忘憂之物

もす!


晩飯を喰った後、リビングでウダウダしていたら、妻がテレビを見ながら下唇を突き出し、右手人差し指を折り曲げてあてているのを発見する。「何か」に悩んでいる仕草だ。

倅は静かに移動して寝たふりをし、私はこっそりと自室に戻ろうと腰上げたが、やはり、みつかってしまった。テレビには「ボビーオロゴン」が家族で映っていた。



妻:「なぁ、オロゴンの奥さんって白人やんなぁ?」

―――・・・白人というか、日本人だから黄色人種だな。

妻:「子供はなんで全部、黒いの?」

―――・・・な、なにが?

妻:「白いのがおらへんやンか!」

いや、それは、だって・・・・

妻:「どっちかにしぃーや!」

いや、そんなこといったって・・・なんでボビーの子供が「白黒つけるぜ!」みたいなことになっているのか。というか、もしかしてあんた、黒人と白人が結婚して子を産んだら「白」か「黒」が出てくると・・・??今年の6月にはあんた、43歳になるんだよ・・

妻:「そんなん当たり前やンけ!阿呆と違うか!!」

そ、それじゃ、デブデブとガリガリが結婚したら、子供はどっち?

妻:「・・・・・ガ・・・デブデブ」

!!・・・なんで?!なんで断定するの??!!どういう思考経路を辿って結論を導き出したの?なんでちょっと間違った(てへっ)みたいにガリガリを出そうとしたの?ねぇ?ねぇ?!

妻:「ガリガリの赤ちゃんなんかおらへんやンけ!(泣・怒)」




妻の結論――――赤ちゃんはデブ。



妻の論拠は「赤ちゃんはぽちゃぽちゃしている」という現実から出された結論だが、ならば白人が「黒いブチ」をつけて歩いているのも見たことがないはずだ。これはたぶん、学校で習った。「メンデルの法則」だ。エンドウ豆のアレである。

黒人が黒いのは「メラニン色素」による。白人が白いのは勝手に白い。つまり、黒人の遺伝子は「黒くなれ!」とロッカーのようなことを言っているのだが、白人の遺伝子は「白いほうがいいぜ!」とは言わない。遺伝子の世界は国際社会と同じく「言ったもん勝ち」であるから、黙っていると譲ったことになる。これを「優性遺伝子」という。

白人はアフリカ人に陸上競技で勝てず、頭の良さでインド人に勝てず、手先の器用さで日本人に勝てなかった。それでも「優位性」を証明したい白人は、アフリカ人は泳いだことがないと知って「水泳なら勝てる」とやったらアフリカ人には勝てるものの、忌々しい日本の「フジヤマノトビウオ」に勝てなかった。白人は腹が立ったから日本人の泳法を全部禁止した。それでもたまに金メダルを持って行かれる。笑える。

また「そうだ、アフリカには雪もないぞ!」と思いつき、ならばスキーで勝てると思ったら、また、日本人が出てきてヤバくなったので「身長より長い板はダメ」という白人優勢の不思議なルールを慌てて作った。白人は戦争ならいつでも勝てると信じていたら、欧米がビビっていた大国ロシアが日本に負けたりもした。先の世界大戦でもあと2~3年、日本に戦争する元気があればわからなかった。アメリカの財務大臣は硫黄島に出撃する海兵隊に「次は石ころを持って行け」と言った。ギリギリだった。だからまた、勝手に「戦争が出来ない」ルールを作って押し付けた。これはまだ、ある。

バスケットではマイケルジョーダンが出てきて、エンターテイメントの世界ではマイケルジャクソンが世界から愛された。ゴルフもタイガーウッズが出てきたし、ボビーオロゴンは日本で人気者になって「近田ボビー」という日本人になった。「近田」は奥さんの性だ。

