忘憂之物

夫婦喧嘩は犬も喰わぬが、親子喧嘩を犬は喰うのか。

倅のアルバイトが決まったらしい。正月明けても就職が決まらぬこの社会不適合者の父を横目に「初給料」で焼き肉でも寿司でも喰わせてくれると威張っている。ンなもん、所詮はお姉ちゃんの真似をしているのである。お姉ちゃんも「初めてのアルバイト代」で回転寿司に連れて行ってくれたのだ。妻と二人で本気で不思議な感覚に陥ったものだ。

今まで「喰わせるのが普通」だった相手から、外食した際の支払いをされるのである。これは「老い」を感じる他なかろう。今現在、ご家庭に小さなお子様がいらっしゃる人は想像して欲しい。いま、あなたが数時間目を離しただけで、どこで何をするかわからん幼子が「外食時の支払い」をしてくれるというのである。これほど摩訶不思議なことがあろうか。ついさっきまでは何もないのに意味なく泣き、腹が減っては泣き、暑けりゃ泣き、寒けりゃ泣き、泣きたいだけで泣き、親が見えなくなると無条件で泣き、お化けが怖いという抽象的な理由で泣き、ゲームを買ってくれないと泣き、叱られると泣き、犬が吠えると泣き、歯医者で泣き、注射で泣き、そしていま、親を泣かそうと企てているのである。

そして我が妻も母親である。さぞかし嬉しいことだろう。

妻:「行ってもええけど、帰りにはサーティーワンもつけるんやろな?」

・・・・・。何故だか倅がからまれている。もしくは「彼氏の軽薄な言動が原因で喧嘩した後、彼氏の謝罪と仲直りデートを受け入れて尚、それでも上から目線の彼女」のような対応である。これは酷い。

そもそも倅は妻を甘やかせ過ぎた。あの年頃なら「このクソババア!」とか言ってしまい、何度か私に殺されていてもいいはずだが、そういうのは一度もない。どころか、ふらっと遊びに行った帰りなどでも妻にアイスを買ってくる。コレ、最近気付いたのだが、ちょっとキモくないか?

もちろん、私にも缶コーヒーなどを買ってくる。自分の小遣いで、だ。そういえば私もコンビニに行けば、妻のアイスを買ってくる。倅の好きな「ヨーグルト系」のものも買ってくる。とくに何も買ってこないのは妻だけだ(笑)。倅は友人らと祭りに行くと「お母さんに」と言いながらリンゴ飴を買うから、ツレらからはマザコンの称号も得ている。私からしても、リビングで仲良く並んでテレビを見ている姿などを見ると、たしかにキモいのである。いくらなんでも仲良過ぎ、ではなかろうか。

倅は妻の布団も敷く。布団は重いからだ。私が敷いてあげるときもあるが、いずれにせよ、我が家では男性のどちらかが「お母さんの布団」を敷く。それらの理由は一つだけだと思う。それは妻が喜ぶからだ。

よく思い出してみれば、我が家には小さな「ありがとう」がたくさんある。



我が子が小さいとき、子が何かしてくれたら親は大袈裟に喜ぶ。学校で作ったという怪しげな粘土細工を持ち帰り、それを親にプレゼントしてくれたら、親というのはそれを後生大事にせねばならないことになっている。「これはね、お母さん!」と言って描いた絵なども、それが斬新なタッチで仕上がった意味不明なものでも、これはもしかすると「呪うということかも・・」というほどのアレでも、親というものは飛び上がって喜びを表現し、胸にそれを抱きしめて感謝せねばならないことになっている。

「ありがとう」を忘れるのは往々にして親である。それは子に対してだけではなく、親同士、つまり夫婦間での「ありがとう」が消滅することをいう。「ありがとう」と言わないのか、それとも「ありがとう」と言われることをしなくなるのかはともかく、それはいつの間にか「ごめんなさい」も言わなくなる関係となる。「水臭い」という表現もあるが、それには「謝ってたまるか」という意固地やら、「夫婦相身互い」という大前提を失念することから、自分自身を正当化し合う関係に陥った結果だったりする。


