忘憂之物

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自公圧勝、325議席=全議席が確定【12衆院選】

2012年12月17日 | 過去記事



自公圧勝、325議席=全議席が確定【12衆院選】

<16日に投開票された第46回衆院選は17日早朝、全480議席が確定した。自民、公明両党で325議席を獲得し、衆院で再可決が可能な3分の2を上回る議席を確保し圧勝。これに対し、民主党は57議席と惨敗した。国政選挙に初めて臨んだ日本維新の会は54議席を得て第3党となった。
 自民党は小選挙区で、2009年の前回選挙の64議席から3倍以上となる237議席に伸ばした。小選挙区では05年の郵政選挙で得た219議席を超え、過去最多。青森、新潟、石川、高知など19県で全議席を独占した。比例代表も前回の55議席を上回る57議席を獲得した。
 民主党は壊滅的敗北を喫した。小選挙区27、比例30の計57議席で、公示前の230議席から4分の1に激減した。小選挙区では、自民党に全議席独占を許した19県のほか、北海道、大阪、福岡など10道府県で公認候補が敗退した。
 「第三極」勢力では、維新が14小選挙区で勝利。このうち地盤とする大阪が12議席を占めた。比例も40議席と躍進した。一方、日本未来の党は議席を大幅に減らし、小選挙区2、比例7の計9議席と低迷した。
 公明党は小選挙区に擁立した9候補が全員当選。比例でも22議席を獲得し、公示前の21議席から05年時の31議席に戻した。みんなの党は小選挙区4、比例14の計18議席で、公示前から倍増。共産党は8議席、社民党は2議席にとどまった。国民新党と新党大地は1議席ずつを得たが、新党改革と新党日本は議席を得られなかった>





徳川第11代の征夷大将軍、徳川家斉。別名は「オットセイ将軍」。オットセイのペニスの粉末を飲みながら愛人が45人、それらに51人の子供産ませた。絶倫で壮健。1年でくるくる変わる総理大臣どころか、家斉は50年間も将軍職を務める。徳川家最長記録だ。

その50年も文化文政の豪華絢爛な時代。支えたのはオットセイだけではなく、筆頭老中だった松平定信。やったことのひとつに「寛政の改革」があった。幕政改革だ。いまなら「財政再建」になるか。定信は江戸城内から「無駄をなくします」をやり、徹底的な予算削減を実行した。各藩主にも倹約を強要して嫌われたが、消費増税の代わりにコレを庶民にまで押し付け、着物の柄にまで口を出した(贅沢禁止令)。

その前任者が田沼意次。浅間山が噴火して東北地方は大混乱。「天明の大飢饉」だ。それでも田沼は賄賂を止めない。悪い政治家だ。定信は田沼を失脚させるが、このとき田沼の政策も批判している。田沼の重商主義政策が大店による独占市場を生み出している、つまり、賄賂を受け取りながら大企業の味方をする田沼は悪い、痛みを伴う構造改革は庶民にだけ痛みを強要する愚策である、と批判した。最近もどこかで聞いたようなフレーズだった。

江戸幕府の財政は悪化していた。田沼は鉱山を開発したり、蝦夷地を開拓したりした。公共事業だ。それから「株仲間」を結成、銅座などの専売制を実施する。外国との貿易も拡大した。つまり、なにかと景気対策をやったわけだが、これで江戸幕府の財政は回復する。

外国との貿易は黒字化。田沼はロシア帝国にも手を出す。平賀源内と仲良く、蘭学を重要視し「士農工商」を否定して「実力主義」を揚げた。当然「抵抗勢力」は怒る。身分制度を壊し、西洋かぶれの文化や学問に保守的な幕府閣僚は反発する。

そこに「いかがですか?みなさん!」と定信が出てくる。定信は田沼の政策を全否定。鎖国を強化して貿易を止めた。北方探検隊に参加した武士は全員が逮捕されて一部が切腹、残りの者は島流しにされる。定信は失脚させた田沼の私財を没収する。大坂にある蔵屋敷の財産だけではなく、江戸屋敷も明け渡しを要求される。また、さぞかし黒いカネを溜めこんでいるだろうと、反田沼派の連中が家捜しするも、タンスから4億円出てくるどころか<塵一つでない>。悪い政治家の見本みたいに言われた田沼意次も武士だった。

