だから、私はその日、カイワレを仕入れようと軽い気持ちで「カイワレ頼むね、800ほどいける?」と担当者に言ったのだが、なんと、ないと言われた。なんで?ほわい?と聞くと、なにやら「O-157」がどしたとか言う。管直人という人が、何の根拠もなく「カイワレじゃないの?」と言ったそうだと聞いた。
風評被害である。次の日、本社から「カイワレはやめとけ」と指示も来た。売れないし、危ないということだった。業者さんと飯を食うと、んなこたぁない、と言いながら刺身の横にあるカイワレを喰っていたが、しばらく経った後の店長会議でも「カイワレはやめとこ」となった。まあ、しかし、たかがカイワレであった。小売店からしても、なんでもないことだった。しかし、カイワレ農家は直撃を喰らった。栽培を止めた農家も出た。
しばらくすると、テレビで額にほくろをつけた政治家が、馬みたいにカイワレをほうばっていた。当時の私はマガジンとジャンプ、サンデーしか読まない勉強家だったので、この馬が誰だか知らなかったが、それでも、なんていい加減な奴なんだと思ったことは覚えている。また、当時、出会ったばかりの妻が天使のように可愛かったことも覚えている。このときくらい、私は妻を映画に誘ってOKをもらい、ひとり、誰もいない冷蔵庫で喜び、一生分のガッツポーズを使用して踊り狂っているところをアルバイトの石川くんに見られ、それは店内マイクで放送したかの如きスピードで社内を駆け巡り、私の「若いけど仕事はできる切れもの店長」という偶像は瓦解した。あのとき、石川くんが発した、あの冷めた感じの「店長、なにやってんすか?」は、私の偶像のレクイエムとなった。刑事コロンボである。いや、ンなことはどうでもいい。
ええと、その後、すぐにカイワレは販売できるようになったが、面白がった私が「びっくりコーナー」に置くも200も売れなくなった。お客さんにはまだ抵抗感があったみたいだ。手にしたお客さんも「だいじょうぶ?」を忘れなかった。だから、私の昼飯にカイワレが添えられることになった。これも管直人の所為である。ぴりっと辛くて美味かった。
ところで----
日本国内で「脱官僚」か「脱小沢」かしらんが、ドタバタとわぁわぁしているときにすまんが、お隣さんの火事は広がってきてはいないか。「後方支援」に限定される敵国が、将軍様自慢のノドンの射程距離にすっぽり入るところにあったら、いったい、どうなるのか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100604-00000176-jij-int
<哨戒艦事件、安保理に提起=「世界平和への脅威」―韓国大統領>
週刊新潮に恐ろしいことが書いてあった。
「北朝鮮の工作員は30キロの土嚢を背負って時速10キロで山岳地帯を越える。丸二日間、飲まず食わずで70キロ走る。雨が降る夜、遠くにある墓場まで行って墓を掘り起こし、死体と並んで2時間過ごす訓練を受けている。囲まれたり、捕まったりすれば、迷わず自害する」(軍事ジャーナリスト 世良光弘氏)
こんな「人間凶器」と化した北朝鮮工作員が日本でテロを起こす可能性はゼロではない。そんな有事の際、この国の最高指揮官がカイワレだったとすれば、社民党や共産党が自衛隊の出動や治安維持活動に反対すれば、アメリカ軍の日本国内における軍事行動に「戦争反対」の市民運動が立ちふさがれば、いったい、どのようなことになるのか。
北朝鮮が所有しているノドンは数百発。それをあちこちにある地下基地から次々に発射すれば日本は防ぎきれるのか。日本がまた核攻撃に曝されるのは「核を持っていなかったから」と自明になるとき、阿呆臭い「非核三原則」を唱え続けた政治家どもの責任すら追及できぬ状態になるのではないのか。すべてが遅きに失する。後の祭りになろう。
