忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

共同通信記者に暴行=南京虐殺式典を取材中―中国

2012年12月15日 | 過去記事



共同通信記者に暴行=南京虐殺式典を取材中―中国

<【上海時事】中国江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」で13日、旧日本軍による南京事件から75年の追悼式典を取材していた共同通信の男性記者が、式典に参加していた中国人2人に蹴られるなど暴行を受けた。
 同記者によると、式典の公式行事終了後にパソコンで記事を執筆していた際、突然、背後から20代とみられる男に腰を蹴られた。さらに、近くにいた中年の男が「おまえは日本人か」と叫んで記者が首に巻いていたマフラーを引っ張った。外傷はないものの、痛みは残っているという。周辺にいた私服警官が男2人を取り押さえたが、連行はしなかったもよう。>








ナチスの初代国民啓蒙・宣伝大臣、要するに「プロパガンダ担当」だったゲッベルスは右下腿に小児麻痺があった。その所為で両足の長さが異なり普通に歩けず、また、身長が150センチしかなかった。それで友を妬み、神を恨み、世間を呪い、歪な精神構造のまま社会に出るが、頭が良くてエリートな自分を優遇しないユダヤ人を憎んだ。ヒトラーに魅せられ、その死後は首相に任命されるも、最後は5人の娘とひとりの息子に青酸カリを飲ませて殺し、自身も妻と共に自殺した。

小平は身体障害ではなかったが、これまた身長が150センチだった。渾名は「小瓶」。原因はフランス留学中、満足に喰えなかったから、ということらしいが、この経験からか、小平は毛沢東の死後、後継者の華国鋒から権力を奪うと、腹を空かせた人民にクロワッサンでも喰わそうとしたのか「改革開放」をやった。社会主義の中に市場経済を取り入れるという国家的実験だったが、多くの支那人も世界に「開放」してしまった。

せっかく毛沢東が文革とか、支那人同士を殺し合わせて数を減らし、支那人は外に出ないよう閉じ込めてきたのに、150センチの「小瓶」がゴミ箱の蓋を開けた。

日本国内における支那人の犯罪は1990年から2000年の間に急増している。その前年、1989年には天安門事件だ。小平が人民解放軍に武力弾圧を命じた年から、日本国内での外国人犯罪件数は23年以上、ほとんどの凶悪事件におけるジャンルで、支那人が連続で1位となった。得意ジャンルは強盗殺人。ATM荒らしにピッキング。

1990年以降、来日外国人の犯罪者を捕まえると、そのおよそ半分が「ニイハオ」になった。ここに「アニョハセヨ」を含めると8割を超える。こちらは不法滞在が1位。それから覚醒剤になる。あとは粗暴犯とか性犯罪。庇うわけではないが(笑)、やることがちょっとセコイ。なんとなく「棲み分け」がなっている。

「日中友好じゃないか」ということで面倒を見た日本人の顔面をツルハシで砕き、生きたまま両手両足に鉄アレイを縛り付けて海に放り込んだりという事件もあったが、ピッキング被害は1990年に2万件を超える。100倍になった計算だ。

この年に日本が受け入れた支那人就学生は約一万人。調べてみると2000人以上が偽造書類、ほとんどが福建省からだった。これが蛇党のビジネスチャンスを生む。福建省は“人多地少(レントウデイシャオ)”とか“山多田少(シャントウデイエンシャオ)”と言われるほど、人が多くて仕事がない。メインは「出稼ぎ」だ。

小平が「改革開放」とか「先富論」を言い出した頃だ。貧しい農村の若者は社会主義など知ったことかと都市部に流れ込んだ。いわゆる「盲流」だが、これが海を越えて流れ出る。人気の行き先は差別もなくて安心、近くて早くて安全、金持ちが多くてセキュリティの甘い日本だった。これに偽装難民や偽装残留孤児、“なりすまし”もいる。

目に見えて治安が悪化してから10年後になる2000年。朝日新聞が夕刊でキレた。警視庁地域部が東京都内各署に配った防犯チラシに「中国人かな、と思ったら110番」と書いてあったとかで、配慮に欠ける、とブチ切れていた。このどストライク。秀逸なコピーにたぶん、朝日新聞は頭から血の気が引いた。腰が抜けたようになり、怒りでコトバのチカラが出なかったかもしれない。だから「配慮に欠ける」しか言い返せない。「事実ではない」と捏造したり「日本人の犯罪率はどうなんだ」と開き直ることも出来なかった。

言うまでもないが「ピッキング窃盗団」の弱点は110番通報。地域住民の「なんかヘンだ」とか「怪しいぞ」がきっかけとなり、先ず、警戒されたらとてもやり難い犯罪である。だから騒いだ連中は「東京都は戦争協力をするな!平和をつくる市民連絡会」だった。「平和をつくる」の対象者は支那人犯罪者にとっての「平和」だった。来日した支那人が平和に犯罪を繰り返せるよう、警視庁に「外国人差別を止めろ」と抗議した。

