なんだかんだと2カ月半も続いてしまった。いや、今の職場だ。先日、職場の1年先輩の男性職員さんが、私に近寄って来てこっそりと言った。「○△派に入ったほうがいいですよ?」・・・・確認したが真顔だった。彼は32歳だ。独身で親元から出たことが無いそうだ。車はなんや知らんが「外車」だ。聞いてもいないのに300万円だと教えてくれた。
ところで「○△派」とは、職場の嫌われ者の古株職員(還暦間近)に反旗を翻すセクトのことだ。私も2カ月が経過したから、周囲の職員らは「あいつはどっち派なんだ?」とのことで、どうにも扱い辛いということだ。私は吹き出してしまった。
イイ大人が集まって、いったい何をやっているのかと呆れた。それに私を引き抜くつもりなら、それなりの料亭で何度か接待でもしたほうがいい。帰りには「車代」として100万でも包めば考えてやらんこともないが、手ぶらで「入れてやる」はないだろう(笑)。
ちなみに「業務報告書&業務改善案」は完成している。ま、彼らが読みこなすことが出来るかどうかは知らんが、あとはタイミングを観て提出するだけだ。介護主任には「組織に軋轢は不必要だが摩擦は必須」と伝えてある。やるなら血を流す覚悟でやれということだ。私はどっちでもいいが、その気があるかないか、それは私が判断する。職場の人間ごと、全員敵に回しても私が100%勝つことになっているが、いまのところ、そのモチベーションもないし、その理由もないだけのことだ。
「井の中の蛙、大海を知らず」という諺がある。もちろん、これには続きがあって「されど空の深さを知る」となる。今の職場の餓鬼どもも同じく、まさに「井戸の中の蛙」よろしく、小さい集団でセクト争いに励み、少しでも自分の居心地を良くしようと必死なのだ。しかし、私を含める「どんな人間」でも、所詮は「井の中の蛙」でもある。その「井戸」とやらが大きいか小さいかの違いだけで、そこに大した差異もない。
だから、私はそれだけで彼らを馬鹿にしたりしない。私が彼らを阿呆だと思うのは、続きの「されど空の深さを知る」を忘れているからだ。そこが圧倒的に違う。
私がマトモに話すのは、職場なら介護主任か施設長となる。あとの職員さんらには、申し訳ないが社交辞令と挨拶程度の会話しかしない。できない。カエルである限り、井戸の中にいるのは仕方がない。しかし、それでも「上」を向いていないと空の存在すら気付けない。そして、空こそは「大海」へと繋がっている。空こそが「大海」を映し出しているのだ。
それを横か下ばかり向いていると、人生が井戸の中で終わる。考えが空へと飛び立たない。
もちろん、私のように「空ばかり」見ていたら、横にも下にも目が効かなくなり、それで失うモノもある。どーでもいいものばかりでもない。中には「取り返しのつかない」モノを失ったと思うこともある。上手に生きている人は、ちゃんと上も横も下も、全部みている。だから、今後の私はちょっと横と下も観ようと思うが、それでも「空」を観ることは忘れないようにしたい。
また、私は予想通り、現在の仕事を通じて、私の中にあった「後悔の念」が増幅して襲い掛かってくる。祖母のことだ。
祖母が亡くなったのは、私が24歳の時だ。私はスーパーで店長になったばかりで「上」しかみていなかった。自宅に帰れないのに実家に顔を出せるはずもなく、仕入先と店と本社を行き来しながら何年も過ぎてしまった。
祖母が入院したのも知っていたし、具合が悪くなったのも知っていた。なぜ一日くらい祖母と一緒に過ごさなかったのか。病院の周辺を手をつないで散歩することがどうして出来なかったのか。いま、私は仕事で多くのお爺ちゃんやお婆ちゃんと一緒に過ごしている。先日は利用者のお婆さんから「何時に帰るのか?」と問われ、あと30分ほどで帰りますが?と言ったら泣かれた。「寂しいやないか」と言って泣かれたのだ。私は後頭部をバットでフルスイングされたようなショックを受けた。このお婆さんが、これほど寂しいなら、生まれたときから私を可愛がってくれた祖母はどれほど寂しかっただろう。
私はなんという愚かなことをしたのか。戻れるものなら、今から戻って祖母に謝りたい。無理矢理でも時間を作って温泉旅行にでも行きたい。桜咲く公園を、祖母の手を引いて歩きたい。昨日、近くの農道を杖をついたお婆ちゃんと一緒に歩いた。私はいたずらに脇道に生えていた名も知らぬ花を摘んで手渡した。何度も「ありがとう」を言ってもらい、今日、ベッドの横には花瓶まで置いて挿してあった。また、「ありがとう」を言われた。