安保理で非難決議が採択されても、北朝鮮に対し「謝罪と再発防止」を求めるだけだと、そんなことくらい過去もあったし、今回も拒否権を持つ支那が動かない限り、どうせ、また同じだと思いたいが、今回の38度線における緊張感は、実にリアルではなかろうか。
韓国が設置している大型スピーカーを北朝鮮が破壊すれば、それだけで朝鮮戦争は再開されるのは間違いあるまい。起こるか起こらないかではなく、このままの状態とは「いつ起こるか」ではないのか。日本の安全保障を司る政権の中でセクト争いをしているヒマはあるのだろうか。小心が過ぎる私は不安になってしまうのである。
また、私は前回の更新時にこう書いた。
<第94代内閣総理大臣に管直人となれば、まさに「三段落ち」となろう。先ずは鳩山由紀夫が8ヶ月間で日本解体の足場を築き、この国民を舐め切った選挙対策にて参院選大敗、開き直った民主党は9月の代表選で日本国にトドメをさす>
ご祝儀相場とはいうも、あれだけ前政権を批判しておいて、わずか8か月で政権投げ出しを演じてしまっては、マスコミの必死の擁護も空しく、さほど支持率は回復していない。それほど鳩山政権というのは酷かった。普天間だけではなく、政治と金だけでもなく、底の抜けたバラマキ政策に対する不信や「マニュフェスト詐欺」という言葉が乱舞する世間は異常事態だった。いくら週明けの組閣でサプライズがあったとしても、仕分け人で顔の売れた連中を持ってこようとも、だ。短期間でこれほどの実害を出した政権だ。ご祝儀&下駄を合わせても50%までは上がらぬと思う。ともかく、参院選の民主党圧勝は考えにくい、だから私は民主党の参院選大敗と書いた。「脱小沢」を挙げて参院選に勝てぬとなれば、もはや「親小沢」しかない。少なくとも小沢派は前に出てくる。そのための観測衛星が129票というテストデータも出した。誰も隠してもいない。どころか明言している。
山岡は「暫定政権」だと言った。田中真紀子は「選挙対策内閣」だと嘲笑した。
そして、小沢は、
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010060401055
<「選挙勝てば先頭に立つ」=9月の代表選に出馬?-小沢氏>
と言っている。「勝てば」というのは「負ければ」と言えないだけだ。
しかも、ビデオレターである。私はタリバーンやアルカイーダを思い出した。
<民主党の小沢一郎前幹事長は4日夜、党岩手県連の集会に寄せたビデオレターで、「参院選に勝利して政権を安定化することで、本当の意味の改革が実行できる。そのときに、まさに自分自身が先頭に立って頑張ってまいりたい」と述べた。9月の党代表選に自ら立候補する可能性を示唆したともとれる発言で波紋を広げそうだ>
―――――9月の代表選で日本国にトドメをさす
<また、小沢氏は同日夜、都内で開かれた自身を支持するグループの会合であいさつし、代表選で樽床伸二衆院環境委員長が129票獲得したことについて「私は立場上、動けなかったが、次につながる良い数字だ。あと90(票獲得)で首相が取れた。90なんて難しい数字じゃない」などと語った>
先帝陛下は「雑草などという名の草はない」とおっしゃった。でも、大陸には青人草、民草などいくらでも勝手に生えるという概念の帝国がある。鳩山由紀夫でもカメラの向こうには国民がいると知っている。だから、気味悪がられてもカメラを凝視して瞬きも我慢する。あの幹事長辞任の際、小沢の態度を見ただろう。あの見下した態度を見ただろう。
自分の意見に反する世論をぶつけられたときの、あの吐き捨てるかのような態度を見てきたはずだ。あれは目の前のマスコミにではなく、その向こうにいる日本国民に対する「本音」である。まさに「この馬鹿どもが!」と言いたい気持ちの表情である。しかし、それは権力者、実力者にありがちな優越感からなるものだと思っていた。小沢一郎という「絶対権力者」だからこその傲慢な振る舞いだと認識していた。政治のなんたるかも知らぬ素人が!自民党の腐った官僚依存も知らぬ民草が!という小沢の圧倒的な「上から目線」だと思っていた。しかし、そうだろうか。
