しいもの」が手にはいらないとき「持っている人」と比べるのである。その「持っている人」がどうやって手に入れたのかは問わない。「ある」と「ない」だけだ。無ければ「権利が侵害されている。世の中がおかしい。」と判断するのである。

この「胸を張った弱者」の多さはどうだ。「悔しい思いをして成り上がる」というモチベーションもなく、「我慢して耐え忍ぶ」こともせず、子供のように甘えて暮らす。無ければ「ないない」と騒ぎ、くれるまで騒ぐ。それを利用する輩は「かわいそうだ。弱者救済だ。格差社会だ。」と扇動する。国家は自信がないから慌てて手を差し伸べる。他の一所懸命に働く国民の税金を惜しげもなく投入する。税金を納めるのが馬鹿らしく思える。

天は自らを助くる者を助く

自力で何とかしようと努力する「弱者」のみを救うべきなのである。病気の所為、怪我の所為、障害の所為、ましてや「政府の所為」などと「してもらって当然」という弱者は全体の秩序を壊すのである。家庭でも地域でも、企業でも国でも、それらはすべからく「努力する人」が支えている。大切にすべきは「支えている人」であり、救うべきは「立ち上がろうとする人」なのだ。

神輿を担いでいて「ぶら下がっている人」はいないほうがいい。足がついてないのに、声だけ「わっしょいわっしょい」言っている人間は放り出さねばならん。神輿が崩れるからだ。支えている人の負担が理不尽に増すからである。

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