忘憂之物

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             渋沢栄一

沖縄「慰霊の日」…追悼式に首相ら5500人(読売新聞)>2012.6.23

2012年06月23日 | 過去記事

    




沖縄「慰霊の日」…追悼式に首相ら5500人(読売新聞) - goo ニュース

< 本土復帰から40年を迎えた沖縄県は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者を追悼する「慰霊の日」を迎えた。

 最後の激戦地となった糸満市 摩文仁 ( まぶに ) の平和祈念公園では、県主催の沖縄全戦没者追悼式が開かれ、野田首相や仲井真 弘多 ( ひろかず ) 知事、遺族ら約5500人が参列した。

 式典では正午から1分間黙とうし、戦没者の冥福を祈った。

 仲井真知事は平和宣言で、「沖縄には今なお広大な米軍基地が集中し、県民の負担は続いている」と述べ、日米両政府に基地負担の軽減と普天間飛行場の県外移設などを強く求めた。

 首相はあいさつで、基地負担の軽減について「具体的に目に見える形で進展させる」と述べた。首相の沖縄訪問は今年4回目。

 同公園内の「平和の 礎 ( いしじ ) 」には、沖縄戦の戦没者のほか、太平洋戦争で亡くなった県出身者の名前が刻まれているが、今年新たに刻銘されたのは36人だった。総数は24万1167人になったが、戦争による死亡を証言できる人の高齢化が進む影響で、今年の刻銘者は過去最少だった>








銃弾2716691発。砲弾60018発。手榴弾392304発。ロケット弾20359発。機関銃3000万発―――餃子の王将のCMみたいだが、これは沖縄戦で米軍が使った武器兵器になる。いわゆる「鉄の暴風」だ。これを米軍は民間人がいると知りつつやった。

米軍がサイパンに侵攻するのは1944年6月。陥落するのが同年7月7日。東條英機内閣は緊急閣議を開き「沖縄本島・宮古・石垣・奄美・徳之島の5島から60歳以上と15歳未満の老幼婦女子と学童を本土及び台湾へ疎開させる」と決定、沖縄県に通達する。理由は二つ。住民保護の観点から、それから軍事行動を阻害しないよう、だった。

「米軍の上陸」は疑いようがない。サイパンで米軍が何をしたかもわかってきた。「日本の皆さん、安心して出てきてください。わたしたちは平和が好きです。食料も水もあります」と呼びかけて、出てきた日本人女性は素っ裸にしてトラックに詰め込み、各基地に配ってレイプして殺した。老人と子供はバナデル飛行場の滑走路でガソリンかけて焼き殺した。赤ちゃんは屈強な米兵が両側から両足を持ち、ワンーツースリーで引き裂いた。バンザイクリフ、スーサイドクリフで断崖絶壁から投身自殺した日本人は1万人以上。冷静に考えてほしい。人間が絶望して「崖から飛んで死んだ方がマシ」「崖から突き落として殺してあげたほうがマシ」と思える状況とは存在する。集団パニック?戦陣訓?狂信的天皇崇拝者?ふざけるのも大概にした方が良い。

そんな連中が沖縄に上陸する。日本軍は陸海軍艦船で疎開させると決定する。大蔵省も当時の金で1500万円の予算も付けた。しかしながら疎開は進まない。沖縄県知事だった泉守紀も島外疎開は老幼婦女子のみ、住民は軍の補助をすべき、として強硬に反対していた。左巻きの言い草では、当時の日本は軍の独裁政権だったはずだが、疎開命令は行政指導。法的強制力がない、ということで島民の多くが従わないから困っていた。

島民にも言い分がある。先ず、お父さんが戦争に取られている。嫁と子供、年老いた親だけで本土や台湾に連れて行かれても困る。適当な無人島に下ろされても食料がない。病気も怖い。それに疎開するには船舶で移動する。コレが怖い。米軍は見境がない。米軍の潜水艦は日本の船を見つけたら沈めないと気が済まない。「富士丸」も沈められて4千人が殺された。「対馬丸」も沈められた。1500人の学堂が殺された。小型の疎開船も米軍戦闘機から攻撃される。彼らは海に浮かぶ小舟など絶好の的くらいにしか思っていない。

当時の日本は軍部の思い通りになるはずだが、このような理由で疎開は進まない。コレに警察署長や学校長などが尽力した。日本軍は1隻で足りる疎開に3隻の軍艦を出した。「見送りに来た」という人も強引に、そこらにいた日本人労働者も「艦長命令」として、とにかく船に乗せた。緊急事態だった。それからあの沖縄大空襲、いわゆる「十・十空襲」がある。那覇市は焦土と化す。

今までのように飛行機が1機だけ飛んできて、適当に機銃掃射して帰っていく、というパターンではなく、頭の上にはPB4Y爆撃機とか1081機が空を埋めた。海には巡洋艦が十数隻。駆逐艦は数十隻がきた。大部隊の本格的な総攻撃を目の当たりにして、沖縄県民の目は覚める。四の五の言っている場合ではないと。

結局、1945年3月、海上交通が途絶するまでに八万人以上が疎開して難を逃れた。沖縄本島北部への島内疎開は15万人以上になった。もちろん、疎開先での労苦は察するに余りあるが、それでも「鉄の暴風」に曝されるよりはマシだった。