これは、もしかすると「日本人ごときが!」という選民思想からなるものではないのか。
その邪推を否定しない「根拠」は小沢一郎の言動にある。これまた、隠してなどいない。マスコミが勝手に報道せぬだけで、小沢一郎の売国発言などネットの中では周知の事実である。鳩山由紀夫は「日本は日本人だけのものではない」と言った。しかし、実のところ、小沢一郎はもっとすごいことを言い続けているのではないか。西村真悟氏の言う「小沢は第6次コミンテルン。日本人のマインドがない」とは大袈裟でも冗談でもない。「自由主義社会の中枢に入り込み、自国を敗北せしめんとする工作を行う」もそのままである。
怪しげな法案の強行採決が続く国会。中身もよくわからないまま、選挙で成った政権交代だという理屈だけで、国民に何ら説明もせぬまま、薄気味の悪い法案を隠し持ち、秋の通常国会が終わるころ、日本はいったいどのようなことになっているのか。鳩山由紀夫は前政権とはいわない。「旧政権」という。民意による政権交代だと言いながら、その実、革命による政府転覆を成したのだという自負心が垣間見える。一旦、選挙で勝てば、何をやっても許されると思っている。小沢一郎は夏の選挙で「自民党に投票した有権者は政治に口を出すな」と言って常識ある有権者を驚かせた。しかし、そんなことは以前から言っている。平成9年、小沢一郎は「ゼンセン同盟定期挨拶」にて、このようなことを述べている。
<いちいち日常のことについて、ぐじゅぐじゅ文句を言われていては、ろくな政治家になるはずがない。私は政治行動の決断について後援会に相談したことはない。みなさんが国政に適任だと思って出した以上、カネと票は出すけれど、『あとはお前の見識でやれ』っと。こうでなくちゃ、やってらんない>
民草は票と金だけ出して口は出すな、だ。これを旧ソ連の政治手法と酷似すると指摘する人がいるが、まあ、しかし、似ていて当たり前だ。その理由は(今の)民主党とは「社会主義ファシスト」の亜種であるからだ。また、人権擁護法案をゲシュタポとか特高警察と揶揄する保守の人がいるが、ゲシュタポも特高警察も公然たる組織だった。しかしながら、その人権侵害における罪過とは、現在の価値観から判断するまでもなく、当時から「人権」など国難の前には無価値である、という前提で活動していたことは言うまでもない。また、それらの断罪は歴史が行うべきものであり、戦前のナチスの非道や日本の特高警察の行き過ぎを擁護する必要など微塵も感じないのが普通の感覚ではある。
しかし、社会主義ファシストにおける抑圧の手段とは、いわゆる「秘密警察」なのであり、小沢民主党が成立させようと奮起する「人権擁護法案・人権救済法案」とは、親が子を密告し、子が親を密告する時代そのままの社会的規範の構築である。北朝鮮や支那の社会である。時代のための止む得ぬ愚行ではなく、堂々と胸を張り、両手両足を高く上げ、わたくしは善行を行いました!とする、目を輝かせる愚行なのである。
これ、もしかすると、次の参院選は「管直人政権」を応援せねばならぬのかもしれない。それほど現在の日本国民は政治難民と化した。自業自得とはいえ、このあまりの悲惨に日本民族が立ち尽くす日、ようやく英霊の声が心に聴こえるのだろう。
先人が「命を賭して護り抜いたもの」を受け継ぎ、引き継ぐにはやはり、命を賭さねばならないことになった。普通に学び、普通に働き、普通に喰える世の中で、ちゃんと小人は大人となり親となり、しっかり生きて死ぬだけでよかった「日本の社会」を残してくれた英霊たちは今、二度目の涙を流しているのかもしれない。
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久代千代太郎
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