大晦日、毎年のように妻が「年越し蕎麦」を作ってくれる。今年、大盛りのそれが私の前に置かれるとき、妻の手が滑りどんぶりが私のほうを向いて底を見せた。私はイスに座っていたから、それがマトモに流れ飛んできた。スローモーションで滑り来る「ニシン」もはっきりみえた。しかしながら、それは出来たてである。アツアツである。マトモに喰らっていれば、私は病院のベッドで年を越していたはずだ。が、私は数カ月ぶりにスタンドを発動させてそれを全て避けた。妻にスタンドは見えないはずだが、それでも「大火傷をした」と決めつけていたから、普段の妻のノンビリさは消え去り、相当に慌てふためいた。

そのとき、久しぶりに妻の「すいません!」を聞いた。

我ら夫婦を知る人も、ここを読んでくれている人も、これがもし、私の下半身から足にかけて深刻な火傷を負っていたとしても、私が妻を責めることは1ミリもないとわかってくれると信じて言うが、このときの妻も、そんなことは先刻承知、そうでなければ結婚してくれていない。私は妻から「自分のことをどう思っているか」と問われたとき、ちょうどよい譬えがみつからず、もし、妻から出刃包丁でめった刺しにされても、妻の手が切れていないか心配する、と答えて笑われたことがあるほど、妻の味方を自認している。

妻は粗相して私から叱られるなど微塵も思っていないし、ましてや、熱さと痛みに我を忘れた私から「何かされる」などあり得るはずもないと十分承知していつつ、ごめん!の後に「すいません!!」と言ってしまった。そして、私のジャージの下半分を触り、そばつゆで濡れていないと安心したあと、ふと我に返り、なんで?!!と驚いてもいた。たしかにかかったのに・・・と真顔で絶句していた。私は少量ならば液体や火炎を避けることが出来る、と妻には伏せているからだ(笑)。

私は冷静に、お父さんは深刻な怪我をしないようになっている、という説明する他なかったが、ともあれ、テーブルの下に散乱する「ニシンそば」を一緒に片づけようとした。すると、妻は私を制止し、倅を呼びつけた。倅はバスタオルを持って飛んで来た。

「お父さんに、そんなことさせられない」が妻の理由だった。妻は何度も謝り、すぐに作り直すから、と言ってまた、キッチンに向かった。



ここにも何度か書いたが「ごめんなさい」と「ありがとう」は同根である。「ごめんなさい」がない場合は「ありがとう」もウソだと思ったほうがいい。この法則は大なり小なり同じことで、例えば戦後の日本は謝ってばかり、だと知られるが、実は「ありがとう」も言えぬ国となっている。捏造された「日本の戦争犯罪」ならば望んで「ごめんなさい」をしたがるが、実際に日本のために命を捨てて護ってくれた英霊には「ありがとう」も言えぬ国であるからだ。百年謝っても「日本の謝罪には誠意が感じられない」とする支那朝鮮の言い分は少しだけ納得してもよい。当然ながら、そこに誠意などないからだ。


ある夜、私が早めに休んでいると、リビングからの「言い争い」する声で目が覚めた。序盤だったらしく、妻がギャンギャンやっていた。どうやら倅に「何か頼んでいた」らしく、それを倅が忘れていたとのことだった。家事に関する「お手伝いレベル」の何かだ。いつもは黙っているだけの倅だが、そのときは妻のあまりの理不尽さに(笑)言い返していた。

倅曰く「忘れていたことを責められても、これ以上どうしようもない」とのことだ。倅のことだから、ちゃんと「ごめんさない」はしただろうが、妻がそこから「ごめんなさいで済むかこの野郎」とやったわけだ。私はそのまま「寝たふり」をしながら聞いていた。

論争は平行線だ。倅は「忘れていたことの非を認めて謝罪したから、もういいじゃないか」という一点張りだし、妻は収まりがつかないらしく、「もういい、とはなんだ」と喰ってかかる。そして、その流れから倅は痛恨の言葉を吐いてしまう。

「勉強も大変だった」である。これに妻はしてやったり、と攻勢に出る。

「家の手伝いが出来ないなら勉強などしなくてもよし」である。もちろん、私の言葉だ。ここに「父の権威」まで出されては、ちょっと倅に分が悪い。妻は更に「お父さんの言葉」を羅列して倅を追い込んでいく。