愛称だった「ボビー」は本名になった。ボビーは初来日したとき、父親の事業で用意していた数百万円とパスポートをバスに置き忘れてしまうが、それがキチンと届けられて手元に戻ったことに感動する。ナイジェリアではあり得ない出来事だった。この父親は「親日家」で「日本人はみんな親切で心が優しい」と幼いボビーに聞かせていたらしいが、百聞は一見にしかず、身を持って知るわけだ。また、ボビーはその後、タイヤチューブの買い付けに来日するが、その頃の日本のタイヤはほとんどが「チューブレスタイヤ」だと知って愕然とする。チューブを入れているタイヤは自転車かトラクターくらいだった。ボビーは仕方なく、そのまま日本で暮らす。ネタみたいな人生である。

また、よく「支那朝鮮人は謝ることを知らない」などと言われるが、それは白人も同じだ。それでも違うところはあって、それは「罪悪感」があるかないか、だ。支那朝鮮人に罪悪感などという難しいことを理解させるのは無理だが、白人は常に罪悪感に怯えている。思い当たる節があり過ぎるのだ。だから彼らは神に許しを乞う。今年の初詣もたくさんの人が神社に訪れたが、伊勢神宮で天照大神に「罪深き私をお許しください」と祈る日本人はいない。謝る必要があれば、その対象者に謝罪するのが日本の常識だからだ。

白人の国では最近まで「交霊会」のようなモノが行われていた。町医者やなんかが人々を集め「霊を招いて」助言を聞く会だ。なんのことはない、日本では子供の遊びで「こっくりさん」みたいなものだ。最近、民主党政権を応援してすいませんでした、とマスコミの人や学者などが謝罪するのが流行っているが、先日「政権交代は期待を裏切った。すいませんでした」とやった京セラの名誉会長が「哲学」という重たいタイトルの著書で、ロンドンの「交霊会」を紹介してくれている。

そこでは「シルバーバーチ」と呼ばれるインディアンの霊が降りてくるらしい。このインディアンは白人に「因果応報」を説くのだと感心しておられる。何が悲しくて自分らを皆殺しにした白人に「助言」するために、わざわざ遠い「あの世」からやってくるのかと訝しいところだが、これがなんとも白人の「罪悪感」の表れ、身勝手な「お許しください」だと呆れてしまうと同時に、シルバーバーチの皮肉たっぷりの語りに得心するのである。

シルバーバーチは「因果応報の法則」が真実だと訴える。善行をした者は必ず報われると教える。悪行をした者は必ず罰せられると教え説くわけだ。「今すぐにはわからなくとも、必ず、長いスパンでは寸分の狂いもなく、一分一厘の誤差も生じず、現世でなければ私のいるところ(あの世)でも法則は守られます」とインディアンの霊は言う。これが白人には怖くてたまらない。だから彼らは頻繁に胸で十字を切り、メシを喰うだけで長々と感謝の言葉を羅列し、イエスキリストにマリア像に「許して下さい」と懇願し続ける。つまり、謝ればいいと思ってるのは日本人ではなく、白人である(笑)。彼らは人に謝らないが、仕返しもしない、訴訟を起こさない相手である神に謝ることで精神バランスを保っている。

映画でもよく見るシーンだ。「告解室」と呼ばれる小部屋に入ると、鉄格子に仕切られた向こうに司祭がいて「私は人を殺しました。神はお許し下さるでしょうか」とやる。こうして司祭への告白がなされ、罪に対する痛悔の念が認められ、償いを果たす決意を確認されれば、晴れて「神の許しを得る」ことになる。何と事務的な処理か。「それでも罪は罪」だとして覚悟するなら、忠臣蔵を百回見ろと言いたい。

この京セラの名誉会長も「因果応報」をいうなら、これはかなり大きな「因果」であると自覚されていることを願う。この人は「動機善なりや、私心なかりしか」などの立派なことを言う人だ。この言葉は「私心でやるだけじゃあるまいな?その動機は善いことなんだろうな?」という戒めであるが、御本人も「目的が正しく、手段も正しければ結果は成功に決まっている」と述べておられる。なぜに、この信念が一昨年の夏に及ばなかったのか、今更ながら悔やみ切れない。

