忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

オスプレイ陸揚げに「×」…市民団体が抗議集会(読売新聞) >2012.7.21

2012年07月21日 | 過去記事

    




オスプレイ陸揚げに「×」…市民団体が抗議集会(読売新聞) - goo ニュース

<山口県岩国市では22日、オスプレイの一時駐機に反対する市民団体が抗議集会を開いた。

 市役所前の公園に約1100人(主催者発表)が集まり、「市民、県民あげての反対の声を無視する許し難い暴挙だ。岩国基地陸揚げは中止し、国内配備計画の撤回を」とするアピール文を採択した。

 沖縄県では、又吉進・知事公室長が22日、オスプレイの普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)配備計画に反対している県の立場を米政府に伝えるため、米ワシントンに向け出発した。米国防総省と国務省の担当部長に面会する。

 又吉氏は那覇空港で記者団に対し、「県民の怒りや知事がなぜ反対しているかを、正確に申し上げることが必要だ」と語った>











日本の新鋭機「九七戦」は夜間の離着陸訓練を行う。昭和14年5月5日のことだ。飛んだのは11機。真っ暗な空に向かって飛ぶ「払暁飛行」は古参の操縦士が担う。理由は新参の操縦士を危険から遠ざける配慮だ。その中の「二七三号機」のパイロットはニュータイプ。その後、文句なしの歴戦の兵となる。

その操縦士の腕時計は「午後十時十九分」を指していた。「試運転異常なし」の報告を牟田中隊長は受けた。「二七三号機」は出発線からエンジン全開、離陸滑走に移る。六五〇馬力空冷エンジンが唸りを上げ、180キロのスピードで上昇、高度300メートルで水平飛行に。

甘木町の上空で4回旋回したあと、操縦士はガスレバーを中速にしぼり着陸降下。速度は200キロ。高度200メートルを切ったとき、爆発音が響いてエンジンが止まる。手動ポンプを操作するも、燃圧計が上がるだけでエンジンは始動しない。高度は200メートルをとっくに過ぎている。これは落下傘降下の不可能を意味する。操縦者は瞬時に覚悟を決めて、すべきことをする。浮力を得るためにフラップを全開、火災予防のため燃料コックを切る。オタオタしない。あとは「操縦道」で身につけた闘魂で操縦桿を握る。

時速180キロ。エンジン停止。目の前に広がる闇の中に吸い込まれていく。

操縦士は凄まじい衝撃音を聞いた後、意識不明、昏睡状態に陥る。ところが、九七戦は炎上どころか転覆すらせず、飛行場の一点に静止していた。これは航空事故史上、類稀なる出来事だった。操縦士は間違いなく、鬼才天才だった。翌日の新聞には「太刀洗の戦闘機夜間不時着、操縦の田形曹長は重傷危篤」――――――と載った。

この操縦士はそれから5年後の昭和19年10月12日、台湾沖航空戦で「グラマンF6F」36機を2機の飛燕で相手にし、6機を撃墜して5機を撃破した。さすがに被弾もし、それでも敵機に肉薄、相手に「特攻する気じゃ・・」とビビらせてからすり抜け、今度は時速430キロで不時着、こんなパイロット生かして返せばどうなることか、と必死になった残りの25機のグラマンから機銃掃射を受けながら、なんと、所持していた拳銃で地上から応戦、よくもオレを落としやがったな、と頭から血を噴き出しながら、急降下してくるグラマンを狙い撃った。米兵はすごい。私ならこんな化け物相手にしない。人智を越えている。軍神というか、もう、鬼神である。戦後、90歳を超えたこの「伝説」から「先生」と呼ばれた河内屋の親父が「先生だけは勘弁してください」と懇願したのも頷ける。マジ怖い(笑。



米軍三沢基地を離陸したF16戦闘機が、北海道根室市から北東に約870キロ離れた千島列島沖の公海上で墜落した。幸い、パイロットは無事。日本の漁業監視船に救助された。その頃、そこから西にずっと進んで山口県岩国市では「オスプレイ陸揚げ反対」と「市民団体」が叫んでいた。「国内配備計画の撤廃」を求めているそうだ。この本当の意味は支那の軍艦が安心して尖閣諸島周辺に近寄れない、漁民に扮した人民解放軍の兵士が上陸し難いじゃないか、となる。それとどうでもいいことだが、アメリカのテストで正解は「×」をつけることがある。「○×」がそのまま「正誤」の意味となるのは日韓くらいか。いずれにしても少数派だ。馬鹿なんじゃないか。嬉しそうにオスプレイの写真か何かに「×」を付けて笑っているが、米軍からすれば「え?OKなの??ww」とかにならないか。






