忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

対馬日記④

2010年01月25日 | 過去記事



10月は「神無月」である。日本全国の神様が出雲に集まり、日本の若い男女の縁結びをどうするかという会議を開く。だから、原因不明で彼女が出来ないという若い男は、10月になったら出雲大社に行ってクレームを出せばいい。いくら神様でも「ちょ、ごめん、忘れてたw」というのはあるかもしれない。帝さんはいつもそこでナンパの相談をしている。

したがって出雲では10月のことを「神有月」と呼ぶ。全国から神様が集まってくるわけだから、この地だけは「有り」なのである。しかし、何事にも例外はあって、対馬の「オヒデリ様」という神様は、10月になっても出雲の会議に参加しない。もちろん、対馬におられる神々はみんな出雲に来るのだが、その際、この「オヒデリ様」だけは留守番をすることになっている。それは対馬が昔から「国境の島」だからかもしれない。



二日目の夜、昨日と同じコースを回ってみる。赤提灯で豚足を食べて、スナック「アケミ」に行く。今日はサメと芋ではなく、ちゃんと「イカ」が出てきた。バカイカの焼き物だ。これがまた美味い。芋焼酎がススムくんである。


ちなみに――――

っと、ちょっと聞き辛そうな顔をしてみる。「韓国人は・・・?」

お断りだそうだ。この辺りの店では珍しくないとわかる。無論、赤提灯のようにハングル文字でポスターを張って呼び込んでいるところもある。その店次第なのだが、私は勘で言ってみた。「要するに値段でしょう?」

韓国人観光客は「金を落とさない」と有名だ。「セット料金」など払うはずがないから、この手の店は難儀するはずだと思った。

それもある、と「アケミ」のママは言う。最初の値段交渉が、あとになって通じないなんてことはしょっちゅうらしい。「ひとり、飲み放題3000円」だというと、OKOK!と入り、支払いの段階では急に日本語が不自由になるのだという。ちなみに、英語もダメだ。

だから、それでも韓国人客を扱う店は「前払い」というシステムをとっている店もあるそうだ。私はたいがい飲み歩くが「前払いのスナック」などは見たことも聞いたこともないが、そんな店も、今度は「金は払ってある」という安心感からか、そらもう、無茶されることもあるらしい。それにやはり、マナーが悪い。悪過ぎる。

「もう、懲り懲り・・・」

何があったか聞けないほど、「アケミ」のママは遠くを見つめて言う。そういえば今朝、ホテルの食堂で「対馬には仕事でよく来る」というサラリーマン二人組と一緒になった。私は最初、テレビをみているふりをして聞いていたのだが、どうやら「今日は大丈夫」だという。何のことかと思えば、部屋の臭いのことらしい。そのホテルにはいつも泊っているようだが、たまに部屋が「狂いキムチ」のようになっているらしい。

もう、ベッドの下を探すほど、どこかに赤く染まった白菜の欠片でもあるんじゃないかと思うほど、リアルな臭いが充満していて消えないと笑っていた。

ま、しかし、これが体臭ならば、それは勘弁してやってくれと言いたくもなるのだが、こいつらは「現物」を持ってきて困らせるから嫌われる。カレーを持ってないインド人、ケチャップを持ってないアメリカ人、梅干を喰ってない日本人ならば、これはもう、仕方がないとしか言いようもないが、ここにキムチを持った韓国人がいるとなれば、それはもう庇いようがない。パスポートじゃないんだから、外国にまで「持ってこなければならないもの」では決してない。


3日目、丸一日世話になったマグナム(黒岩さん)も言っていた。なんと、段ボールで持ち込むらしい。私が「たっぱとかじゃ・・?」と言うも、それくらいなら文句言うわけがないと、聞く前に悟った。地下駐車場は、ちょっとした「キムチ保管庫」にされるという。


それに、対馬に来る韓国人は、その過半以上が船でくる。だから箱で持ち込める。40名ほどのグループが10団体とか来る。あとは数名のグループで来る「釣り客」だ。私の感想だが、問題を起こすのはこいつらである。また、これらも同じく「キムチ持参」である。

私も比田勝港で「団体様」をみた。円高でシーズンオフでこれかい、と思ったほどだ。ま、来るのは仕方ないところだが、どこでメシ喰ってもキムチを広げて配るのはなんとかせねばならん。外国に長期滞在している日本人が梅干を送ってもらうのとは意味が違う。これはもう「文化病」だと思う。


