忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

対馬日記③

2010年01月25日 | 過去記事



スナック「アケミ」のママさんが、とあるタクシー会社の運転手さんを呼んでくれた。ホテルに戻るのではなく、観光のことで相談したら「友達に詳しい人がおるたい♪」と勝手に呼んでくれたのである。運転手さんは「黒岩さん」という名前だった。50代半ばに見えたが、なんと、64歳だった。「若く見える」のではなく、普通に、若いのである。そして、対馬生まれの優しいおじさんだった。私は密かに「ビッグマグナム」とあだ名をつけた。

パンフレットもくれた。実は、ちゃんとしたのを持ってなかったのである。我ながら余計に怪しい(笑)。しかし、タクシーでウロウロすると料金も高いだろうし、レンタカーを24時間借りて、好き放題に回ったほうが楽しそうだと思い、正直にそうも言ってみた。すると、ビッグマグナムはメモを書いてくれた。もし、ホテルでレンタカーとか無かったら、明日は自分が休みだけれども、ここに電話して「阿比留さん」(※対馬全域に阿比留さんはたくさんいる)という人を呼んでもらいなさいと。事情は説明しておくと。これだけ言うと、ビッグマグナムは、ママに手を振ってさっと帰った。なんか、忙しそうだった。

ママに挨拶して店を出る。何とも寒い。これが「朝鮮風」というやつか。京都では「寒い」など言ったことがあるのかと思い出すが、私が年をとったのか、それとも対馬が寒いのか、ともかく、大陸から来る大寒波は対馬の夜を凍らせるのであった。

それでも私はしつこい。たしかにもう、遭難しかけているが、それでも対馬のオアシスを探し求めて歩く。あるはずなんだ。ちょっと小さめの背丈で、童顔ながらも色気があって、年のころは私よりも2つ下か4つ上くらいで、笑うと思ったよりも子供っぽくて、話し出すと止まらないチーママがいて・・・こ、ここは・・・?開いてるよな・・・?


ビンゴ!


しかも、漁師さん(イカ釣り漁船の人だった)2人組もいた!

人が飲んでる!ちゃんと飲んでる!私は感動した。


私はこういうとき、台湾でもそうだったが、精いっぱい、明るくというか、害はないですという気持ちを込めてドアを開ける。そして、あくまでも普通の客ですという顔をして飲むようにしている。まあ、その通りなのだが、そこはやはり、漁師さんも、なんか、警戒している。余所者だしね。ひとりだしね。どうせ怪しいです。


ところで、対馬は「カラオケブーム」である。未だに「一曲200円」が通る島である。「防音設備」など鼻で笑うかの如き設備ながら、対馬の夜はカラオケで賑やかではある。映画館が無く、コンビニが一軒しかなく、レンタルビデオ屋の「新入荷!」がドラゴンボール実写版(2010年1月)である対馬では、このカラオケがなければ漁師さんはイカを捕らない。

漁師さんは、ひとりが34歳だという。顔が赤くて鼻が赤くて髭がある。コントに出てくるような、如何にもの「漁師キャラ」である。そんな、子供に描かせたような「漁師さん」が歌う歌は、もちろん、この曲「男岬」、はりきってどうぞ。




コンブを拾う~~女(ひと)~~♪




・・・素晴らしい出だしである。だから、歌詞。





お?サビである。





対馬海峡~壱岐海峡~鳴門海峡~~♪東シナ海~日本海~~オホーツク海~♪





い、意味がわからない。だから、歌詞。




店のセールスアピールが「セクシーママがいます」という、昭和の香りぷんぷんの店「スナックjoy」のママさんは「ごめんねwwうるさかろ?」と気を使ってくれるが、いやいや、なんの、楽しんでますから大丈夫ですよ、メモとってますが気にしないでねと言っておく。



今度はもうひとりの漁師(?)さんだ。



鳥羽一郎から北島三郎へと移行。これなら理解できるのだ。大阪にもいるしね。わからんのは、もう一人の方だ。ともかく、連続で歌っている。うむ、ちょっと飽きてきた。


ン、次は・・・?





「男の岬」・・・?これさっき・・?


