忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ブタ子の春

2012年01月02日 | 過去記事

元旦。職場に行くと、あけましておめでとうございます、どころか雰囲気が悪い。私が去年得たどうでもいい情報を駆使して観察すると、パート職員が一斉にお休みというこの状況は、意図せず「シフト調整の妙」を生み出し、同じフロアに「元カノ」やら「元カレ」あるいは「今カレ」やら「今カノ」が同じフロアに集まってしまう、という修羅場を作り出していたからだった。これまた、いま、机を運んでいる彼の「今カノ」は、あそこで雑談している彼の「元カノ」だったりして、コレがなかなか素人には判断し辛いわけだ。
 
パチンコ屋のときも「わしゃペットショップの親父か」という愚痴を垂れたことがあった。オスとメスをゲージで仕切っていないとすぐに交尾を始める、という意味だが、改めて中年と呼んで差し支えない年齢の者を交えた恋愛ドラマ、好きだの付き合っていただの、振られたの遊んでるだけだのが跋扈する職場というのは不気味だ。それに大した人数でもないから、どうしても「かぶる」わけだ。昨日まで友達の彼氏だったのが、いまは、自分の彼氏とかになるから、どうしても友人関係、この場合は職場の人間関係となるが、これがギスギスし始める。正直、付き合ってられない。

韓流ドラマだけではないが、テレビで見る安モノの恋愛ドラマなどをみていると、こいつら、いったい、日常生活というのはどうなっているんだ?と思うことがある。仕事中も関係なく、昼も夜も好きだの嫌いだので振り回されるアレだ。酷いモノになると、仕事場を放り出して告白しに行ったりする。発作である。他にも、急に道路に飛び出し、ボクは死にましぇん、とかやるのもあった。夜中にまでお仕事している運送業のトラック運転手も「死にてーのか!ばかやろう!」と怒っていた。御尤もである。心中お察しする。

コレは私の持論だが、恋愛感情という「精神障害状態」とは「麻疹」みたいなもので、これは若いときに済ませておくべきだ。ちゃんと人並みに経験していれば初症状を把握すると同時に対策も取ることができる。熱っぽくなって頭がぼーっとしたら、その日は温めの風呂にゆっくり入り、少し早く休んでしまうのと同じだ。また、合わせて免疫をつけておくことが肝要だ。これを中高年になって患い、こじらせると命にかかわることもある。

しかしながら油断大敵である。素知らぬ顔をした私が居室で婆さんを着替えさせながら、せっかくの「元旦トーク」をしていると、目の前のカーテンの隙間から豚みたいな顔が出てきた。微笑んではいるが目がウルウルしていた。私が本当に驚くと、その豚は少し笑ったあと、ぶりぶりしながら「恋愛相談」をしてきた。この豚、20代半ばなのが救いか。

コレは私の日頃の行いの所為だが、今の職場でも知らぬ間に「相談室・ちよたろ」みたいになっている。電話とメールで受け付けはしてないから、ある日突然、何の前触れもなしに、このようにカーテンの隙間からでも豚とか猿とか、ワニとかアヒルが来る。

私はこの無防備な顔と腹を晒して「どーおもいます?」と、うるうる&きゃぴきゃぴ言う豚との距離を計り、効き腕である右からのジャブで牽制しながら踏み込み、そのまま意表を付いた右肘で顎を貫き、軸足になった右足を更に回転、加速させて左足踵で豚の左脇腹を裂き、倒れ込む豚の位置を把握しながら、今度は蹴り放った左足を戻すと同時に右ひざで狙いをつけ、豚の腹部、もしくは喉頭にそれを深く突き刺し、悶絶する豚の顔面に頭突きを数発、戦意を失った豚の体にまとわりつき、どの角度からでもいいが、全力で頸動脈を締め上げるのではなく、挟み潰すような意志を持って仕上げる妄想をしながら続きを聞いた。・・・はぁ、どうかされたんですか・・・?

職場には阿呆ばっかりでもなく、マトモなひともいる。どこかの施設で管理職をしていた、というオバサンもその一人だが、そのオバサンに相談したところ「バカバカしい。ホストにでも行って遊んで来い」と言われたそうだ。それがショックというか、ムカついたらしく、だからいま、そのカーテンの隙間から豚鼻を出してふがふがしているのである。

私は感心した。なぜというに、それが正解だからだ。私はこのオバサンとなら飲みに行っても良い、と思った。事実、話は合うし、仲良くしてもらっている。



「だって、そんなのニセモノじゃないですか!」

「KARAの大ファン」という豚はふがふがしている。これは動きそうもない、と判断した私は、とりあえず、お婆さんの着替えを済ませてベッドに寝かせた。


――――んじゃ、ホンモノって、たとえば、どういうものです?