また、これは対馬に限らず、大阪でもある。


以前、妻が勤めていた大手百貨店でもそうだった。あの有名な高級料亭でも被害はあったそうだ。とくに、驚くのは「5人で店に入って3人分注文する」という感覚だ。高級料亭や百貨店のレストラン街ならば、それなりに客室の設備を整えているし、おしぼりや水だって出る。そこで定食やコース料理を少ない人数分注文して、あとはキムチを取り出して、韓国焼酎を飲み始めるわけだからたまらない。また、日本人の従業員を顎で使うのが嬉しいのか、やれ水だ、やれおしぼりを持ってこいとやる。これでは嫌われないほうがおかしい。

また、これも昔、ブログに書いたと思うが、とある旅行代理店の所長と話す機会があったのだが、外国旅行を頼む際、普通、日本人は「その国には寿司屋はあるか?」とは聞かない。空港で「すきやきを喰わせろ」とは言わない。外国に行くということは、その国の歴史や文化に触れたいから出かけるわけだ。いや、それは国内でもそうだ。私も対馬で、なんでタコヤキないんや?とは言わない。

また、とくに「危険」だという認識がある国では別だが、それでも極力、その国の料理を試してみたいというのは、ごく普通の感覚である。日本人が外国に出かけて「この国には日本の寿司がない。何であんなに美味いものがこの国にはないのか。我々は寿司がなければ食事が出来ないというのに」とはやらないのだ。





それを韓国人はやる。理由はおそらくこうだ。



我々、韓国人の文化は優れている。このキムチだって世界がうらやむいえいいえい。保存もできるし栄養もあるし、とても優れた発酵食品なのだ。我々は韓国の文化を愛している。もう、世界でいちばん韓国が好きなんだ。だから、外国にいる間も韓国のことは忘れたくないし、韓国の味は欠かせない。迷惑だとかは許さない。我々の愛国心が試されている!



とか思うのだろう。ある意味、哀れではあるが、実に迷惑極まりない話でもある。


そういえばパチンコにもなった「春のワルツ」という朝鮮ドラマもそうだ。どこかヨーロッパの国で列車に乗ったヒロインが、恋人役の男性に過って「コチュジャン」をかけてしまうことから二人は出会う・・・とかやる。これの阿呆さ加減に気づかんわけだから、これはもう仕方がない。日本のドラマやアニメで同じことをすれば、例えばヒロインがぷっと吐き出した梅干しの種が彼の上着のポケットの中に・・・梅干しの種(天神様)が繰り広げる、ちょっと酸っぱいラブストーリー「天神様にお願い♪」2010年4月スタート!とかやれば「どれほど世間と乖離しているか」がよくわかるのである。








また、他意はないのだが、やっぱり聞いてみた(笑)。



「デモ行進・・あったでしょ?朝鮮人は帰れとか、万引き朝鮮人を叩き出せとか?」



と聞くと、「アケミ」のママは、さっきと同じく顔をしかめた。








はっきり書くと、迷惑だったそうだ。怖かったそうだ。うるさかったそうだ。


それに、だ。アレがきっかけで「庇う人が増えた」そうだ。よかったな、おい。


対馬在住の韓国人のおばさんが泣いたら、その周辺はもらい泣きしながら庇ったそうだ。日本人はそういう民族だとなぜにわからんのだ。理屈よりも、目の前の弱者を庇ってしまう民族だとまだわからんのか。間違えていても、自分が損しても、目の前で泣く「情の通った人」を庇ってしまうのが日本民族の底なしの優しさであり、協調性の高い文化であり、信じられんほど高い民度そのものだとわからんのか。


日本人が「日本人の子供も万引きするじゃないか」と日本人に言うそうだ。この日本人を「売国奴」とか「左翼に洗脳された人」と斬って捨てることに戦略はあるのか。


対馬の「本当に韓国人をどうにかしてほしい」と願っている人が「逆効果」だと溜息をついている。対馬で外国人地方参政権反対を言えば「万引きするからか?」と問われることになろう。現実にそう言っているじゃないかと激高するだろう。そこで、あの大人しく優しい対馬の人々が、それでも反対を叫ぶ姿が想像できん。