「稲盛経営12ヶ条」も立派なものだ。この第一条には「事業の目的・意義を明確にする」と書いておられる。第二条は「具体的な目標を立てる」だ。この人は鳩山内閣の内閣特別顧問だった。つまり、それをそのまま「政権与党に言えるところ」にいたはずだが、いったい、何がどうしてこうなるのか。昨年の正月には、鳩山政権の惨状をして「暖かい目で見守って欲しい」と言ったではないか。それで今年は早くも「大変残念」と他人事みたいに述べたあと「現在の混迷がしばらく続くと思う。新しい秩序ができるまで時間がかかるかもしれないが、それを待つよりほか仕方がない」はなかろうと言うのだ。

また、白人は勝手にインディアンの霊に怯えてればいいが、それでも神には真摯に謝罪する姿勢がある。白人よりも酷いのは民主党だ。これは何処にも謝らない。謝っても「どこに」謝っているのかがわからない。民主党がちゃんと謝る相手は支那朝鮮だけだ。

早くも次の総理大臣は前原外務大臣だとか言われる。前原といえば「永田メール事件」が思い出されるが、そのときの謝罪広告は「武部勤氏の次男に3000万円を送金するように指示したメールは全くの偽物であり、送金された事実はなく、メールの内容も全くの事実無根でした。心よりお詫び申し上げます」という文言だった。これが全国紙に掲載されたわけだが、この文章をさらっと読んで「どこに」対して謝っているのか、わかる人はいるだろうか。国民なのか、武部氏なのか、武部氏の次男なのか、自民党なのか、民主党の支持者なのか、まったくわからないのである。ならばもう「罪深き我々をお許しください」と書いているほうがまだわかる。それに「事実無根」とまで書いているが、それらにおける説明が全くない。経緯に触れてもいない。

そもそも「送信者と受信者が同じ」などというチェックすればわかることを、そのままケアレスミスで通過、それをそのまま国会で追及するという杜撰に多くの国民は恐れ入った。国家とはこんなレベルなのかと、そこらのパートのおばさんの噂話レベルなのかと、参ったのである。しかも、死んだ人を悪く言うのは気が引けるから、神に許しを乞いながら書くと、だ。この永田元議員は「お前、扇と何発やったんだっ!」と本会議場で野次を飛ばして、松浪健四郎からコップの水をかけられている。高市早苗議員は「もし自分だったらコップごと投げている。それで自分も責任を取って辞めるから、この汚らしい野次を飛ばした議員も辞めさせよ!」と言い放つだろうと憤っていたが、つまり、チンピラ以下の下劣なヤジだ。それに万が一、松浪氏から「ええと、ちょとマテよ・・・たしか・・4日で3発だ!」と言い返されたらどうしていたのか、という冗談はさておき、それ以外にも永田元議員がスタンドプレーで民主党を困らせたことも周知であろう。それくらい調べろというのだ。

つまるところ、民主党からすれば「謝罪」とはパフォーマンスに過ぎない。だから全国紙で謝罪広告は大きく載せるが中身が伴わない。支持者も似たようなものだ。常に「謝ったほうが得か損か」を天秤に載せて物事を考える癖がついている。これを「政局における判断」とか「冷静沈着な権謀術数」などと勘違いしている。馬鹿である。



―――――「近田ボビー」はテレビの企画が失敗して、顔の黒い子供らに「失敗したけど、これをやろうと思ったことを忘れるな、最初にやろうと思ったときの気持ちを忘れるな」と言って、子供らを抱きしめていた。お笑い番組だが良いシーンだ。

民主党の連中は、この日本人らしい近田ボビーさんに弟子入りした方がいい。小沢や菅の新年会では「おめでとうございます」ではなく「もす!」と言え。
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