あんまりうら若き乙女を豚豚言うのも気が引けてきた。だからいまから、この女性職員を「ブタ子」としよう。ブタ子は職場内の30代半ば、中途半端なふらふらした兄ちゃんに「好きだ」と言われたそうだ。これは何度かあって、この兄ちゃんは私の眼前でも言っていたこともある。プレゼントもあった。百円ショップで売っているレベルのモノだが、女性ならわかると思うが、モノとは気持ちであって値段ではないから、ブタ子はとても喜んでいた。それは、まあ、しばらくは微笑ましいものだった。

しかしながら、このふらふらした兄ちゃん・・・・いや、職場の先輩を馬鹿にするのはよろしくない。だからいまから、この兄ちゃんを「ふら男」としよう。ふら男はブタ子にもプレゼントをするが、それは他の女性職員にも同じようなことをしていた。映画に誘ったり、ファミレスやファーストフードだが、食事に誘ったりするのも同じことだった。

その中には「昨日、夜景を観に行こうと誘われて、そのあと・・・・うふふ」という、聞きたくもない「生情報」をくれる当事者もいた。ケツから湯気でも出ているのかと思った。ちなみに、その女性は30代半ばだ。

別に不特定多数の異性と交尾したいなら勝手にすればいい。これもよくパチンコ屋のときに愚痴っていたが、そこらの原っぱで勝手にしていればいいことだ。犬でも猫でもそうしている。そして、それを誰も咎めない。


――――ホンモノとニセモノの区別、ちゃんとできてますか?


ブタ子は考えている。考えているが、どうせ質問の主旨などわかりはしない。菅直人と同じだ。また、ブタ子は私が腕を組んでベッドに座り、さあ、話を聞いてやろう、という姿勢をとったこともあろうが、なにやら「叱られている」ような表情になった。



いいですか?大事なのは――――



ふら男はニセモノだった。それは「本物」と偽装したニセモノのことだ。少なくともブタ子は「好きだ」という言葉が「本物」だと思った。だから「裏切られた」とか「騙された」という言葉を発する。そして、ふら男の用意したニセモノとは劣悪極まりない、杜撰なニセモノだった。LOUIS VUITTONのバッグだと思って買ったら、カタカナで「ルイビトン」と書いてあったほど、冗談のようなニセモノだった。支那人以下である。

ふら男の如きはちゃんと「ニセモノだよぉ~ニセモノだよぉ~」と言っていたに等しいニセモノぶりだった。それは誰でも知っていた。周囲の大人は「よくやるよ・・」と呆れていた。上長は困っていた。それに例えば、本当に、震えるほど、心臓が止まるほどの本物なら、夜景を観に行こうと誘ったあと、すぐにそうはならない。これは下心と下心が合致した結果である。さすがに「セックスしようぜ!」と言うわけにはいかないだけのことである。アメリカ人ですらコトが始まる前には、愛してるよ、と言うことになっている。

ホストはたしかにニセモノだ。しかし、それは「恋愛感情」という一部分のみがニセモノなのであり、ちゃんと支払った分のサービスは心を込めた本物である。もちろん、これは男性諸君が大好きなキャバクラなどもそうである。精巧に作られた「昨日、待ってたのに、なんでこないのよ」というニセモノを本物だと勘違いしたモテナイクンが、往々にして酷い目に遭うのも知れたことだ。

それよりも罪深いのは、ニセモノをホンモノだと騙したほうであり、最初から「ニセモノです」としているプロの商売は何ら悪くない。誇り高くニセモノを売っている商売なら、その精密なニセモノぶりこそ技術であり、苦労の積み重ねであり、ある意味で「本物」なのである。「好きだよ」→「ウソでした」は、100歩ほど間違えると結婚詐欺などにもなる犯罪行為だ。だからプロはちゃんと「ニセモノです。ご注意ください」と暗に言っている。民主党政権が素人集団、詐欺師集団と呼ばれる所以だ。

しかしながら、依然として「騙されたほうが悪い」とされるレベルはある。もちろん、どこまで行っても「騙したほうが悪い」と日本人なら教えてもらうはずだが、現実の世界、国際社会でも日常社会でも同じことで、民主党のマニフェストのようなバレバレ、且つ、低俗なニセモノはすぐ隣にある。見分ける術は、実は日本人なら知っていたはずだ。


大事なことは「自分の気持ち」である。相手の気持ちが本物かどうか、問う資格は「自分が本物」だった場合に限られる。そして相手の気持ちがニセモノだった場合、数々の「騙しの根拠」が贋物だった場合、それは相手を軽蔑してもよろしい。嫌って当然、殺意に近い怒りがこみ上げてくるのが人間だ。だから巷ではよく、真贋を見極めることを避けてやり過ごす、という高等テクニックが散見される。自分の気持ちだけが本物であればいい、という悲しすぎる正論である。








――――ブタ子さんは小さいとき、お父さんを亡くしてお母さんだけに育てられたンですよね?