大切なことは「知ってもらうこと」であり、その上で「考えてもらうこと」だ。だからシュプレヒコールの『言葉』は大切なのだ。何様か知らんが、相手が朝鮮人でも支那人でもアメリカ人でも日本人でもいいが、何を根拠に偉そうに上からモノ申すのか。人様の考えや気持ちを「愛国心がない」とか「不勉強、情報弱者」などと一刀両断して、公務員を『阿呆呼ばわり』することが、多くの普通の日本人に受け入れられて許されると思っておるのか。ならば、今の民主党を批判する資格はあるまい。選挙に勝ったら何でもできると、愛国心があれば乱暴な言葉で怒鳴っても良いは、同レベルである。

拡声器で「朝鮮人は出ていけー」とやらんでも、対馬の人で韓国人に困っている人は知っている。「出ていけ」ではなく、「来ないでくれ」とは思っている人も少なくない。それに時間をかけて、あの店、この店と、「日本人の客が来ないから仕方がない」という店と話をしている人もいるだろう。「韓国人お断り」の店も、自衛策として、まさにそのまま「自衛隊に営業をかける」という店も増えているらしい。「何かあったら」すぐに電話して呼べる自衛隊員がいるらしい。その隊員が基地を変わるときには「引き継ぎ」までしてくれるそうだ。「なんとかせねばならない」など、拡声器で怒鳴らんでもみんな知っている。


実際に役立つことをせねばならない。わぁわぁ言うだけで「次の日からいない」では話にならんのだ。我々は問題提起した!と自己満足も結構だが、ならば、次からは特攻服を着てやって欲しい。例えば、同じ「外国人地方参政権反対」と訴える人達とは峻別してもらえるだろう。それは日本のためになることだ。是非、一考してもらいたい。









また、心に残る邂逅もあった。

スナック「アケミ」のドアを開けて、店内を窺うように入ってきたのは「老夫婦」と言っては失礼だが、私よりもかなり先輩のようだった。背が高く、すっと背筋の伸びた老紳士と、上手に厚着しているお洒落な御夫人だった。

「アケミ」を訪れるのは、何でも3年ぶりらしい。ママとも話がはずんでいる。ここは空気を読んで、残った焼酎を飲み干して立ち去ったほうがよさそうだ。とはいえ、老夫婦が座ってすぐに立ち去るというのも、盛り上がっている話の腰を折るのではないかと思い、私は煙草に火をつける。薄い水割を夫婦で注文し、老紳士のほうは私にもグラスを傾けてきたから、軽く会釈して返すと、ママが「観光で・・京都から・・」とつないでくれた。


年を聞かれたので答える。少し反応している。仕事を聞かれたので「廃業」したことを伝えて会社のあった場所を言うと、反応は大きくなる。私は昭和46年生まれだが、そこの長男さんは昭和45年生まれで、今勤めているのは大阪で、私の会社があったすぐ近くだとわかる。ガード下の中華料理屋や、駅前ビルの2階にある居酒屋チェーン店などが通じる。

そういえば、以前、パラオに行った際もそうだった。少ないツアー参加者の中で、やはり地元民がいた。聞き慣れた地名に歓声を上げ、何もこんな赤道の真上まで来て京阪電車の話をしなくてもと笑った思い出がある。対馬も狭いが地球も狭いのである。


ところで、その老紳士は74歳だと言った。私は驚いた。60を過ぎたばかりかと思っていたからだ。もちろん、御夫人の年齢は聞かないが、それでも相当年下であろうと推察した。

「歌っていいですか?」

と老紳士は聞いてきた。もちろん、是非、どうぞと言う。そして、御主人の「フランク永井」に続いて御夫人も歌うのだが、私はとあることに気づいて感動した。

無念ながら、曲名や歌手名は失念した。たしか「ありがとう」という曲名だったと思うが、これは男性側から女性側に感謝の言葉を贈る内容の歌詞だった。私は何気に聞いていたのだが、とある異変に気付いた。最初は「声の調子が悪くなったのかな?」と思っただけだった。声が急に「そこだけ」小さくなるから変だなと思ったのである。

画面をみると、消えかけた歌詞の最後が残っていた。私はある予感がしたから、静かに2番が始まるのを待った。

2番の歌詞の当該部分に来た。やはり、だ。ここで、ここだけ非常に声が小さくなる。なにか誤魔化しているような、やり過ごしているような歌い方だ。他の部分は声も出ているし、上手に歌いあげているから、余計に「そこ」が目立つ。そのとき、隣でじっと聞いていた老紳士が、笑いながら「気にせず歌いなさいww」と笑った。私は確信した。





