忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

良い夫婦の日はカレーと共に

2009年11月23日 | 過去記事
■2009/11/22 (日) 良い夫婦の日はカレーと共に 1

マザーテレサは言う。

「世界平和のために何ができるか?家に帰ってあなたの家族を愛しなさい」

うむ。なるほど。その通り。

あと、好きなのはコレだな。

“良妻は善良な夫をつくる”byトマス・ヘイウッド

「善良な夫」というのがいいね。意味が深いねと言う今日は11月22日。なんでも「良い夫婦の日」というらしい。バラを贈れということだ。なんだ花屋の商売か(笑)。

サイトを見ると「ダズンローズ」とかいうヨーロッパの古い風習だとある。愛する女性に贈る『12本のバラ』には、それぞれ「感謝・誠実・幸福・信頼・希望・愛情・情熱・真実・尊敬・栄光・努力・永遠」の意味が込められており、男はこれらすべてを誓ってプロポーズする。ちなみに「友愛」はないみたいだったからほっとした。ンで、女性がそれを受け入れるときは、その中のひとつを選んで旦那の胸にさすとある。なんだ、旦那には12個も約束させておいて、オノレはひとつだけかい??(正しい意味は知りませんww)

しかし、まあ、『12個』も覚えられるだろうか。大変だぞ、これはww

でも、あの「跪いてプロポーズする」みたいなんは憧れる。なんか格好が良いではないか。私は「女の言うフェミニズム」は嫌いだが、男が言うのは好きだ。おそらく白人国家だと思うが、70過ぎたじいさんが70過ぎたばあさんに対し「今日の口紅の色は素敵だね。胸がドキドキするよ」とか言うのは認める。チョパーリもどしどし言うべし。

そういえば「台湾」もフェミニストが多いと聞いた。デートの際は必ず男がバイクに乗せて家まで送る。バレンタインデーも男からプレゼントを渡して愛の告白をする。ともかく、共通して言えるのは「女性に恥をかかせない」ということか。これは認める。

「2」へ

■2009/11/22 (日) 良い夫婦の日はカレーと共に 2

日本では「この愚妻が、まあ、もう、これでね」なんて言う。日本人の悪いところだ。謙遜のつもりなのだろうが、社交場であれ、どこであれ、それ、ホンマに格好悪いと思うぞ。また、「奥さん、綺麗ですね」と社交辞令を言われた際、受けるのは「いえいえ・・」であるが、しかし、この「いえいえ・・」の後には「でしょう!!私もそう思ってるんですよ、あっはっは♪」である。口にしない、言わないだけだ。

ンで、別に女優じゃあるまいし、そりゃ「ベッピンさん」であったほうが何かと便利ではあるが、ンなもん「カーナビがあるかどうか」程度のもんだ。本質的には関係ない。あったほうがいいかもしれない、という程度だ。とくに「いいなぁ・・」とも思わない。そもそも、そんなことを抜かす野郎どもは、全員がジャニーズ事務所に入れるほどの「イケ面」なんだろうな。(客観的な)美人くらい銭があればナンボでも連れて歩ける。しかし、一生メシ炊いてくれる「嫁はん」は貴重だぞ。拝み倒していてもらうべし。嗚呼!捨てないで!

そういう値打がわからん連中がこんなことをする。嗚呼、恥ずかしい団塊の世代!

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009112100210
<鳩山首相夫妻、支持率2位=60代、「いい夫婦の日」調査>

というか、これ、単に「よく知っている(よく見る)夫婦」ではないのか。もちろん、テレビのお陰で。ま、選考理由もそう予想されているがね。

<先の衆院選で大勝した後、手をつなぐなど夫妻の仲むつまじい様子が繰り返しメディアで取り上げられ、同年代の印象に残ったようだ。>

つまり、これは大げさでも何でもなく、先の総選挙と同じということだ。とくに何も知らなくとも、なんとなく「テレビで好意的に取り上げられているから」という理由で評価してしまっている。もちろん、こんな花屋のイベントならばどうでもいい。勝手に汁。

「3」へ

■2009/11/22 (日) 良い夫婦の日はカレーと共に 3

しかし、言うまでもなく、こんなの安倍さんでも麻生さんでもやれたはずだ。今、天国から英霊と共に日本国を案じている中川昭一氏も、あのように「テレビによる連日の殺人的なイメージ操作」ができたならば、それと逆のこともできただろう。いや、無理せず、そのままをそのままに報道するという「マスコミ本来の仕事」をしているだけで、ずいぶんイメージは変わったはずだと思う。テレビ露出が増えただけで、それも安物のドラマのごとく「仲むつまじい様子」を繰り返し繰り返し流されただけで「いやぁ、あの夫婦のようになりたいね」と思うという浅薄こそ、イメージなどテレビマスコミがどうにでもできるという証左だ。怖いわ。

