職場で新聞を読んでいたら噴き出した。少し前の京都新聞だ。
「読者の窓」に応募した63歳の御仁だが、この人が「サムライ・ジャパン」という名称は如何なものか、とやっていた。曰く<(サムライとは)自分達に都合のいい身分制度をつくり、何ら生産に関わらず、庶民に依存して搾取し、「消費」しかしなかった人達>とばっさり、サムライ顔負けの斬り捨て御免ぶりだ。さらに<むしろ農民に依存しなくては生きられなかったのが武士で、幕末の動乱も、ただの権力の移行に過ぎなかった>として<多くの庶民を一部の身勝手な連中のご都合主義”に苦しめられた庶民の目線を忘れて、軽はずみに“サムライ・ジャパン”のような軽薄な名前をつけることを謹んで欲しい>と〆る。この御仁も還暦を過ぎて3年、見事に頭が狂っている。
中学の時の担任だった「光三先生」は社会科が専門だった。親がつけてくれた名前を「日本軍の三光作戦を思い出すから大嫌い」と言っていた左巻きの罰当たりだ。この先生も「士農工商といえば農民は2番目みたいな扱いになっているけど、実際のところコレは嘘で、搾取されて虐げられるから、せめて身分は2番目にしてあげよう、ということなのだ」と言っていた。壮絶な「農民蔑視」であるが、この先生が信じ込んでいた「貧農史観」こそ「三光作戦」と同じく酷い嘘だった。
少し調べれば、明治維新まで金がないのは「お上」の「お役人様」だったとわかる。63歳の御仁は<ただの権力の移行に過ぎなかった>と馬鹿にするが、明治維新の志士らの多くは借金まみれで家はボロボロ、その家族も食うや食わずの生活だったというのも、少々、関連する本を読めば書いてある。「金持ちボンボン」は坂本竜馬くらいだ。それにこの御仁は63歳のいま、まだまだ「志」というモノをご理解できないらしい。人間、私欲では大したことをしない。
そしてそれでも、ほとんどの「お役人様」は賄賂を取らなかったし、不正に手を染めなかったから、いまでも時代劇では「悪代官」が通用する。いま現在の日本の「お役人様」なら代官でなくとも悪さをするから、どれが悪いお役人様なのかわからないが、私利私欲で「まつりごと」をするなど、当時は珍しい類の愚か者だった。菓子折りに小判を詰めて「おぬしも悪ョのぉ~」「お代官様ほどでは・・・」「うぇーはっは」は稀有なパターンだ。
「小役人」もそうだ。江戸時代に日本に来た植物学者、ツュンペリは「悪さをする日本人」はいるのだろうが、たぶん、それはオランダ人に感化された日本人だ、と残している。トロイ遺跡を発掘したドイツ人考古学者のシェリーマンも、江戸時代の日本で警護をしてくれた武士に「謝礼」を渡そうとするも断られ<心付けであれ現金を受け取るのは彼らにとって恥>なのだと理解して驚く。なぜかといえば、明治維新までは武士、侍が「お役人様」だったからだ。道徳を重んじ、武士道を学び、肉体と精神を鍛錬した人が兼務していた。
先の震災の被害にも遭った福島県の二本松城(霞ヶ城・白旗城)には「戒石銘碑」という史跡がある。刻まれているのは、
「爾 俸 爾 禄 民 膏 民 脂 下 民 易 虐 上 天 難 欺」だ。
読みは「なんじの俸、なんじの禄は、民の膏、民の脂なり。下民は虐げ易きも、上天は欺き難し」で、その意味は「あなたが与えられている俸禄(給料)は、民が汗や油を流してつくり上げたものです。その民を虐げるのは簡単ですが、全ての行為は天子様が見ていて欺く事は出来ません」となる。日付は「寛延己巳之年春三月」と刻んである。「寛延己巳」とは寛延2年のことだから、1749年のちょうど今頃の季節だとわかる。これは「科挙の制」の時代、支那で生まれた「官僚を戒める言葉」だ。事実、宗の王様は倫理観の無い役人に難儀していた。
当時の二本松藩第7代藩主丹羽高寛は「どうだ、立派なもんじゃないか」として石碑にしただけだが、支那ではいまと同じく汚職の坩堝であるから呑気ではなく、実際に役人の罪には容赦なかった。生きたまま肉を一寸刻みにして殺す「凌遅の刑」とかを実際にやる必要があった。比して、日本はそれから200年以上も呑気だった。江戸のミラクルピースだ。
南北奉行所がごく限られた定員の与力・同心しか擁さず、しかも人口百万の大都市の治安が良好に保たれていた事実は、近年しばしば聞かれるようになった。「光三先生」はベートーベンみたいな頭を抱えていると思うが、江戸時代とはサムライではなく、町人や農民、つまり、普通の庶民が謳歌していた時代でもあった。そして、それは「日本独特の価値観」に基づいていた、とわかる。世界はそうではなかった。