な、なるほど。先ほどは「男岬」・・これは「男の岬」ということかかってにしろ。




対馬海流~~♪リマン海流~~嗚呼ぁ~~日本海流~~♪
冬はスケトウダラ~~♪秋は秋アジだぁぁぁあああぁっぁぁ~~♪





・・・だから、歌詞。







結局、最後まで飲んでた私は、ママさんに見送られて店を出る。漁師さんには住所を聞かれた。なんでも「ヨコワ」と「ブリ」と「バカイカ」を送ってくれると言い出した。嬉しいのだが、ある日、ホントに20キロのヨコワとブリ、30キロの養殖マグロと馬鹿ほどあるバカイカを送られることを想像してほしい。私は魚屋ではない。また、さすがに観光地の説明にも詳しく、非常にありがたかった。対馬美人のママさんは、対馬空港を降りてすぐにあるモニュメントを、大きな声で「ホタテww」と言っていた私に、こっそりと「あれはホタテじゃなかと♪イヨギっていうと❤」と教えてくれた惚れた。い、いよぎ・・。



在特会が「朝鮮人は出てけー!万引き朝鮮人を叩き出せー」とやっていた川の横を歩きながら、対馬で一軒しかないというコンビニに入る。煙草は売ってない(泣)。ちなみに、ここは「ローソン」とか「ファミマ」でもない。それは、もう学んだはずだ。「コンビニ」はコンビニなのだ。コジコジはコジコジなのである。







ホテルの近くまで来ると、後ろから「お~い」と誰か来た。いくら私が在日スパイでも、対馬に知り合いはおらん。・・・はっ!!・・も、もしかすると、これは虹の会でのサプライズ、実はみんなで対馬に来て隠れてたんじゃないの?


私が一人で寂しいだろうと思って、何人かがもう先回りして心配して・・・であるはずもなく、声の主はビッグマグナムだった。


マグナムはパンフレットをくれた。なんだ、それならさっき・・と思ったら、なにやら書き込んである。なんと、このマグナム、私が飲んでいる間にパンフレットにマジックで丸をつけ、対馬の国道を赤線で塗り、コースを作ってくれていたのである。それは、私が「自衛隊の施設がみたい」とか「ロシア兵が助けられた浜とかみたい(茂木浜)」とか、雑談しているのを聞いて、それとなくコースを作ってくれていたのである。私は感動した惚れた。



そして、なんと、レンタカーも「ある」と確認してくれた。また、これがマグナムの「営業」でないことはあとでわかる。私も「これは、頼まないとイヤらしいかな?」と思った私がイヤらしいのであった。コレは純然たる「親切」であった。私は親切に触れたのだ。











夜、京都にいる妻に「8時に起こしてね♪」と告げてから寝たのだが、結局、8時に「おはよう」と言ってからまた寝た。9時を過ぎていた。急いで食堂に行く。

その日の朝は和食にした。明日は洋食だ。もちろん、ご飯は食べ放題。しかし、朝から腹いっぱいになると、また寝てしまうかもしれんし、今日はレンタカーで厳原を回りたい。「どこ」という目的もないことはないが、それよりも時間を気にせず、対馬の雰囲気を味わいたいと思っていた。昼飯も厳原の普通の店で喰いたいから、ちょっとセーブして食べた。

レンタカーはすぐに来た。対馬空港近くの会社らしいが、そこから持ってくるとのことだった。ホテルのロビーで朝日新聞を読みながら待つ。レンタカーは24時間借りた。そんなに必要ないのだが、なにせ6時間過ぎると同じ料金だから意味がないのだ。昨日は気付かなかったホテルの裏のパン屋さんでパンとコーヒーを買って出発。やはり、朝飯が足らんかったw

国道382号線を北に走る。片側2車線など対馬には無い。ついでに信号機も少ない。だから、歩行者には気をつけないと危ないと感じた。普通に道路に出てくる。さっきも自衛隊員を轢きそうになった。私は普段から、安全運転がハンドルを握っているようなものだが、慣れない車で慣れない道を走るから、いつもより慎重に運転する。

ちなみに、交通渋滞もない。タクシー運転手さんによれば、空港近くでたまに、ごく稀に「混む」ことがあればびっくりする程度らしい。しかし、走っていると、急に前が詰まることがある。なんだ、渋滞はあるじゃないかと思ったら、やはり、関係無かった。ボロいと言っては失礼だが、でも、やっぱりボロい軽自動車が止まりそうな速度で走っている。

タクシーの運ちゃんが言っていた。年寄りが多いから・・だそうだ。高齢者が多い対馬では、老人のドライバーが少なくない。擬音をつけるならば「ぷすんぷすん」という感じか。無論、若い子はさっと抜くのだが、やはり、そこは片側一車線である。危ないし、それにこの「ぷすんぷすん」も急に曲がったりするから、それも難しいのだという。だから、前に「ぷすんぷすん」が来たら、しょうがない。一緒にのんびり走らせることになる。実にゆったりした島だ。だから事故が少ない。



基本的に「緩やか」なのである。島国特有なのかどうかは知らんが、なんとなく、急いでいない感じがする。また、観光客では、私のようにレンタカーで走る者も多く、少し走れば目を奪われる絶景が広がるわけだから、脇見運転など珍しくもない。中にはハザードをつけて写真を撮る人もいたから、大阪の高速道路のように100キロでも抜かれていくようなことは絶対にない。それにスピードを出せる直線がないことも、死亡事故を減らしているのだとわかる。やはり、交通事故で危険なのは「速度の出し過ぎ」なのだ。ぶつかったときの衝撃もそうだが、なにより、その回避行動がとれない。対馬のように、カーブばかり、トンネルばかり、片側一車線であれば、ぶんぶん飛ばす車が無いのである。