その歌詞は、ぐうたらな男が嫁に謝罪する歌詞だったのである。




覚えている範囲で書くと、


「酒に酔って電話して怒鳴ったこともある」とか「自分勝手でたいしたこともできない」など、要するに男性が自分自身を卑下して語る歌詞であった。こんなだらしない男に付いてきてくれてありがとう、こんなつまらない男を支えてくれてありがとう、という内容の歌なのだが、御夫人は、隣にいる旦那さんを気遣い「その部分だけ」歌えなかったのである。何とも奥ゆかしい。何とも可愛らしいではないか。私は嬉しくなった。





また、名刺も頂いたが、老紳士の仕事は「エネルギーの専門家」だった。対馬には3つの火力発電所があるが、この御仁は「原子力専門」であった。今は後進の指導にあたっているのだという。今日は「新年会」があったから夫婦で久しぶりに対馬に来たのだという。



老紳士は奥様を「アケミ」のママに任せて、しばらく話をしてくれた。もちろん、どこかの奥様方と同じく、ちょいちょい話には割り込んでくるのだが(笑)。





「効率の良いエネルギーは、どんなエネルギーだと思いますか?」



私は今日、自分が飲み過ぎていないことに感謝して、私なりに答えてみた。




「少ない量で大きなモノを動かせる・・とか?」


「そうです。そして、そんなエネルギーはどうすれば得られると思いますか?」


「・・・・わかりません」





それはね、と言いながら、老紳士は水割を飲み干した。




「溜めるんです。ぐっと我慢して、ね」



「例えば、人間は小さいでしょう。でも、その小さい人間がすごい仕事を達成したり、とてもマネできない偉業を成し遂げたりすることがある。原子力だってそうです。人間が使ってはじめて強大なエネルギーになるわけです。で、なければ、あんなもんただ有害なだけじゃないですかww」




「はぁ・・・なるほど」



「それじゃ、人間はどうやってエネルギーを溜めるか御存じですか?」




「努力するとか・・・我慢するとか・・・」



「そうです。もちろん、それでも溜まります。しかし、それでは溜まる速度が遅い」



「はぁ、たしかに・・人間寿命には限りがありますしね」



「そうなんです。では、そのエネルギーを劇的に溜める方法があると言ったらどうします?」



「試してみます。是非」







老紳士は嬉しそうな顔になった。いつの間にか奥様もママも話を止めて、こちらをみている。とくに奥様は「よかったね~」という顔で私をみている。




「恥をかくんです。恥を」


「恥・・ですか?」



「そうです。でも、恥には“かきかた”がある。コツはね、堂々と恥をかくんです」





「恥ずかしいと思いながらかく恥はためになりません。自信なく、遠慮気味にかく恥は恥ずかしいだけで終わるんです。もう、あんな目に遭わないようにしようと思ってしまいます。そうじゃなく、堂々と、胸を張って、誇り高く、恥をかくんです。これがエネルギー工学上、最も理論的なエネルギーの蓄え方です」




「あ・・・自負心・・のことか・・」



「そうです!よくわかってらっしゃる!大切なのは“絶対に勝てる”と思って負けることなんです。“負けると思って”負けるのは、実は恥じゃないんです。そして、その蓄積された恥のエネルギーが爆発するとき、人は何でも成し遂げてしまいます。人類の進化に最も必要なものは“恥”なんです」



ここまで聞いて、私はようやく、この御仁が、私を励ましてくれていることに気付いた。





「しかし、この恥を溜めるには気をつけなければならないことがあります。それは、その扱いです。そのまま扱うと、これは、とても自分を傷つけます。とてもじゃないが耐えられないほどです。これは僕でもあなたでもきっと耐えられない。そのくらい、本気の恥は凄まじいエネルギーなんです。ある意味、とても危険なんです」


私は「その答え」がわかるような気がした。いや、それはすでに知っていたのだ。ただ、どうにも当たり前で、どうにも自然なことで、私はそれを声に出すことが出来なかった。





老紳士は、隣の奥さんの肩を抱いて言った。



「その点、僕の家内は世界で一番、高性能です」



続けて、




「世の男の成功の8割は、その妻の偉業なんです」






おそらく―――――


私の人生で、これほどまで他者の意見に同意することはもうない。






私は40年後に、そのセリフを吐いてみせると約束した。大爆発するとも約束した。



「どうぞ、存分に爆発してください。僕もまだまだ爆発します」という老紳士に「原子力の人が、あまり爆発爆発言うと、社民党に怒られますよw」というと、御夫婦は笑っていた。




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