6月23日は「沖縄慰霊の日」だ。今年も平和祈念公園では沖縄全戦没者追悼式が行われて、時の首相や知事が出席、参列者が1分間の黙祷を捧げた。沖縄の左翼機関、例えば「琉球新報」なども社説で<激しい地上戦に日本軍が意図的に住民を巻き込んだ結果>と平気で書く。史実は「意図的に疎開させた」わけだが、この新聞は米軍よりも日本軍が嫌い。好きなのは人民解放軍だ。だから米軍基地を追い払い、あとに自衛隊が来るのではなく、支那共産党人民解放軍に「解放」してほしいと心から願っている。そのためには「沖縄戦」とは「沖縄県民と日本軍が戦った」みたいに書くことも厭わない。

少しだけ読むと、今年3月の首里城公園内「旧日本軍第32軍司令部壕」の説明板が気に入らないと書いている。その説明には「日本軍による住民虐殺」と「日本軍に性奴隷にされた慰安婦」が書かれていないと怒っている。<こうした犠牲を払って得た教訓を、無にするかのような動きが近年、活発化している。先人が味わった辛酸を、無念を、決して無駄にしてはならない。次代にその教訓をつなぐ使命の重さを、鎮魂の日にあらためてかみしめたい>がそれだが、それはそのまま、鋭利なブーメランとなって戻ってくるだろう。

<こうした犠牲を払って得た教訓を、無にするかのような動き>とはどういう動きなのか。<先人が味わった辛酸を、無念を、決して無駄にしてはならない>と言うが、無駄にしようとしているのは誰なのか。無論、沖縄左翼は確信犯だが、そろそろ「ちゃんとした日本人」の数は増えてきて、合わせて正しい情報も溢れて来て、誰もが自分の頭と心で考えるようになってしばらく経つ。いい加減、その陳腐な理屈も通じない層が多数派になっている。購買数を落としてまで、あるいは売国や反日を通り越して、頭を疑われるのを覚悟で支那共産党の走狗を止めぬのも大したものだ。

この「県の説明は珍妙」とする理屈も、普通の神経では書けない「珍妙さ」を隠さない。とても文章を書いてメシを喰っているとは思えぬ「珍妙」な理屈だ。

<県の説明は実に珍妙な理屈だった。虐殺については「あったという証言と、なかったという証言の両方があって不確か」だから削除したという。「あった」というのは目撃証言であり、虐殺の存在をまさに証明するものだ。これに対し「なかった」という証言は、本人がその場にいなかった、目撃しなかったことを示すにすぎない。これを同列に扱い、「見ていない」旨の証言で目撃証言を消去するとは、この種の証言史料を扱う態度として、およそ信じがたい>

頭は大丈夫だろうか。私は「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判」を思い出した。原告側の主張「梅澤裕は自決用の手榴弾、弾薬などは渡していない。帰れ、死んではいけない、と追い返した」に対する被告側の主張は「梅澤が弾薬提供を拒んだのは、敵を倒すための物を自殺になど使わせたくなかったからであって“死ぬな、命を大切にしろ”という意味ではない」だった。島民は日本軍が配った「自決用」の手榴弾で爆死させられた!と言うから、原告側は「渡してない」と主張した。その理由が「武器弾薬が惜しかっただけだ」にどういう説得力があるのか。どっちでもいいではないか。結果、渡していなかったわけだ。

それでも最高裁は「被告が当時『真実』と信じるに相当の理由はあった」として大江は勝訴する。朝日新聞も沖縄左翼新聞も「自決命令を発したことを直ちに真実と断定できないとしても」という最高裁の判決文には触れず、勝った勝った、あったあったと騒いだ。だから今年の「沖縄慰霊の日」には沖縄左翼新聞が強気だ。理屈を捻じ曲げても、常識を疑われても気にもしない。「67年前、おまえがこのお婆さんをレイプするのを見た」という目撃証言があれば問答無用、それは捕まえて刑務所に放り込むべきだという理屈を新聞が書いた。「見てない」と言う人がいても関係ない。その人は「その場にいなかった」か「目撃しなかっただけ」ということなのだと新聞が書いた。

大江は「沖縄ノート」を書いたが、その場にいなかったし、その場に行くこともしなかった。そのとき、その場にいた人らが「なかった」と言っても裁判には負けた。だから琉球新報は堂々と<まるで、ナチスのユダヤ人連行を見たことがない人がいたから、「アウシュビッツの悲劇は存在しない」と強弁するかのような暴論だ。こんな理屈は世界に通用しない>という琉球新報社内でしか通用しない暴論を新聞に書く。

しかし、左翼新聞がどれほど腐そうとも、沖縄決戦で勇敢に戦った県民、日本軍守備隊の崇高な魂は汚れることもない。琉球新報が大好きな支那人がスーサイドクリフの慰霊碑を壊そうが、靖国神社の桜の木にぶら下がる「戦友会」のプレートを壊そうが、日本人は静かに元通りに直し、それから黙祷を捧げる。何度でも、だ。あの焼け野原から奇跡のような復活を果たした民族を舐めてはいけない。壊れようが、燃やされようが、腐されようが、騙されようが、その精神性が死ぬことはない。反日左翼はそれが怖い。




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