例えば19世紀半ば、イギリスは産業革命最盛期となる。つまり、潤っていた。
ビクトリア王朝時代だ。御存じの通り、世界各地に植民地をつくったわけだが、ロンドンは貧民で溢れて治安は悪化。政府はなんと「環境対策」として罪人を流刑地、オーストラリアに輸送する。これらがアポリジニを虐殺、いまのオーストラリア人の先祖となったのも周知の事実だ。つまり、この63歳の御仁が言う<自分達に都合のいい身分制度をつくり、何ら生産に関わらず、庶民に依存して搾取し、「消費」しかしなかった人達>とはこういうことをする連中のことだ。権力者が潤い、庶民が悶え苦しむ。コレが世界の常識だった。
日本はそのとき、例えば「東海道中膝栗毛」が出る。「東海道五十三次」がブームになる。お伊勢参りだ。旅行ブームなわけだ。「南総里見八犬伝」もこの頃だ。小林一茶、与謝蕪村、葛飾北斎、写楽なんかも出てくる。つまり当時、江戸の町人はヨーロッパと違い文字を読み書きし、俳句を詠み、歌舞伎を楽しみ、旅行に行けるほど豊かだった、とわかる。光三先生には是非、納得のいく説明を、チョークを折りながら黒板に書いてほしいモノだが、まあ、そこは武士の情け、恩師にそこまでは言うまい。旧悪を問わぬのも武士の心得だ。
しかし、この63歳の御仁には、だ。今年のロンドン五輪に野球はないが、日本の「サムライ」にケチをつけるなら、どうぞ、サッカー・イングランド代表の「スリーライオンズ」に文句を言ってもらいたい、と言っておく。チーム名の由来はイングランド王室紋章になる。「獅子心王(Lion Hearted King)」と呼ばれたイングランド王リチャード1世が使用した紋章が元だ。どこで使用したか、といえば、それは第2回十字軍になる。異教徒を殺しまくり、今尚残る戦争や内戦の種を蒔いたようなものだ。日本の「サムライ」よりも<軽はずみ>に使用してよいとは思えない。
ともかく「日本嫌い」「日本悪い」「日本怖い」で思考停止するのがいる。もちろん、それも個人の自由、日本では「日本を嫌う自由」もよろしいとされている。だから、それはそれで結構なのだが、その理由に虚構を混ぜ込むのはルール違反だ。
「アンゴラの国旗は矛と歯車だ。あのような戦闘意欲剥き出しの国旗を軽はずみに掲げていいのだろうか」は本当だから仕方ない。星条旗の50個の星の意味も有名だ。あれは「アメリカ50州」という意味となるが、横の紅白ストライプの13本は「最初の13州」を意味する。つまり、アメリカは国旗からして「37個の星」は奪ったのだと告白、というか、誇っているわけだが、コレを咎める馬鹿はアメリカにいない。また、この血生臭い星条旗には「たたみ方」もあって、それは12回で折り終えるようにされている。折る度に「母のため」とか「命のため」など「思い」を込めねばならない。3回目に折るときは「国を守り、世界平和を得るために命をかけて戦った軍人たちを誇りに思い」ながら折らねばならないと決まっている。そうしてアメリカの自由と民主主義を噛みしめながら12回折ると、これがまた三角形になるわけだが、この形は独立戦争の時の兵士がかぶった帽子の形を象徴する。どうやらコレも<軽はずみ>に振って喜んでよいような旗でもなさそうだ。
さて、ところで、来月は端午の節句だ。この63歳の御仁は息子か、男の孫がいるのだろうか。まさか鎧兜はあるまいが、男の子がいれば5月5日は「菖蒲」くらい買うだろう。風呂に放り込んで沸かすだろう。しかし、この御仁はそれも許されない。男の子、孫と一緒に「菖蒲風呂」はダメだ。「菖蒲」とは「尚武(武事、軍事を重んじる)」のこと、制定したのはお武家さん、サムライの集まり、江戸幕府だ。武家社会の儀式を五節句のひとつ、男児の祭りとして庶民にも広めたのだ。変わった<庶民に依存して搾取>もあったものだが、まあ、いずれにせよ、だ。「サムライ・ジャパン」も「サムライ・ブルー」も気に入らぬ63歳の御仁には関係のない話だ。あんたのところは支那人と同じく、6月1日に「児童節(子供の日)」を祝いなさい。ちまきでも食べなさい。
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