忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

友愛が「久しぶりにぐっすり眠れました」と言うまでもう少し。

2010年06月04日 | 過去記事

「国民が聞く耳を持たない。10年、20年後には(鳩山が言っていたことはこうだったんだなと)わかるだろう」という前代未聞の自画自賛で総理大臣を辞任した鳩山由紀夫は「すぐに議員辞職はしないけれども次回の衆議院選挙には出ません」と言ったが、なにやら、もう、気が楽になったのだろう。嫁さんと韓国に遊びに行きたいとのことだ。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100603/plc1006031707020-n1.htm
<「妻と韓国に行きたい」「これからも友人で」 首相、韓国大統領と電話会談>

昨日の辞任会見から一夜明けて、今日はグレーのスーツに身を包み、颯爽と官邸に入った。表情も明るく見えた。ま、私が鳩山由紀夫の身内だったら、ちょっと安心したかもしれないが、多くの日本国民はあの溌剌とした鳩山由紀夫君をどうみたのか。

<首相は「少し自由な時間ができる。妻と韓国に行き、またお目にかかりたい」と応じた。会談は大統領側が要請した>

自民党にはあれほど「政権投げ出し」だと批判しておいて、己の場合はすべてが許される。今日、ダイエー創業者の二男が「贈与税2億数千万円を脱税した」罪で逮捕されたというニュースがあったが、日頃、血の出る思いで納税している日本の納税者はみな「嗚呼、かわいそうに。総理大臣だったら許されたのにね」と皮肉のひとつも言ったのではなかろうか。秘書が捕まったら議員バッジを外す!も、自分だけは特例らしい。8ヶ月間、日本を困らせて外国からも馬鹿にされ、ワシントンポストからは「loopy」とまで称され、友愛の海に友愛ボートと、そりゃ沖縄の海兵隊が「嫌がらせ」で出て行かないのでわ??と考えるのも無理はないと思えるほどの無定見ぶり、辞意表明した次の日に「時間が出来るから」と遊びに行く予定を立てるはずだ。お金はいっぱいあるんだから、もう、政治家とか表に出ることをしないで、嫁さんと二人で仲良く暮らしていてほしい。どうか、お幸せに。


それにしても、朝鮮人かと思うほど朝鮮大好きな夫婦であった。鳩山政権には「韓国室」なる専門部署もあったが、どうやら鳩山事務所の中にも韓国人がいたらしい。

これ、さらっと書いているが、どうなんだろう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100602-00000138-jij-int
<「親韓派」退陣惜しむ声=次期首相に早くも関心―韓国>

鳩山由紀夫が辞めることで「惜しまれる」とか「関心が強い」などはともかく、

<鳩山事務所の東アジア担当顧問を務める韓国人の尹星駿氏は時事通信の取材に対し、「韓国併合100年の今年に韓国が反日ムードにならず、両国関係が良好なのは鳩山首相の姿勢のおかげ。辞任は日韓関係にも損失だ」との見方を示した>

これはいかがなものか。呑気過ぎるのではないか。この韓国人が「日韓関係が良好なのは鳩山のおかげ」とする根拠とは言うまでもなく、日本の全面謝罪外交、日本がすべて悪かったですという錆びついた日本悪玉史観に過ぎない。すなわち、外交カードとしての「日本自虐史観」の持ち主が、日本の総理大臣の個人事務所の顧問だったわけだ。

また、個人の事務所とはいえ、鳩山由紀夫は一国の総理大臣であった。日本の政治家の事務所である。素人ながら、そこには様々な情報、機密が存在していたと考えるがどうだろう。差別はアレだが、区別は必要という典型的なパターンではなかろうか。こんなこと他国でもあるのだろうか。しかも「東アジア担当顧問」とはなんぞや。鳩山由紀夫は「東アジア共同体思想」を挙げていたが、その顧問が日本人ではなかったということか。別に韓国大統領と個人的に友愛するなら勝手にすればいいが、総理大臣を務める政治家の事務所において、外交政策に大きく関連すると思しき部署に外国人が「顧問」としているというのは、ちょっと友愛が過ぎるのではなかろうか。



また、そんな友愛のお気楽に合わせ、電光石火の早業で出馬表明した副総理がいる。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100603/stt1006032033028-n1.htm
<「小沢氏はしばらく静かにした方がいい」 出馬会見で菅氏明言>

選挙対策でダブル辞任、んで、また、出馬会見で選挙対策を言う無様。ならば鳩山が総理の時に言ってやれという話だ。これ、予言しておくが、こいつは鳩山由紀夫を超える可能性がある。いわゆる「性質が悪いタイプのアレ」だ。第94代内閣総理大臣に管直人となれば、まさに「三段落ち」となろう。先ずは鳩山由紀夫が8ヶ月間で日本解体の足場を築き、この国民を舐め切った選挙対策にて参院選大敗、開き直った民主党は9月の代表選で日本国にトドメをさす。この恥知らずの集団が解散なんかするはずもない。支持率がゼロになってもきっちりと、あと3年と少し、日本の背骨をボキボキに砕くつもりだ。

マスコミが「小沢派」といわずに「小沢グループ」と言い、売国総動員で民主党のイメージを徹底して守るうちは騙される国民も少なくなかろう。マスメディアが「クリーンな民主党が戻った!」とやれば、自分で「責任を果たした」と思い込んでいる鳩山や、それなら自分もと「男気」をみせたようにしたい小沢を出汁に、残り1か月、有権者を出し抜くことになるかもしれない。言うまでもないが、こいつらが辞めようと泣こうと、疑惑が消えたわけではない。政治家を辞めたわけではないんだから、マスメディアの好きな言葉である「説明責任」を果たしたことになるはずもない。ンで、ちょっと書いておきたい。