「勉強はしてくれと頼んでいない。頼むものでもない。お父さんが仕事を理由にして、そんなこと言ったこともないのに、たかが勉強で何様のつもりだ」

「普通は子供が、勉強させてください、と苦労するものだ。それを理由にして親の言うことが聞けないなら、ひとりで勝手にどこでも生きて、好きな勉強を死ぬまでやれ」

倅はもう、コーナーに詰められてボコボコだった。このあまりに悲惨な状況を鑑み、血塗れの倅を救おうと、私は月曜ドラマランドもびっくりの大根ぶりで「ふわぁ~」と欠伸しながらリビングに行った。すると、無条件に試合終了、だ。「お父さんの前」で詰まらぬ言い争いをするわけにもいかず、倅は夜なのに「おはよう」とだけ言って部屋に入って行った。そうしないのは妻だ。まあ、私に不機嫌は隠せないから、どうしたの?と聞くまでもなく、抱きついてきて、半分泣きながらわぁわぁやっていた。

そして、真顔で「親に向かって言い返してきた」と言いつけてきた。私はそのことには触れず、とりあえず、玄関にある植木鉢の横辺りを見てくるように言った。しばらくすると、玄関から「うわぁ~~♪」という歓喜の声がした。「スティッチのラスク」を隠しておいてよかった。

次の日の夕方、私は倅にメールした。私が倅にメールするのは年に数回あるかないかだ。




“昨日の一連の流れは知っている。寝たふりをしていた。どちらが正しいかといえば、たぶん、お前の言い分が9割は正しい。忘れたことは仕方がない。それにお母さんは「言い返してきた!」と言っていたが、それも反論に満たない愚痴レベルだったと理解している。ただし、お父さんはお母さんの絶対的味方である。お父さんはお母さんのために生きているし、これからもお母さんのために生きて行く。お父さんの人生は、お前のお母さんのためにある。どちらが正しい、ではなく、お父さんは半永久的、且つ、自動的にお母さんの味方であり続ける。今朝、お母さんはまだ、元気がなかった。相手がお前だからだ。お父さんも、相手がお前でなければ困ることはない。でも、いま、とても困っている。お前を殴ってもお母さんは悲しむからだ。だから、お前からお母さんに謝って、今日中に仲直りすること。男の頼みだ。  父より”



倅からは「わかった!」という返答が来た。その日の夜遅く私が帰宅すると、妻はとても上機嫌だった。上機嫌は私に隠せないから、どうしたの?と聞くまでもなく、抱きついてきて、こっそりと報告してくれた。

妻のいちばん好きなアイスを手に帰って来たらしい。そして、お母さん、昨日はごめんなさい、今度から忘れないようにするから許して下さい、とやったそうだ。妻はその様子を、怪しげなモノマネを交えながらクスクスと教えてくれた。妻は小さな声で、なんやかんや言うても、まだ子供やなぁ~と笑った。私も「そうやなぁ」と笑ったが、本当は倅が「子供のふりをするほど大人」になったのだと知っている。

コメント一覧

久代千代太郎
>▲

>妻は抱きついてくれません(泣笑)



うしろから「痴漢ごっこ」とかするから・・・
夫婦間・親子間の理想が散りばめられててホンマに勉強になります。

ただ、実行してるんですが・・・・。

妻は抱きついてくれません(泣笑)
久代千代太郎
>二代目弥右衛門

うわ、ありがとうございます。

「宝探しゲーム」は盛り上がりますよ。助かりますし。うふふ。犬に盗られることもありますが。うふふ。
二代目弥右衛門
すばらしいご家族!
今日のブログをしっかりと胸に刻み、僕もこれから妻と一緒に家庭を築いていきます。

ありがとうございました!


さららっときました

>し様

お?ありがとねん♪


>私もそんな家庭を目指して頑張ります


いいなぁ~養子になりたいなぁ~
うるるっと来ました。
いい家族だなぁ~~。

私もそんな家庭を目指して頑張ります。
ありがとうございました。

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