-
-

今年に入って、それはもう、素晴らしい結婚式に出席させてもらう機会が2度ほどあった。いずれも仲むつまじい夫婦が新たな生活をスタートさせた。マザーテレサに言われなくとも「家庭を大切にすることが最大の義務であり最大の権利」だと、十分に認識している素晴らしい夫婦だ。夫婦生活は期間も「回数(笑)」も私が先輩だが、これまた、なかなかに学ぶ機会にもなった。新鮮なもんだ。

結婚式に出席させてもらうと、その親御さんを見ることもできる。いわゆる「ご両家の皆様」である。友人知人に興味もあるが、私は何より、その新郎新婦を育んできた人達を見ることは貴重だと思う。大仰かもしれないが、私はそこに「縦軸」をみるのだ。

よく、したり顔で「目ってさぁ、なんで前に付いているか知ってるかい?」と聞く。答えは「前を向くためじゃん♪」であるが、本をあまり読まず、浅学な阿呆のくせに「上から物を言いたいだけ」の御仁が言ったりするアレだ。最近も聞いた。誰とは言わない(笑)。

私はこの続きを問うてみたい。つまり「前に付いてる」だけならば、てぃんこもそうだ(すまん)。だからあまり意味はないと思う。だって「顔が前に付いてる」から仕方がないのだ。そうではなく、私はこう問うてみたい。

「目はなぜ水平についているか」

しんきんぐたいむすたーと「4」へ

■2009/11/22 (日) 良い夫婦の日はカレーと共に 4

私はこう思う。

人は呆けていても「水平」は見える。後ろでも横でも、顔を回すだけで見られる。そこに何かない限り『見よう』と意識することもない。しかし、「上」はどうだろう。「下」はどうだろう。これらを「見よう」とする場合、そこには必ずしも「意志」というものが存ずるはずだ。自らが首を上げたり下げたりせねばならぬ。「見よう」と意志を固め「見なければ」と決意せねばならぬ。

空を見上げるとき、それは雲行きが怪しくなってきた時かもしれない。ヘリコプターが飛んでいくからかもしれない。地面を見るとき、それは足元が危ないときかもしれない、階段があるからかもしれない。つまり、何か「理由」がいる。

横を見れば妻がいる。しかし、意識して上を見ないと妻の親は見えてこない。横を見れば妻はいる。しかし、意識して注意深く下を見ないと子供が見えなくなってくる。さらに天まで意識して見上げるに、そこには「御先祖様」が見えてくる。連綿と続く「自分の今まで」が、決してボウフラのように沸いたものではないとはっきりと言い切れる。すなわち、己の生命がどこからきたのか意識することができる。「どこに向かうか」は無限であるが、「どこに向かってはいけないか」がなんとなくわかる。

さらに地面の下まで意識するに、自分の子供のころが見えてくる。どれほど寵愛されてきたのか、どれほど期待にまみれて育てられてきたのか。また、自分は子供に何を期待すればよいのか。親は自分たちにどうなって欲しかったのか。自分は子供にどうなって欲しいのか。自分の子供が「どこに向かうか」は無限だが、「どこに向かわせてはいけないか」がなんとなくわかるのだ。

湧き上がる気持ちは上下同じ。

「ありがたい」だ。

感謝で胸がはち切れそうになるはずだ。それは、

「産んでくれてありがとう」は「産まれてきてくれてありがとう」と同じだからだ。

「5」へ

■2009/11/22 (日) 良い夫婦の日はカレーと共に 5

-

華やかな新郎新婦、とくに「ちっきしょー!うまいことやりやがったなぁ!!」という際は、ついぞ新婦に見とれてしまう。私が今年に入って出会った新婦は二人いるが、そらもう、どちらもとびっきりの美人だった。ならばもう、新郎に嫌味のひとつでも喰らわせたくなるほど美しい新婦さんだった。賢くて可愛い、素敵な奥さんになるだろう。

そして、言うまでもなく、もっと素敵だったのは、その親御さんだ。

先ほどの「ダズンローズ」・・・12個の意味は「感謝・誠実・幸福・信頼・希望・愛情・情熱・真実・尊敬・栄光・努力・永遠」だった。これらがすべて結晶化されていた。

これほど美しいものが他にあるはずもない。これほど尊いものが他にあるはずもない。

-
-
-

今日、我が家は「カレー鍋」だった。仕事が休みだったから、妻と倅と昼飯を喰いに行ったあとで買い物をしてきた。作るのはもちろん私だ。野菜やキノコを入れて、たっぷりの豚肉500グラムを投入する。ぐつぐつと仕上がったらテーブルに運び、勉強している倅と、なんか「子供の雑学」などを読みふけっている妻に声をかける。

熱いし、危ないし、ということで私が取り分ける。最後の「ソバ投入」までが私の仕事だ。まあ、しかし、全部なくなった。からっぽ。倅はよう喰うようになった。

冗談を言いながら爆笑して食べる。妻に文句言われながら食べる。妻にアレを取れ、コレを入れろと命令されながら食べる。「しらたき」が熱いのは仕方がないのに、私が叱られる。

私は本当に果報者だ。ありがたい。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。