「・・・・??はい、そうですけど・・・」



――――私も同じです。私は顔も知りませんが、母親や祖母に育ててもらいました。


「・・・・・はぁ、そうですか・・・・」


――――いま、私がブタ子さん、あなたのお母さんの悪口、それも下衆な言葉で口汚く罵ったとすれば、ブタ子さんはおそらく、とても怒りだして、それから私に対して攻撃的な口調で何か吐き捨てて去りますよね。明日からもう、おそらく、口も利いてくれない。


「・・・・・・はい、たぶん・・・・」


――――私も同じです。この施設に入ったばかりの頃、ブタ子さんが利用者が座るテーブルを蹴って、もうぉ!!とか怒っているのをみたとき、私は主任介護士に、アレをされているのが自分の母親だったら、問答無用で胸倉を掴んで引きずり倒す、それから施設を潰すでしょう、と言ったことがあります。


「!!・・・い、いや、あの、すいませ・・・」


――――ご心配なく。あなたはもう、なぜだか、そんなことはしていません。いまは模範的だと思いますよ。お世辞ではなく。とても微笑ましく、温かく接しておられる。


「・・・・・・。」


――――いまね、ふら男さんのことですよね、話していましたが、私がふら男さんに対するブタ子さんの気持ち、裏切られた、あいつは何なんだ、という意見に賛同して、同じように軽蔑するようなことを言えば、さて、ブタ子さんはどう思ったでしょう。私からすれば、同じように酷い男だ、最低な男だ、つまらない男だ、と言っておれば、ブタ子さんは、ですよね~とか言って、また、プンスカ怒りながら家に帰ったと思いますが?否定されますか?


「・・・い、いえ、わかりません・・・」


――――そういうことです。つまり、ブタ子さんもニセモノだった。いま、納得できないのは、先にニセモノだと知ったから、に過ぎません。それはプライドというか、単なる見栄、虚栄心に過ぎません。そんなことで自分の心を振り回し、あまつさえ周囲の人に心配までさせる。20歳を過ぎた大人の女性が仕事場でも不機嫌を隠さず、話題と言えば正月からそんなことばかり。コレ、誰か得してますか?

――――あなたに「ホストで遊べ」と言った先輩は、つまり、ニセモノだらけの世の中で本物を探す努力をしなさい、ニセモノに惑わされていないで自分の本物を大切にしなさい、と言ってるンです。だからね、何も言わずに、質問はなしで、それこそ騙されたと思って、ニセモノでもいいと腹を決めて、3日間限定で自分の気持ちを整理することです。本当にホストに行かなくても結構です。それでも、まだ、ふら男さんのことが気になる、こっちを向いてほしい、と思うなら、それは本物の可能性があります。そのときは誰が決めるでもなく、自分の気持ち、心に忠実に従って打ち明けてみるのもいいでしょうね。それでダメだった場合を失恋と言います。近代の先進国に限られますが、その状態を多くの人は経験しています。なんでもないことです。







脚立を直すためエレベーターに乗る。ふら男がいる。机を運ぼうとしたのか、腰が座ってないからふらふらしている。あ、そうそう。


―――ブタ子、10号だね。本人知らなかったけど。


「あ、わかりました。・・・ありがとうございます。すいませんね。なんか。でも、本人知らなかったのに、なんで・・・?」


―――メジャー。ブタ子の薬指は直径15.9センチ。15.7センチは9号。10号は16.0センチ。あ、それとファンシーショップとかじゃダメ。値段も1万円以下はダメ。碌なのがない。ボーナスも出たでしょ。ンで、もう買わないと。今月でしょ、ブタ子の誕生日。




女性は最初からホンモノだと決めつける傾向がある。優れた女性はニセモノをホンモノに変えてしまうこともある。男は馬鹿だから最初からホンモノを探せない。その代わり、多くのニセモノからホンモノをみつけることができる。みつけた男はとても強くなる。


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