忘憂之物

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「批判は受ける」両院議員総会欠席し、海老蔵披露宴出席の前原国交相

2010年07月31日 | 過去記事
「批判は受ける」両院議員総会欠席し、海老蔵披露宴出席の前原国交相

 前原誠司国土交通相は30日午前の記者会見で、29日に行われた歌舞伎俳優の市川海老蔵さんとフリーキャスターの小林麻央さんの結婚披露宴に出席するため、参院選を総括する民主党の両院議員総会を欠席したことについて、「両院議員総会が決まる前に結婚式の招待状をいただいた。鏡開きをさせていただくという話もあり、当初から決まっていた予定を優先させた」と説明した。

 さらに「冠婚葬祭は人生で極めて大事なセレモニーだ。社会通念として、どちらを優先させるのかということを、政治家は判断をする」と述べた。ただ、政務に優先させたことへの批判に対しては「批判は甘んじて受ける」とした。

 披露宴には、政界から前原氏のほか、森喜朗、小泉純一郎両元首相も出席していた。









テレビで見た。「小林麻央って美人だよなぁ~海老蔵もやっぱ男前過ぎるなぁ~」とか言いながら「お茶の間の視聴者の幸せ」を体感しつつテレビ見てたら、星野さんとか小泉さんとかが出てきて、やっぱり、大物が来るんだなぁ~とか、テニスコート9面分の披露宴会場とか、我が妻連れて行ったら絶対迷子確定だなぁ~とかやってたら前原大臣が出てきたけれども、他の民主党議員、いや、他党の政治家の姿も見えないから、うん?とか思ったけれども、まあ、そういうことだったわけだ。

参院選の敗退を受けて、現職の大臣が両院総会を欠席して「批判するなら批判しろ」と開き直っておられる。秋葉原無差別殺人の加藤が、何でもかんでも気に喰わなかったら「アピール」だとして勝手に帰宅したり、仕事に行かなかったり、(直接関係のない言動による)反抗のことを「アピール」だとする幼稚な姿勢にウンザリしたが、要するに前原大臣も「気に入らなかった」のだろうか。なぜ俺様が文句言われなきゃならんのだという「アピール」なのかもしれない。前原大臣も「民主党にウンザリ」しているのだろう。

「小沢派」であろうが「反小沢派」であろうが、ちゃんとマトモな政治家ならば、もはやとっくに言いわけすら出来ない状況であると、さすがに認めざるを得ないだろう。これ以上の強弁は、自分自身の政治信条などだけではなく、もはや人格すら疑われてしまうほど現政権のウダウダは酷過ぎる。コレは皮肉ではなく、もう「両院総会をサボって芸能人の披露宴に行ったほうがいい」ほどの酷さだ。そろそろ日本経済も本気で心配な状況だし、臨時国会開催も野党からの突き上げしかなかろう。国内の問題は待ったなし、外交も相変わらず土下座を通り越して、相手の靴を舐めるところまで来た。しかしながら、民主党内の問題が多すぎる。小沢と鳩山の「政治の金」の問題なども、なんら片付いていない。

キャミソールの事務所費の問題も突かれるだろうし、最近では熊本3区で落選し、比例で復活当選していた民主党の後藤英友衆院議員の出納責任者が、選挙運動員8名に73万円の日当を支払ったとして裁判で問われていたが、ついに最高裁は上告を棄却した。ということは無論、この件は連座制が適用されて後藤議員は失職することになる。

野党はネタに困らない。しかも真正のねじれ国会、もはや日本の行政は機能不全に陥っていると言って差し支えない。また、この原因もすべからく民主党の自爆であった。合わせて旧社会党左派による党運営が露骨に目立ち始めた。ウソだらけとはいえ、まだマニュフェストで議論されている間は言いわけもあった。議論しているフリもできた。

しかし、民主党内におけるゴタゴタ、あるいは普天間問題などにおける無策、無知、無能が曝け出された。鳩山由紀夫の中身の無さに日本国民は辟易した。もちろん、続く管直人にも幻滅を通り越している。あの両院総会の場面、あれが「一国のリーダーとその仲間たち」に見えた国民はいまい。「民主党議員は日本の敵」とまで書く私だが、官僚に優秀な官僚がいるように、民主党にも政治家として有能な政治家はいる。しかし、だ。

両院総会で責任を問われるべきは現執行部と「前執行部」であることは自明である。小沢派が管政権の執行部を叩くなど、この低脳なマッチポンプには民主党の支持者でなくとも呆れ果てたであろう。叩くべきは民主党内の有能な政治家、背中に有権者の期待を感じている政治家であり、叩かれるべきは民主党を腐らせている「内なる敵」であろう。有権者は「小沢派」とやらの森某にも、ずっこけ松葉杖の三宅某にもNOを突き付けたのである。さすがに三宅に責められている日本国総理大臣の姿には哀れを感じたが、こいつら、なにやってるんだ?というのがマトモな国民の感覚ではなかったか。バカバカしくてやってられん、と両院総会に出ず、批判するならすればいいと、芸能人とよろしくしていた前原大臣は、ある意味で「正解」だった。良いか悪いかはともかく、そらそうだろうと思う。

また、そんな状態ながらも、民主党内に蔓延る旧社会党左派は休まずに売国法案を推し進める。管政権は言われるがまま、または自ら進んで8月29日の「日韓併合100周年」に合わせてまた、売国談話を出そうと奔走する。バラマキの隠れ蓑すら脱げてしまった民主党は、ただの極左に牛耳られた選挙マシーンであった。だからこそ、政治理念や歴史観念などどうでもいい、勝てるならば保守もリベラルもない小沢一郎が剛腕を振るえた。それは「外国人に投票させたら勝てる」という腐った餌にも飛びつくほどの節操のなさだった。

「小沢派」も「反小沢派」も国民は望んでいない。旧自民党の劣化コピーのような派閥争いなど、ワイドショーでも食傷気味、どこぞの芸能人が結婚しただけで話題性でも勝てなくなった。国民は「小沢はどう動くのか?」など興味ない。「自民の再生はあるのか?」もどうでもいい。だた、どこでもいいからちゃんと政治をしてくれと言うだけだ。

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