あっさり書くと、松平定信は江戸城から無駄削減、贅沢をする大名に阿呆かとなった。その代わり庶民にも倹約させて税を取れるように、と考えた。これは徳川吉宗がやって失敗した政策に近かった。田沼意次は景気を刺激して内需拡大、儲けた商人からたんまり取ろうとする考えだった。良いか悪いかはともかく、どちらが正しいとか間違ってるとか、そういうことでもなく、いずれにしても江戸幕府、それから庶民のことも考えているとわかる。決して、自分らが老中であれば良いのだ、という安易で保身的な「人気取り」ではないとみえる。少なくとも「庶民の生活が一番」とか、嘘臭いポピュリズムは感じられない。まあ、そもそも選挙ではないが(笑)。

ま、いずれにせよ、倹約を強要された庶民は世俗的な「田沼政治」を懐かしみ、次のような落首が流行った。


白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき(詠み人しらず)


東京都内のホテル。3年3か月前は大いに賑わった場所だが、仕分けでもしたのか、今回は当選者にバラの造花もつけなかった。鳩山由紀夫は引退、菅直人は小選挙区敗退で比例復活、野田佳彦首相は代表辞任を表明した。現職大臣も夏の蚊の如く落ちに落ちた。予想していたとはいえ、あまりの無残に途中から笑えなかった。正直、こんな政党によくもまあ、政権交代やらヤラせたもんだと、改めて「民意」というモノが恐ろしくなった。

ところで、前原がこの「壊滅的敗北」を受けてテレビに出ていた。落ち込んでいるとか、悲しんでいるとかではなく、冷静ながらも憮然とした表情で答えていた。要すれば「自公政権の負の遺産が大き過ぎて3年で結果が出るわけない」だった。「いろんな成果はあったけれど、それが有権者の目に見えず、政策を理解してもらえなかった」と。それから「嘘つき呼ばわりされた」を2回ほど言った。「レッテルを貼られてしまった」も言った。

この馬鹿、まだわかっていない。私がいる「京都6区」もアレだったが(惜しかったけど)、京都2区は危なげなく、また前原を勝たせている。この3年3ヶ月、いったいどうみれば「呼ばわり」なのか。嘘だったではないか。「できると思ったけど結果として嘘になった」は政治家には使えない。どこが「レッテル」だったのか。メディアは全力で擁護していた。阿呆なコメンテーターが「支持率を下げないように頑張っているのに」と民主党の無能を嘆いていたではないか。だからこそ有権者は危機感をリアルに受け止めたのである。

有権者はこの3年3ヶ月。べつにいまさら「生活が厳しくなった」わけでもない。そのずっと前から、つまり15年前から厳しくなっている。メディアもずっと不景気を言い続け、日本の社会をもっと萎縮させてきた。今回、民主党政権がダメだったのは、間に合わなかったとかいう政策でもない。自公政権の負の遺産を解消できなかった、という結果を受けてということでもない。また、敢えて言えば「嘘とか誤魔化し」だけでもない。そんなの自公政権にもある。政治家がその場しのぎで適当を言う、など周知の事実である。

有権者が感じたのは「胡散臭さ」だ。それと「日本人マインドの欠落」である。これに本能的な嫌悪感を示した。嘘はいい。問題はそのあとだった。「嘘をついてました」とか「嘘になってしまいました」のあと、これが日本人マインドを感じさせなかった。

暴言や失言もそう。自公政権にもいろいろとあった。中には何が悪いのか、という言葉まで狩られていた。ただ、そのあとが違った。有耶無耶にできなかった。メディアも野党も徹底的に追求した。それは「辞めるまで」が基本だった。民主党政権になって、これが先ず、なくなった。とにかく認めない。ともかく謝らない。「そういう意味で申し上げたのではない」は流行語手前だった。「まったく知らなかったわけでありますから」は子供が言った。「腹案がある」「法律で決まっていない」「一定の目途」「近いうち」―――もういい加減にしてくれとなった。