車は順調に美津島町を抜けて豊玉町に入る。もう、対向車もちらりとあれば良い方だ。車と人の姿はほとんどない。山と空しかない道を私だけが走っている。窓を少し開けると、冷たい寒さが飛び込んでくる。雑木ばかりの対馬の山ががさがさ震えている。海から吹き込む太い風は、茶色と灰色の山の間を細く切り抜けると、その色までもが失われて本来の形に戻るのだろう。すなわち、より鋭利な風は切り裂くほどの寒さとなる。私は「人が死ぬほどの寒さ」とは、その温度ではなく、その質なのではないかと思ったほどだ。



眠くなるヒマのないカーブが続く。気がつけばガードレールもない部分が増えている。覗き込まぬとも、そこから落ちれば脱輪で済まないこともわかる。カーブを曲がり切れずにぶつかって、気でも失ったら発見される前に死ぬほどの少ない交通量や、いつやったのか、いつ再開するのかわからない工事現場の後、人の気配が「あった」という景色の中、わかりにくい「烏帽子岳」の山道をくねると、浅茅湾の入り江の奥に「和多都美神社」があった。






誰もいない境内で参拝を済ませ、竜宮の入り口も凍るほどの寒さに悶えながらも付近を散策していると、社殿の横にも「磐座(いわくら)」があった。前には磯良(いそら)恵比寿という磐座があると知っていたが、これは知らなかった。しかも、奥に続く道もある。



周囲には誰もいないし、なんか、明らかに山の中だし、本来ならば、私は絶対に足を踏み入れない自信がある。私を少しでも知っている人間ならば、ここに「私が自ら入っていく」など、なかなか信じることが出来ないと思う。スーパーヘビー級の腹をすかせたイノシシが出るとも聞いてるし、そんなもんと出くわして「ガチコメドライバー」とか開発する必要もないし、ともかく、怖くて寒いのに、私が入っていくはずはなかったのである。



が、しかし、私はなぜだか吸いこまれるように社殿の裏に回った。木々の葉が落ちて腐り、それが一面に広がっている。時折、その中で誰かがかさかさと音を立てる。冷たく固まった空気の中を少し歩くと、林立する巨木の向こうに鳥居が見えた。私はそのまま寒風が疾走する木々の中を、なぜだか空白になって歩いて行く。








その鳥居の後ろには「豊玉姫命」の墓があった。



ふたつの岩の前に、その墳墓はあった。ふたつの岩は「夫婦岩」だった。




私はポケットから小銭を取り出し手を合わせた。







不思議な話をしよう。



気がつくと私は泣いていたのだ。今でも、なぜだかわからない。悲しかったわけでも、辛かったことを思い出したわけでもない。もちろん、ホームシックでもない(笑)。しかし、なぜだか、涙が溢れて止まらない。こんなことがあるのだろうかと、止めどなく溢れる涙を手の平に見ても信じられなかった。ただ、心を澄まして考えれば、なにか、恥ずかしかったような、みっともなかったような気はしていた。無論、38年も生きていれば「恥ずかしいこと」くらいはあるのだが、いったいどれがそうなのか、それとも、あり過ぎてわからなくなっているだけなのか、これもなぜだかわからない。



ただ、酷く謙虚な気持ちになった気はする。いや、謙虚というよりもっと、現実的なものだった。なんだかわからないが、個別具体性のある「物事」を目の前に突きだされたような、それに対して心だけが反応して跪いて謝っているような感じだ。頭ではなく、もちろん、体でもなく、心が反応したというか、自分の感触が及ばない部分が勝手に膝を折っている。それも心から。





この「和多都美神社」の主祭神は「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」と、この「豊玉姫命(とよたまひでのみこと)」である。少し書くと、この辺りは「海神(わだつみ)」である「豊玉彦命(とよたまひこのみこと)」が治めここに宮殿を造った。先ほどの墳墓はその娘さんだ。「豊玉彦命」はこの地を「夫姫(おとひめ)」と名付ける。



そこに「釣り針を探しに来た」という「彦火火出見尊」がやってきて「豊玉姫命」と結婚する。そして、産まれたのが「鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)」であり、このカミは神武天皇のお父さんだったりする。












頭は冴えている。体もなんともない。ただ、妙な感じがずっとしている。それはその少し上の「神話の里自然公園」で、たったひとりで休憩しているときもそうだった。ま、どうせ、予定のない旅だし、せっかくだからと公園内を散歩する。歩きながら、いろんなことを考えるのも悪くない。空気は美味いし、何よりも静かだし、寒いし。



気がつくと、目の前には浅茅湾のリアス式海岸が広がっていた。








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