いま、爺ちゃん婆ちゃんが生きている人は、次の休みにでも顔を出してあげてほしい。手ぶらでよい、顔を出して声をかけてあげてほしい。
私は自分でも驚くほど、今の仕事にハマっている。職場には馴染めないが、仕事にはハマっている。最近、ついに周囲も気付き始めた。暴れて奇声を発する利用者さんが、私には大人しく接するということが話題にもなった。すぐに怒り、すぐに帰る!と言い出すお爺ちゃんがいる。この人は21歳のときに満州に出兵した。関東軍だ。
戦後、ソ連の侵攻を受けつつも、どうにか祖国の土を踏んでいるわけだ。この大先輩がいま、施設で小娘から軽んじられている。怒るはずだ。
年寄りを舐めてはいけない。認知症も舐めてはいけない。ぜんぶ、まるっとお見通しなのだ。だから、私だけが殴られないし、言葉だけで理解してくれる。笑顔で接してくれるし、エレベーターの中から敬礼もしてくれた。周囲はそれが不思議でしょうがないわけだ。
腰のあたりに酷い「床ずれ」がある利用者さんがいる。90歳を過ぎた女性だ。「床ずれ」とは「褥瘡」のことで、つまり、周辺組織が壊死している。この利用者さんの「褥瘡」は「Ⅳ度」であるから重度だ。骨が腐る寸前だと思われる。オムツ交換などの際、利用者さんが患部に触れる恐れがある。患部の処置の際なども掻き毟ってしまったりする危険がある。これを防ぐために職員は二人がかりで手首を掴んで触らせないようにする。当然、利用者さんは暴れに暴れる。
不安と苦痛。そして恐怖もある。さらには「じっとしぃや!」などの怒声が飛ぶ。「もうぉ!」とか「こらっ!」などの威嚇と思しき粗野が行われる。私の場合は利用者さんの目を見ながら手首を掴まず、肘を掌に乗せて操る。それでも暴れるときは体全部で抱きしめる。脇の下に手を入れて体を密着させ、耳元で「だいじょうぶです。すぐに終わります」と告げる。私はこれを続けていた。すると、だ。私が処置する際は暴れなくなった。ベッドの柵を掴みながら、じっと黙って耐えているようになった。先日のことだ。私が居室から出ようとしたとき、後ろから「おおきに。おおきに。えらいおおきに」と言ってくれた。私は膝から崩れ落ちて泣きそうになった。まったく「おおきに」はこっちの台詞だ。
他の先輩職員さんらは、その理由を「私の顔が怖いから」だと冗談半分で言った。しかし、人生の先輩である利用者さんらは、あんたらの目や口が怖いと感じている。態度が怖いと、歩き方が怖いと、おちょくられるのが嫌だと、軽んじられる覚えはないと言っている。
男性の利用者さん。車椅子から移乗する際、私は「自分につかまってください」と言ったら、下手糞な私と利用者さんで「間接の取り合い」のようになった。私が「プロレスか!ww」と言ったら、その男性利用者さんは「どわわわわww」と声を出して笑った。数年勤めた職員も声を揃えて言った。「信じられない。この人は笑わない」
私は仕事が終わっても30分か1時間程度は職場に残ることが多い。勤務中は「ケツをまくられる(追い立てられる)」から、マトモに利用者さんと話したり出来ないからだ。私は「空」をみたい。「上」を知りたい。私は私より40年も50年も長く生きている人や、もっと長く生きていた人にも学びたい。その上でやっぱり「上」を目指したい。
昭和30年に大阪で「スナック」をしていた、という女性利用者さん。当時のボトルキープの値段や客層、大阪の景気の良さ、当時流行ったウィスキーの飲み方、等を話してくれる。いちばん売れていたのは「サントリーオールド」だ。サラリーマンの憧れ、勝利の美酒だった。安月給の客はリザーブからオールドへと背伸びして飲んだ。
この利用者さんは88歳で脳腫瘍を2度も乗り越えたから、言葉が上手く続かないことが多い。歩行器を使ってふらふら歩き、最近は認知症に怯えている。その女性が、だ。
テレビで東日本大震災をみながら私に言った。
「あんたな、がんばりや。みんなもな、がんばってるやん。わたしもな、がんばるねん」
次の日、職場に行くと、だ。その女性がなんと、歩行練習していた。「もういい」と邪魔臭がっていたのだが、その日は朝から補助のバーを掴み、ゆっくりゆっくりと歩いていた。
出勤してきた私に気付くと、にこっと笑って手を振った。私はその夜、サントリーオールドを飲った。飲み慣れた酒だが、ちょっと背伸びした気分になった。
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Karasu
し
柿本あつや
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