国旗を切り裂いて党のロゴを作ったとき、多くの有権者は背筋が寒くなった。鳩山がうっかり「日本は日本人だけのものではない」と口走ったとき、多くの日本人は絶望に近い危機感を抱いていた。芋づる式に出てきた外国人献金やら北朝鮮の関連団体とのカネの流れは、既存の「悪い政治家」とは一線を画するリアルな危険を感じさせた。小沢の「天の声」やら「陸山会問題」が可愛く見えた。所詮が悪いゼネコンと悪徳政治家の癒着。今も昔も珍しくない類の悪さだった。しかし、前原や菅直人、野田やらレンホウのそれは違う。

日本に対して敵愾心を隠さぬ独裁国家やその傀儡組織、あるいは麻薬や暴力団という黒過ぎる黒い影が見えてしまっていた。極左暴力集団との接触もあった。どこに出しても恥ずかしくない「公安がマークする過激派」だった。ある意味、社民党や共産党よりも赤かった。どっぷりだった。コレに有権者は心底、恐怖した。

自民党のキャッチコピーは「日本を、取り戻す。」だった。まさに日本は奪われていた。2009年、多くの有権者は自公政権が下野しただけ、と思った。「お灸を据えた」と鼻息荒く、自民党議員の勉強会などでは「なんで下野したのか、わかってるのか」と真上からモノ申していたのもいた。違った。多くの有権者は自公政権を下野させたのではなく、無意識の中、売国勢力に国を差し出していた。今回、その恐ろしさの片鱗が見えた。

日本の有権者は右も左もなく、政治家は悪さもするし、失敗もするけど、基本的には「日本人なんだから」と侮っていた。民主党の実態はそれを嘲笑うかのように「日本人」ではなかった。小沢は「支那共産党の野戦部隊の隊長」を自称した。百数十人の国会議員が国家主席様と並んで握手、記念撮影して喜んだ。天皇陛下の政治利用も躊躇い無くやった。記者が問い質すと「誰が決めたんだ?」と凄みながら不勉強を晒した。副総理だったイオンは天皇陛下に対して「もっと想いの入った言葉を」と注文した。国家公安委員長だった呆けも秋篠宮殿下に「早く座れ」とヤジった。1年生議員は天皇陛下に対して国会内で携帯電話を向けた。日本人じゃあなかった。


国籍の問題ではなく、そのマインドが支那朝鮮だった。野田も菅も国会で「朝鮮飲み」で水を飲んだが、いま、私はとても笑えない。反日の朝鮮人が3年3ヶ月も「あの場」にいた。その現実がとても笑えないのである。

もちろん、私は昨日も酒を飲んだ。長尾敬は残念無念だったが、自民党の議席数に安堵した。西村真悟も三宅博も当選した。大阪13区の馬鹿もちゃんと落選した。捨てたもんじゃない、と安心もした。しかし、万歳万歳というわけにはいかない。

この3年3ヶ月を思い出すに、いま、改めて浮かれるのが怖い。安倍さんも笑っていなかった。自民党幹部も全員が浮かれていなかった。ホッとしている様子でもない。力んでいるわけでもない。武者震い、とかも違う。たぶん、感じていたのは「恐怖」だった。本気で民主党政権が恐ろしいと知っていた。反日マスコミが怖いと身に沁みた。

もしかしなくても、日本は大袈裟ではなく「九死に一生を得た」。




2 コメント

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Unknown (あきぼん)
2012-12-17 16:40:47
醜悪な顔でほざく「嘘つき呼ばわりされた」は
私もテレビを見て開いた口がふさがりませんでした・・

なにはともあれ、とりもろせそうで一安心
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Unknown (久代千代太郎)
2012-12-25 13:28:22
>あきぼん殿

帰ってまいりました。横須賀でお小遣いがなくなりました。

小遣いをトリモロス!と思い、何年ぶりかのパチンコもやられました。でも日本は取り戻してくれそうですな。あと、我々はバックアップ。クソメディアにばぁ~か、と言ってやりましょう。
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