小沢が「検察の調査に勝る説明はない」などと抜かして、要するに「説明責任は果たしている」という論調に持って行きたいようだが、それは既に論理破綻していると知ったほうがいい。「説明責任(アカウンタビリティ)」とは、その「果たさねばならない対象」というものがある。民主党議員にでもわかるように説明しよう。

簡単な例えを出す。

浮気がバレたとしよう。それも社内における不倫だとする。男は部長、女は派遣社員で事務員だ。バレた相手は「家庭」「職場」「上司」「会社全体」だ。もはや覚悟を決めるしかない状態だ。さて、この場合の「説明責任」とはいったい、どのようなものになるか。

小沢が言うのは「会社に説明したから、もう、説明した」と言っているに過ぎない。会社は、そのスケベ部長の倫理感を問うかもしれない。いわゆる「性癖」のようなものまで説明させるかもしれない。たまたまなのか、以前からなのか、いつからなのか、ひとりだけなのか、または、その交際費はどうやって捻出していたのか、などである。上司も同じく、叱られるかもしれないが、同情される可能性すらある。しかし、だ。

その不倫の所為で職場の空気が悪く、常に働き難いと感じていた「職場」はどうか。不倫関係を認め、それに伴う職場の風紀の乱れについて責任も発生するはずだ。ならば謝罪せねばならないし、今後、このようなことがないようにするという決意、あるいは原因なども説明を求められるかもしれない。ましてや「家庭」はどうか。

それまで不倫に要した労力や交際費は、本来、家庭にある妻や子に向けられねばならないものである。夫として父として、タイガーウッズのように反省せねば許してもらえぬはずだ。小沢は「政治資金規正法違反」を犯して逮捕起訴された秘書と「共謀したのかどうか」を問われていた。とりあえずの疑惑はこれだ。これを検察が不起訴としたから、つまり、そういうことだとするに、検察は納得しても有権者は納得できまい。

先ほどの不倫でいうと、会社は「不倫していたかどうかの証拠はない」とした。しかし、それをそのまま「職場」や「家庭」に置き換えて通用するはずもないのである。いくら「潔白だ」と言っても、疑われるようなこと、この場合は「会社に呼び出されるほど」疑われたわけだし、職場も「やったに決まっているよ」という連中は少なくない。いわゆる、黒に近いグレーなわけだ。それで「家庭」までもが納得することはあるまい。また、逆に言えば、それで納得する「家庭」とはどのような家庭状況なのかを考慮するに、それこそ独善的、且つ、支配者的な言動が目に浮かぶのである。「うるさい!だまれ!」が通用する空間ということ、あるいは、そう思い込んでいるわけだ。要するに大切にするどころか、馬鹿にしているのである。舐め切っているのである。

また、ちょっと視点を変えてみる。

検察が捜査すれば、結果はともかく起訴か不起訴を決める。この際、理由も付け加えることになっている。先ず、これが検察の「説明責任」である。人様に「おまえ、泥棒だろ?」と疑えば、疑ったほうに「説明責任」が発生するのと同じだ。検察は「起訴できない」と判断したと説明している。すいませんでした、無罪、無実でしたとは言っていない。あくまでもこれでは起訴できない、つまり、裁判で有罪とされない恐れがあるわけだ。

しかし、国民は疑念を捨て切れていない。小沢は関与していたんじゃないの?命令出してたんじゃないの?という疑念があるから検察審査委員会で「起訴相当」とされた。検察には説明して起訴されていないだけで、7割とか8割といわれる「納得できない」という有権者には説明責任など果たしているはずがない。国会議員が説明責任を果たす場は国会にある。証人喚問が一番の「説明できる場」ではないか。それを果たさぬまま、総理と幹事長が辞めたところで何ら解決していないということだ。これを内部から声を出せぬ組織とはつまり、自浄作用がない組織であり、とても危険な集団である。

このような順法精神が希薄な集団が法律を決めている。そんな状態が良いはずもない。景気対策も安全保障もあるわけない。何度でも書くが、今の民主党は国民のために存在するのではなく、民主党を存在させるために国民が存在しているという状態である。それを独裁国家という。

たしかに、鳩山由紀夫の友愛の精神について、国民は聞く耳がなかった。聞くに値しないからだ。それは普通、聞いてもらえないと自省すべきことである。鳩山由紀夫が贈与税における疑惑を説明するというなら、日本の有権者はいくらでも聞く耳を持っただろう。ちゃんと説明せよ、という有権者がどれほどいるかは世論調査の数字を見ればわかる。

都合の良い話だけを聞いて聞いてと駄々をこね、それが通じぬとなればさっさと無責任に投げ出すような63歳の今後はどのようなものか。説明すべき場を放棄し、権力維持のためだけに這いずり回る選挙屋の末路はどうなるのか。それに付き従うだけの政治屋は、この先、その己の理念に押し潰されてしまうのだろう。政治家になったのは政治家になりたかっただけなのか。選挙に勝つのは政治がしたいからなのか政治家でいたいからなのか。政治が出来なくとも政治家でいたいのか。政治家を続けることができれば政治が出来なくとも良いのか。己の中の志の矛盾に押し潰される。そして、いつかそれも感じなくなる。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。