ま、ともかく、戦車も戦闘機も、戦艦も潜水艦も、まあ、なんでも、だ。戦争で使う乗りモノは電車やバス、旅客機とは違う。この「×」の連中は、その区別がついていないのだ。自衛隊の戦車に「ウィンカー」をつけるから、こういう馬鹿が増えるわけだが「戦争するかもしれない」という目的で作られている「兵器」に「安全第一」など話にならない。パトカーでも救急車でも死亡事故は起こす。「だから走らせない」というのがいれば馬鹿だとわかる。暴走する犯人を追うパトカーが制限速度を守るのか。火災現場で消火活動するポンプ車が駐車禁止を気にするのか。救急車に信号を守れと言うのか。阿呆も大概にせよ。

平時でも緊急車両を運転する者は研修を受ける。赤信号を通過したりするからだ。軍事車両とか戦闘機というのは緊急中の緊急、病気より怪我より、犯罪者より火事より怖いのが「他国からの侵略」だ。しかも「それで負けること」だ。国が亡くなることもある。

つまり、順番がおかしい。「オスプレイ配備反対」を言うなら、支那共産党に「尖閣諸島は日本の領土だと認めよ」とデモするのが近道だ。支那朝鮮に「反日教育を止めよ」と言うのもいい。もちろん「米軍基地は出ていけ」もよろしい。それなら「自衛隊を国軍に」も付け加えてから「支那朝鮮、ロシアは憲法9条を持ちなさい」と布教活動するのがよろしかろう。実に手っ取り早いし、理に適っている。手伝ってもいい。

「PAC3」もそうだった。パトリオットミサイルは湾岸戦争のとき、イラクのスカッドミサイルを迎撃したミサイルだ。これに「迎撃ミサイル反対」と叫ぶのがおかしいのはわかろう。だってしょーがないからだ。日本国内で「PAC3の配備反対」を叫ぶなら、先ずは北朝鮮にテポドンを捨てろと言わねば話が通らない。「防弾チョッキ反対」と同じだ。だってしょーがないのである。

そもそも「自衛隊反対」は「自衛反対」だ。我が宇治市は「無防備都市宣言」ということで、自衛隊施設は撤去せよ、協力も何もしないぞ、という「平和・無防備地域をめざす宇治市民の会」がある。「占領されても抵抗しません」だ。だってジュネーブ条約があるから、ということだが、自衛隊の皆様方におかれましては、こんな阿呆共も命を賭して護ってくれるわけだ。私が宇治市役所に行って「いまから、宇治市は私が占領統治します。とりあえず宇治茶出せ」と言っても、とりあえず、警察も来てくれるし、私が重火器で武装していたら、ちゃんと武力で制圧もしてくれるだろう。そして「軍隊」とは常日頃、そういう訓練をしている。命懸けで、だ。呑気で抜けたような生活が送れるのもその御蔭なのだ。






昭和20年3月。第八飛行師団には戦隊初となる特攻命令が出る。日本軍に「空軍」はないが、これは支那事変から以前、政治家が「航空予算」を減らしていたからだった。良く言えば少数精鋭だが、要するに大鑑巨砲主義が幅を利かせていた。また、実際に金もかかった。戦闘機を飛ばすとなれば、操縦者40名の一個戦隊の訓練費用は歩兵一万名の1個師団に匹敵した。だから大東亜戦争前半の頃は、歴戦の兵、古参の操縦者が米英空軍を圧倒した。操縦者は坂井三郎とか菅野直とか、杉田庄一とか笹井醇一とか、そんなレベルがごろごろいた。彼らはエリートであり、スターであり、優れた戦闘機乗りだった。

しかし戦争が続き、その生き残りは今度、自分が飛ぶどころではなく、急遽、新参操縦者の基礎訓練を行わなければならなかった。操縦者の訓練不足が「特攻」を生んだ要因のひとつでもあった。だから「陸軍准尉・田形竹尾」は自分の教え子を戦場の空に送った。

<君たちの精神は、祖国が続く限り讃えられ、遺族に対しては精神的に、経済的に、責任をもって保障される。頑張ってくれ>

後のことは心配するな、必ず、祖国の繁栄と世界から尊敬される国にする。靖国神社に軍神として祀られ、生き残った日本人はそこで感謝し、手を合わせ、英霊となった若者を忘れることはない、と約束し、血の涙を隠して送りだした。だから、田形竹尾氏の著作には「約束を果たせているだろうか」という文章が頻繁に出てくる。胸が潰れる想いだ。



もう一度、画像の「×」を嬉しそうに持つ連中を見てもらいたい。








人間とは感謝を失念すると、ここまで醜悪になれるわけだが、この連中、F16が墜落した、と聞いて何を思ったのか。そのパイロットが「無事に救助された」と聞いて安堵したのかどうか・・・・私の邪推では恐ろしいことになっているが、それは書かないでおく。




コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。