いま、朝日新聞やらその仲間の沖縄タイムス、琉球新報などは見出しで「米兵の深夜外出禁止求めて決議 沖縄市議会」とか書く。元来、支那人と変わらぬアングロサクソン。他国の土地で犯罪するのは珍しくないが、それでも米海兵隊員が一家惨殺したり、ピッキング強盗に励んだり、刺身包丁で武装して「スリ軍団」とか組織しない。隠れてマリファナはやっても覚醒剤を売り歩いたり、誰かを拉致監禁して殺し、保険金騙し取ったりもしない。つまり、海兵隊員や米軍関係者が犯罪に手を染める、ということはあるが、米兵はとくに「犯罪目的」で沖縄にいない。だからレイプとか暴行、放火とか住居侵入、轢き逃げという頭が悪く計画性の無い、粗野粗暴な犯罪になる。あとは酒飲んで暴れたとか。

しかし、支那人は違う。これは素のまま犯罪者がやってくる。組織化して役割分担もあり、狙いを定めて躊躇いなく行う。だって目的は「犯罪」なのである。それから逃走経路もある。米兵は基地に逃げ込むしかできないが、支那人は平然と外国に逃げる。

つまるところ、朝日新聞が「配慮」せねばならない相手とは、日本語の新聞を読む購読者であり、普通に日本で暮らす良民であるとわかる。支那人の強盗に「配慮」する必要は、その一味でない限りまったくない。



共同通信記者が暴行を受けたという江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」。この館名は「侵華日軍南京大遇難同胞紀念館」とあるが、これを揮毫したのは小平である。「抗日戦争40周年」に合わせて8月15日にオープンさせた「反日記念館」を喧伝してきた日本の反日メディアは、小平と同じ「一味」になる。

また、反日デモで沸いた今年の夏。中国江蘇省南通市啓東でデモの取材をしていた朝日新聞上海支局長の奥寺淳記者が人民警察に押し倒され、頭を蹴られてデジタルカメラも外国人記者証も取られることがあった。朝日新聞で上海支局といえば、支那共産党と同じ「一味」。パスポートはともかく、中身は支那人みたいなものだ。それでも共同通信記者と同じく、日本人だと看做されたら問答無用で襲われる。いくらノートパソコンで「日本人は南京大虐殺を忘れるな」と記事を書いたところで、支那人民に日本語は読めない。また、読めたところで関係ない。車やパソコンが「日本製」だったら支那人でも襲われる。

2010年。支那共産党の一味、朝日新聞の「ザ・コラム」に「小平を超える知恵は」が載った。書いたのは若宮啓文。同じ一味の民主党が政権を盗って1年ほど。まだ「自民党の歴史的敗北」の熱に頭が浮かれていたのか、コラムで<氏が宿題にした尖閣問題に対して、そろそろ知恵を搾る時期ではないか、資源開発を共同でやることにして領有権を認めてもらうことはできないだろうか>とやった。日本固有の領土の領有権をして、支那に<認めてもらうことはできないだろうか>が不気味だが、コレはこのザ・コラムの前のタイトル「風考計」で書いた、あの有名な売国夢想<いっそ日本が竹島を譲ってしまい、韓国がこの英断を称えて『友情島』となづけて周辺の漁業権を日本に認める~>と意味は逆だが同じ理屈になる。馬鹿を休み休み言ったつもりか。

また、その「小平の知恵」とは「棚上げ論」のことだ。これまた赤い一味の舟橋洋一も「文藝春秋」(2012年11月号)で同じく「先送り論(棚上げ論)」を書いている。それが「2匹のサソリ(日本と中国)」が争わない「最善の策」とまで書いて、北京から忠誠心を疑われないように気を使う。

小平は「棚上げ論」を言いながら、20隻の軍艦に尖閣諸島をうろつかせた。ヤクザの親分がチンピラを屯させて、うちの若いのは血の気が多くてね、と凄むのと同じ手口だ。これに対して「譲ったり」「認めてもらったり」は危険だと「暴対法」にも書いてある。では、どうすればいいかと言うと、ちゃんとオープンな場で毅然と対処しなさいと教えている。必ず「自分だけ」で対応しないで複数人、茶湯の接待もせずにドアも開けたまま、無理なモノは無理、ダメなことはダメ、先の世代に任そうや、などという抽象的で有耶無耶な解決策に飛び付かず、法的根拠に基づいた具体的な提案、あるいは拒絶を示しなさいとある。

若宮啓文は故・三宅久之氏に「安倍叩き」を問われて「社是だからです」と答えている。支那朝鮮はもうすぐ現出する「2度目の安倍政権」に戦々恐々、それこそ朝日でもNHKでも使って「安倍叩き」をする。つまり、朝日新聞の社是は支那朝鮮の思惑と同じ。一味である。だから「日本人かな?」で110番どころか、その場で襲いかかるような支那人に利する報道を心掛ける。道具は差別やら人権、平和とか友好になる。もう潰したほうがいい。

「朝日かな、と思ったら支那朝鮮」。「取り戻した日本」に朝日新聞はいらない。




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